第6話


 人は死の直前に走馬灯というものを見るそうだ。しかし、ロボットがバッテリーの切れる直前に、自分をつくり出した人の幻を見る、という話は聞いたことがない。

 つまり、今僕の部屋に入ってきたのは本物の彼女だということだ。

 それは不意打ちだったし、逃げるにしたって、逃げ切る前にバッテリーが切れてしまっていただろう。


 マフラーを首に巻いた彼女は、感情の抜け落ちたような表情で僕を見下ろし、手に持っていた棒のようなものを僕の体に押し当てた。とたんに僕の電源は強制的に落とされてしまった。



 何が何だかわからないうちに、気付いたら近くの喫茶店で彼女と紅茶を飲んでいた。

「やっぱり、変化より不変、だと思うんです」

 あんな事があった後なのに、なぜかご機嫌な様子で彼女は言う。

「今の私ではまだ出来ないのですが、たとえば、不変の命なんてもの……人が死ななくなるっていう、まるで夢みたいなことを、現実にすることが出来たら素敵だと思いません?」

 ふと、僕は両手で抱えるように紙袋を持っていた。中をのぞくと、葉を喰われて不格好になった植物ロボと、もはや原型を留めていないいも虫ロボが入っている。

「人間の記憶を全部データ化して、人型のロボット、つまりアンドロイドにインプットすることが出来れば、人は体をとりかえることで永遠を手にすることが出来る……。もちろん、海水なんかに浸かったりしたらアウトだし、問題点も少なくはないけれど……あの、聞いていますか?」

「え?」

 紙袋の中身から正面に座る彼女へと目を向ける。彼女の黒々とした瞳が、探るように僕を見つめていた。

「私の話、聞いていましたか?」

 僕はちょっと考えてから、いつ頼んだのかも覚えていない目の前のティーカップを持ち上げ、一気に中身を飲み干す。幸い、紅茶はほどよく冷めていた。

 彼女が虚をつかれたように驚いた顔をするのを確認してから、おもむろに言ってみる。


「えーっと、海水浴の話でしたっけ?」

 自分でも思う。僕は、混乱しているんだと。

 正直に聞いていなかったと言えばいいのに、頭に残っている言葉の断片から勝手に話の内容を創作して口に出した。

「今の時期、ちょうど良さそうですもんね、海水浴。それにしても、海は確かに永遠……そう、永遠の神秘ですね。海の記憶……うん、様々な生き物たちのことを記憶していそうです、本当に。生命の母なる海、なんて。海からしてみたら、僕らの存在なんてほんの一瞬でちっぽけなものなんでしょうね。死んだら灰は海に撒いてください、とかいうロマンチックなの、最近流行ってるみたいですけど、なんかわかる気がしますよ、うん」

「……話、聞いてなかったんですね」

 呆れたようにため息を吐く彼女。

 僕はじわじわといたたまれなくなってきて、再び紙袋の中に視線を落とした。

そして、ハッとした。

 『いも虫型ロボットのための植物型ロボット』が、ゆらゆらと葉を揺らしている。

「あの、こいつ!」

 勢い込んで顔を上げると、不機嫌そうな様子の彼女がカップに口を付けているところだった。

「こいつ?」

 怪訝そうな様子でカップを置く彼女。

「あ、あの、いやさ、いも虫の方はもう駄目かもしれないけど、植物の方はまだ生きてるのかな、なんて……」

「生きてる?」

「あ、やっぱり、もう壊れちゃってる?」

「……まだ、起動はしていますよ。いも虫型ロボットが重要な部品を狙って破壊したから、会話機能あたりは壊れているでしょうけど」

「そ、そっか。そう、なのか」

 なぜだかとてもほっとした。紙袋を抱える手に自然と力が入る。



「でもそれ、もともと生きてなんかいませんよ?」

 にこにこと楽しそうに微笑む彼女。一体、なにがそんなに楽しいのだろうか。

 不格好な観葉植物が紙袋の中でゆらゆら葉を揺らしている。

「それと会話して、いかにも生きてるように感じたんですね。でも、それは私がプログラムしただけで、命なんか持ってませんよ? それは、電気で動いているただの玩具に過ぎません」

