episode29 「術士」

 タルカナ周辺の潮の流れは特殊だ。海流や月の満ち欠けなどに関係なく、ある一定の周期で変化する。

 三つの島は干潮になるとひとつに繋がる。それは約一日ほど続いて、元に戻る。島と島の距離は、馬の脚で二時間くらい。船で渡ることは考えてはならない。異常なほど早い海流に押し戻される。一旦外海まで出て、海流の影響が無い所からなら可能だが、最低でも三日はかかる。

 彼らはその三日をかけてタルカナ島にやって来たようだ。

 海上で海賊船と合流して。


 狙う相手が少女だと聞いて、最初は眉を細めたが、アーマンとプレ・ナの子だと分かり、態度が一変した。


 本当に殺していいのか?


 問いかけにラズは微笑んだ。

「準備は整った。もう彼女は必要ない。むしろ邪魔だね」


 十年前、大陸に渡った術士のラズが戻ってきた。彼はこれまでの成果を語り、ヌザイ族は閉鎖的な環境から抜け出せると歓喜した。

 大陸の繁栄は、我ら三大部族の力があったからだ。それを忘れた者たちに、今こそ指し示す時がきたのだ。

 イナハンはほぼ制圧している。そこを拠点に、大陸全土を支配する。

 タルカナ族は賛同しないだろう。障害となるなら潰す。マリナラ族は問題ない。島に残った者たちに本来の『力』はないし、大陸に渡った者たちは、放っておいても滅んでいく。


 ・・・・現在。

 イナハンが崩壊した。

 大陸に残していった三人の仲間。ロズとサロワを失うことは予想の範囲内だった。それ以上は無いと思っていた。

 イリリは誤算だった。可能性はあったが、どこかで安心していた。

 軌道修正の必要がある。

 キースは島に渡って来るだろう。

 ようやく種が芽を出し、次へと進める段階だ。邪魔はされたくない。

 しかし、もうひとりの自分が囁く。


 キースはどこまで成長するか。

 彼女ならば、本来の『力』を取り戻すのではないか。


 見てみたい。

 葛藤が決断を鈍らせる。

 動向を確認したい。殺せと命じたが、五人がかりでも難しいだろう。彼女の力量を測るには丁度良いと思う。

 念のための細工は施した。

 少し考える時間が欲しい。



 唸る。

 風圧だけで倒れそうになる。

 鉄槌を振り回しているだけ。隙だらけだ。踏み出そうとすると、後から嵐のような風がやって来る。

 巨漢にしては動きが早い。

 一歩でも遅れると次が襲ってくる。この鉄槌は当たれば終わりだ。

「どうした、避けてばかりじゃ倒せんぞ」

 ガンガ。

 きっと挑発的なことを言っている。

 視界の隅で、何かが動いた。

 矢が飛んでくる。

 ガンガが振り上げた腕に命中。彼の動きが止まった。

 一気に踏み込んで剣を振る。

 刀身を掴むつもりなのか、ガンガは片手を出す。

 振り抜けなかった。

 信じられないことに、ガンガは刀身を素手で掴んでいた。

 足で蹴られた。咄嗟に肩を突きだしたが、勢いは消せなかった。飛ばされて転がる。膝をついて起き上がると、ガンガは手にした剣を捨てて、横を向いていた。

 屋根の上。

 矢を射ったキースがいる。彼女の矢は、ガンガの肩に刺さっていた。

「緑の髪。お前がキースか」

 矢を射つ。

 横風、空気抵抗を無視した軌道。

 払おうと振った腕をすり抜ける。鉄製の防具が無い部分、鎖骨あたりに刺さる。

 タルカナ族の戦士が使っていたのと同じ弓矢。一本も刺さらなかったのに何が違う。

 もう次を構えるキース。

 弓のしなりが違う。矢を離した瞬間の初速が違う。

 また払おうとして腕を上げる。

 寸前で軌道が変わり上腕を貫通する。

 キースの射つ矢は、鉄の防具も貫く。

 笑うガンガ。

「俺の身体に傷をつけるとは、何て楽しい奴だ。戦いはこうでないとな!」

 屋根上のキースに向かって歩き出す。


 剣を拾って追いかけようとしたヴァサンの足が止まる。

 セドが立っていた。

「アンタの相手は俺だ」

 背中の槍を持つ。

 二本の槍を使うのが彼の戦術。

 ガンガほどの威圧感はない。

「こっちはこっちで、楽しくやろうぜ」

