episode26 「落城」

 数々の修羅場を、何度もくぐり抜けてきた。自分より強い相手でも、経験や様々な手段を駆使して殺してきた。

 主の命令は絶対。

 主のためならどんな相手でも殺してみせる。

 だが、ひとりだけ敵にまわしたくない者がいた。

 イリリだ。

 彼女は別格だ。

 何ひとつ敵わない。

 本当に味方で良かったと思う。


 そのイリリが倒れた。

 一進一退の攻防が突然変化した。何の変哲もない、ゆっくりと伸ばした刀が、彼女の胸を貫いた。

 魔法を使ったわけでない。

 不思議な『力』を使ったわけでもない。

 意外で、最も怖い結末。


 刀を鞘に納め、折れた刀身と投げ捨てた柄を拾うキース。

 私の所在を把握しているのに、何の警戒もなく背を向ける。

 命を狙うなら今だが、頭の中で模擬戦を繰り返しても殺せない。

 小刀を投げても当たらない。

 音もなく弓を射ってもかわされる。

 いっそ、堂々と正面から斬り込むか。


「私だけに関わっていていいのか?」

 キースが言った。

「お前の主を狙って、仲間たちが城に集まっている。早く戻ったほうがいいぞ」

 見向きもしない。

 イリリが乗ってきた馬にまたがり、城へと走り去る。


 尻餅をついた。止めていた呼吸。大きく息を吸う。

 無意識に身体が震えている。

 コルバン様に仕えて幾数年。命令に背いたのは初めてかもしれない。

 命は惜しくないが、身体が拒絶している。

『カゲ』として、死に値する行為。

 自害してコルバン様に詫びるか。

 いや、その前にまだやることがある。

 キースの言う通り、主を守るため城に戻るべきだ。

『カゲ』は自分の頬を何度も叩き、鼓舞して立ち上がった。



 血を吐いた。

 輪具リングの力で肉体を強化して、それに耐えられなくなっていた。

 黒服の中で、肌は変色し、腐食が始まろうとしている。


「もう止めておけ」

 ナックが言った。

 傷も服の汚れもない。彼はまだ輪具を発動していない。

 途中、意識が別の場所にいるようだった。戦っている最中によそ見をされるとは、これ以上の侮辱はない。

 ソマリは輪具の力を最大限まで引き上げた。

 それでもまだ、ナックは輪具を発動させなかった。

「仕方ない」

 ナックが言った。

 摺り足で開脚、腰を落とした。左腕は肘を曲げて身体に添わせ、右腕は手を広げて前へ突き出した。

 戦闘体制の構え。

 笑うソマリ。

 間合いに入れば容赦しない。残った体力を一撃に込める。

 鞭のようにしなる長い刀身の剣は、全く役に立たず投げ捨てた。

 体術と体術。

 ナックの打撃は骨に亀裂を入れていた。肉体強化で無理矢理保っている状態。

 ソマリの輪具には蘇生能力はない。

 ナックの片足が動いた。

 踏み出すと同時に、輪具を発動させた。

 地面を滑るように移動する。

 突き出した拳を片手で払い、渾身の一撃で急所を狙う。

 外からナックの肘が。

 腕が曲がらない方へ折れる。

 胸元に衝撃。

 身体が前かがみになる。回し蹴り。腕に当たり折れる。

 倒れる前に後ろから首を絞められた。

「お前は輪具の力に頼りすぎて、大事なことを忘れている」

 ナックが言った。


 昔の俺のようにな。


「説教など必要ありません。さっさと殺して下さい。あとはイリリ様にお任せします」

 ソマリが言う。

 ナックに支えられていなければ、立つことさえ出来ない。

「最後があなたのようなクズ野郎とは屈辱です。死んでも怨霊となって、あなたを苦しめてやりたい。いや、必ず苦しめてやりますから、覚悟しておいて下さいね」

「いつでも来い。相手してやるから」

 ナックは腕に力を込める。

