春の蕾(2)

「ほら、こうなる」


 真賀田コーチは勝ち誇った風に口元を釣り上げていた。


 いや、俺たち負けてるんですけど。


 それまで前線でボールを溜められていた、イシュタルFCだったが、OMFに真穂が入り、リズムが狂っていた。紬がドリブルで溜めを作るとするのなら、真穂は球離れの速さを持ち味とする。紬が遅攻サッカー主体のリズムを作り、真穂は速攻サッカー主体のリズムだ。いわば二人は対極的なプレイヤー。しかも真穂の送り出すパスは選手たちの一歩先へと動かすもので、それに反応できなければただのパスミス。溢れたボールを奪われて、カウンター。そして失点。


 良い攻撃を見せられないまま0-3で前半は終了した。


 真賀田コーチが守備陣への修正を促す中、俺はうつむく真穂に声を掛けた。


「まあデビュー戦ならこんなもんだ」


「私できない子じゃないもん。もっとできるもん。みんなの動きが——」


「それ以上は辞めとけ。自分の不甲斐なさを他人の所為にするな。どうして上手くいかなかったかよく考えろ。そして修正する。それが一流の選手だ」


「……うん。でもわからないよ。だってあそこに出せば、いい形になったはず」


「一つアドバイスをやろう。気持ち良さそうなパスが思い通りに通るのは杏奈だけ。そう思って他の選手にはきっちり足元へ送ってやれ。真穂が理想を描くように他の選手も自分がやりたいプレーを持ってる」


「せやせや、真穂たんはウチと同じくペーペーのド新人やねんから、ウチを頼ったらええねん」


「足の速さくらいしか取り柄のない杏奈なら、全部拾ってくれる」


「ちょ監督、それひどない!? 足しかないって、ウチ陸上選手やん! 今からオリンピックでたろか!?」


「頼りにしてるぞ、電光石火」


 ニタァと杏奈は綻んだ。


「やっぱり? ウチ、やっぱりチームに必要な選手やろ!?」


 杏奈は扱いやすくていい。


「さて諸君」


 俺は皆に目を向けた。


「三点負けているが、じゃあ四点取ればいい。攻撃パターンを単調にするな。香苗、真穂、それから杏奈。まずはこの三人をローテーションで使う。目指すはゴール。誰かがミスすればフォローに入れる位置に入っておく。ボールを持った選手の周りをサポートする」


 例えば、と俺はホワイトボードにラインを描き込んでいく。ハーフタイムの時間はあっという間に過ぎ、選手たちは再出陣。皆がコートに向かう中、一人ロッカールームに残って片付けを始めていた紬を見つけた。


 きめ細かい肌に、ややウェーブのかかった髪をしていて、体つきはしなやか。優しい目をしていて、サッカー選手より花屋が似合いそうな子。ってのは見た目の印象で、ロッカーに手を伸ばす様子から天性の柔軟性を持ったスポーツ選手向きの体だとうかがえた。


「もう帰るのか、紬。試合はまだ終わってないぞ?」


「あの……えっと……これから検査があるんで」


「どこか痛めたのか?」俺は眉間を寄せた。


「いえ……。あ、いや……その……」


 すると、駆け込んできた宮瀬コーチがすかさず紬の足を触診した。


「……捻挫ねんざか?」


 振り返った宮瀬コーチが小さく頷いた。


「少々癖になっていましてね。ドクターからはゴーサインが出たはずなんですが、まだ早かったようです」


 紬はあまり表情を表に見せない子だったが、足首を触られた時、愁眉しゅうびを寄せていた。痛み止めが切れたのだろう。ゴーサインも本当か怪しいところだ。


 スパイクとソックスが脱がされると、しっかりと固定されたテーピングが見えた。宮瀬はバッグからスプレーを取り出し、白煙をかけたあと、クーラーボックスから氷嚢ひょうのうを足首にあてがった。


「なあ紬。怪我をしているならそう言ってくれ。チームに合流が遅れて、焦る気持ちもわかる。だがな、騙し騙しやってもいいことはない。自分のためにもしっかり治すべきだ」


 俯いた彼女はぎゅっと拳を握りしめ、唇を噛んだ。


 ボソリと、


「私は出なきゃならないんです。テレビに。二部チームでも、今日の試合は放送されてますから」


 舞台、か。


「脚光を浴びたいのなら、万全な状態で出ろ。今の君はチームにとって爆弾だ」


「……何もわかってない癖に」


 蚊の鳴くような声で言い返された。


「何もわかってないのは君だ。今日の試合は君のためだけにあるんじゃない」


「ええそうよ! 私は皆んなのために頑張ってる!」


 穏やかな眼差しが殺気を帯びて、俺を見据えた。


「〝王様〟にだけは言われたくない! 好き勝手やって、それでちやほやされて、背負うものも何もないあなたにだけは言われたくない!」


 甲高い、鈴のような音色がキンと部屋に響く。


「俺に何も背負うものがない? 言ってくれるな、俺にだってそれくらいは——」


 反論しようとして、咄嗟に思い浮かばなかった。


「だからあなたはピッチに帰れなかったのよ。背負っているものが何もないから」


 そんなはずはないと俺は必死に理由を探し求めた。


 だがどこにもピッチに戻る理由が見当たらなかった。ただ俺は楽しいだけでサッカーをやってたのだ。そのサッカーが楽しくなくなったから選手を辞めた。そんな簡単に辞められるほど、俺のサッカーに対する想いは小さいものだったらしい。


 足を引きずりながら詰め寄った紬は、力強い眼差しで俺を見上げた。


「なんと言われようと私は次も出る。私は皆んなの希望だから。壊れても」


 強く言い返せなかった。


 チームの信頼を背負った彼女の気持ちが俺には理解できなかった。宮瀬コーチに肩を支えられながら、スタジアムを去る紬の背中から執念のようなものを感じた。


 そして試合に戻ると終盤に差し掛かり、イシュタルFCはさらなる失点を許していた。


 反撃の見せ場もなく試合終了の笛が告げられる。

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