 槍を脇腹に挟んで突進してくる。

 構えるヴァサン。

 右腕の槍は剣で軌道を変える。左腕の槍は穂先をかすめながら、柄に身体を当てる。

 振り上げた剣。

 セドは槍の柄を交差させて止める。

 体重差を感じさせない圧力。ヴァサンはセドに押し返される。

 長物の武器を器用に扱う。

 空中で反転。左腕の槍の横凪ぎ。剣で受け止める。右腕の槍の突き。片足を前に踏み出し姿勢を低く。肩で柄を押し上げる。

 間合いに踏み込んだが、セドの反応は速い。跳躍して後退する。

「やるな、大陸の戦士。俺の名はヌザイのセドだ。お前は?」

 問う。

 言葉は分からないが、名前を名乗れと聞かれていると思った。

「ヴァサンだ」

 笑みを浮かべるセド。

「ブァ、ヴァサンか」

 背筋を伸ばし、槍の石突いしつきを地面に着けた。

「こんな出会いでなければ、酒でも酌み交わしたいところだが。悪いな、大義のためだ。死んでくれ」


 この男は、自分の信じる正義のために戦っている。言葉は分からないが、彼なりの誠実さが伝わってくる。

 きっと良い奴なんだろう。

 だからこそ本気で戦う。

 ヴァサンにも正義がある。

 コンサリを救い出すまで、死ぬわけにはいかない。

 キースを狙う者には、全力で立ち向かう。

 下段に構えた剣。

 感触を確かめるかのように、柄を握り直した。



 空になった矢筒を捨てる。飛び移った屋根から新しい矢筒を拾う。

 射つ。

 初動の速さが並みではない。

 軽々と鉄槌を振り回すガンガの腕をすり抜けて、太腿に突き刺さる。

 矢尻は、そのまま引き抜くと傷口が広がる形状だが、ガンガはお構い無しに抜く。

 よく見ると、傷口の出血はすぐに止まって、傷が塞がっている。魔法なのか、体質なのか。どちらにしても、矢では致命傷は与えられない。

「どうした。俺が怖くて降りられないのか?」

 屋根上のキースに問いかける。

 動じない。

 また矢を射つ。

 頭を狙ったが鉄槌で弾かれた。腕や足より警戒している。

 ガンガとの距離を保つため、後退しながら矢を射っていたが、キースは足を止めた。

 ゆっくりと弓を引く。

 つるを離した瞬間、矢が消えた。

 ガンガの足が止まる。

 下を見ると、キースの射った矢が足の甲を貫いて、地面に刺さっていた。

 引き抜こうと身体をかがめる。

 もう一方の足も同じように矢が貫いた。

 ヤナベが走り寄ってくる。

「首を狙え!」

 キースが叫ぶ。

 ヤナベは走りながら刀を抜く。

 跳躍。

 助走と滑空からの振り下ろし。

 狙い位置、角度、剣速。全てが完璧。

 屋根の上で、キースが笑みを浮かべた。

 血糊を払い、納刀するヤナベ。ガンガの首が落ちた。



 砂浜。

 黒いローブを着たヌザイの術士。

 息絶えた身体の一部、手首が淡く光っている。


 ヤナベが走り去った後。

 警戒を続けながら、怪我人の治療や船の鎮火作業に走り回るタルカナ族。

 腕と首を斬られた双子の姉妹。

 四散した身体が、足を使い手を使って、集まろうとしている。

 手首と足首が淡い光を放っている。



「おいおい、嘘だろ」

 ヤナベがこっちに向かって走っている。砂浜のほうからは、外套を着た女。

 ナナウも殺られたのか。

 これはさすがにマズい状況だ。


 ラズから受け取った奥の手。

 使うしかないのか・・・・


 槍を突き出すセド。

 足と体重移動をしながら、最小限の動きでかわすヴァサン。初めに比べて余裕が感じられる。

 慣れてきている。

 長物の攻撃は単調だ。どうしても直線動作が多くなる。間合いを詰められるのも時間の問題だ。

 振り上げた剣を距離を開けてかわした。

 セドは今しかないと思った。


 ヴァサンもヤナベも、ほとんど同時に動きが止まった。感覚が鋭くないセドさえも、何か不吉なものを感じた。

 ヤナベに近づく緑の髪の少女。

 あれがキースか。

 村のほうを向いて、ヤナベと話している。こっちはこっちで、ヴァサンと樹林から出てきた外套女と背を向けている。


 何が起きている?


