春の蕾(3)

 俺は帽子にマスクにサングラスと言った完全武装を施し、佐竹の運転する車に乗っていた。


 昨日は四失点で終了。そして試合後、マスコミに囲まれた俺は質問責めにあった。今まで何をしていたのかとか、監督を始めた理由はとか、若い女子チームを率いて気が緩んでいるんじゃないかとか、言われ放題だった。


 だから、完全武装。


 マスコミは怖い。


「さ、着きましたよ」


 佐竹が連れてきたのは病院だった。スポーツ業界では名の知れた病院だ。彼女が予約してくれ、オフの今日俺は膝の調子を検査するためにやってきていた。


 ロビーで待っていると、数々のスポーツ選手が集っており、中には有名なプロ選手もちらほら。しばらくして俺の名前が呼ばれ、何人かが月見健吾を探していた。


 問診とMRI検査を済ませ、結果を聞くまではいつも不安になる。落ち着かずそわそわしていると、佐竹がアイスクリーム片手に戻ってきた。


「こんな寒い日にアイス?」


「寒い時こそアイスです」


 わざと外したのか、狙ったのかはわかりかねたが、彼女の自由さに不安は少し払われた。


 それからまた呼ばれ、結果を聞く。故障箇所は治りはしたものの筋力が低下し、以前のパフォーマンスを引き出そうとして他の靭帯や筋肉に負担がかかっているとのことだった。この調子ではまた同じように怪我をする可能性があり、選手に戻るならば体を作り直すべきだと言われ、部屋をあとにする。


 なんてことはない。医者の言う通りだ。俺は同じ箇所を二度怪我していた。一度目の怪我のあと、無理を押して練習に加わり、そのまま開幕戦を迎えた。焦りがあった。たった一度だけ能力を見せた試合ではチームメイトの信頼は勝ち取れないだろうと、躍起になっていたのだ。


 それで同じところをまた。二回目は一度目より軽いもので手術も必要なかったが、俺は怪我が怖くなって帰国した。


「なあ佐竹さん。どうして病院に? 佐竹さんも俺の古巣に問いかけてそれは知っているはずだ」


「現状確認は大事なことです。それに——」


 そう言った時、佐竹の背後から部屋を出る少女の姿に俺は目をいた。


 紬だ。日曜なのに彼女は制服を着ていた。彼女は会計には向かわず、入院病棟の方へ向かった。家族でも入院しているのだろうか。気になった俺は、人としてどうかと思いつつも紬のあとを追った。


 大部屋に入った紬は、黄色い声に歓迎される。ちらりと中を伺うと、小さな子供と、俺と同じか少し若いくらいの青年が車椅子に乗っていた。


「わあ、つむっちゃんだあ!」


「ねえねえ紬お姉ちゃん、試合どうだった!」


「お姉ちゃん、頑張ってた!」


 子供に囲まれて、紬は優しい笑顔を見せいてた。


「途中までしか出られなかったけれど、ボールにいっぱい触ったよ。見てくれた?」


「ウンウン、見たよ。でもね、検査の時間があって、ちょっとしか見られなかったの」


 紬はポケットから折り鶴を取り出し、子供達に手渡した。


 青年が車椅子を押して紬を見上げた。


「けど、前半の早い時間で交代とか、もしかして怪我でもしたんじゃないか?」


「やだなあ。そんなわけないよ。監督がね、私のプレイスタイルを好まない人で、代えられちゃっただけ」


 恋人だろうか。


 そんな風に思っていると、


「怪我の多い彼女は——」


 隣に寄り添った佐竹が語り始めた。


「病院に通う内に、子供達と親交を持つようになったようです。そしてあの車椅子の青年は実のお兄さんです。皆さんと同じように将来を嘱望しょくぼうされたサッカープレイヤーであり、プロチームのユースに在籍しておりました。そんな兄に憧れた彼女は、同じくサッカー選手を志します。ですがお兄さんは選手生命を絶たれるほどの怪我をしてしまいました」


 俺は無意識に唇を噛んだ。


「皆にとって紬ちゃんは希望なんです。青い芝生の上を駆け巡るプロサッカー選手であり、そしてボールを持てばテレビカメラは彼女を写す。だから彼女はより長い時間ボールを持つのです」


「……自分勝手だ」


「ええ、そうかもしれませんね。それで負けたら意味のないことです。ましてや代えられても文句は言えません。ですがもう一つだけ言わせてください。彼女の怪我の多さの理由は、オーバーワークにあります。休んだ分を取り戻そうとして、それ以上に陰で練習をし、治りかけた頃、嘘をついてまで試合に出ようとする。紬ちゃんはそういう子なんです。私や宮瀬コーチがが言っても聞きません。まるで死に場所を求めるように、彼女は無理をし続けるんです」


