紅白戦(2)

 翌日、紅白戦が始まった。


 本音を言えば、合宿期間中に紅白戦よりも基礎練やランニング中心のトレーニングをしたかったのだが、今のまとまりのない状態ではやっても効果がないだろう。


 香苗を筆頭とする年長者や昨年のスタメン組の向上心や意気込みは確かに素晴らしい。


 だがサブ組はその意識についていけていない節がある。アップメニューを見ていてもそうだ。香苗達が真剣な顔つきをする一方で、後方でランニングをしていた子達は談笑をしていた。


 もっともそれは悪いことでもない。リラックスするのはスポーツ選手にとって非常に重要なことであるし、気持ちの入れ方は人それぞれだ。だから一番やってはいけないことは、自分のやり方を他者に押し付けること。


 それに、休養やストレス発散の機会は絶対に必要だ。年間を通して四六時中サッカー漬けなんて、いくらプロスポーツ選手であっても常人では耐えられない。


 したがって、俺は今の香苗のやり方ではチームは永遠にまとまらないと思っていた。


「おーい。Bチーム準備できたかぁ?」

「もう少しだけ待ってください」


 俺はシステムやポジションのことは自分達で相談しろと指示を出した。

 香苗を含めるAチームはすぐに用意できたものの、サブが中心のBチームは時間がかかっていた。


 しばらくして、紅白戦が始まったものの、なんの面白みもなく紅白戦は淡々と終わった。退屈な試合にあくびばかりが漏れた。


 終わったあと、俺は自由時間だと告げ、解散せた。


 事務所に戻った俺はコンビニ弁当を食べつつ、昨年の試合観戦しながら「おっ」と思った選手のプレイ状況を弁当と一緒に買った自由帳に記入していた。


 隣では佐竹が必死にキーボードを叩いてため息ばかり吐いている。


「経営状況良くないの?」

「月見さんは気にしないでください」


 ときっぱり返された。


 ざっくり聞いたことは、経常利益こそわずかに黒字だったものの、施設を充実させようと改装した際の莫大な借金が残っているのだという。


 オーナーはさらなるファンの獲得と売り上げ向上を見越して、一部昇格を至上命令としているのだとか。しかし、選手達の未来を思えば、今年一年はじっくり身体を作らせながらサッカーのイロハを叩き込むべきではないかと思ったのが本音だ。


「ところで、あれはどういう狙いがあったのでしょうか」


 佐竹は俺が選手達に告げた「なりたい自分」のことを言っていた。

 俺は昨晩、事務所でずっと待っていたが、提出はなかった。

 まだ考え中だろうとポジティヴに考えたい。


「単純に自分の今と将来を見つめ直してほしいと思ってね。香苗や杏奈は十九。プロとしてやっていくことを決めたようだけど、中には四月から高校に上がる子もいれば、高三っていう人生の重要なターニングポイントの時期に到達する子もいるだろう?」


「サッカー以外の将来も考えてくれと?」

「それもあるかな」


 俺の経験則から、俺のようになって欲しくないと思っていた。


「本当にサッカーがしたいのか、サッカープレイヤーで生きていくなら、どんな選手になりたいのかって、自分の中で明確にして欲しかったんだけど──」


 そうこう言っていると香苗がやってきた。

 何枚もの紙を抱えている。

 受け取ろうとすると、香苗はひょいと紙を持ち上げた。


「何?」


「バカにしないでください。プロの私達に今更こんなことを聞いて、何になるんですか? こんなことをしなくても、意見は一致しています。これこそ時間の無駄です」


「香苗は意外とねちっこいな」


 香苗は胸ぐらを掴んで睨んだ。


「私達はまだ監督を信用してません。そのことをお忘れなく」

「ピッチの上で戦うのは監督じゃない。君達自身だということを忘れるな」


 この言葉は俺のユース時代の監督からの受け売りだ。

 香苗は無言で翻すと肩をあげながら帰って行った。

 月見さん、と佐竹が嗜めるような口調で口を開く。


「厳しいことを言った後は、必ずアメを与えてくださいよ?」


 俺は頷きながら、提出された「なりたい自分」を見ていくのだが、物の見事に全員一部昇格だって書いていた。


 おそらく香苗が指示したのだろう。

 俺はため息を吐きながら天井を見上げた。


「香苗をキャプテンにしたのは全員の意向?」

「そうですね」


 佐竹は俺の肩越しに近づいて、作文を覗き込む。

 俺は紙を投げ出すと、弱音を吐くように呟いた。


「昨日さ、オフを喜んだ子が居たんだ。それを咎めるように睨みつけるもね」


「オフを喜んだのは補欠組サブですね。まだ中学生も多いですから仕方のないことです」


 俺は自分に嘘をついているんじゃないかと感じていた。


「本心じゃサッカーに真剣に取り組めてなくても怒る気は無いよ。でもここは学校のクラブじゃ無いってことだけは理解しておいて欲しいと思う。もっともそれが分かっているからこんな回答を出したのかもしれないけど」


 サッカーで食っていこうなんて勇気のいることだし、まだ迷ってしまう歳だろう。


「あの子達は月見さんじゃありませんからね。ただ強者を求めて、チャレンジと放浪生活をしてきた月見さんとは違います」


「よく知ってるな」


「でも私は、監督でも月見さんはを見せてくれると信じてます」


「……本当によく知ってるな」


「なんてったって、私は月見健吾の大ファンですから」


 佐竹は自慢げに鼻を高くする。


「……悪いな。もう選手じゃなくて」


 ただ俺は、このチームが噛み合った時、面白いことができるとは感じられていた。

 技術だけなら全員が一部でも通用する力を持っている。

 身体ができてくれば十分に戦えるだろう。でも今はただそれだけだ。


 連帯感は高いが、チームとしての完成度は低レベルと言わざるを得ない。技術だけではサッカー選手としてまったく通用しない。そのことを俺が一番知っている。


 何人かは一部リーグでも通用する武器も持っている。けどその子らが抜ければ、このチームは舵取りを失って弱小チームになるだろう。誰が監督であったとしても、サッカーをやっていくのは自分自身だ。通用しなければ辞めるしかない。