 キースに尋ねたが返事が返ってこない。じっと、来た道を見つめている。

「これは、ノマだ」

 キースが言った。

「ノマ?」

 大陸にいる魔物か。

 何処からともなく現れて、人を襲う存在。魔力を嫌うため、街には魔法柱プレ・コアがあり、旅人は魔法石の欠片を持って移動すると聞く。

 この島にはいないはずだが・・・・


 そこに、双子の姉妹と巨漢の男が立っていた。

 カサロフの後ろに黒装束の女。

 斬り落とした腕も頭も元通りになっている。

 状況が飲み込めない。

「どうなっている?」

 不安な気持ちが声に出る。

 キースは背負っている布袋から、コルバンの刀を取り出す。

「これを使え」

 受け取る。

 刀の重さも柄の感触も違う。特別な刀かもしれないが、不安は消えない。

「お前の刀では倒せない」

 キースを見る。

 不思議と気持ちが落ち着く。

「それに、相性が良いはずだ」

 穏やかな表情は一瞬、すぐに横を向く。

「ヴァサン、カサロフ。そっちは任せた!」

 ヴァサンと合流したカサロフが手を挙げる。

 セドは眼中に入っていない。


 意思は無い。本能のまま、与えられた目的のため動いている。そう感じた。


「狙いは私だが、独りでは無理そうだ。力を貸して欲しい」

 キースが言った。

「もちろんだ」

 顔を向けると、彼女の澄んだ瞳が待っていた。


 何だろう、この感じ。

 身体の奥から自然と力が湧いてくる。

 キースの言葉には、魔法が込められているのだろうか。


「お前は二人組のほうを頼む」

「それは構わないが、ガンガは手強いぞ。独りで大丈夫か?」

 微笑むキース。

「鉄槌使いには慣れている」

 言葉の意味は分からなかったが、彼女なら大丈夫だと思った。

 目配せして離れる。

 ガンガも双子姉妹も、キース目掛けて足を進める。

 ヤナベは受け取った刀を強く握った。



「そこの槍使いさん」

 大陸の術士に呼ばれた。

 こちらを見ていたので、話しかけられたと理解する。

 樹林から現れたヌザイの術士、ナナウを指差す。

「あなたが立派な戦士で、正義をお持ちならば、次に何をすべきか分かりますね?」

 言葉が分からなくても伝わるものがある。

 この状況で、大陸の者たちと敵対するのは無意味だ。

 身体を揺らしながら近づくナナウ。

 肌は死人のように青白く、低いうめき声を上げている。とても正気とは思えない。


 ラズの奴、初めから俺たちを捨て駒にする気だったな。


 セドは槍先をナナウに向けた。

 ヴァサンの横に並ぶカサロフ。

「輪具の力で蘇生したようですが、ナックのものとは違うようです」

 両手首に淡く光る腕輪を確認する。

「あれを壊せばいいんだな」

 ヴァサンが言った。

 うなずくカサロフ。

「今の私では、足止めくらいしか出来ません。その隙に何とかして下さい」

 気合いの入ったひと声。

 セドが飛び出した。狙いは胸元。

 鋭い槍の一撃。

 ナナウの動きは鈍い。ゆっくりと片手が上がっているが、それでは防げない。

 普通ならば。

 走力を加えた槍の一撃を、ナナウは片手で受け止めた。

 押し返された衝撃を、上半身を使って逃がし、もう一本の槍を振り下ろす。

 穂の部分が片刃で反りがあり、突くより斬るに向いた槍だ。

 ナナウの首に命中した。

 斬り抜く勢いが止まった。

 ナナウの手が刺さった槍を掴む前に、セドは横に飛んだ。

「アターカ!」

 カサロフの魔法。

 魔力の針がナナウの動きを鈍らせた。

 ヴァサンが消える。

「瞬動」は、希薄な魔力で目標の半分も届かない。

 走る。

 振り下ろした剣は、ナナウの腕を斬り落とした。転がる両腕。間を開けず、セドの槍先が手首の輪具を貫く。

 戦術を計画したような連携。

 ナナウはうめき声を上げて全身を震わせた。同時に身体の形が崩れて、砂のように粉々になった。

 人が人でなくなり、絶命した末路。「ノマ」に似た最後。


 カサロフが膝をついて座っているヴァサンに近づいた。

「休んでいる暇はありませんよ。キース様の加勢に向かいます」

 ヴァサンは剣を支えに立ち上がる。

「分かっている」

 ひと言。

 二人は村のほうへ向かった。



 ナナウは術士だ。

 魔法が無ければ、体術も剣術も脅威ではない。肉体の限界を超えた能力を発揮しても、戦士には敵わない。

 しかし、生粋の戦闘士はどうか・・・?