 ソマリの首から鈍い音がした。



 チセン軍が後退を始めた。

 追いかけようとする兵士たちを大声で止める兵長。

 前線で猛威を振るった二人が、その場で膝をついた。

「大丈夫ですか、スレイ様、ラザン様?」

 問う兵長。

 手を上げて合図する二人。

 状況は理解している。彼もキースとイリリの戦いを見ていた。極限の戦場で、兵士たちと戦いながら、キースの加勢をするなど、並みの者では出来ない。

 疲労は想像を超えるものに違いない。

 二人が生涯の主と認めた気持ちに、何の疑問も感じない。

 彼女がその気になれば、大陸全土の制圧など夢ではないだろう。

「我々の役目はひとまず終わった。警戒をしつつ、怪我人の治療と休息に専念せよ!」

 指示を出す兵長。

 兵士たちが動き出す。


「やりましたな、スレイ様」

 腰を下ろして、話しかけるラザン。

「ああ、さすが我が主様だ」

 スレイが言った。

「すぐにでも城に向かいたいが、身体がどうにも言うことをきかない」

「私もです」

 顔を見合わせて笑う。

「だが、少しでも動けるようになったら、すぐ向かうからな。遅れるなよ、ラザン」

 槍を地面に突き立てるラザン。

「もちろんです。主様をこの手で抱きしめないと、高ぶった気持ちがおさまりませんぞ!」

 雄叫びをあげる。

 スレイも同じ気持ちだった。



 侵入さえ防げば、チセンの城は鉄壁だ。

 だが、多方向から攻めてきた同盟軍は、石の橋を渡って、城内へと流れ込む。

 内側は意外と脆い。

 正規の訓練を受けていない反乱組織の者たちと、金さえ積めば何でもする傭兵たち。

 大砲、投石機は、見たこともない魔法で破壊され、全く機能していない。

 城内に残した兵士たちだけでは、彼らの勢いを止めることは出来なかった。


「寄せ集めの兵団で、城まで攻めこめられるとはな。勢いというのは恐ろしいものだ」

 コルバンが呟く。

 国王たち王族や上官たちは、すでに避難しているが、海を渡らない限り同盟軍に見つかるだろう。


 城の屋上。

 兵士たちの叫び声を聞きながら、遠くの海を見つめるコルバン。

 音もなく気配が背後に現れる。

 嘆息。

 彼の様子を見れば、結果は予想出来るが、聞かずにはいられない。

「イリリは?」

 問う。

「キースに倒されました」

 信じられない。

「間もなくキースも城に到着します」

「そうか・・・」

『カゲ』は顔を上げる。

「船の準備はできております。すぐにでも出航しますか?」

 返事はない。

 兵士たちの声が近づいている。あまり時間がなさそうだ。

 振り返ると、コルバンと目が合った。


 ・・・まさか。


「私の野望は、ここで終わりのようだ」

 コルバンが言った。

「戦局の流れが読みきれないとはな。駒が揃っていても、扱いを間違えると勝機は来ない」

「まだ終わりではありません。ここはラズ様と合流して、時期を待たれるのが賢明かと・・・?」

『カゲ』は言葉を止めた。

 コルバンがこちらを見て笑っている。

「お前はよくやってくれた」

 青年の姿と、昔の姿が重なる。

「地位も名誉も捨て、身体まで捨ててしまったのに、よくここまで仕えてくれた。感謝している」


 何だ・・・何を言っている・・・


「私に付き合う必要はない。ここから去って生き延びろ」


 何故そんな顔をする。

 コルバン・・・


「・・・父さん」

『カゲ』が言った。

「まだ、私を父と呼んでくれるのか」



 橋の向こうから合図があった。

 ヴァサンを先頭に、クラナたちが場内へと進む。数人の反乱兵が護衛につき、兵士たちの戦闘を横目に見ながら、城の中へ案内される。

 彼らの目的はチセンの核となっている者たち。王族であり閣僚たちだ。

