2章

春の蕾(1)

 まだまだ寒さの残る二月終盤。


 開幕戦独特のお祭り騒ぎは、冬の寒さを蹴飛ばすような熱気。太鼓の響きと声援はスタジアムを揺らしていた。ロッカールームの壁をつらぬいて、腹の底まで届いてくる。


「すごいな……」


 思わず感嘆かんたんの声を漏らした。


 所詮は日本の、それも女子チームの二部。そんな風にあなどっていた。せいぜい三割が埋まればいい方かと。先ほどアナウンスから聞こえた情報によると、五万人が入っているらしい。ちょっとした市が出来上がる。


 二〇二〇年の東京オリンピックで日本女子代表が準優勝という成績を残して以来、女子サッカーは急激に市民権を得た。二〇二五年の現在、男子と遜色そんしょくのないチーム数に上り、経済波及効果は数兆円に上るとまで言われている。


 らしい。

 この知識は全部佐竹から聞いたものだ。


 ホーム&アウェイ形式の全三十四試合。これは女子リーグの一部や男子リーグとも変わらない試合数だ。昇格を目指すなら六、七割は勝利数を収めたいところ。


 幸いなことに俺たちの初戦はホームでの開幕戦。いや、不幸とでもいうべきか。慣れたスタジアムでの試合とサポーターの力は歓迎すべきではあるものの、無様な試合は見せられない。


「さて諸君、開幕だ」


 俺は皆に視線をわせる。


「準備はいいか?」


 問いかけたものの、返事はなかった。ほとんどが顔を伏せ、暗い表情をしていた。


 無理もない。TGASCとの練習試合ではまさかまさかの0−10なんていう大敗に終わり、それからモチベーションを上げる要素もなく、今日を迎えた。


 そんな中、目を爛々らんらんと輝かせてスタジアムの喧騒にいちいち驚きを上げる少女たちがいた。


「揺れてる! 揺れてるよ杏奈ちゃん!」


「ほんまやで! ごっつ揺れとるわ! こりゃ、試合中もボールが跳ねたりするんかな?」


「ボヨンってなったら面白いね!」


 杏奈がジャンプすると、「ぼよんっ」と言いながらシーソーのように真穂が跳ねた。


「二人とも緊張感なさすぎ、集中して」


 香苗が呆れ顔でとがめる。


 真穂と杏奈は怖いもの知らずというか、ベンチ登録された喜びの方が大きかったのだろう。


 まだ先発として使えるほど十分チームにフィットしているとは言えない。しかし十八人の中に残れたことは、サブに甘んじていた二人にとって最初の目標であり、ようやくスタートラインというところ。


「よーし、スタメンを発表する。C  Fセンターフォワード九番、香苗」


「はい!」


 とは言え、さすがはキャプテンを背負ってきただけのことはある。名前を呼ばれると、気持ちを切り替え、闘争心を解き放っていた。


「左ウイング十一番、掛川由佳」


 はい、と由佳も鋭く声を上げた。彼女の、黒髪のポニーテールは古風な大和撫子を思わせる。口数は多くないが貴重な左利きレフティであり、職人的なクロスボールの精度を持つ。彼女と香苗のホットラインが生命線だ。


「えー右は……あ、杏奈」


「なんでや!? なんで自信なさそうに発表するんや!? てか、先発!? ほんまかいな!? ええんか? うちが先発でええんか!? よっしゃあ! やったるでえ!」


 きっとこんなテンションになるだろうから控えめに言った。それからポジションを発表していき、十一人イレブンが揃う。ちなみにだが、真穂はスタメンに入れなかった。九〇分を戦わせるにはまだ体力面での不安がつきまとう。


「イシュタルぅ〜」


「「「オールゴーファイっ!」」」


 いつもの掛け声で気合を入れ、選手たちがグラウンドに向かう中、


「ファイトだよ、杏奈ちゃん。バテたらいつでも交代して上げるから」


 真穂が杏奈に声を掛けていた。


「よう見ときや、今日は白鳥杏奈のプロデビュー戦やで。鮮烈なデビュー間違いなしや!」


「よ、サイドの閃光!」


「光の速さで試合を終わらせたるでぇ〜」


 香苗に、杏奈はスコンと頭をチョップされた。


「終わらせてどうすんのよ。せめて得点に絡んでよ」


 節々で朗らかな笑いが起こった。リーグ初戦、しかも大歓声に迎えられての試合前。プレッシャーを感じるのは自然なこと。俺でさえも色々考えてしまう。けれど、この二人の元気さはチームを活気付かせてくれた。いい塩梅に緊張感がほぐれていた。


 かれたフラッシュがまばゆく降り注ぎ、芝生の香るグラウンドに俺たちは出揃った。


 選手の登場にサポーターのボルテージも最高潮に達し、耳を穿うがつつほどの声援が弾けた。少し早い春一番のようにスタジアムの熱気が頬を撫で、リーグ開幕のホイッスルが鳴らされる。


