リスタート(2)
東京湾の埋立地の一角に『東京イシュタルFC』の練習場があった。佐竹マネージャーから監督要請を受けてから数日後、俺はグラウンドの脇に立っていた。
サッカーコートの中で、少女たちが声を上げつつ
「あのさ佐竹さん」
隣の佐竹をちらりと
「確認だけど、ここは女子チームでファイナルアンサー?」
「それが何か?」
「……騙したな?」
「聞かれなかったので。何か問題でも?」
とんだ女狐だ。
「実家に帰らせていただきます」
と、
「逃亡はさせません」
俺を捕まえてから佐竹は、二十四時間の監視体制を敷いていた。初対面の印象は、脇が甘いというか、無防備が過ぎると思っていたが、案外しっかり者というか、まるで首輪を
嘆息一つ。
もはや諦めるしかない。
「ところで、ずいぶん年齢層が若いけど、ユースチーム?」
「トップチームです」
俺は眉間を寄せる。
どう考えても、体の作りがまだ十代のそれだ。
「実は、施設を大改装した結果、クラブの家計は火の車。選手の契約金を払えず、多くのスタメンがチームを去ってしまったのです。監督とかコーチとか諸々。だからごっそりユースからトップに合流させました」
俺の契約金もこってり絞られた。その時最初に逃げ出そうとしたが、佐竹の祈るような上目遣いの眼差しに
「いや、フロント陣をクビにしたほうがいいんじゃ」
クラブハウスに着いて、施設を見て回った感じは確かに真新しいトレーニングルームや、綺麗な施設をしているなとは思った。強いチームの土台には施設の充実は必要条件だ。だが、選手を切り捨てるクラブに未来がないのも事実。結局は資金力が物を言う世界だ。
「見方を変えましょう。フレッシュかつ、育成しがいのある選手が揃っているんです」
物は言いようだな。
しかし、と俺は目を細めた。
赤いビブスと白いビブスがコート上を行き交う中、ちらほらと目にとまる選手がいた。
その中でも、一番目立つ選手に俺は視線を注いでいた。
両チームが最低でも三タッチ以内でほとんどミスなくボールを
身長は一五〇センチもなく、小学生みたいな女の子。彼女は息をあげ、膝に手をついているかと思えば突然パッと顔を上げ、ゾクリとするパスを送ることがあった。
「ちょっとちょっと、マホ! どこ見てんのよ!? 足元に合わせて!」
そう叱責したのは、高身長の女子だった。ベリーショートの髪は金色に染めていて、見た目的にも一番目立っているし、パスもよく集まっていた。中心選手なのだろう。もちろん、彼女も目に止まる一人だった。
「今のは微かにディフェンスの視線が逸れていたんだけどなあ。あの小さい子のパスの方が正しい」
独り言を述べると、佐竹が「ふふ」と綻ぶ。
「
へー、と返し、
「身長の高い彼女は?」
「
他にも目についた選手の名を聞いていくが、いっぺんには頭に入らなかった。
そうこうして試合が終わると、選手たちはベンチに向かい、コーチの指示を仰いでいた。
すると佐竹が俺の手を引き、コーチの元へ連れ立った。
「皆さん、注もーく。ここにあらせられるは、我々が待ち望んだ監督です」
少女たちの視線が俺に注がれる。節々からざわめきが上がり、中には「嘘!?」と声を上げる子もいた。
「ふふん、この佐竹のファインプレーなのです。なんとこのお方はあの月見健吾なのです!」
すると皆、冷笑を浮かべたり、鼻を鳴らしたりしていた。
「佐竹っち、そういう冗談は幾ら何でも信じへんで。あの月見健吾が、こんなユース上がりの弱小クラブにくるわけないやん。……ん、でも確かにめっちゃ似とるけど、そっくりさんなん?」
関西弁を発したのは、ツインテールの少女。彼女のスピードもまた目を見張るものがあった。
「残念ながら実物だ」
選手たちは視線を合わせ、節々でひそひそ声が上がる。
「嘘やん。目に覇気はあらへん、取り立てて特徴のある顔でもなければ、オーラもなし。どこにでもいる未来に絶望した、ただのお兄さんやん。ウチは信じへんで!」
ずいぶんひどい評価である。
「確かにパッと見、冴えない若人ですが」佐竹は俺の背後に立ち、伸びた前髪をかき上げておでこを見せた。「ほら、こうすると、それっぽくなるでしょ?」
いやあんたも十分ひどいな。
そんな中、メガネを掛けた女性コーチが近づき手を差し伸べる。
「初めまして監督。ヘッドコーチの
切れ長の眼差しに、長い髪を
ボソリと佐竹が「テクニカルコーチも兼任してもらってます」と
想像以上にこのチームはギリギリの経営らしい。
それから、審判役を務めていたもう一方のコーチとも握手を交わす。こちらはがっしりとした体格の女性で、フィジカルコーチ兼、ゴールキーパーコーチらしい。名は
やっぱりギリギリ経営。
佐竹は俺と真賀田と宮瀬の手を合わせ、
「ここに集うはイシュタルFCの頭脳であり屋台骨。我ら三人は生まれた時こそ違えど、死するときは同じで——」
「桃園の誓い!? 縁起でもない!」
「じゃあ三銃士?」
心底どうでもよかった。
「悪いですが佐竹マネ」真賀田コーチは鋭い目を向ける。「開幕まで時間がありません。早速ですが監督とチームについて話を始めたいと思います」
真賀田コーチは印象の通り冷然とする人物だった。
しゅんと肩を落とした佐竹はとぼとぼとベンチを離れた。振り返ると、「頑張って」と言った風なガッツポーズを見せていた。
「二〇分ハーフでもう一本。監督が見ています。各自アピールの機会だと思ってゲームに臨むように」
「「はい!」」
と選手たちは目つきを変えて返事を飛ばした。佐竹がふわふわにした場の空気感を、真賀田は一瞬でピリリと切れ味鋭い雰囲気に戻したのだった。
「では先ほどと同じメンバーで」
そう告げる真賀田コーチを
「あー、待って。君と君はこっちのチームに入って」
俺は白井真穂とツインテの関西弁少女を、吉村香苗のいるチームへと入れさせた。
二人は快活に返事を返すが、真賀田は
「百歩譲って
「技術なんて死ぬほど練習すれば身につく」
「一つのミスは命取りになります」
俺と真賀田は早速火花を飛ばした。
二言交わしただけで、俺と真賀田のサッカー観の違いを互いに理解しあったのだ。
そうして、選手たちにとってのスタメン争奪戦が密かに始められるのである。
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