第5話
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昔、壊れたロボットを海に捨てたことがある、と彼女が言っていた。
いつも凛とした空気を纏う彼女にしては珍しく、その時だけはどこかぼんやりとした表情をしていた。
彼女はここではない何処かを眺めながら、ぽつりぽつりと言葉を紡いでいく。
――あれは夏のことだったけれど、もともとゴミだらけの海でね。酷い異臭がしていたよ。捨てたのは小さい型のロボットだったから、すぐに他のゴミに紛れてしまって……あんなもの、捨てたところで誰も気づきはしないだろう。
僕は彼女にそっくりなロボットを目の前にして途方に暮れていた。何のデータも入っていないし、起動させるためのバッテリーだって、このロボットの分までは残っていない。データを入れることも、起動させることも出来ないのに、僕はバイトで貯まっていた貯金を使い、彼女そっくりなロボットをつくってしまった。
僕は一体何がしたいんだ?
――私は一体何がしたかったんだろうね?
ふいに彼女の声がしたような気がした。
――いくら壊れていたとはいえ、修理することくらいは出来た。お前のモデルだってあれが欲しいと言っていたんだから、何も捨てることは無かったのかもしれない。だいたい、捨てるにしたって、なんでわざわざ海なんかに捨てたんだか……。
それは、まだ僕が最高傑作であった頃に聞いた彼女の思い出話。彼女は一体、何体の最高傑作たちにこの話を繰り返してきたのだろうか……。
▽
蝉がわめき出す季節になった。
「ねーえ? 本当にワタシ、食べられちゃうわけ?」
予想以上に時間はかかったけれども、ようやく完成した『いも虫型ロボットのための植物型ロボット』が、今日何度目かの質問をしてきた。
「さっきから言ってるようにだな、お前はそのためにつくったんだぜ?」
ぱっと見、それは青々と元気な葉を付けた観葉植物以外のなにものでもない。
観葉植物以外のなにものにも見えないそれは、葉をさわさわと揺すって不満を訴えてくる。
「虫に、喰わせるため?」
「そう」
僕は鏡の前に立って今日何度目かの服装チェックをする。こんなに浮かれた気分になるのはどれくらい振りだろうか。
「その、悪魔の笑顔が素敵な彼女の、いも虫に?」
「いや違う。悪魔じゃなくて天使の笑顔」
「ワタシにしてみたら悪魔よぅ」
「あーもう、ぐずぐず言うなよめんどくせぇ」
身支度を整えて『いも虫型ロボットのための植物型ロボット』を紙袋に入れた。
今日は彼女と、初めて出会った公園で落ち合う約束をしている。いよいよ、いも虫が蝶になる日が来たのだ。
「ねーえ?」
「ん?」
観葉植物が紙袋の中から声を上げた。
「その悪魔の微笑みの彼女……」
「天使の微笑みだっつーの」
「その子、ミスしたんじゃない?」
「はぁ?」
僕はいそいそと靴ひもを結ぶのをいったん中断して、紙袋越しに観葉植物を見る。
「彼女の設計にミスなんてないだろ? もしミスがあるとしたらつくった僕の……」
「ミスしたのは悪魔の彼女の方よぉ?」
妙にきっぱりと言った。
紙袋の中で葉を揺らしているようで、かさかさと訴えかけてくるような音がする。
「ミスって、一体、何を?」
「内緒」
「……へいへい、さいですか」
こいつが完成してからまだ日は浅いけれど、少しばかりの愛着がわいていた。でも彼女のため、いも虫ロボを蝶へと変化させたいという気持ちだって変わらずにある。
終わりがあるからいいんだ。桜だって、春が終われば全て散ってしまう。蝉だって、夏の一週間が過ぎれば死んでしまう。
こいつもそれと同じというわけだ。
桜の若い葉が元気良く光合成している。
彼女は桜の木の下の日陰で涼んでいた。
「すみません、待ちましたか?」
しまったなぁと思いつつ、僕は彼女に声を掛ける。もっと早くに家を出ればよかった。
「はい、待っていましたよ。ずっと」
彼女が笑顔で答えてくれる。やばい、なんか、怒ってるかも。
「そーよそーよ、ずーっと待ってたんだからね! この日を!」
桜の幹にへばりついているいも虫がキンキン声を上げる。なるほど、ずーっとここで僕のことを待っていた、という事ではなくて、植物ロボがやってくる今日というこの日を待っていた、ってことか。
「ありがとうございました。こんなこと頼めるような人、なかなかいなくて。とても助かりました」
夏の日差しに、はじけるような彼女の笑顔。
いい、すごくいい。
こんな彼女の表情をつくったのが僕である、ということがさらにいい。
これはあれか? 彼女、僕に惚れちまっ……。
「ねーえ? 鼻の下、のびてるわよ?」
ほぼその存在を忘れていた『いも虫型ロボットのための植物型ロボット』が紙袋の中から声を掛けてきた。
僕は急いで表情を引き締めると、紙袋から植物ロボを出してやる。
「時間はかかったけど、あなたの設計図通りつくれたと思う……」
設計者は彼女だけど、つくったのは僕だ。少しだけ自慢げに口を開いたけれど、すぐに口をつぐんだ。
じっくりと植物ロボを観察する彼女。その、すぅっと細められた目の奥に冷たい光が見え隠れするような気がして、背筋に嫌な汗が流れる。
「いまからこれを、いも虫型ロボットに食べさせる」
彼女が呟いた。
とても良く通る、低い声で。
「あ、はい。どうぞ」
「うまくいくかな?」
それは質問の形をとりながらも質問ではないように感じた。どことなく攻撃的にさえ聞こえる、投げやりな言い方。
いも虫も植物も無言だ。僕も彼女の雰囲気の変化についていけずに、ぽかんとしてしまう。
木の幹にへばりついていたいも虫を引きはがして、僕の持ってきた植物にひょいと乗せる彼女。
いも虫は植物の上で少しの間もぞもぞしていたけれど、ばちりという音を立てて食事を開始する。ばちり、がちり。あっという間に自分よりも大きなサイズの葉を一枚食べきってしまった。
こっそり彼女の様子を盗み見る。彼女は真剣な眼差しでことの成り行きを見守っていた。
いも虫は葉の次に、茎を食べるつもりらしい。もぞりと動いて、またばちりと音を立て茎に食らいつく。ばち、ばちばち。
そして、いくらも経たない内に止まった。
お腹がいっぱいになったのだろうか。いよいよ、蝶になるときが来たのだろうか?
彼女もさぞ喜んでいることだろうと隣を見ると、失望の浮かんだ顔をしていた。
ばきん、べきん。いも虫が音を立て、ビクンとはねる。背の部分が割れて、蝶のはねがとび出してきた。
やった、と歓声を上げそうになった。しかし先に言葉をもらしたのは他でもない彼女だ。
「失敗した……」
その言葉が終わるか終わらないかくらいに、いも虫の背からとび出ていた蝶のはねが一枚、根元から折れた。ペキ、と音がしていも虫が縦まっ二つに割れ、『いも虫型ロボットのための植物型ロボット』の小さな鉢の中に落ちた。
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