 相手は昨シーズン八位でリーグを終えた茨城ミッドナイトSC。紫色のユニフォームで、年齢層の高いベテラン中心のチームだ。


 システムな4−4−2。少し下がり目の守備的ミッドフィルダーDMFを置くスタイルではなく、ダイヤモンド型の中盤。攻撃と守備を明確に分けた形だ。


 こちらからのキックオフで始まったが、初手は何もさせてもらえず、杏奈がボールを零したところで相手ボール。コートを広めに使ってのサイド攻撃が展開される。


「うずうず、うずうず」


 隣で真穂がおねだりの視線を向けてくる。


「まだ早い。前半は様子見だ」


「ぶぅ。監督のイケズ」


 頬膨らませて真穂は唇を尖らせた。そんな時、ゴールの音が告げられる。先制点を許してしまっていた。この辺は仕方がない。経験値の少ないあの子達はどうしてもギアの入れ方が探り探りで動きにぎこちなさがあった。


「うずうず、うずうず。これはもう最終兵器を投入するしかないね!」


「宮瀬コーチ、キーパーのアップに真穂を加えてやって」


「了解です」


「え、ちょ!? 出番は!?」


 悪いな真穂——。


 そう心の中で謝罪する。本当は俺も彼女を先発で使うつもりだった。というか、来年以降を見据えて、早い段階から真穂を中心として使いたかった。


 だが、真穂のポジションである攻撃的ミッドフィルダーOMFには、真賀田コーチがどうしても譲れない選手がいると言って、鹿野紬しかのつむぎが先発だった。また、他の選手たちも同様に彼女が一・五列目を支えるチームの主軸であるとの主張を曲げなかった。


「真賀田コーチ、一つ聞いていい?」


「紬のことですか?」


 鹿野紬——彼女は俺が来る前のオフに怪我をして、しばらくチームを離れていた。過去の試合映像を見て、確かに巧さはある選手だとは思ったものの、怪我が多く、シーズンの半分以上を棒に振っていた。この冬もほとんど練習に参加しておらず、ちょろっと先週合流しただけで先発にしてくれと頼まれるほどなのだから、よっぽどの選手なのだろうとは思うが。


「私が好調の彼女を止められたことはありません」


 真賀田コーチは今年で三十五になる。ほんの数年前まで現役選手としてディフェンスの要を務めていたらしい。その真賀田が一〇代の選手に抜かれるなんて珍事だ。


 その紬にボールが渡った。

 ファーストタッチの柔らかさは確かに素晴らしい。


 だが。


 俺は舌打ちをした。


 一瞬俺の脳裏に見えた、最高の道筋がそこにあるのに、紬はツータッチ、スリータッチ、それからドリブルで溜めを作って、サイドバックの追い上げオーバーラップを待っていた。


「持ちすぎだ」


 この手の選手は、自分のボールコントロールに絶対の自信を持っている。奪われないという自信が。確かに時として溜めを作る時間は戦術的に必要な時がある。しかしボールを一人の選手が持ちすぎることはリズムを悪くする。


「悪く思わないでください。彼女、まだ本調子じゃないんです」


「そんなことはわかってる。一週間程度で動きが取り戻せるわけもない。だけど一点ビハインドだろう? なのにモタモタしてると——」


 出し所がなくなり、仕方なく抜きにかかるも紬は囲まれてシャットアウト。素早いカウンターを喰らい、あわや一点という場面をポストに救われる。


「言わんこっちゃない」


「監督は紬のプレイスタイルが気に食わないようですね」


「当然だ。時間は有限。九〇分の中でする暇なんてない」


「お遊戯ですか。確かにそうかもしれません。彼女にとってピッチは舞台なんです」


「舞台?」


「ええ、自らのテクニックを披露する舞台。目立ちたがりなんですよ。怪我が多くて試合に出られる機会が少ないから」


 再び紬にボールが渡り、二人を背負いながらも苦し紛れでサイドにボールを散らした。


 しかし意外といえば意外だった。香苗のポストプレーを頼りに、前線にガンガンボールを放り込むプレミアスタイルかと思えば、中盤でゲームメイクする術を持っていた。


 だが紬にボールが渡る度、俺は足のうずきを抑えきれなくなっていた。


「ああくそ! 俺が出る! 真賀田さん、ユニフォーム貸して!」


「女装しますか?」


「それでもいい!」


「宮瀬コーチ、メイクの準備を」


「はっ!」


 まるで忍者のように素早く現れた宮瀬コーチがメイク道具を手に持っていた。


「……準備がいいな。てか、サッカーに関係ないでしょ?」


「そんなことはありません。サッカー選手といえど、我々は麗しき乙女。身だしなみは重要です。月見監督は中性的な顔立ちなので結構いけるクチかと」


「それよりもアップを……」


「おっとそうでした。監督のご機嫌が悪いので、場を和ませようと思って」


「もう冷めたよ」


 ニコニコ笑顔を返しながら、宮瀬コーチはアップ練習に戻っていく。


 ともあれ紬にボールが渡り、もどかしいプレイにまたイライラは募っていく。


「見ててイライラする。あいつは俺の一番嫌いなタイプだ。フリーがいくつあると思ってる。もっとボールを動かせよ」


 独善的なプレイをしておいて、紬はもう息をあげていた。相手へのプレスをかける場面、完全にサボっており、俺は痺れを切らした。


「真穂!」


「ホイホイ! 準備万端、出撃はいつでもオッケイです!」


 敬礼を見せた真穂はやる気十分だった。


 最終確認だと言った風に真賀田コーチを一瞥いちべつする。彼女は何も言わず、肩をすくめた。

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