春の蕾(4)

 週が明け、敵地に乗り込んでの第二節は立ち上がりから苦しい展開が続いた。しかしサッカーの女神が贔屓ひいきしたのか、決定打をポストに救われる。そして由佳の職人級のクロスが香苗の頭にドンピシャリ。先制点をもぎ取る。


 しかしこれに目が覚めた相手チームは猛攻を続け、前半終了間際に失点を許した。後半立ち上がりすぐに失点を許し、立て続けにもう一点。こちらは由佳と香苗のホットラインを封じられ、攻めあぐねての1-3で終わる。


 続く第三節もアウェイ戦。序盤から由佳香苗ラインを警戒され、無失点で前半が終了。しかし後半、それまで消えていた真穂に一本のパスが通ると、相手ディフェンスに背を向けたままサイドへ裏をつくパス。


 走り出していた杏奈はトップスピードに乗っており、追いかけられる者はいなかった。そのままゴールに流し込み、新たなホットラインが出来上がる。


 しかし嬉しい悩みだ。


 真穂と紬のポジションが被ることは。


「……いや、そうか。一番二人を活かせる場所があるじゃないか」


 待て待て待て。そうすれば杏奈は? 左で使うか? しかしそうすると今度は由佳をどうする? 全員を使えるシステムに変えるべきか……。だが現代のシステムサッカーに対して四バックは崩したくない。練習試合ではボロボロだったディフェンスラインがそれなりに機能し始めていた。もっとも、疲労が取れ始めて頭の働きがクリアになっていると言うこともあるだろう。できるならチームの底をいじりたくはない。


「なんだか監督、楽しそうですね」


 真賀田コーチがふと投げかけた。


「そう?」


「ええ、ニヤついて気持ち悪いです。何かいいことでもありました?」


き物の取れた選手ってのは一気に開花する可能性が高い」


「真穂ですか? 確かに先ほどの得点は成長を感じさせるものでしたが」


「俺は誤解してたよ。真賀田コーチたちが紬を使いたい理由を知った。俺が他所のチームの監督だったらそんなもん糞食らえって思っただろう。余計な重圧なんてただの重りだ」


 だけど。


 時に人は強い願いに突き動かされる時がある。例えば南米の選手なんかがそうだ。彼らは確かに恵まれた身体能力をしているが、それ以上にハングリー精神がより高みを目指そうとさせる。ひたむきにただ前へ。そう思った選手はあっという間に周りを追い抜くことがある。


「彼女を活躍させたい。活躍して欲しい。今はそう思うよ」


 王様が全部背負ってやる。


 だから君たちは伸び伸びとプレーをして欲しい。


 しかし願いは虚しく後半にゴールラッシュを許す。そして試合は大差の1−6で終わった。





 週が明け、紬が練習に合流した。


 リーグが始まって、ウェイトとラントレは短くし、ボール練習も九〇分に限定していた。全体できっちり二時間。しかし試合の出番が少ないサブ組や、登録外の選手は自主練に励んでいた。その間、俺を含めたスタッフ総出でマッサージ。


「ちょ監督、今お尻触ったやろ!? セクハラや! 痴漢や! 訴えたろか!?」


「触ってねえよ! てか、文句言うなら辞めるぞ?」


「嘘やん。ちょっとからかっただけやん。むしろ、お尻が張ってんねん。モミモミしてえなあ」


 宮瀬コーチとバトンタッチし、自主練から帰ってきたメンバーに視線を向ける。


「ねね、監督」真穂はベッドに仰向けになる。「おっぱい揉んで」


 吹き出した。


「なななな何言ってんだ!?」


「なんか、揉んだらおっきくなるって聞いたから。私、ぺたんこだし」


「そ、そう言うことは宮瀬コーチに相談しろ!」


「えー、でも男の人じゃないと効果がないって、コーチが」


 宮瀬に視線を向けると、彼女はほくそ笑んで、ピシリと親指を立てたのだった。


 罠だ。


 嘆息をつき、俺は部屋をあとにした。悶々とする頭をクリアにしようと、ちょっとボールでも蹴ろうかとグラウンドに向かう。


 二つの影がナイターの元で踊るのを目撃した。


「たくっ——」


 真賀田と紬が一対一をしていた。


「コーチがオーバーワークに貢献しちゃダメでしょ」


 二人は足を止め、俺の方を向く。


「今日はほとんど自己調整でしたし、軽くなら大丈夫だと宮瀬コーチにもお墨付きをもらいました。何より紬自身がやりたいと」


 真賀田が少し荒い息をしているのに対して、紬は涼しい顔をしていた。


「てかさ、いつもやってたの?」


 コクリと紬は頷く。先日は感情を剥き出しにしていた彼女だったが、普段はほとんど喋らない。


「状態は?」


 紬は両手を広げて十割だと示した。が、六本に指を変えた。


 俺はボールを取り、


「なあ紬。練習も大事だが、外から見るのも練習の一つだ」


 そう言って、軽くリフティングをして感触を確かめる。戦闘態勢の目つきで真賀田を見据えた。


「やる気ですか、監督? そっちこそ、アップなしで怪我しても知りませんよ?」


「真賀田さん程度ならアップなしでも十分さ」


「言ってくれますね。女子だからって舐めないでください——」


 言葉を切って、真賀田は鋭く飛び込んできた。俺はさっと身を返し、体で彼女を抑え込む。女性だとあなどったことを知る。しっかりと腰の入った寄せは重たく、びくともしない。


「基本的に前線の選手は、ゴールに背を向けてボールをもらうことが多い。この状況になったら、前を向くまで苦労する。ボールに触る前に前を向くことが優先。抜けそうだったら抜く。そうじゃない場合、一番仕事のしやすそうな選手に出す」


 そう言って、紬にパス——の素ぶり。足の内側インサイドでボールをすくって、真賀田の側面を抜けた。


「なっ」


 追いかけてくる真賀田の股を抜いて、前後に翻弄ほんろうした。


「真賀田さん、サイドバックになってくれない?」


 悔しさを噛み締めながら、真賀田はタッチライン際に移動した。紬にボール渡し、パスするように指示を出す。


「紬にはウイングをやってもらいたいと思う。中で遊ぶんじゃなくて、サイドで跳ねろ」


 ボールを受け、詰めてくる真賀田を切り返し二つで抜き去った。


「君の武器をもっと有効に、効果的に使うんだ」


 しかし今度は前を向かせてもらえず、ボールを奪われた。


「サイドなら少々取られてもダメージは少ない。ゴールから遠いからな。大切なのは点を取ること。点を取れなきゃ勝てない。今までうちは香苗が点を取っていたようだが、自分が取るつもりでゴールに迎え」


 紬は力強く頷き見せた。


「……はいっ」


「君はウチの片翼ウイングだ」

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