「手分けをして探しているのですが・・・」

 警備の強い場所は何ヵ所もあったが、いずれも偽装だったらしい。

 彼らが向かうのは城の最上階。

 海を眺めるのが好きな国王のための展望台があるそうだ。

 そこに指揮官らしき人物がいる。


 屋上。

 ヴァサンとカサロフ。続いてクラナが現れる。

 厚手の黒服。腰には細身の剣。三人に気づいていないのか、遠くの海を見つめている。

 兵士がどこかに潜んでいるかもしれない。警戒をしつつある程度まで近づく。


「来たか」

 黒服の男が言った。

 小声だったがよく響く声質。振り返る。見覚えのない青年。この若さで指揮官ならば、相当優秀なのだろう。

 三人を見渡し、カサロフで止まった。

「お前は確か、アーマンの従者か」


 アーマンを知っていて、私も知っている。

 だが、青年に会った記憶はない。


「どこかでお会いしましたか?」

 問うカサロフ。

 微笑む青年。

「いや、直接会うのは初めてかもしれんな」

 不思議な言葉。

 どういう意味だろう。

 黒服で細身の刀。先の大戦で活躍したあの三人の姿によく似ている。

 細身の刀・・・

 菱形の鍔。真っ白な柄。特徴的な刀だ。初見だが、何故か知っている気がする。

 誰かに聞いた気がする。

「まさか・・・」

 すぐに否定する。

 刀の所有者が本人とは限らない。そもそも容姿が違う。

 微笑む青年。

「時間をかけて準備したが、終わる時は

 一瞬だな」

 また海に目を向ける。

 敵を前にしているのに、全く危機感がない様子。

 否定した事が、少しずつ肯定へと戻るカサロフ。本人に会ったことはないし、青年でもない。しかし、ちょっとした仕草や雰囲気が、ガガルやゲバラクと重なる。

「この城は私たちが制圧しました。もう逃げ場はありません。降参して下さい」

 カサロフが言った。

「身体を捨ててまで選んだ道だ。そう簡単には引き下がれないな」

 確信した。

 この青年は・・・・


 背後の階段で仲間たちの声が響く。誰かが勢いよくかけ上がってきた。

 リーメイだ。

 反乱軍の男たちも数人やって来た。

 黒服の青年を見て表情を変える。

「コルバン、もうこの国は終わりだ」

 リーメイが言った。

 カサロフは下を向く。

 真実は突然。

 まだ受け入れられない。

「本当に・・・・あなたは本当に、あのコルバン様なのですか?」

 問うカサロフ。


 伝説の三人のひとり。

 先の大戦で何万という兵士たちを動かし、ルコスを勝利へと導いた男。


 何故コンサリを奪ったラズの側にいるのか。


「私は先の世界を見据えている。彼の思想は正しい未来を考えている。それに共感して協力した。それだけのことだ」

 コルバンが言った。

「正しい未来とは何ですか?」

 カサロフ。

「人は考える生き物だ。しかし、全ての者が同じではない。正しい事、間違った事、価値基準はそれぞれ違う。ちょっとした食い違いが、争いに発展してしまうこともある。私はそれがどうにも我慢ならない」


 では、どうするか?


「私が導く。大陸全ての国を制圧して、私が指揮を取る。そうすれば争いは無くなり、平和な日々がやって来る」


 それは、単なる利己主義的な発想。

 確かに、コルバンなら人を正しい道へと導けるかもしれない。だが、それが本当に平和で幸せかと問われれば、間違いなく答えられる。


「アーマンもいる。お前たちも来ないか?」

 問うコルバン。

「アーマン様?」

 船が難破して行方不明だと聞いていたが、生きているということか。それならば嬉しいことだが、コルバンの言葉が気になる。


 アーマンもいる《《》》、とはどういう意味だ?


