エントロピー反転円境界線内-1キロ

 両手で89式小銃をかまえ、和才はエントロピー反転円境界線内を進んでいった。

 数メートルも歩くと、破壊されたドローンや警察官、自衛隊の死体の山があるかもしれない。

 和才は、逆に気を引き締め、一時も気が抜けなかった。

 しかし、なにもなかった。普通の下生えの草と木々が生い茂る三方崩山さんぽうくずれやま南山麓だった。

 が、ある一歩が決定的になった。

 和才が出した、左足の一歩がなにか大きなものに当たった。すねまであるような、三葉虫に似た、大型昆虫だった。

 和才は、一瞬で硬まった。

 周りの植生が徐々に変化していることに、続いて、気づいた。杉の木が減り、シダ類が多くなっている。そして、すべての木々が大木化というより、巨木化している。

 暑いし、少し、息苦しい。酸素濃度が濃いかもしれない。

 少し遠くの右前方の茂みから、ステゴザウルスが現れた。

 相当の自制心がないと、89式小銃の引き金をひいていたかもしれない。

 ステゴザウルスは、和才に気づくと、背中の背びれを全開にして威嚇した。

 撃つべきでないことは明々白々だった。命中しても、命を完全に奪い仕留めきれないだろう。

 和才は、しゃがみ、攻撃する意志がないことを伝えたつもりだったが、ステゴザウルスには効果がなかった。

 丁度富士林教授のように一定の線を設け、膝をついたまま、89式小銃を狙い直した。

 その線を越えれば、もちろん射撃するつもりである。

 小銃のセレクトレバーを"ア""タ""レ"のレバーは、"レ"の位置へ。

 頭部に数発当てれば、なんとかなるかと思った瞬間、なにかはるかに高く大きな質量のものが、真後ろから和才の上を越え、ステゴザウルスに襲いかかった。

 T-レックスだった。超巨大な頭部が、和才からは下顎しか見えなかったが、恐ろしい速さと的確な正確さでステゴザウルスの喉元に上から噛み付いた。

 T-レックスは、ステゴザウルスに噛み付いたまま、仰ぐや、ステゴザウルスの首から背にかけて、ものすごい音で噛み砕き、血を和才に滴らし、そして和才をまたぎ、エントロピー反転円境界線内の中心に向かって尻尾でバランスを取りつつ歩んでいった。

 和才は、顔にかかったステゴザウルスの返り血を拭うと、動けなくなった。

 物理を専門とする和才でも、ティラノサウルスとステゴザウルスが違う時代の恐竜だということぐらいは知っている。小学生でも知っているだろう、ジュラ紀と白亜紀だっただろうか。

 和才は、なにか、擦れる音が、近くでしたので、振り向いた。

 すると隣のとてつもなく太いシダの大木に隠れながらこちらを伺っている人間が居た。

 ゆっくりそちらを見ると、その男と和才の視線が交差した。その男は裸だった。

 しかし、男はどこか人と違った。どことは言い切れないが、どこかが、、。

 和才と男は、お互いをよく見るために、顔を近づけあった。強烈な匂いが和才を襲った。

 男のからだは、若干小柄で、ペニスは少し小さいような気がした。目は二重でパッチリしていたが、その時に違いを和才はしっかり認識し理解した。

 目の上の頭蓋骨の一部が、やや前にせり出しているような気がする。気じゃない、観察に基づく事実だ。

 クロマニヨン人だ。

 和才もよくわからないが、和才と同じ現生人類でないことは確かだ。

 クロマニヨン人は、シダの大木に半身を隠していたが、全身を現すと、隠していた手には、棍棒と手投げ式の槍、カタパルトを持っていた。

 クロマニンヨン人の目になにか攻撃の意志が宿ったことが確かになった瞬間。棍棒が和才の頭上から襲いかかった。

 和才は、どうにか、小銃を頭の上で水平にし受けることが出来た。

 ガキン。

 ものすごい音がして、棍棒ごと、クロマニンヨン人は和才より小柄にもかかわらず、押しこんできた。ものすごい膂力りょりょくだ。信じられない。和才はギリギリと抑え込まれていく、この小柄な男にどうしてこんな力があるのか、理解できない。それに猛烈に臭い。動物園の檻の比ではない。正直耐え難いほどだ。人がこれほど臭くなれることが脅威だ。

 クロマニン人は、何か明確な言葉のようなもの発しているが、当然和才には理解出来ない。言葉を発していることが、なにか知能を知的技能を保持していることが和才への恐怖を煽った。

 クロマニヨン人が押さえ込んでいくのを諦め、再度打ち込むために棍棒をもう一度、振り上げ振り直した瞬間だった。

 クロマニン人の真後ろにもう一人の男が居た。

 男は、早業で杖のようなものを使い、クロマニヨン人の棍棒をクロマニヨン人の背中の上部で引っ掛けてと停めると、空手チョップのような手刀でクロマニヨン人の鼠径部そけいぶを撃ちつけた。

 ほんの一瞬の出来事だった。

 クロマニヨン人は脳震盪を起こし、昏倒した。知的な生き物は脳への攻撃にとても弱いらしい。

 クロマニヨン人を倒した男は、裸でもなく、臭くもなかった。そして、和才の理解できる言葉で喋った。

「気をつけたまえ、和才君。彼らは、人を食べるよ、そして君は、学生の頃同様、相変わらず、若干トロいようだね」

「俺は、もう学生の頃のようにトロく、ないぞっ」

 和才は、口に入ったクロマニヨン人の棍棒から落ちた破片を吐き出しながら言った。

 クロマニヨン人を倒した男は、富士林教授だった。

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