エントロピー反転円境界線内-1.2キロ

「こちらへ来たまえ、和才君、いや、今は理学部物理学課超理論学教室りがくぶぶつりがっかちょうりろんがくきょうしつ、和才准教授だったっかな?」

 富士林教授は、いつもと変わらぬ容貌だった。散髪に行きそびれている少し伸びた長い白銀の髪の毛に、一体何時の時代から買い替えていないのかわからない銀縁のメガネ。下顎一面の4,5日分の無精髭。ノーネクタイのカラーシャツに、折り目の完全に消えたスラックス。そして、ホーム・センターで買える、最安値の革靴。

 これが、地方公立大学の教官たちの制服だと言っていい。

 和才も今でこそ、陸上自衛隊の二等陸士の襟章を付けた戦闘服を着用しているが、普段は富士林教授とほぼ同じ格好だ。ほぼ変わらない給料なので仕方がない。

 富士林教授は、ウラがペラペラの革靴でスタスタ歩き出した。

「ここらへんは、危険だからセーフ・ハウスが設けてあるんだよ、岐阜大はどうだね?。どうにか、岐阜大のポストに君をねじ込めたからよかったものの、君も一つ間違えれば、一生予備校の講師だよ、まぁそのほうが、収入は良くなる可能性はあるかもしれんが、、」

 和才は、黙って、巨木のシダ類の生い茂る中、富士林教授について歩いていった。

「君は准教授になって喜んどるようだが、学者の世界は駅弁大学とは言え、教授になって一人前だから、覚えておきたまえ、、わはははははは」

 和才は、気づいていたが、セーフハウスとか富士林教授言ったが、危険な古代生物が脇には居るのに、一向に見ているだけで、富士林教授と和才を襲ってこない。

 さっきの茂みには、サーベルタイガーも居た。

 二人は、エントロピー反転円境界線内中心部へ向かいどんどん歩いていった。

「先生、どうして、連中は先生を襲わないのですか?」

 学者の世界では、大学院でも博士課程の間ぐらいは、指導教官のことを先生と呼ぶが、たとえ助手や准教授や講師のポストについて給料が発生しだすと、一応、学者として一人前でもう指導教官のことも"さん"呼ばわりできる。

 それを和才は、わざとまるで学部の学生のように富士林教授のことを"先生"を付けて呼んだ。  

「はははは、、 そう簡単に種明かしはしないよ、、マジシャンは。ほら、あそこだ」

 富士林教授が杖で指し示した場所には、立派な別荘のような建物が建っていた。

「この三方崩山には、獣道すらないのに、どうやってあんな立派山小屋を建てたのです?」

「それも、タネだよ、あははは」

 富士林教授は、とても上機嫌だ。

「日本国政府から強請った金ですか?」

 和才は、別荘に入る前のポーチの手前で立ち止まり、尋ねた。

 富士林教授は振り返らなかった。返事が明らかにとどこおった。

 富士林教授は、やがて、ポーチにペラペラの革靴を掛けると答えた。

「お金などで、建てたのではないからね」

 和才は、畳み掛けた。

「これから入るお金で、ですか?」

 陽はかげろうとしていた。和才にとっては、とても長い一日だった。

「まぁ、冷たいものでも、飲み給え」

 別荘には、灯りが知らない間に灯っていた。

「山の陽はかげるのが早いね、これだけは、私でも如何ともしがたい、否できるかな」

「俺は、だまされないぞっ」

 和才は、小さな声でそれもはっきりとつぶやいた。

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