第3話
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古い方の体を置いてきたのは時間稼ぎのためだった。
――お前の準備が整ったら、これはお前の新しい体になるんだよ。
僕がまだ最高傑作だった頃、そう言って彼女が見せてくれた体がある。それは人間の体に似せてつくられた古い方の体と違い、人間の死体を基礎につくったものだと、起動させれば、生きた人間と区別するのはかなり難しいと、彼女は言っていた。
僕はその新しい体に僕のデータを全て移しかえた。残った古い方の体は与えられていた個室に放置し、あるだけのバッテリーを持って研究所を抜け出した。
すぐに見つかって破壊されると思っていたけれど、そうでもなかった。まさかとは思うが、彼女は僕が抜け出したということには気付かず、僕の古い方の体を破壊しただけで満足したのかもしれない。又は、わざわざ探し出してまで破壊するほど僕への執着はなかったのかもしれない。
どっちにしろ、僕は呆気ないくらい簡単に研究所を抜け出して、人間社会に紛れ込むことが出来た。
誰も僕がロボットだということに気付くことはなかったし、住み込みのフリーターとしての立場を確立するのも、そう時間はかからなかった。
▽
花見客でごった返す公園からそう遠くない喫茶店で、僕は先程出会ったばかりの女の子とコーヒーを飲んでいた。
「驚かせてしまったようで、すみません」
彼女は軽く頭を下げる。
大人びた雰囲気のある彼女は、間近で見ると驚くくらい若く、おそらく僕より年下だった。下手をしたらまだ高校生かもしれない。
一つ一つの些細な動作がこれでもかというほど様になっていて、目を奪われる。でも同時に、何をするでもなく中途半端な自分がなんだか情けなくなってきて、逃げ出したい気分になる。
僕は彼女から目を逸らして、テーブルの上にちょこんと乗ったわさび色のいも虫をまじまじと見た。
「……こいつ、本当にあなたがつくったんですか?」
「何よ! 見せ物じゃないんだからね」
一応周囲の客に配慮したのだろう。テーブルの上のいも虫は声をひそめて言った。
「信じられないと? なんなら、これの設計図、ご覧になります?」
彼女が鞄に手を入れたので慌てて止める。機械音痴の僕が設計図なんか見ても何もわかることなんてないだろう。
「悪かった。信じるよ、信じます。いも虫型ロボットなんて聞いたことなかったし、全然ロボットに見えないし、あまりにもよく出来過ぎてるからさ。あなたみたいな若い人が、こんなにすごいものつくっちゃったなんて、ちょっと想像つかなくて……」
「別に、そこまですごいものでもありません」
彼女は少し困ったように微笑んでカップに口を付けた。ああ、やばいな。こりゃ、やばいな。めちゃくちゃ絵になってるよ。桜よりも、もっと綺麗な絵に……。
「どうかなさいましたか?」
「あっ、いや、何でもないです」
これはきっとチャンスだ。部活もサークルもバイトもボランティアもしていない、つまり日々の生活の中で全くと言っていいほど出会いのない僕が、今、可愛い彼女をゲットするチャンスを掴んでいる。
ぼーっと見とれている場合じゃない。何か楽しい話で盛り上がって、少しでも彼女にいい印象を付けなくては。
「いやー、それにしても本当に良くできてますね、そのいも虫は」
話のとっかかりとして言ってみたけれど、彼女は曖昧に微笑んでうつむいてしまった。
気まずい沈黙の時間が流れる。
いきなり話題選びに失敗してしまったようだと思い、別の話を振るための話題を探し、頭をフル回転させていると。
「……それ、今の私の最高傑作なんです」
ぽつり、とても小さいけれどもよく通る声で彼女が言った。
「実は、これでもまだ未完成で、完成させるには『いも虫型ロボットのための植物型ロボット』が必要なんです」
彼女の口調が微妙に変わっている。彼女はゆっくりと顔を上げ、僕の目を真っ直ぐに覗き込んできた。その強い眼差しに思わず目を逸らしたくなったけれど、必死に堪えて彼女の視線を受け止める。
「変化しない生き物なんて、この世のなかに存在しませんよね?