 ヤナベは苦戦していた。

 双子の姉妹、アポスとイリス。見た目は変わらないのに、今までと剣筋が全く違う。

 稚児が初めての武器を振り回しているような動き。なのに受け身しか出来ない。

 恐ろしいほどの剣速。

 面の取れた二人に表情は無く、何か別の意思で身体を動かされているように感じる。

 手にした得物は慣れない刀。

 抜刀する間もない。


「眼だけに頼るな、お前なら大丈夫だ!」

 キースの声。

 振り向く余裕もないが、何故か心が落ち着いた。

 考えるより先に身体が反応した。

 突き出した細身の刀身をすり抜けて距離を詰める。親指で押し出された刀がヤナベの右手に吸い付く。

 抜刀。

 姉妹は左右に飛んだ。

 アポスの動きが少し鈍い。

 踏み出した右足を支点に、ヤナベは身体を捻る。

 キースの動きを見て覚えた、地面を滑るような大きな一歩。

 振り下ろす。

 アポスのしなやかな動き。こちらを向いていないのにかわされた。視覚ではなく、気配で動いているらしい。

 背後にイリスが迫っているのを感じ取る。

 この体勢で一撃を与えられるか。

 刀は、剣のように力任せに振っても意味がない。姿勢、持ち手、角度。そして最も大事な「精神力」。全て揃って初めて能力を発揮する。

 キースは全て持っている。

 今までの鍛練とキースの教えが融合する。

 アポスが有り得ない姿勢から細身の剣を突き出した。

 背後のイリスも突っ込んでくる。

 ヤナベに追い込まれた恐怖はなく、むしろ冷静に二人の動向を分析する。

 不思議な感覚。


 何だろう・・・

 二人の動きの先が見えているようだ。

 何をどうすればいいか、頭が理解して自然に身体へと反映される。

 姉妹の動きが、剣の軌道が、そうなると解っている。

 刀の峰を使ってイリスの刀身を受け流す。

 アポスの突きが肩をかすめる。

 摺り足で開脚。刀を振り上げる。

 アポスの片腕を断つ。

 姿勢を低く、刀を引く。

 イリスの後ろ。

 振り幅は少ないが、全身の力が刀に乗っている。

 首が飛ぶ。

 両手で柄を持つ。

 アポスは、剣を持っていた腕が無くても迫ってくる。

 まだ終わらない。

 首や腕を斬っても、人でない姉妹は止まらない。

 狙うのは手首の輪具。

 あれを破壊しない限り何度でも再生する。

 ヤナベは、アポスの正面に立ち、正眼に構えた。



 ・・・渡航前のある日。タギクネ村。


 サバサンは、キースの話を聞きながら、刀の吟味をしていた。

 状態を見れば戦況のほとんどを理解出来るのだが、キースの場合不確定な要素が多く、予想と正解の答え合わせをしていた。

 刀身を見終えると、今度は分解を始めた。

 ガガルの刀と「魔刀キース」。

 鍔と柄、手際よく刀身から外される。


 キースの話と、サバサンの作業が終わった。

 ぬるくなった飲み物を飲むキース。

 サバサンは腕を組んで、二振りの刀をじっと見つめていた。

「兄弟だからか、師匠が同じだからか・・・」

 何を思っているのか、キースには分からない。

「お前、刀身から魔力やそうでない「力」が飛ばせるのは、何故だか考えたことがあるか?」

 問われる。

「いいえ」

「・・・だろうな。普通は鍛練を積まないと出来ない。お前はガガルの技を見て、その仕組みと術を理解し、刀から「力」を飛ばすことが出来た」


 超人過ぎて理解できん。


 サバサンは分解した柄をふたつ手にした。

「体内に蓄積した『力』を、刀身に伝達しやすく作られているのが、ガガルの刀の柄。刀身が邪気や生気などを吸い込んで、それが身体に悪影響を与えないように作られているのが、「魔刀キース」の柄。多少の影響はあるがな」

 あれで多少なのか。慣れるまでにかなり時間がかかったが、と苦笑するキース。


 柄紐に秘密があるようだが、サバサンでも分からないらしい。


「・・・そして、この柄は、入れ換えても寸分違わず刀身に当てはまる。この意味が分かるか?」

 また問われる。

 兄弟とはいえ、違う時代の別の場所で鍛えた刀の柄が同じ形をしている。凄いことなのだろうが、彼の問いの真意はそこではない。

 嘆息するサバサン。

「愚問だな」

 分解した刀を組み立て始める。

「魔刀キース」にガガルの刀の柄。

 見事なくらい当てはまる。サバサンが座りながら軽く振っているが、がたつきもなさそうだ。

「これでお前の『力』は十分発揮されるはずだ」

 キースを見るサバサン。

「あとはお前次第・・・」

 彼の瞳は、キースの心中を見透かしているようだった。



 唸る。

 地面全体が揺れる程の衝撃。

 鉄槌の一撃は災害のようだ。

 輪具の力によって、人型のノマとなったガンガは、肉体の限界を度外視して迫ってくる。

 キースは彼の強襲にただ後退するだけ。

 鉄槌の連撃には隙がなく、抜刀する間さえない。

 追い込まれている。

 彼女は攻撃に耐えるので精一杯。

 あの一撃を食らうのも時間の問題。

 村人の誰もがそう思っていた。

 だが、キースの表情に焦りはない。周囲に注意しながら、戦士たちや村の女子供たちに、離れるよう指示している。

 家の密集した狭道を、ガンガは何も破壊せずに進む。

 建物を破壊させずに、人の少ない広場へ。

 彼女はガンガを誘導しているのか?

 だとすれば、ヤナベが一目置いているのも納得できる。


 広場に出た。

 キースは一瞬で状況を判断。村人たちが安全と思われる場所まで離れていることを確認する。

 屋根の上で弓を構える戦士たちを制止する。

 恐怖より興味が強い子供たちが飛び出さない。

 何かを感じている。

 親たちも同様。

 この瞬間を見逃すまいと、瞳だけが力強く輝いている。


『魔刀キース』。

 斬れないものが斬れる刀。

 彼女のためだけに鍛えられた逸品。

 鞘を支持する右手に力が入る。

 ガンガの動きが止まった。本能がキースから何かを感じ取る。

 一瞬だけ。

 輪具の力と、術士の『暗示魔法』が危機感を上回る。


 大丈夫・・・なのか?


 問いかける。

 右腰の刀は答えない。

 それは自身への確認。

 はるか頭上の鉄槌を見ながら、指で止め金を弾く。

 柄を握る。

 鉄槌を細身の刀で受けるつもりか?!