「彼もまた、ラズの思想に賛同して、新たな国造りを始めている」

 コルバンが言った。

「そんな事、有り得ません」

 声が震えている。

「奪われたコンサリを取り戻すために、ラズを追っていたのですよ。言わば敵同士。それがどうして協力したりするのですか。有り得ません、そんな事」

「ならば、自分の目で確かめればいい。ここより東の島、タルカナにアーマンとラズがいる」

 長期航海用の船まで貸すという。

「その代わり、と言っては何だが・・・」

 顔を上げるカサロフ。

「最後にひとつ、私の願いを聞いてくれないか?」

 コルバンは微笑んだ。



 チセンの城の最上階。

 展望台に立つひとりの男。

 誰かがひとりやって来た。

 淡い緑色の髪を揺らして歩く女。南の国の民族衣装。腰には細身の刀。

 キースだ。

 男、コルバンが彼女に目をやる。

「なるほど」

 ひと言。

 立ち止まるまで、じっと彼女を見つめる。

「私と話がしたいと?」

 問うキース。

「お前は、この大陸の今をどう思う?」

 問い返す。

「危うい」

「ほう、よく理解しているな」

 微笑むコルバン。

「平和に見えるが、きっかけがあれば、すぐに戦争が始まる」

「それが分かっているのに、何故私を止めようとする?」

「私はただ、親のこと、自分のことが知りたいだけだ。この国は、私の邪魔をするから潰した」

 笑うコルバン。

「そんな事で二千人を動かしたのか。恐ろしい奴だな」

 野望も理想もない。

 自分の目的のため。

 自己満足な理由なのに、皆が賛同し協力したのは、キースの人間性に魅力があるということ。

 仲間だったロズまで彼女の側についた。

「提案がある」

 コルバンが言った。

「お前の目的の手助けをしてやる。納得がいくところまでの答えが出たら、私に協力しないか?」


 新しい国家の形成。

 そのための大陸全土の統一。


 キースは首を横に振る。

「しない」

 ひと言。

「そうか。それだけの『力』がありながら、欲のない奴だな」

 コルバンはキースに身体を向ける。

「今もこの先も、お前は私の脅威となる。悪いがここで倒させてもらう」

 腰の刀に手をかける。

「カマツはなかなか素晴らしい人形師だ。良い身体を造ってくれた」

 表情は穏やか。闘争心が満ちて、威圧感が伝わってくる。

 イリリとは違う怖さ。

「先に進みたいなら、私と勝負しろ」

 コルバンが言った。

 嘆息するキース。

「あなたも、イリリと同じく死に場所を探しているのか」

「私は、彼女よりは生への執着があると思っている」

 左腰の刀。

 親指で弾いて止め金を外す。

 静かに、二人の闘気が高まっていた。



「何で私たちがコソコソ隠れなきゃダメなのよ」

 クラナが呟く。

 不満な感情が言葉に混ざっている。

「二人きりで話がしたい、というコルバン様の要望ですから」

 カサロフ。

「そんなの、聞く必要ないでしょ。みんなでかかって、さっさと倒しちゃえばいいじゃない」

 クラナが言った。

 屋上展望台の階下。

 カサロフとクラナから離れて、階段の上を見ているヴァサン。

「コルバン様は、ガガル様と同じ師の元で学んでおられます。私たちが束になってかかっても、倒すことは出来ません」

 カサロフの言葉を聞いて、さらに不満顔をするクラナ。

 足音。

 誰かが階段を上がってきた。

 ウラとサラだ。

 城の制圧はほぼ完了の報告。

 プーゴルの兵団が、生き残ったチセン兵の処理にあたっているらしい。

 スレイとラザンもここに来るかもしれない。


 上を見て、顔をしかめるサラ。

「凄い『気』ね。キースはひとりで大丈夫?」

 泣きそうになるクラナ。

「問題ない」

 ウラが言う。

「キースの強さは並みではない。数ヶ月共に鍛練をしてよく分かった。例え相手がはるかに強い者でも、彼女ならば大丈夫だ」


 キースの強さは、驚異的な成長速度。

 戦いの中で自身を超えてしまう。


 ウラに近づくサラ。

「そうですね。兄様の言う通りです」

 尊敬の眼差しを向ける。

 言葉にならない奇声を発して、足をばたつかせるクラナ。

「何よみんな。それじゃぁ私がキースを信用してないみたいじゃない!」

 ひときわ大きな足音。

 また誰かがやって来る。

 雄叫びが予想通りの人物だと告げていた。



「さて、イリリを倒した実力を披露してもらおうか」

 ゆっくりと刀を抜くコルバン。

 菱形の鍔に白い柄。刀身まで白く見えるのは錯覚だろうか。

 両手で柄を持ち、下段に構える。

 容姿は全く違うが彼の姿と重なる。

 キースの迷いに気づくコルバン。

「似ているか?」

 問う。

「私とガガルは、同じ師の元で学んでいるからな」


 ガガルは剣術を極め、コルバンは戦術を極めた。


「純粋に、実力ではガガルに勝てなかったが、私は別の方法を考えた」

 ゆっくりと前進するコルバン。

 とてもゆっくり。

 目の錯覚か。歩く度に彼の残像が増える。二人、三人。

 いや違う。それぞれに質量を感じる。

 実体と思わせる魔法なのか?

「私は手強いぞ」

 五人のコルバンが言った。

 キースの感覚でも、どれが本物なのか見極められない。

 囲まれた。

 殺気が四方から襲う。

 正面から上段、左右から下段、後ろの二人は中段から。

 正面と左右は後退してかわし、後ろだけに対応。横振りの刀に合わせて、『魔刀キース』を突き出す。

 後方一人目の首を刺し貫き、続けて二人目は肩口からの袈裟斬り。

 全く感触がない。

 背中から三人。軸足を中心に回転。正面は柄を持つ手を蹴り、左右は手をかざす。やはり足には感触がなく、吹き飛んだ二人は煙のようにフワリと消える。

 コルバンは・・・!!

