紅白戦(3)

 翌日、昨晩の内に昨シーズンの残りの試合をフルで見直した俺は当然、一睡もしていなかった。生あくびが漏れる俺に佐竹は栄養ドリンクを提供してくれる。


「おはようございます。朝ご飯を買って来ましたので、一緒にどうですか?」


 と清々しい笑顔を向けてくれた。


「今日も紅白戦ですか?」


 俺は頷く。

 俺と佐竹は事務所に行き、ニュース番組を見ながら菓子パンを口にした。佐竹はコーヒーのお代わりをついでくれ、横に立つと「すみません」と唐突に謝った。


 何が、という風に視線を向けると、


「曲がりなりにもスポーツ選手の月見さんにこんな朝食しか用意できなくて」

「今はプロでもないし」


「機嫌悪そうですね?」

「朝はニガテ……」


 ようやく頭が働き出した頃には紅白戦が始まる寸前だった。

 選手達は入念なストレッチをしていた。一応は言いつけを守るくらいには忠誠心はまだあるようだ。


 底冷えのする風から身を守るように三角座りをした俺は、口出しせずに様子を眺めた。香苗はキャプテンらしく、リーダーシップを発揮し、選手達を取りまとめていた。


 ウォーミングアップが終わり、選手達がピッチ上に集まった。

 赤のビブスがAチーム。黄色がBチーム。


 Aチームは昨シーズン先発でフル出場を果たした選手ばかりで、率いるのは当然、香苗だ。シーズンと同じポジションを流用したようだが、メンバーを決めたのも香苗だった。


 対してBチームはまとめる子がおらず、今日もポジションがなかなか決まらかった。BチームはAよりも一つや二つほど若い層で、多くが昨シーズンベンチや補欠に甘んじていた選手達だ。希望ポジションを言い合って、自分達で調整するのにずいぶんと時間がかかっていた。


 ようやく決まったようで、両チームポジションについた。

 Bチームのフォーメーションは昨年使っていた4-4-2ではなく、自分達に合ったポジションを選択しての3-5-2。


 その時、俺は密かに「へえ」と感嘆の声を漏らしたのであった。


 とはいえ、香苗達Aチームはまさか負けるわけがないと余裕の表情をしており、Bチームは試合が始まる前から硬い表情をしていた。


 俺はホイッスルを俺の首にかけ、


「えーと、昨日と同じように手を抜きつつも手を抜かないように」

「なんですかそれ。勝負なんだから本気でやりますよ」


 と香苗が返す。


「怪我だけはしないように、当たりはソフトにね」


 Aチームのディフェンス陣が不満そうに口を尖らせていた。


「接触プレーが得意な子もいます」

「今回もなしでよろしく」


 俺はやる気のない笛を鳴らし、試合開始を告げた。


 早速、香苗とFWコンビであるの杏奈がボールを受け、中央突破を持ちかける。長いツインテールが靡き、小柄ながらも足の速い杏奈は風のように過ぎ去っていく。


 BチームのMF陣はあれよあれよという間に交わされ、杏奈はDFライン深くまで侵入していた。

 二人のCBが止めにかかろうとするが、杏奈はギアを上げ、縦に抜き去った。

 CBは衝突して、尻もちをつく。


 俺は心の中で大味な抜き方だな、とまだ初々しいドリブルに懐かしさを覚える。


 ゴールキーパーと一対一になり、杏奈はシュートモーションに入る。GKは身を低くして構えたが、山なりの軌道を描いたボールに虚を衝かれ、唖然と腰を着いた。


 コロコロと転がったボールはゴールネットに吸い込まれ、あっという間に先制点。杏奈はボールを拾ってセンターラインにまで運ぶと、香苗とハイタッチした。


「余裕、余裕。今日もハットトリック目指すでっ!!」


 杏奈は前向きな性格がプレイにもよく出ている。

 俺はまたやる気のない笛を鳴らして、ゲーム再開を告げた。


 わかっていたことではあるが一方的だった。


 Aチームは昨シーズンを戦い抜いて二部に残留。対してBチームは出場機会のほとんどを与えられず、実戦経験が少ない。


 そもそもを言えば、中高生の二、三年の違いとは体力や身体能力にかなりの差が出るし、今年こそは一部昇格を目標とするAチームと、自分は試合に出れるのだろうかと疑問に思うBチームのやる気からして違った。


