第2話



 彼女が僕を捨てた。僕が彼女にとっての最高傑作ではなくなったから。

 彼女は僕に個室を与え、バッテリーの充電だけは忘れるなと命じた。命令を出したと同時に、彼女の中から僕というアンドロイドの存在は消されてしまったようだった。


 彼女の隣にはいつも彼女の『最高傑作』がいた。つい最近まで僕がそうしていたように、彼女の『最高傑作』も、当然そうな顔をして彼女と行動を共にしていた。

 僕は一体、彼女にとっての何番目の最高傑作だったのだろうかと、考えてみる。最高、と言われていたくらいなのだから、僕の前にも何体かアンドロイドがいたはずだった。

 研究所の中でアンドロイドを探し、日々を過ごした。だけど何処にも見当たらない。僕がつくられる前の、最高傑作たち。

 ある日彼女の『最高傑作』は不思議がっていた。彼女は『最高傑作』の疑問にわかりやすく簡潔に答えた。

 ――あれは、お前をつくるために踏み台としてつくったアンドロイドなんだよ。

 彼女の『最高傑作』はなおも不思議がっていた。彼女は『最高傑作』に優しく語る。

 ――そうだね。踏み台をいつまでも残しているっていうのも変な話だよね。必要のないものをいつまでもとっておくとゴミが増えて邪魔だし、近いうちにちゃんとしておくからね。


 僕は、僕がまだ最高傑作であった頃、彼女に尋ねてみたことがある。

 どうしてなんの役にも立たない、何の為にもならない不必要なアンドロイドがここにいるの? と。

 踏み台はいつまでも、とっておいた方がいいものなの? と。

 その会話をした三日後には不必要な踏み台のアンドロイドは姿を消した。


 彼女と彼女の『最高傑作』の会話を聞いたその日、僕は研究所内で数え切れない程の破壊されたアンドロイドが放置されている部屋を見つけ、必要のないものの末路を知った。



 桜の花弁は決して散り急いでいるわけじゃない。

 はらりひらりと、それぞれの花弁がそれぞれのペースで宙を舞っている。ただそれだけ。風がそよぐとそのペースが少し上がり、僕は散っていく桜の花弁に見入った。花吹雪に対して、きれいだと思う。でも同時に、地に落ちた花弁は二度と宙を舞い踊ることはないのだと残念にも思う。

 満開の桜の木にぽつりぽつりと葉が付いていて、ふと、この花弁はじきにすべてが散ってしまうのだと気がつく。ずっと桜が満開のままでいて、舞い散る花を楽しませてくれればいいのにと思った。ほんの一瞬だけ、本気で。

 ――もちろん、そうじゃないからこそいいんだけどね。

 僕は見上げていた視線を下げ、昼間から酒をあおっては騒ぐ花見客の群れを眺めた。来るんじゃなかった、と小声で呟く。

 部活もサークルもバイトもボランティアもしていない、ついでに彼女もいない僕は、かったるい講義を受けている時以外はいつも暇だった。

 今日だって別に桜が見たくてこの公園に来たわけではない。退屈に耐えられなくなっただけだ。

 どこかでイッキコールが上がっている。お前ら本当に成人してんのかよ、と内心舌打ちをした。

 花は確かに綺麗だ。しかし、さっきからどんなに頑張って桜に見入ろうとしても、すぐに花見と称して酒をあおる人の群れの方に目がいってしまう。

 ――帰るか?

 だが、帰ったところで何もすることがない。

 日々が無意味に過ぎている。

 大学生ってこんなもんなのか? 一体、僕は何の為に学生なんかしてるんだか……。

 ため息を一つ吐いて、顔を上げる。桜でも眺めていれば、少なくともその時だけは無意味な時間の過ごし方、ということにはならないだろう。たぶん。

「ちょっとぉ! なにしけた顔してんの? 気分悪いわねぇ……」

 耳についたその声は、人のものではなかった。いくつかのキンキンした音が合わさったような、変な声。

 花見客の持ち込んだテレビの音なんだろうけれど、まるで僕に向かって放たれた言葉のように感じた。

「あら、なに? 無視する気?」

 まただ。

 妙に近くから聞こえる、ような気がする。

 音源はどこにあるのだろう?

「どこ見てんのよ、あんた。こっち向きなさいよ!」

 ざっと辺りを見回すが、それらしきものは見当たらない。

「下よ下、あんたの足下」

 とっさに合成音に従って、視線を落としてみた。そこには若干手入れの行き届いていない芝生がある。……僕は何をしているんだ?

「ここよ。ちゃんと見なさい、ここにいるんだからね」

 目を凝らしてよくよく見ると、確かにそれはいた。芝生の緑にまぎれて、わさび色のいも虫が一匹。

「あら、なによその顔。いも虫は喋っちゃいけない、なんて法律でもあるわけ?」

 合成音が頭にぐわんぐわんと響く。

 なるほどな、と僕は冷静に現状を分析した。

 人はこうして病んでいくわけだ。大学生になり、一人暮らしをスタートさせたはいいが、毎日毎日、何をしているわけでもなく、時間だけが無意味に過ぎ去っていく。このままじゃいけない、なにかしないと、なんてのは思うだけで、結局何もしなかった。で、そのツケがこれってわけか。

「なによ、なんなの? なんとか言いなさいよっ!」

 言葉に合わせて、いも虫がくねくねと動く。

 頭がぼんやりとしてきた。こんな時、どう対応すればいいのだろうか。

「見つけた。何してるの、そんなところで」

 困惑している僕の後ろから、女の子の声がした。少し低くて、そのくせよく通る声。いも虫はその声に反応する。

「食べられる葉っぱがないか探していたのよっ! 悪い?」

「自然の植物なんて食べられるわけがないでしょう? そんな風にはつくってないんだから」

 恐る恐る、振り返る。

 声は普通に女の子の声だけど、背後にいるのは本当に人間なのだろうか。振り返って、そこには誰もいなくて、足下にまたいも虫がいた、なんてことになったら、僕は一体どうすればいい?

 一陣の風が花弁を舞い上げる。

 ああ、幻聴の次は幻視ってわけね。春の淡い風景の中、風にじゃれつかれて乱れる長い髪とスカートを彼女は片手ずつで軽く押さえている。たったそれだけの動作なのに、思わずドキリとしてしまう。

 目が合った。彼女は薄ピンク色の唇を開き、言う。

「こんにちは」

 花吹雪の中心に、ふわりと微笑む女神が立っていた。


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