 斜め後方。

 甲高い音。刀が交わる。

「なるほど。よく学んでいるな」

 コルバンが言った。

 後方に数歩。中段に構える。キースも同じ。

 どちらも動かない。

 見えない攻防。

「あなたの技は理解した。もう私には通用しない」

 キースの言葉に微笑むコルバン。

「初見で見切られるとは。その若さでガガルを越えているか」

 コルバンは刀を下段に構え直す。

 キース、一歩前へ。

 石床の上を滑るように。一気に間合いを詰める。

 振り上げた刀と突き出した刀。

 初動の速さはほぼ同じ。

 身体を左右に。軸足を芯に回転。対して、コルバンの動きは最小。足の運びだけで対応する。

 風を切る音。刀が交わり響く金属音。

 変則的に突き出すも、刀で弾かれる。

 刀身が近づくだけで五感が狂う。『魔刀キース』は、無条件でまわりの「気」を取り込む。

 優劣は感じない。

 しかし、わずかな隙が勝敗を決める。

「この戦いに意味はあるのか?」

 問うキース。

 後退するコルバンに追従する。

「単なる私のわがままだ」

 下段から振り上げる刀。峰側で軌道を変えるコルバン。

「未来を見極めたい」

 身体の正面で刀が交わる。

「お前が、未来を託すに相応しいかどうか」

「勝手に決めるな」

 背を向けるキース。

 回転力を加えた横振り。

 後退して刀身が届かなくても、『魔刀キース』は相手の全てを奪い取る。

 一瞬で回復出来るのは、コルバンの精神力、生命力の強さ。

 刀をかわし、受け流す。

 後退すれば受け身となり、追いかける攻撃は相手の隙を探る。

 動と静、強と弱。

 コルバンが複数人になる技が急現しても変わらない。人数に合わせて速く動けばいいだけ。

「本気でなくてもこれ程とは。素晴らしい」

 対決の時間はわずか。

 しかし、コルバンは理解していた。

 キースとの実力差は想像以上だった。

「家族を裏切り、弟子のチャウバを見捨て、その先に正しい未来があるのか?」

 問うキース。

「新たな道を切り開くためだ。多少の犠牲はやむを得ない」

「多少の犠牲・・・か」

 刀が舞う。

 鈴のような音はしない。

 力加減、角度。全てが的確。キースはサリュゲンの鍛えた刀を、本来の能力で使いこなせせている。

 それは、サリュゲンでさえ想定を超えた領域。彼の理想の姿。使い手によって完成した刀の究極の形。

 舞いを踊っているような動きに合わせて、刀が縦横無尽に振られる。それに対応しているコルバンの実力は、さすがというべきか。

 少しずつ、キースが優勢になってきた。

 全盛期以上の力を発揮して、疲労を感じない身体となっているのに、コルバンの動きが鈍くなっている。

「大切な人を犠牲にして進むあなたが、良い国を造れるとは思えない」

 キースが言った。

「どうかな。しがらみを断ち切ることで、見える未来、理想の国家があるかもしれんぞ」

 キースが揺れている。

 五感を越えた感覚でも、彼女の動きが捉えられない。

「そんなものはない」

「ならばどうする?」

 問うコルバン。

「私が断ち切る」

 キースが踏み込んだ。

 コルバンが三人になる。

 どういう技か。驚異の剣速。

 三人のコルバンは両腕を斬られ、首元を貫かれた。

 軸足を起点に回転。

 彼の刀は腕ごと石床に落ちて、首が飛んだ。

 ゆっくり、腕と首のない身体が床に倒れる。血は一滴も出ない。

「見事だ」

 石床に転がった頭から声。

 刀を鞘に納めるキース。近づく様子もなく、振り返って立ち去ろうとする。

「ラズを追ってタルカナへ行くなら、私の刀を持っていけ」

 足は止めない。


 向こうで役に立つはずだ・・・・


 途中で声がかすれて、最後のほうは聞き取れないほど細い声。


 立ち止まり、振り返るキース。

 そこにコルバンはいない。魂の抜けた人形が、横たわっているだけ。

 キースが歩き出そうとした時、後ろで人の気配があふれた。

 雄叫びと悲鳴。

 誰なのかはすぐに分かった。

 近づく足音と、変なうめき声に人が倒れる音。振り返ると、彼女が抱きついてきた。

 クラナだ。

「やったねキース、やったよ。大好き!」

 人の目など気にしない。