 絶対刀が折れる。そのまま人も潰れてしまう。

 振り下ろされる。一歩前へ。

 抜刀と同時に横へ大きく移動する。

 地面に大穴を開ける鉄の塊が、軌道を外れて減速。あの衝撃に耐えられる太い柄だけが地面を叩く。

『魔力キース』は鉄槌の柄を斬った。

 ガンガは止まらない。

 すぐにキースを追う。

 柄を武器に、彼女めがけて振り回す。滅茶苦茶だ。鍛練の成果など微塵もない攻撃。

 キースは動じない。

 足を使った体重移動。刀の峰を使って柄の軌道を変える。

 動作に洗練さを感じる。


 ・・・ラトカ


 村人の誰かが呟く。

 美しい、という言葉。

 キースのしなやかな動きは、人種に関係なく見た者を魅了する。

 柄を振り下ろすガンガに合わせて、キースは大きく一歩踏み出す。

 低く構えた姿勢。振り上げた刀の軌跡。

 ガンガの腕が飛ぶ。

 背を向けて刀を鞘に納める。その場で半回転。前のめりになったガンガの後頭部に回し蹴り。

 鉄槌の一撃より強い振動。ガンガが倒れる。

 腰にまわした両腕。短剣を掴む。

 斬り落とした腕への投てきと倒れたガンガの腕の貫き。一連の動作に無駄がない。

 手首の輪具が割れる。

 ガンガの身体が黒く変色して砂となる。

 絶命を確信して、短剣を腰の皮鞘に納める。左手を地面に刺さった短剣にかざす。すると、意思あるもののようにゆらゆらと揺れて、キースの手に吸い込まれた。

 魔法でない『力』。

 横を向く。

 視認は出来ないが、ヤナベはまだ対戦中のようだ。

 キースは彼のいる方へ走った。



 これが本来の実力なのだろう。

 アポスとイリス。息の合った連携はないが、剣速、身のこなし、全てが上回っている。腕を斬り落としたまではよかったが、 それ以上追い込めず、防戦で手一杯だった。

 細身の刀身が何度も身体をかすめる。

 この距離を保っているのは、魔力を集めるこの刀のおかげ。

「ノマ」は魔力に弱い。

 ・・・背後に気配を感じる。

 緊張が安心に変わってしまいそうだった。


「どうした、遊んでいるのか?」

 ごく自然に、ヤナベの前に立つ。

 抜刀はしていない。

 彼女は姉妹の動きに合わせて、そしてヤナベの視界を遮らないよう、二人の攻撃に対応した。

 理解する。

 キースは加勢に来たのではない。

 ヤナベに戦いかたを教えに来たのだ。

 足の運びかた、重心の移動。彼だからこそ、おごらないヤナベだからこそ、キースは支援を考える。

 そして、ヤナベはそれに応えることが出来る男だ。

 ヴァサンとカサロフが視界に入る。

 あちらは片付いたようだ。

 ヤナベは柄を握り直す。

 キースの後退と、ヤナベの前進は、ほぼ同時だった。

 二人に言葉は必要ない。

 姉妹が突き出した刀身は、ヤナベを捉えることが出来ない。

 軸足の踏ん張り。刀身の角度。キースの笑みが成果の答え。

 腕が飛び、首が飛んだ。

 輪具の破壊。

 キースの短剣とカサロフの魔法が援助する。

 ヤナベは刀を鞘に納め、自身の両手を見つめる。

 不思議な感情。

 これは高揚感なのか?