「オモチャ……」

「そ、玩具です。ただの。そんな子供だましな物のことよりも、アンドロイドの話、聞いてくれませんか?」

 彼女はきらきらと目を輝かせて、楽しげに何かを話している。けれど、内容は全く頭に入ってこなかった。

 僕は紙袋の中の二体のロボットを見る。植物ロボを持って家を出るとき、終わりがあるからいいんだ、と僕は思ったのだ。

「これ、もらってもいいですか?」

 楽しそうに話す彼女に話題を合わせられないのは申し訳なく思うが、僕には人型ロボットのことよりも、この、“電気で動いているただの玩具”の方が気になって仕方がなかった。

「え? ええ、構いませんが……」

 彼女は、そんなものどうするんですか? とでも言いたそうだったけれど、気にしない。

 植物ロボはいも虫ロボに喰われて終わりになるはずだった。でも、先に終わってしまったのはいも虫の方で、植物の方はまだ終わっていない。

「あの、ありがとうございました」

 彼女の抑揚のない声で、考え事が引っ込む。見ると、声と同じで表情まで消えていた。


「今日はありがとうございました。とても助かりました」

「あ、いえ、こちらこそ、ありがとう」

 彼女が軽く頭を下げてきたので、慌てて僕も頭を下げ返す。

「じゃあ、私はここで失礼します」

 伝票を持って席を立とうとするので、驚いて待ったをかける。

「あ、ちょっと……」

「いいんです。私が払っておきますので、どうぞゆっくりしていてください」

 彼女はにこりと笑顔をつくる。でも、目が笑っていない。

 怒っているのだろうか? ……普通に考えて、怒っているに決まっているか。あれだけ話を無視されたんだから。

「いや、あの、自分の分は払いますんで……」

 ここは僕が払います、なんて言えればいいのだけど、サイフがそれを許してくれない。


 喫茶店を出ると、僕と彼女は別れを言ってお互いに背を向けた。

 あーあ、これでもう彼女とは会えなくなるのか。僕は二、三歩進んで足を止める。ゆっくりと振り返ると、彼女は赤信号の前で立ち止まっている。

 今からでもまだ遅くないんじゃないのかな? 例えば、また会ってもらってもいいですかと一言だけでも……。

 信号が青になり、一人、信号待ちをしていた彼女が歩き出す。

「あのっ!」

 僕は声を上げていた。同時に走り出す。 今度は映画でも一緒にどうですか、なんて言ったら引かれるだろうか? いや、そもそも彼女は今、怒ってるわけで、下手したら完全に無視されるかも。

 ――ああもう、この際当たって砕けろだ。

「あの、ちょっと待って!」


 僕は全力で彼女のところへ走る。彼女は立ち止まって、僕を見た。どうしたんですか? と問いかけるように小首を傾げる。

 おかしいことが一つあった。

 車道の信号は赤なのに、横断歩道に彼女がいるのに、なぜかあの車は全くスピードをゆるめない。

 僕は全力で彼女のところへ走る。彼女は全力で走り寄る僕を驚いたように見つめる。


 音がした。耳をつんざくような、ひどい音。

 なかなかその音が耳から離れないせいで、僕は身動きが出来なかった。

 見上げると、僕を見下ろす彼女がいた。彼女は所々怪我をしていて、ひしゃげた紙袋を片手に提げている。

「死なない……」

 小さな、でも良く通る低い声が聞こえる。

「アンドロイド……永遠……」

 すぅっと細められた目。その奥に冷たい光が宿っている。

「死なない体……永遠の命……」

 ぶつぶつと呟き続ける彼女は、僕のことを見ているようで、見ていないのかもしれない。

 僕は全力で声を絞り出す。もう、何処が痛くて、何処が痛くないかも分からない。徐々に視界が狭まっていく中で、彼女の姿だけはなんとしても捕らえようとした。どうしても、伝えたいことがあったから。

 かさかさと、音がする。誰かの悲鳴のようなひどい音の向こうで、励ますような、労るような音が。きっと不格好な観葉植物が葉を揺らしているのだろう。

「さ……くら……」

 ――桜って綺麗だろう?

 あれ、きっと散ってしまうから綺麗なんだよ。

 自分の役割を終えた後、いさぎよく散っていくからいいんだよ……。


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