 頬擦りして口づけする。

 スレイの手を借りて立ち上がるラザン。

「無念。主様に一番乗りしたかった」

 笑うスレイ。

「ここはクラナに譲ってやれ」

 ウラとサラ、ヴァサンもキースに集まる。

 カサロフはみんなを通り越して、横たわる死体に近づく。

 魂を失ったそれは、身体ではなく服を着た素材の分からない人形。ただの物と化している。

 ヴァサンが来た。

「これがさっきの男なのか?」

 問う。

「世の中には、不思議な術を使う者がいますね」

 本当にこれが先程会話したコルバンなのか。同じ黒服を着ているが、とても人とは思えない。

 風が強くなってきた。

 カサロフは海を見つめながら、コルバンの言葉を思い返す。

 空は分厚い雲に覆われ、今にも雨が降りそうだった。


 イナハン全土をほぼ支配していたチセンが崩壊した。しかし、絶対的勢力が無くなっても、すぐに情勢が変わるわけではない。

 むしろ治安は悪化している。

 コガやワトシを影ながら守ってきた反乱組織。ほとんどの人員が、チセンの後始末に動員されて、街では小さな内乱がいくつも起こっていた。

 今、イナハンを治める指導者がいない。

 コガとワトシの官僚たちは、連日対策会議を行い、今後のイナハンを模索していた。



「駄目です」

 即答された。

 言葉が出ない。唇が震え、上げた腕が止まった。

「ななな、何でよ?!」

 問うクラナ。

「タルカナへはキース様と私、ヴァサンの三人で行きます」

 カサロフが言った。

 ここはコガのとある屋台。ナックとリーメイの生家にほど近い場所。

 遅めの昼食を二人で食べている時だった。

 カサロフから二人だけで話したい、と言われた時から、何となく察していたが、はっきり言われると衝撃が隠せない。

「それから、キース様との契約術式を解除しなさい」

 カサロフは下を向いたまま。大きな器に入った麺を、なんとか箸でつまんで口へ運ぶ。

「この、箸というものは、なかなか難しいですね」

 慣れない器具に苦戦しているカサロフを見ながら、クラナは箸を置いてため息をついた。

「どうせあれでしょ。私が船酔いして、キースに迷惑かけるから・・・」

 カサロフが顔を上げた。

 言葉を途中で止める。

「タルカナは未開の島です。生きて帰れる保障がありません」

「それは・・・」

「そう。それはキース様も私も同じ」

 箸を置くカサロフ。

 微笑む。

「短い時間でしたが、あなたは私にとって、最初で最後の弟子です。とても大切で、とても愛おしい」

 泣きそうになる。

 目に涙が溜まり、唇を噛み締めることでこぼれ落ちないよう我慢する。

「死んでほしくない」

「そ、それは。私だってカサロフに死んでほしくない」

 クラナが言った。

 声がかすれてしまう。

「私の魔法技術を受け継いだあなたは、後世に伝える義務があります。いずれ弟子を取り、私の全てを伝えてほしい」

「そんなの・・・私はまだ教えてほしいことが沢山あるのに」

「基本は教えました。今は全然駄目ですが、五年もすれば私を越えます。あなには素質がある」

 溜まった涙が堪えきれず頬を流れる。

「ずるいよ」

 席を立ちクラナの横に座るカサロフ。

 そっと肩に手をおく。

「キース様は、私とヴァサンが全力でお守りします。だから、帰りを待ってあげて下さい」


 待ち人がいることは、その者にとって生きる力となり、抑止力になる。


「キース様のことを頼めるのは、あなたしかいません。お願いですから、キース様を独りにしないであげて」

 堪えきれなくなった。

 クラナは声をあげて泣き出した。

「何よ・・・なんなのよ・・・カサロフ、ずるいよ」

 色々な感情が交錯して、何に泣いているのか分からなくなっているクラナ。

「頼みますよ」

 そう言って、カサロフはクラナの背中をさすった。



 イナハンを出発して二日目の早朝。

 キースの日課である朝の鍛練を眺めるスレイとラザン。

 二人にとって至福の時間。

 旅を共にした期間に、キースの鍛練は何度も見たが、さらに洗練されて、より華麗に磨きがかかっていた。

 なにより、全ての動きが美しく感じる。

 相変わらず『魔刀キース』は、舞う度に「気」を根こそぎ持っていかれそうになる。