 キースを見る。

 彼女の微笑みは、ヤナベの心を大きく揺らした。



 セドは槍を捨て両手を広げた。

 彼を囲むタルカナの戦士たちを見回して微笑む。

「戦うつもりはない。好きにしろ」

 どこかへ連れていかれるセド。

 彼の処分は族長の判断に委ねられる。

 キースを中心にヤナベやカサロフ、ヴァサンが集まる。

「船を貸して欲しい」

 キースが言った。

 全員が彼女の意図を理解する。

 外海にはまだ海賊船が停留している。

 ヤナベは顔をしかめる。

「漁に使う小舟があるが、近づけるかどうか・・・それに、向こうには大砲があるぞ」

 キースの表情に迷いはない。

 感情が高まる。

 やる気だ。

「ヌザイ族が乗ってきた小船が浜にあります。それを使えばいいと思います」

 カサロフが言った。

 うなずくキース。

 ヤナベを見る。

 同行しろ、という顔だ。

 ヴァサンが何か言いかけたが、カサロフに止められた。

「ここは二人に任せましょう。私たちは怪我人の治療や救援を」

 ヴァサンを引きずるように連れていくカサロフ。

「おい、待て。あの二人だけでは危険だぞ・・・」

 嘆息するカサロフ。

「全く。あなたはどれだけ鈍感なのですか?」

 さらに顔をしかめるヴァサン。

 振り返ったカサロフは、走り去る二人を、見えなくなるまで見送った。



 船員の叫び。

 迫る小船。

 船長の顔色が変わる。

 着ている服は上質だが、中身はどうか。

 火薬が濡れて砲撃が止まった。

 風が急に止んで、外海へ移動出来ない。

 揺れる船からの弓矢は奇跡の命中率。

 小船から射たれる彼女の矢は、回避出来ない命中率。

 船員に何度も呼ばれる。


 俺に聞くな。

 あの女は嵐よりも怖い。


 船上からの攻撃虚しく、キースとタルカナ族の戦士が目の前に立っている。

 武器を持って構える男たちを見回すキース。彼女の実力を知っているだけに、全く勝てる気がしない。

「抵抗しなければ殺さない。だが、タルカナ族がお前たちを生かしておく保証もない」

 キースが言った。

 船長が前に出る。

 背筋を伸ばし、必死に威厳を保とうとしている。

「俺たちにも海賊としての誇りがある。このまま降参など無い。返り討ちだ」

 男たちから怯えが消えた。

 覚悟を決めた顔。

 キースは『そうか』、とひと言。

 右腰の鞘に手をかける。

 留め金を指で弾き、鍔を押し出すと同時にゆっくりと抜刀する。

「ならば、私は全力で戦う」

 身体が勝手に震える。

 武器を持った彼女の圧力は、二日前に会った時と比較にならない。

 そして、恐怖とは別のこの感情。

 彼女の立ち姿は美しく、あの刀で斬られたいと思ってしまうこの感情は何なのか。

 海賊たちは大声で叫び、その奇妙な感情を消そうとした。



 ヤナベは顔をしかめた。

 目の前の光景をうらやましく思う自分をかき消す。

 キースたちのために用意した寝家。

 ヴァサンとカサロフが部屋の隅に追いやられ、子供たちがキースを取り囲んでいる。

 初めて作った弓矢、装飾品、狩りをした話。彼女に褒めてもらおうと必死だ。

 この島では、強い者が尊敬され崇められる。キースの戦いぶりを目の当たりにしてから、村の者たちの態度が変化した。

 遠慮のない子供たちは、忙しい親たちを理由に、キースから離れない。

 言葉の壁など関係ない。彼女に認めてもらおうとする熱量は、十分伝わっている。


 死者も出ている。家屋も壊れて大変な時に・・・


 一喝してやりたかったが、親を亡くした子が笑っているのを見て、気持ちを落ち着かせる。


「キース」

 ヤナベが言った。

 笑みを浮かべた顔がこちらを向く。

 心が揺れる。

「族長が話をしたいと言っている」

 カサロフたちにも目を向ける。

「分かった」

 立ち上がろうとするキースに抱きつく子供たち。

「すぐ戻ってくるから」

 頭の上に軽く手を乗せる。ひとりひとり。しっかり目を合わせて。

 腕や脚に抱きついていた子供たちが離れる。

 不満顔の子はいない。

 キースの気持ちを理解して納得したようだ。

 それとも、何か特別な「力」か・・・


 族長の家。会議用の部屋に通される。

 一段高い床の椅子に座る族長。横にはヤナベと術士のサヒヒ。

 キースたちがラグに座ってすぐ、ローライもやって来た。彼はサヒヒの近くで膝をつく。

 あいさつ程度しか言葉を交わしていないが、ローライは弓の名手だとヤナベから聞いた。

 キースに声をかけて、カサロフが前に出る。

「私たちが来たことで、皆さんにご迷惑をおかけしました。ラズのことを甘く見ていました。どうお詫びすればよいか・・・」

 族長がヤナベに話しかける。

 うなずいて、キースたちに目を向けるヤナベ。

「ヌザイ族とは昔から争いが絶えなかった。話し合いをせず、放置していた我々にも責任がある。むしろ、被害を最小に留めてくれたことに感謝している」

 一礼する四人。

 キースたちも頭を下げる。

 族長が話す。

 視線がキースに向けられている。

 言葉は理解出来ないが、ヤナベの表情が気になる。彼の目線は、族長とローライを何度も行き来する。

「キース、お前は・・・」

 感情が先行してしまった。

 下を向いて深い息を数回。彼の動向に注目するキースたち。

「ローライはマリナラ族の血を引いている。そして、彼には特別な『力』がある」

 ヤナベが言った。

 キースたちの視線が集まり、ローライは顔の半分を覆った髪を掻きあげた。

 右目の色が違う。

 海のように青く、宝石のように輝いている。

 ・・・なんだろう。

 彼に見つめられると、心の中を覗かれているようだ。


「キース・・・ひかり・・・王の光り」


 同じ言語で伝えたかったが、断念してヤナベに話しかける。

 うなずくヤナベ。

