女子チーム(4)
サッカー選手にとっては芝生こそがマイホームである。
新年五日目の朝、再び俺は芝生の上に立っていた。
目を伸ばしたが、どこを探しても男の姿はなかった。いるにはいるが、フェンスフェンス越しに一眼レフを構え、鼻の下を伸ばしているオタク達しか存在しない。
イシュタルFCが女子チームというのはどうやら事実らしい。
そして俺が監督だってさ。
イシュタルFCは十年ほど前に社会人チームから発足した。
下部リーグに混じって、若手を育成するという側面が主体だったらしい。ところが今のオーナーに変わってからプロとして再出発したようだ。プロとして設立してから三年目の若いチームとのこと。
それゆえに選手達の年齢層もずいぶんと若かった。
少し前から女子サッカーは急激にプロ化が進んだ。その人気もうなぎのぼり。一部に在籍するチームは男子サッカーと比べても遜色ないほどに環境や市民権も整っている。
経営状況のことはさておいて、イシュタルFCはプロとして出発してからあれよあれよというまに昇格を重ね、今や女子リーグの二部に位置しているが、昨シーズンは経験不足に喘ぎ、降格ギリギリだったらしい。
しかしながら、昨シーズンの試合映像を見た俺は──佐竹の泣き顔に口説かれたというのもあるが──、真面目に監督をしようと思ったのも事実だった。
「最後にもう一つ確認だけど、ウチのチームに男は?」
俺は佐竹にそう聞いた。
「守衛さんと芝生管理の方以外、男性は月見さん一人です」
関係のないことかもしれないが、俺は女性とお付き合いしたことがない。ずっとサッカー一筋というせいもあって、男ばかりな生活をしてきた。
「月見さんは業界でも有名ですから、週刊誌に載るようなことは避けてください」
今からセクハラに強い弁護士を雇おうかと俺は考えた。
女子に囲まれた生活なんて想像もできない。漫画ならハーレムなラブコメ展開に胸を踊らせるだろうが、選択肢を一歩間違えれば、サッカー漫画から裁判漫画へと急展開を迎えるだろう。
グラウンドにちらほら集まり始めている選手達は、それぞれ身体をほぐしたりしながら談笑していた。
実に女子らしい朗らかな光景だ。
今すぐにあの輪の中に入りたいと思う一方で、今ならまだ逃げ出せるかもと、臆病心が少し出ていた。何てことはない。天才と呼ばれた男も蓋を開けてみれば、ただの弱虫。
それゆえに俺はブルーズFCから逃げ出した。
「さて、監督」
と佐竹は表情を崩して快活に言う。
「シーズン開始まであと約二ヶ月です。さっさと練習始めちゃいましょう!」
陽気な彼女に背中を押され、俺の弱気や不安は不思議と取り払われるのだが、気になることを聞かずにはいられない。
「あのさ、佐竹さん。スタッフの姿が見えないんだけど」
佐竹はピクリと眉尻をあげた。
「先日、月見さんが挨拶した人達は、アルバイトです。雑務とか事務をしてもらってる方達です」
みるみる俺の顔から血の気が失せていく。
「……コーチはいずこに?」
プロチームには、ヘッドコーチ、テクニカルコーチ、フィジカルやゴールキーパーコーチなど各種専門担当を取り揃えてこそプロチームだ。
「……急な訃報で二、三日は合流できないとのことです」
俺と佐竹の口調は共に重苦しいものだった。
「全員が全員訃報なんて偶然すぎない?」
言い淀んでいた佐竹はぼそりとこう呟く。
「いえ……その……ヘッドコーチだけが訃報でして……」
「つまり……?」
「逆に言って、ヘッドコーチ以外、存在しません」
俺は愕然とする。
経営状況が悪いと聞いていたからなんとなく悪い予感はしていたが、頭が痛い。
「他のコーチは引き続き探しますが、当分はヘッドコーチとのお二人でトップチームを率いてもらうことになるかと……」
本来であれば、そのコーチに監督をしてもらう予定だったそうだ。
監督を断固拒否され、予定が狂ったそうな。
とんでもない貧乏くじを引かされたのかもしれないと俺が頭を抱えていると、佐竹は不安そうな顔をして、
「やっぱり辞めてしまいますか? そうなると私は枕営業で今すぐに監督を探さなければなりません……」
本当にこの
「……まあ、乗りかかった船だしな──」
と言った側で俺の脇を何かが素早くすり抜ける。
茶髪でツインテールの女の子が俺の両手を後ろでに締め上げた。
小ぶりな鼻と口に、目尻のつり上がった少女はいかにも勝気なタイプだ。
「不審な男を確保やで! さてはスパイやな!?」
「いやちが──」
「やったら、下品なマスコミって相場は決まってんねん!」
「俺は新しい監督──」
「証拠はあるん?」
俺はコクコクと頷いた。
「なら免許見せてえや」
そんなものあるわけがなかろう。
「その人は不審者ではなく、新しい監督ですよ」
と佐竹が助け舟。
「嘘やん……こんな頼りなさそうなお兄さんが新監督なんて嘘やん……」
実に期待されていない目を向けられた。
初日から舐められる訳にはいかぬと俺は、
「君は昨シーズンFWの一角を任されていた11番の
俺は三が日をフルに使って試合映像やプロフィールからスタメンの情報はしかと記憶していた。
「スプリンター並みのスピードを活かした縦への突破が得意。昨年高校を卒業した十八歳。もうすぐ誕生日だな。身長一六三センチの体重四七・五キロ。ここへ来たのは、三年前の高一から。中学の時、陸上で記録を塗り替えたこともある」
杏奈は目を丸くしたが、
「ストーカや! やっぱりこいつストーカーやで!!」
杏奈の大声に何事かと他の選手達も集まって来た。
「白状しいや! 誰のパンチラ、ブラチラ盗撮しようとしてたんや!?」
背中越しに佐竹はくすりと笑う。彼女は手打ちをし、
「ほらほら、皆集まってくださぁーい」
と選手達を呼び寄せた。
少女達の髪型や色は様々だが、顔立ちは皆垢抜けていなかった。
「今日はとりあえず軽めのメニュー。明日からお気楽な紅白戦でもしようか」
すると佐竹は、
「自己紹介がまだですよ。監督」
挨拶を、と佐竹に前に出される。
俺は「あー、月見です。よろしく」と簡潔に紹介した。すると選手達は節々に小声を上げ、俺の顔を吟味していた。「まさか本当に?」とか「もしかして」とか「いやありえないでしょ」などなど。
どうやら俺の素顔はあまり馴染みがないらしい。
「じゃあ、練習に戻っていいよ。自主練でもオフでも構わないから好きにやってて」
今の俺に月見健吾としてのオーラはまったくないらしい。それで俺は余計にやる気をなくしていた。そんな俺のモチベーションの低さを感じ取ったらしい選手達は不安げな表情を露わにしていた。
すると身長の高い、金髪でベリーショートヘアの子が近づいて、こう言った。
「あの、私達の自己紹介は?」
「いらないよ。そんな時間、無駄だから」
途端に選手達は眉間にしわを寄せ、ざわついた。
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