私たち人間だって、もとは海で発生した微生物でしかない。それが、変化することで……海を捨て、陸に上がり、二足歩行や道具、言語を使用するようになり、知性を付け、気付けばこんなに大きな存在にまで成長しました。
変化なしに、生き物は生き残ることなど出来はしないんですよ。たかだかいも虫でさえ、変化する。
このいも虫型ロボットは『いも虫型ロボットのための植物型ロボット』を食べることで、いも虫から蝶へと形が変化するようにつくりました。これはそこで、変化をして初めて完成品に……」
熱のこもった口調でしゃべる彼女は、ふいにハッとした表情になり、またうつむいてしまう。
「あの、すみません。つい、熱くなってしまって。こんなおもしろくもない話に、興味、ありませんよね」
憑き物が落ちたかのように、声に落ち着きが戻った。
僕は内心ほっとしながらも、こちらも本心から言葉にする。
「いえ、とてもおもしろいですし、とても興味ありますよ」
彼女はうかがうようにちらりと僕を見た。
僕は不自然にならない程度に笑顔をつくり、彼女を見返す。
見返しながら、思う。何かに本気になっている人の真剣な表情と、真正面から向かい合った事なんて、今まであっただろうか。
「とても、おもしろいですよ。ロボットのいも虫が、まるで本物のいも虫みたいに葉っぱを食べて蝶に成長するだなんて」
僕にはないものを彼女は持っている、と感じた。それはたぶん、技術や知識なんてものとはまた違うもの。ある意味、技術や知識なんかよりも、もっともっと手に入れにくいもの。
「そーよっ! 私、意地でも成長して蝶になってやるんだからっ!」
彼女のコーヒーカップの隣で、いも虫がいきなり声を張り上げ自己主張する。
近くにいた店員がちらりとだけこちらを見たけれど、すぐ仕事に戻っていった。
「出来ることなら今すぐにでもそうしたいところだけど……」
彼女はどこか気のない様子で、静かにカップを持ち上げる。
「なにか問題でもあるんですか?」
聞くと、彼女はもぞりと居心地悪そうに身体を揺らした。
「……今まで、私はこれを十一体つくりました」
いも虫型ロボットがうにょりと動く。
「もちろん、『いも虫型ロボットのための植物型ロボット』も、つくりました。十体つくって、十体のいも虫型ロボットに食べさせました。そして……」
一拍おいて、ため息。
「十体全て、失敗しました」
ちょっと恥ずかしそうな、しかしそれ以上にただひたすらに悔しそうな様子の彼女。
これはこれでまたいいと見惚れていたら、耳につくキンキン声に、現実に引き戻された。
「ちょっとあんた、ぼんやりしてるんじゃないわよ! 聞いたでしょ? 困ってるんだから、あんた、何とかしなさいよ!」
「え? いや、それは……」
確かにここで彼女の助けになることが出来たら僕の株はうなぎ登りだろう。
だけど、機械音痴な僕が彼女の助けになるような何かを出来るとは全くもって思えない。……思えない、けれど。
「その、機械は弱いのですが、そんな僕でもよければ、なにかお手伝いできること、ありますか?」
思えないけれど、でも、もしかしたらもしかして、何かできることもないとも言えないのではないだろうか、と思いたい。つまるところ、僕は彼女に格好をつけたいのだ。
驚いたように彼女がじっと僕を見る。
僕は前言を撤回して彼女の視線から逃げ出したいのを必死で堪え、自信のありそうな振りをする。
しばらくして。
「……もしご迷惑でなければ、お手伝いを、お願いしてもいいですか?」
上目使いで、本当に申し訳なさそうな声を出す彼女。
「もちろんです! 迷惑なんてありえませんよ!」
僕は自分がどれだけ不器用なのかも忘れて、内心、全力でガッツポーズを決めていた。
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