春の蕾(5)
第四節は再びホームで迎える一戦。
愛媛ドルフィンFCは海色のユニフォームで、相手チームは今年二部に上がったチームだ。共にリーグの十七位と十八位に位置しており、どんぐりの背比べ。さらには去年、イシュタルFCはドルフィンFCに一度も勝てないままリーグを終えている。
「さて諸君。スタメン発表の前に一つ確認して置きたいことがある」
ロッカールームに入った時、談笑にざわめいていた空気がピリッと張り詰めた。
「俺たちは言うまでもなく十八位。このままズルズルと負けが込むと、降格まっしぐら。そこで君たちの意思を確認して置きたい」
俺は選手一人一人に目を合わせていく。
「君たちの目指す場所はどこだ? 俺たちはどこに迎えばいい?」
いの一番に声をあげたのは香苗だった。
「当然優勝です。リーグ優勝して一部昇格以外に目標はありません」
他の子達は、と目を向ける。
頷き返す子もいれば、さっと目を泳がせる子がちらほらいた。
「今年は苦しい戦いになるかもしれない。しかしこの世界にいる以上、誰もが頂点を目指す」
俺は皆に背を向けて、ホワイトボードに『一部昇格』と小さく書き込んだ。
皆、自信なさげに少し目を伏せていた。
「だがしかーし!」
ちょこちょとホワイトボードに歩み寄った佐竹マネが文字を消すと、新しく大きな文字で書き込んだのだった。
「我々が目指すはただ一つ——」
——昨日の夜に話は遡る。
事務所で対戦相手の過去映像を見返していた時、ふと見覚えのある男性が事務所に入ってきた。彼が、毎日熱心に練習を見に来ていたファンだと思い出すまでそう時間はかからなかった。
「すみませんがここは関係者以外——」
「いいんです、監督」佐竹が返す。
すると男は封筒を佐竹に渡し、彼女は中を確認していた。
「いつもありがとうございます」
佐竹は険しい顔をしていた。
訝しげな俺に対して、男は厳しい視線を向けながら近づくと、がっちりと握手を交わされたのだった。
「月見さん——いや、月見監督。うちのチームを……」
なぜか彼は顔をくしゃくしゃにして、涙を目にためていた。
はあ、と生返事する。
「あんたが最後の希望なんだ。どうかどうか、このチームをよろしく頼む」
頭を下げられて、彼は事務所を後にした。
首かしげる俺は、「今のオーナー?」と問いかけた。
「いえ……さっきの方は広報兼財務担当です」
佐竹はパソコンを打っていた手を止めて体を向けた。
「黙っていてすみません」
そう言って佐竹は腰を折る。
「現オーナーは私です」
「え——」
「少し前まで父がオーナーをしておりました。根っからのサッカーファンで、私が幼い頃よりずっとサッカーチームを持ちたいと言ってました。毎週のようにスタジアムに連れられ、私は自然とサッカーファンになります」
ある日佐竹の父は、戦力外通告を受けて行き場の無くした選手たちを集めて、新クラブを発足させたのだそうだ。社会人チームから始動したイシュタルFCは、元プロがいることもあって、あれよあれよと昇格を果たしていく。
発足当初は、至る所から借金をしてクラブ経営をしていたようだが、次第にファンが根付いて黒字経営に転じた。
「地盤を固めておけばよかったのですが、欲の出てしまった父は施設の充実や選手の大型補強に取り掛かります。そして運良く我々は一部昇格を果たしました」
けれど一度に手を広げてしまったイシュタルFCは資金が底をついており、多くの選手が去り、借金だけが残ってしまう。つまりはクラブライセンスを違反していた。選手への契約未払いが発覚し、三部に降格は免れなかった。
俺が想像していたよりもこのチームは具合が悪い。いや、ほとんど死体だ。
「責任を感じた父は、苦渋の決断でクラブの解散を宣言します。ですが、サポーターの方やユースの彼女たちがクラブ存続を望みました」
曰く、「親戚や古いファンの名前だけ借りて、仮初めの人事体制を有しているが、実際は佐竹の父が一人で財務から広報まで担当していた」とのことだった。昼間は本業をし、手の空いた時間に協力してもらっていたと。
「けれど、そんな綱渡りも長くは続きません。働き詰だった父は病に倒れてしまいます。幸いにも命に別状はありませんでしたが、しばらくの療養が必要でした。とうとう我々はクラブ解散を決断します」
そんな時に佐竹はある試合を見たのだという。
ロンドンダービー。
「途方に暮れていたあの時、我々と似たように、前半開始十五分で三失点という絶望的な状況から立ち上がった月見健吾を」
苦しい過去を思い出したのか佐竹は悲しげな表情を浮かべていたが、そう語った彼女は少しほころんでいた。
「たった一人で試合をひっくり返すあなたの姿に勇気をもらいました」
溢れた涙を拭って、佐竹は笑顔を見せた。
「それに私はこのチームが好きです。幼い頃からずっと寄り添ってきたこのクラブが大好きです。無くしたくない。そう思って私は父の後を引き継ぎました」
佐竹夏希に経営体制が変わってから、灰色だったフロントは、兼業とはいえ戻りはした。しかし現実的な問題として、財務基準は危ういのだという。
今期赤字を出せば、三部への降格が決まると。
「もう切れるところはありません。だから私たちが二部に残るにせよ、一部に行くにせよ、経営状況を良くするには、売上が伸びないとなんです。脅しはしましたが、開幕戦の動員数で行けば、生き残れるのは確実です」
だからか、と俺は自分が監督に選ばれた理由を悟る。
「ほんと、自分でもずるいって思います。でも、私たちが生き残るにはこれしかなかったんです。巻き込んでしまってすみません」
『元天才サッカープレイヤーが監督業始めました!?』
イシュタルFCのホームページには、そんなキャッチコピーが大きく掲げられていた。
「サッカーチームが売り上げを伸ばすには簡単な方法があります。こんなことを月見監督には言いたくありませんが……」
歯切れ悪く言葉を切った。
何を言いたいのか俺は理解していたが、佐竹はついに名言はしなかった。
しかし、翌日の試合前に佐竹はしかと言葉にする——。
選手たちに笑顔を向ける佐竹は、宣言した。
「ここにいる皆さんの手で、私をこの場所に連れて言ってください」
ホワイトボードに書かれていたのは、
『リーグ制覇!!』
という文字。
『もちろん一部で!』
と添えて。
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