「約百年前、マリナラ族のほとんどが大陸へと渡った。主導者だった王族は、唯一血統を守り続けていた。キース、君は王族の血を受け継いでいる」

 そして、もう一つの真実。


 プレ・ナは数百年に大陸へ渡ったマリナラ族だ。


 元は人である、とは判っていた。大陸の人種とは違うものを感じていたが、なるほど、と納得する。

 この島で高度な文明を築いたが、地殻変動で土地を失い、大陸へ渡って特殊な進化を果たした。

 そういうことか。


 約百年前、大陸へと渡ったマリナラ族は、後に『戦闘民族』と呼ばれた。その中でも、王族には特別な『力』があったという。

 魔力とは別の、不思議な『力』。

 キースのような説明がつかない『力』。

 つまり、父親のアーマンは、王族の血を受け継いだマリナラ族。

 母親であるコンサリはどうか。

 数百年ぶりに「魔法樹」から産まれた彼女は、人に近い姿をしたプレ・ナ。

 プレ・ナも元は人であり、マリナラ族の祖先。恐らく彼女も王族の血統なのだろう。

 私はどうか・・・


 カサロフは、前かがみになった身体を起こして深い呼吸を一回。ゆっくり目を閉じた。

「コンサリと私が精神を交換できたのは、私がマリナラ族で、波長の合う何かを持っていたのでしょうね」


 両親も祖父母も、カサロフの知る限りの家系に魔法使いはいない。もっと前の世代、数百年前に大陸へ渡ったマリナラ族の血筋を引いているのかもしれない。

 王族かどうかは分からないが、ローライに見えないなら、違うのだろう。


「コンサリには、未来を視る能力がありました。どのくらい先が視えていたのか分かりませんが・・・」

 横にいるヴァサンに目を向ける。

 ヴァサンは顔をしかめる。

「なぜ俺を見る?」

 問いかけに微笑みだけ返す。


 コンサリがヴァサンでなくアーマンを選んだのは、キースという存在が未来に必要だと分かっていたから。


『色々面倒かけるけど、あなたしか頼めないから』


 あの時の言葉の意味を、ようやく理解する。


「私の血筋がどうであれ、やる事は変わらない」

 キースが言った。

 彼女の言う通り。

 家系を思案しても、進捗が速まるわけではない。

「ヌザイ族と話して、目的を知りたい」

 キースの言葉を聞いて、腕を組むヤナベ。

「海賊の生き残りや槍使いに聞いても、真実には届かないだろうな」

 小声でつぶやいて、キースの言葉を族長に伝える。

 族長のバザ厶は、ローライとヤナベを近くに呼び寄せ、何かを話した。

 一礼して立ち上がるヤナベとローライ。

「族長からヌザイ島へ渡ることを許された」

 ヤナベが言った。

「二日後、『奇跡の道』が現れる。それを使えば馬で渡れる」

 この辺りの特殊な海流。定期的に潮が引いて、沈んだ陸地が島を繋ぐ。

「感謝いたします」

 カサロフ。

「では二日後、ヌザイ島に渡ります」

 それと・・・

 と、カサロフはさらに言葉を続けた。



 早朝から日没まで、ほとんど休まず復旧作業が行われた。

 死者たちの弔い。

 崩壊した建物の再築。

 キースたち、イナハンの船員たちも作業を手伝う。

 悲惨な状況だ。

 重苦しい雰囲気になって当然。

 なのに、タルカナ族たちの笑顔が絶えない。顔を上げて目を向けると、何故だか気持ちが楽になる。そこには必ず異国の少女がいる。

 子供たちに囲まれながら、残骸の撤去作業をするキース。

 微笑ましい姿に、彼女の美しさ。それだけが人々の心を動かしているのか。  

 否。

 キースから自然に溢れる『気』のようなもの。それが落ち込んだ気持ちを和ませ、笑顔にしているのだとヤナベは思った。

 

「コンサリに似てきましたね」

 カサロフが言った。

 慌てて作業を再開するヴァサン。

「彼女がいるだけで、暗闇に光が差し込んだように明るくなって、みんなが笑顔になる。キース様にも同じものを感じます」

 背中を向けるヴァサン。

「キース様は、まだこの時代に必要な存在です。コンサリを救い出し、キース様を大陸へ帰らせましょう。そのためなら、私の命など惜しくはありません」

「ふん・・・そんな事当たり前だ」

 となりいるカサロフさえ聞こえないような小さな声。

 カサロフはヴァサンに向かって何か言ったが、無邪気な子供たちの声でかき消されてしまった。


 日が沈むと、キースたちは集会場に集まり、渡島の計画を練った。

 ヤナベをはじめ、数名の戦士の同行の許可を族長にもらった。加えて、ヌザイ島の戦士セド、海賊の生き残りの解放。彼らを人質としてヌザイ島へ連れて行く。反対する者もいたが、交渉を少しでも有利に運ぶためだと納得させた。

 そして、カサロフの提案。

 渡島は二手に分かれる。

 ヌザイ島とマリナラ島。

 ヌザイ族の今後の動きが気になるし、ラズが拠点としてマリナラ島にいる可能性も探りたい。結果、同時期に行動することを提案した。

 術士ラズには何度も先手を取られている。二手に分かれることで、注意を分散させようという考えだ。


「危険だ」

 キースが言った。

 そう言われることは分かっていた。

「大丈夫です、とは言い切れませんが、ヴァサンがいますし、タルカナ族の方も協力して下さいます。ラズの戦力は未知ですが、国の兵団ほどではないでしょう」

 ヌザイ族との交渉が終わり次第、キースもマリナラ島へ向かう。それまでは無理せず潜んでいると、彼女を納得させた。



「独りで抱えるな」

 夜明けにはまだ早い星空の下。

 ヴァサンの声が後ろから聞こえた。

「何を考えている?」

 問うヴァサン。

 寝家から少し離れた場所。振り向いて、ヴァサンの後ろを見るカサロフ。

 キースがいない事を確認していると思った。

「アイツの事を考えているのか?」

 問いかけて横に並ぶ。 

 満天の星空。心地よい潮風。男女で過ごすには最高な雰囲気だが、カサロフの気持ちは重く沈んでいた。

 