 試合が終わった頃には十三対〇なんていう、小学生サッカーでしか見られないような大差で終わっていた。


 だが、俺の目には点差ほどの実力差はないと映っていた。


「じゃあ、お昼まで自由時間。午後からのゲームに遅れなければ、何しててもいいよ」


 と言う俺に香苗やAチームのメンバーは不満顔を浮かべていた。Bチームの方は負けたことを歯牙にもかけない様子で「仕方ないよね」なんて言っていた。


 あるいは「むしろオラオラ系のキャプテンと一緒じゃなくてよかったね」なんて悪口が聞こえ、耳にした香苗が血相を変えて怒鳴り込んだ。


「今なんて!?」


「最近の香苗って、傲慢だって言ってるの」


 傘折結月かさおりゆづきは切れ長な目元からまっすぐ香苗を睨み返し、臆することもなく述べた。


 凛とした立ち姿と長い黒髪からまさになでしこというにふさわしい少女。


「私のどこが傲慢だって!? キャプテンとして当たり前のこと言ってるだけじゃん!」


 憤怒した香苗は結月の髪を掴んだ。


「ちょっと──、痛い──」


 結月のポニーテールがはらりと解ける。

 香苗は結月の顔を引き寄せ、耳元で大声を張り上げた。


「そんな意識の低さだから、先発じゃないの!! やる気なければ辞めれば!?」


 俺は慌てて止めに入る。


「まあまあ。まだ年明けだし、気持ちの入り方は人それぞれだから、ね」


 出来るだけ両者に角が立たないように言った。


「あんたは私と同じ最年長の十九なのに、そんなだから補欠に甘んじているのが分からないのよ」


 と香苗は捨て台詞を吐いてグラウンドを後にする。


 結月は香苗が去るまで唇を結び、涙を堪えていた。香苗の姿が見えなくなると結月は芝生に座り込み、顔を両手で覆いながら泣き始めた。真穂や数人の子達が慰めようと集まり、騒ぎを聞きつけ佐竹も加わる。


 結月はぼそりと、


「私だって、あんなこと言いたかないよ……。でも、あのままじゃ香苗、皆に嫌われちゃうよ。それを分かってないの……」


 俺はため息を吐く。このチームはサッカー以前に別のところに問題を抱えていて、それは非常にデリケートな問題だ。


 佐竹が優しく結月の肩を抱き、頭を撫でる。


「大丈夫ですよ。香苗ちゃんはキャプテンだから喝を入れようとして、心にもないことを言っただけです。ね、監督?」


 と矛先が俺に向く。

 俺は至って冷然と、


「香苗が言ったことは事実だよ」

「月見さんっ!」


 佐竹が俺を睨みつけ、結月は声を押し殺してしゃくり泣いていた。


「なんで結月は今泣いている? 香苗に悪口言った自分が悪役だから? 違うだろ。君は香苗に言われた言葉が事実だから、悔しくて泣いてるんだろう?」


 すると結月は強く首を振った。


「最近、影で香苗の悪い意見を耳にするんです。でも香苗って、ああ見えて実は繊細で脆い子なんです。このままじゃ香苗が潰れちゃう……」


 結月は俺と同じくしてチームの現状を分かっていたようだ。


「つまり結月は、香苗に現実を知らせて、振る舞いを変えて欲しいと思っているが、言葉では伝わらないことに歯痒く感じている」


 結月はコクリと頷いた。


「香苗はスタメンで、自分はサブだから、力の差があると感じている。だから言葉が伝わらないと感じている」


 また結月は頷いた。


「人を変えるのは言葉じゃない。まして俺達はサッカー選手だ」


 結月はハッと顔を上げた。

 真っ赤に腫らした目で、俺の本心を探ろうとしていた。


「プレイで変えろと?」

「あそこまで意固地になってしまった香苗を変えるにはそれしかないよ」


 でも、と結月は言い淀む。


「ただし俺は、君にはそれができると思っている」


 結月は今日の紅白戦や昨シーズンではボランチを努めていたようだが、守備力は不安だと言わざるを得ない。そういう理由で前監督から嫌われたのだろう。昨シーズンはあまり出場機会がなかった。


 しかし俺の考えは逆で、守備力の低さをチャラにしてもいいくらいのものを結月は持っていると感じていた。


「嘘じゃない。君の落ち着いたプレースタイルは、熱しやすい香苗に対してのいいブレーキになるし、ロングボールの精度の高さはサイドで起用したら面白いと思う。それに香苗よりずっと走れる選手」


 結月は疑問混じりな表情で俺を見つめた。


「本当……ですか?」

「俺が嘘つくタイプに見える?」


 結月は自信なさげに首を傾げていた。


 香苗や杏奈は確かに派手で目立つが、二人は後半に入って一点も取っていなかった。そればかりか、サボって、プレスが甘くなっていた。もっとも香苗の方は声出しはしていたけど、それだけだし、サブ組の技術とそんなに差異はない。


「俺が密かに構想している新システムじゃあ、結月は一番適性高いんじゃないかとすら思っている」


 いや、結月だけじゃない。Bチームが技術的に劣っているところはほとんどない。まだその才能に自分自身で気づいていないだけ。


 問題ははっきりしてた。香苗の独善的な態度というよりも、香苗以外の子達は良くも悪くも自信がない。自信を付けさせるには、やはり結果が出ることがいちばんの近道だ。


「はっきり言って、今のままじゃ降格する。今日から俺達は変わるんだ」


 そう告げた俺はミーティングルームへ向かった。


 さて、と俺はひときわ大きなホワイトボードを引っ張り出し、埃をかぶったシートを取り払う。


 ホワイトボードには昨シーズンのポジションや戦術の細かな指示がぎっしり書き込まれている。おそらく前監督が示したものだろう。びっしり詰められた文字にゲシュタルト崩壊を起こしそうだった。