 刀を鞘に納め、呼吸を整えるキース。

 言葉が出ない。

 称賛することさえ無礼だと感じる。


「素晴らしい!」

 大声をあげて、キースに近づくラザン。

 ためらいなく抱きつく。

 ラザンの性格が羨ましいスレイ。

 彼もキースに近づく。

「さすが一生涯の主と決めたお方だ。感服致しましたぞ」

 さらに強く抱きしめ、頬ずりする。

「ちょっとラザン、痛いよ」

 困った顔をするキース。

「なにより、良い女だ。手込めにしたい」

 彼女の甘い香りの体臭を間近で吸い込む。

「やめろラザン。キース様に失礼だぞ」

 スレイが言った。

 本心はラザンと同じ気持ち。

 羨ましい思いを込めて、ラザンの足を蹴る。

 ようやく離れる。

 笑顔で見つめ合う三人。

 ここからは進路が違う。

 スレイとラザン、兵団はプーゴルへ。キースは南下して目的地の小さな村へ。

「今回は助かった。感謝している」

 キースが言った。

「勿体ないお言葉ですぞ。我々こそ主様の力になれて感謝しております」

 膝をついて頭を下げるラザン。

 スレイも同じく横に並ぶ。

「そうです。我が主君の目的も達成できましたし、キース様のお役にも立てました。本当に感謝しかございません」

 困り顔のキース。

「崇めるのはやめてくれ。苦手だ」

 立ち上がる二人。

 キースはスレイに抱きつく。

「とにかく、二人が無事でよかった」

「キース様が『力』を分けてくださったおかげです」

 甘い香り。

 理性が飛びそうになる。

「タルカナへはいつ出立されるのですか?」

 問うスレイ。

「船の準備ができ次第。数日中には出航する予定だ」

「そうですか。いよいよ本陣に攻め込むのですね。我々も同行したいのですが・・・・」

 下を向くと、キースと目が合った。

 慌てて視線をそらすスレイ。

「その気持ちだけで十分だ。お前たちには、国の再建という大事な仕事がある」

 キースに強く抱きしめられる。

 初めての船旅。そして、向かうのは未開の地。『力』と彼女の感情を共有した経験が無くても分かる。

 不安なのだ。

 もう一度国を捨てて、キースに同行できたら、どんなに楽か・・・

「スレイ様」

 ラザンが言った。

 少し間があって、また名前を呼ばれた。

 ラザンを見る。

「長い」

 ひと言。

 キースと抱き合っている時間のことだろう。

「独り占めはズルいですぞ」

 苦笑するスレイ。

 キースが離れて、今度はラザンに抱きついた。

 嬉しさが身体の外まであふれている。

「主様、ひとつお願いがございます」

「何だ?」

「この先、いつ再会出来るかわかりませんが、次に会った時、私と一夜を共にしてくれませんか?」

 問うラザン。

 足を踏み込むスレイ。

「こら、ラザン。キース様になんて失礼なことを!」

 謝れ、と言葉を続けるはずが、キースの態度を見て止まった。

 考えている。

 キースが思案しているように見える。


 可能性があるということか?


「そうだな。今ここで手合わせして、私が納得いくものを見せてくれたら、考えてやる」

 キースが言った。

 全身に、例えようのない感情があふれた。

 これ以上の気持ちの高まりを経験したことがない。

「本当でございますか。本当に本当でございますか?!」

 興奮が抑えられないラザン。

「本当だ。約束する」

 笑うキース。

 特殊な血筋とはいえ、彼女も人だ。打ち負かす確率が無いわけではない。

 やる気満々で準備運動するラザン。

「お前、本当の主君ならば、極刑に値する行為だぞ」

 スレイを見るラザン。

「スレイ様はそこで判定をお願いします」

 また足を蹴る。

「お前は馬鹿か?」

 横に並ぶスレイ。

「私も挑むに決まっているだろ」

 身体を動かし始めるスレイ。

 二人の様子を見て、ため息をつくキース。

 男とは、何と不思議な生き物か。

 それでも、何故だか嬉しそうなキース。


 結果はどうだったのか分からない。

 三人が再会を果たしたのは、何年も先の話だ。




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