 アーマンもいる・・・

 ラズに賛同して、新たな国造りを始めている・・・


 コルバンの言葉が何度も浮かぶ。

「アーマン様は何年も前に、この島へ来ているのに、何も変わっていない・・・」

 考えられる理由はふたつ。

 ラズに殺されたか、仲間となっているか。 

「お前、マリナラ島へは遺跡の調査とか言っていたが、本当はそこにアイツがいると思っているだろ」

 ヴァサンが言った。

「マリナラ族の起源ですからね。遺跡には古い文献も残っているそうですし、何かを始めるにはもってこいです」


 私がラズならそうする。

 ラズを追うならそこに行く。


「あり得ない事ですが、アーマン様がラズの仲間となっていた場合、キース様と親子対決などの事態を避けなければなりません。その時は、ヴァサン、頼みましたよ」

 嘆息するヴァサン。

「無茶言うな。あの魔法使いでさえ敵わないのに・・・」

 カサロフに見つめられている。

 暗がりでも覚悟が伝わってきて、ヴァサンは閉口した。

 弱音を吐く雰囲気ではない。

「頼みましたよ」

 念押しされた。

「俺は、コンサリを救うために来た」 

 背を向けて、寝家に向かう。

「必要なら、アイツだろうと魔法使いだろうと、何とかしてみせる」

 去り際にヴァサンが呟く。それは自身を鼓舞するための言葉。

 カサロフは星空を見ながら微笑んだ。



 初めての感情だった。

 同時に、疑問と受け入れようとする自分への戸惑い。

 チコはなかなか寝付けない夜を過ごしていた。

 無理矢理目を閉じる。

 浮かぶのは、大陸から来た同年代の子。

 緑色の髪に澄んだ瞳。程良い厚みの唇。

 吐息が漏れる。

 武装していても分かる豊かな胸。細く締まったくびれ。肉づき良く柔らかそうな尻。

 想像するだけで興奮してしまう。

 何故私はキースに欲情してしまうのか。

 疑問を抱きながらも、チコの手は下腹部へ伸びてしまう。


 わたし、どうしちゃったんだろ??


 感情とは別に、身体は快楽を求めている。声が出そうになって、慌てて口を塞ぐ。

 もっとキースのこと知りたい。もっとキースの側にいたい。

 気持ちは高まるばかりだった。



 早朝。

 砂浜で剣術の鍛錬をしていると聞いて、いつもより早く起きた。

 海風を和らげる樹木の先。

 キースだ。 

 声をかけようとしたが、咄嗟に茂みに隠れる。

 彼女ひとりではなかった。 


 ・・・ヤナベ


 タルカナ族随一の戦士が、キースに剣術を教わっている。

 ため息。

 立っているだけでも魅力的なのに、刀を振る姿の美しさよ。同じ動きをしているが、ヤナベのは力強く、キースはしなやかで流動的。まるで踊っているようだ。

 あの刀で斬られたい。

 そう思う自分は異常なのだろうか。

 剣術のことは分からないが、柄の持ち方から振り下ろす角度、足の運び方まで、実に細く指導しているようだった。

 誇り高いタルカナ族の戦士が、あそこまで従順になるとは。

 キースを戦士として認めているということだろうが、チコはすぐに分かった。


 ヤナベもキースが好きなんだ。

 

 今までに見たことのない表情をするヤナベ。剣術への向上心とキースへの思いが、惜しみなく溢れている。

 二人に気づかれないよう、そっと茂みから離れる。

 今日のところはヤナベに譲る。

 チコはヌザイ島へ同行することを決めた。



『奇跡の道』が現れるまで、野営することになった。

 当然のようにキースとチコは、同じ幕屋で寝ることになり、こうなると分かって同行した。

 タルカナの男たちはヌザイの者たちの見張りと武具の整備で、少し離れた場所で野営している。

 こんな好機は二度とない。

 横になったまま、じっとキースを見る。

 武具を外して、艷やかな肌がさらに露わになる。

 身体を覆う布を掴んで、高まる感情を抑え込む。

 キースと目が合った。

「どうかしたか?」

 問われる。

「キース・・・一緒に、寝ていいか?」

 勇気を振り絞った。

 キースは微笑んだ。

「別に構わないが、それ程寒くないけど・・・」

 寒さ対策だと思っている。

 幕屋の中央に寄る。

 キースの寝床に入り抱きついた。

 なんて良い匂い。なんて柔らかい乳房の感触。

「怖いのか?」

 ヌザイ島に渡ることへの問い。

 キースの手が背中にまわる。

 母親に抱かれているような安心感。

 キースの胸から顔を上げる。美しい彼女の顔がすぐそこにある。

「キース・・・好き」

 告白した。

 キースは困ったような表情を見せたが、嫌がる感じではなかった。 

「私はどうも女に好かれやすいようだ」

 大陸での出来事を話してくれたが、時々分からない言葉があった。


 ああ、なんて美しい顔。


 身体が熱くなって、お腹の下あたりがむず痒い。

 話しかけてくれている唇に、迷わず自分の唇を重ねる。

 想像以上に柔らかく心地良い感触。

 拒絶感はない。

 こういう行為は初めてだが、キースに身を任せれば大丈夫だと思った。


 最高な一夜。

 多分、いや絶対に一生忘れないだろう。

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