「チームメイトは知ってるのか?」


「香苗ちゃんなどの年長組はほとんど」


 馬鹿が——。


 呟いた時、俺は部屋に突撃した。明らかに不審者の俺を見た子供達は、紬の前に盾となって立ちはだかった。兄もまた同然に一歩前に出る。


「馬鹿だろお前!」


 俺は声をあげた。


 子供達は敵だと認識するや否や、飛びかかり、足や腕にしがみついて歯を立てた。


 俺は帽子やサングラスにマスクを取り、紬に詰め寄る。


「何一丁前に高いプロ意識持ってんだよ! ファンサービスってか? 言っとくがな、お前は今の所俺のプランにはない! 来年には戦力外通告もあるぞ!?」


 怒鳴られ怯える紬。


 騒ぎを聞きつけた看護師たちが駆け寄る。


「他人の心配してる場合かよ!? プロなら自分のことだけを考えろよ! 一日中、サッカーのことだけ考えてろ! 人生全部注ぎ込んだ奴だけが最後までグラウンドに残ってるんだよ! お前の技術は確かに高い。長い時間ボールと向き合った証拠だろう。だけどその程度、上にはゴロゴロいる。そこで満足しちまったら、置いてかれるぞ!?」


 お静かに、と看護師から叱責を受けるが、振り払う。


「プレイスタイルは自分勝手、コートに私情を持ち込み、嘘をついて周りに迷惑かけてる。そんなの全然カッコ良くないぞ!? サッカー選手ならプレイで魅せつけろよ! 紬、君はな、コート外の期待以上に、チームメイトから期待を受けているんだ。昨日の試合、俺は君を使う気なんてこれっぽっちもなかった。だけどな、香苗とか由佳とか、真賀田コーチとかみんなお前を出してくれって頼んできた。お前はその期待を裏切ったんだ! テレビに映りたいだけならとっととユニフォームを脱げ! 義理人情でサッカーやるな! プロの世界舐めんなよ!」


 私だって——。


 紬は小さな声で返した。制服の裾を握りしめ、涙を溜めた目で見返してくる。


もがいてる! 足掻あがいてる! 今よりもっと巧くなりたくて、皆んなの、チームのためになりたくて、それで活躍したくて、いっぱい練習してる! なのに、怪我ばっかり! それでも期待が伸し掛かって、耐えられない! 辞めたいって何度も思った。サッカーなんて全然楽しくなくなった! でも辞められない! 私は多くの期待を背負っているから!」


 ああそうか。


 多分その気持ちは俺も知る。そのプレッシャーが重い足枷となって、目の前の試合に集中できないのだ。〝天才月見健吾〟——その重圧を意識して、より上を目指そうとした。俺も紬と同じように故障を繰り返した。


 多分俺たちは似ていた。


 俺は深呼吸をして自分を落ち着ける。


「だからまず練習を止めろ。そんでじっくり直せ。そしたら君はきっと、素晴らしいプレイをできる。これは嘘じゃない。何百人って選手を見てきた俺だからわかる。君は俺が苛立つほど、嫉妬するほど巧い。もっと巧くなる。巧くなって、もっと大きな舞台に立て。そしたら君はもっと脚光を浴びられる」


「諦めた人に言われたくない。コートに立つことを辞めた月見健吾に言われたくない。そんなの信じられない」


「俺のことは信じなくてもいい。だけど自分だけは信じろ。信じられた人間だけが最後には残る」


「どうしてこのチームに来たの? あなたはもう選手に戻らないの?」


 俺はきっと居場所を探していた。色んなチームを渡り歩いて来たが、骨を埋められる場所はなかった。だから安心できる場所が欲しかった。それを理由に監督に逃げたのだ。だけど今は、監督も悪くないと思い始めている自分がいた。


「正直迷ってる。でも、あのチームで楽しいことができそうな予感はある。それを今は見て見たい」


 俺は手を差し出した。


「なあ紬。俺と一緒にサッカーをやらないか? 誰も見たことのない最高のサッカーを。そのためには君の力が必要だ。プレイで俺をそう思わせてくれ」


 紬の白く繊細な指が躊躇ためらいがちに手をとった。


「王様の優秀な騎士イレブンに」


 すると紬はくすりと笑みを零した。ちらりと向けられるベッドの先には月見健吾のポスターが貼られていた。


「サインください、私たちの王子様」


 紬と兄は手を向け、俺たちは握手を交わしたのだった。

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