 俺のように。


「でも、こうじゃないんだよ。だってこの回答は自分がどうなりたいかじゃなくて、チームとしてどうしたいかだろう? 俺はさ、もっと自分の意見を言って欲しい。そういう意味じゃ、香苗は正解だけど、だからって押し付けてばかりじゃそのうち溝ができてしまう」


 ずっと気合だけで人は付いてこれない。


 これは俺の経験則だが、塞き止められていたものが一気に決壊すると、怒りの矛先は今までの何十倍となって個人に返ってくる。それが去年は監督だっただけで、もしかしたら今年は香苗じゃないかとの予感があった。


「女子は真正面から打つかる事を嫌う傾向がありますからね。真正面から打つかってくるときは、本当に信頼している相手です。本音を言っても、最後には自分を信頼してくれると思える相手じゃなければなかなか言えないものです」


「佐竹さんの本音は?」


「監督はまだ彼女達と距離が遠すぎるかと」


 まあ、なんにせよ、女子とは難しいものなんだろう。


「でも私は月見さんのこと信頼していますから、今回だけは少し協力してあげます」


 言った佐竹は事務所を出て行く。

 それとほぼ同時、入れ替わりで真穂がやってきた。


 真穂は紙を俺に差し出して、少し恥ずかしそうに俯いていた。彼女が書いていたのは『月見健吾のような選手。観客を魅了するプレイヤーになりたい』のだと。


 俺はニコリとして紙を返した。


「じゃあ真穂が思う選手になるにはどうしたらいいと思う?」


 思案を浮かべる真穂は、


「ひたすら練習!」


「大事なのは、どんな練習をすれば思い描く自分に近づけるかだ。自分に足りないもの、今あるものをちゃんと理解しなきゃダメだ」


「そんなの分かってるよぉ」


 真穂は頬を膨らませた。


「その上で自分の武器をどうチームに活かせられるかを考えられるようになれば、一流だ」


「了解です監督っ。じゃあ早速、一対一に付き合ってください!」


 時計を見た俺は「今日はもう遅い。明日も紅白戦だし、しっかり休むことも練習のうちだ」とごくごく当たり前の回答で真穂を帰した。


 それから俺は視聴覚室にこもり、ビデオを再生させる。

 このチームが持つ理想像と現実にはギャップがある。


 イシュタルFCが目指すスタイルは全員守備、全員攻撃のようだ。香苗の言葉や、練習着に刺繍された『ワンフォアオール』なんて標語からもよくうかがえた。


 パスを回してスペースに人がどんどん入り込むこのスタイルは、昨今の日本代表男子でもよく見られるスタイルだ。高さがなく、持久力のある日本人が長年をかけて浸透させてきた世界との戦い方だ。


 だが、イシュタルFCのサッカーはどこかチグハグ感は否めない。同じ空間ゾーンに何人も入り込んで渋滞してしまい、カウンターを食らう場面が多々見られた。


 他に目につくことと言えば、思わず「おっ」と声をあげたくなるようなパス回しが見受けられたのに、ベンチのハゲ散らかしたおっさん──おそらく前監督──はブルドックのように吠え散らかしていた。


『無駄なパスが多すぎる』と。


 まだ前半の半分も終わっていないのに中盤の要である攻撃的M Fミッドフィルダーや守備的MFを一気に変えるという暴挙が多々見られた。シーズン後半では、開幕から先発だったその二人のMFはベンチに甘んじて、出場機会がまったくなかった。


 守備も個々のディフェンスだけに絞れば悪くない。

 連携も取れている。ただ状況判断が少し遅い。


 ぱっと見、俺はこのチームが仲良しだと思った。それは多分当たっている。だが仲が良いゆえに、どこか責任感を曖昧にさせてしまっていた。マークの受け渡しや、選手二人の微妙なところにボールが入ると、譲って初歩が遅れてしまっている。


 どうにも全員サッカーを勘違いしていると感じた。


 他に目に付く弱点といえば、若さと高さのなさと言ったところか。


 失点の多くがコーナキックなどのポストプレー。意思疎通が色濃く現れる場面だ。とはいえ、総失点率からすれば二部リーグの中では少ない方だ。


 守備を中心としたチームなのだろう。

 多くが一点差に負け、昨シーズンは十八チーム中、ギリギリ降格を免れた十六位。


 ここから昇格を目指すのなら、佐竹が言ったように、確かに得点力を上げなければならないだろう。


 しかし、このチームの一番の弱点こそがそれだ。


 なのに、現代サッカーに嵌ろうとしすぎて、個性がない。『一人はみんなのために』なんて言うものを如実に体現しすぎて退屈なサッカーをしていた。


 攻撃の要は香苗だ。女子の中ではそれなりに高い方だったが、一七〇台後半の身長なんてどこにだっている。


 皆、個性があるのに、香苗を頼りすぎている。

 むしろこのチームは全員が香苗のために働いている。


 キャプテンということもあるだろうし、香苗があんな調子だから全員の考えも似たようなものなのだろう。だからこそ、このチームのサッカーは面白くない。だから退屈。だから負ける。


 オールフォア香苗。

 一番の問題点はそこ。

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