 消そうとしてもインクがこびり付いており、なかなか取れない。

 濡らした布で拭き取ろうと部屋を一旦出ようと扉を開けた。


 すると不安げな顔をしている佐竹が立っていた。

 佐竹は手に持っていた紙の束を差し出して、


「これ、もう一度選手達から集めた『なりたい自分です』」


 昨日、佐竹が事務所を出た後にもう一度話をしてくれたらしい。


「その……、さっきは何て言うか……すみません」

「佐竹さんの所為じゃないさ」


 俺はその一枚一枚に書かれた本音を見て、少し安心していた。皆、ちゃんと自分を持っていた。中には自分に足りないものを知っていて、どうすれば変われるのかと質問してくる子もいた。


 特に結月なんかは紙一枚をぎっしり埋めるほどの意見を俺にぶつけてくれていた。


 その半分くらいはチームのギスギスした雰囲気や、微妙に食い違っている目標意識のことだ。本当はもっと仲がいいし、香苗も優しい子だと教えてくれた。今年は降格かもしれないとの思いで苛立っているのだと。


 結月は、このままでは香苗が孤立するとまで言い切っていた。


 意外なことだが、コートのイレブンよりもベンチなどの少し離れた外から見る方がチーム全体のことに気付きやすい。


「サブの子達は香苗ちゃんがいずれ、他チームに移籍するだろうって噂しているんです。もちろん根も葉もない願望です」


「ウマの合わない選手はどこのチームにだっているさ」


 サッカーに限らずどんな職場だっている。会社なら穏やかにやり過ごそうとするのだろうが、ここにいるのはプライドの高いスポーツ選手ばかり。

 衝突もあって当然。


「一つ、香苗に対する不満をどうにかする荒療治はあるんだけどね」


「手荒な真似はしないでくださいと言いたいところですが、私のやり方では今まで解決できませんでした。香苗ちゃんのことは月見さんに頼ってしまうことになるかもしれません」


 佐竹は優しすぎる性格なのだろう。


 香苗から生じている問題は慰めや香苗自身に諭そうとしたところで堂々巡りが続くだけ。結局、これも根本的には嫉妬心やサッカー選手としてのプライドから生じるもの。香苗への不満は、香苗に対してどこか負けを認めてしまっている自分に対する苛立ち。その感情は俺もよく知っている。


「多分さ、佐竹さんも含めて全員が香苗は先発だって思ってるんじゃない?」


 ええまあ、と佐竹は疑問交じりに首を傾げていた。

 俺はサッカーコートを模したホワイトボードに近づいて、貼り付けられていたマグネットを一つずつ取っ払っていった。


「信頼ってのはさ、自分で勝ち取るものなんだ」


 ましてサッカー選手ならプレーで表現するしかない。


 努力なんてものに価値は何らない。

 この世は結果がすべて。


 だが、努力なくして結果がでないのも事実。


「ここにいる子達は全員才能があるのに、勿体ない時間を過ごしていると思う」


 時間は有限。


 明日、同じようにコートに立っている保証もない。

 そういう意味で、俺は一人一人が今と将来を見つめてほしいと思う。


「そう言えば、佐竹さんにも目標を聞いてなかった。佐竹さんはこのチームで何を目標とするんだ?」


 え、と疑問を向ける佐竹だったがすぐに切り返した。


「私は選手や監督のサポートに徹します。皆が伸び伸びと自分のプレーを発揮できるように。それが私の仕事です」


 優等生の模範解答。

 どうにも佐竹はロボット感を拭えない。


「逆にお聞きしますが、月見さんはこのチームをどうするつもりなのですか?」


 佐竹は真剣な眼差しで俺を見つめていた。


「時にリスクを冒さなければ勝てない試合があるのも事実だと思う。そしてこう断言できる。守りに入ったチームに勝ちはない」


「サッカー選手らしい言葉ですね」


 自分が臭いセリフを言っていることに気づいて俺は鼻を鳴らした。


「俺はこのチームを優勝させる」


 佐竹は少なからず俺の振る舞いに疑問を抱いていたのか、ほっと胸を撫で下ろしていた。


「来年、一部リーグで優勝が俺の目標だ」


 俺の言葉に佐竹はぽかんと口を開けていた。


「ここが俺達の出発点」


 俺は書き込まれていたメモを綺麗に布で拭った。

 真っ新なホワイトボードに満足する俺は、


「佐竹さん。選手全員に伝えてくれ。明日から先発争奪戦の下克上をやると」

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