episode18 「西の男」

 ドガイ共和国は、隣国からの侵攻を防ぐため、五つの小さな国が同盟を結んでできた国だ。

 クドは流通の盛んな北の玄関口。

 レブンは自然豊かな少数民族の国。ドレイドに似ている。

 ヒズリアは首都国で、他の四つの国の恩恵を受けて裕福。王族が多い。

 トナスは、国土は広いが、ほとんどが砂漠で、昼夜の寒暖差が大きい国。

 最南のフィニカはほとんど人が住んでおらず、何百年も前の建物、遺跡がそのまま残っている。

 当初は治安の良い平和な国だったが、ルコスと西国の大戦後、仕事を失った兵士、傭兵たちが流れてきて、大陸一の無法地帯となった。

 そのなかでも北側にあるクドは、数年前のイーゴル、プーゴルの戦争後、ならず者たちの溜まり場になっていた

 クドを治めている首相は、平和的治安維持のため、ある娯楽施設を建設した。

 見事成功。

 争い事は減り、治安は前より良くなった。

 国民たちは七日に一回行われるある娯楽行事に夢中になっていた。



「やられた!」

 キースが振り返ってすぐ、クラナが叫んだ。

「まさか、全額持ってきたんですか?」

 スミが問う。

 周りを見回すが、この人混みだ。子供たちの姿など見つけられるはずがない。頭を抱えるクラナ。

「まさか、あんな可愛い子供たちが泥棒するなんて・・・」

 嘆息するスミ。

「だから気をつけて下さいと言ったでしょ? 街の治安は良くなっても、住んでる人は変わっていない。旅人よそものは狙われやすいって」

 返す言葉がない。

 旅費の管理はクラナがしていた。久しぶりの街で、少し浮かれ気分だったし、集まってきた子供たちは、本当に無邪気で可愛いかった。

 まんまと旅費を盗まれてしまった。

 普段なら、幾らか宿屋に預けて出掛けるのに、今日に限っては全額持っていた。

 呆然とするクラナを引きずるように連れていく。市場の出店の裏に隠れる。スミが身体のあちこちから、金の入った袋を取り出して、勘定を始める。

「私の手持ちで数日は大丈夫ですが、イナハンまでは無理ですね」

「お前のお金を使うわけにはいかない」

 キースが言った。

 その場にしゃがみ、落ち込むクラナ。

「こうなったら、女の武器を使って、男どもを惑わして、金を巻き上げるか」

 街の環境のせいなのか。クラナの発想が悪過ぎる。

 嘆息するスミ。

「クラナさん。キース様ならまだしも、クラナさんでは、男たちが寄ってきませんよ」

 いつもなら食ってかかるところだが、違う世界に入り込んだクラナに反応はない。

「何か稼げる方法はないのか?」

 キースがスミに問う。

 金の入った袋を戻しながら思案する。

 そうですねぇ・・・

 手持ちの武器を売っても、大して金になりそうもない。働いて稼ぐのは時間がかかり過ぎる。

 ふと、先程道端で耳にした事を思い出す。

「そう言えば、近くを歩いていた方が話していたのですが、今日こそ当てて、家族に楽をさせてやる、とか言ってましたが・・・」

 ちょっと聞いてきます。

 スミは通りに出て、出店の店主に話しかけた。

「幻覚魔法であたしに金を渡すように仕向けるか・・・いや、いっそ火をつけて・・・」

 悪どい計画がどんどん出てくる。

 キースはしゃがんでいるクラナの頭に手をおいた。

 ようやく我に返り、キースを見上げた。

「落ち着け、クラナ」

 キースの笑顔を見て、今度は泣き出した。

「ゴメンねキース。ゴメンよぉぉ~」

 足に抱きつく。

 頭を撫でるキース。どっちが年上か分からない。

 スミが帰ってきた。

 怪しい魔よけの首飾りを身につけ、両手には、細い管が刺さった木の実の飲み物。

「聞いてきました」

 店主の話術にはまり買わされたようだ。

 こっちはこっちで、放っておくと破産しそうだ。


「この街では七日に一回、『武闘会』が開催されるそうです」

 スミが言った。

 武闘会。

 ルコスで参加した戦士育成が目的の競技か。

「ルコスの『武闘会』と違うのは、参加者に観客がお金を賭けて、勝敗によって配当金をもらう、という仕組みがあって、上手く賭ければ大金が入ってくるようです」

 出店が両脇に並ぶ道から離れた。

 道幅は細くなり、酒場が増え始める。客の殆どが武器を携帯しており、喧嘩が始まると、大抵最後は殺し合いになる。

 酒場も多いが、武器屋も多い。鍛治屋もある。客は元兵士や傭兵たち。武器を買い、自分好みに加工して、酒を飲んで、殺し合い。

 この通りだけで、かなりの相乗効果だ。

 時代を感じさせる石畳の道の先に、まだ新しい建物が見えてきた。

 石を積み上げてできた四角い建物。道の横に水路があり、その建物に繋がっている。

 キースたちの方から見える出入口は二ヵ所。参加者用と観客用だと思われる。

 その前で派手な服を着た男が大声を上げていた。

「只今掛け金は大変な事になっております!」

 人だかりの後ろで止まる。

「半月前に現れた謎の男。伝説の剣士、ガガルを倒したと豪語する鉄仮面の男が、連勝記録を伸ばしており、彼を倒せば掛け金は二十倍です!」


 挑戦者はいないか?!

 賭ける者はいないか?!


「キース、あれって・・・」

 キースを見るクラナ。

 表情は変わっていないが雰囲気で分かった。かなり怒っている。

「とりあえず見学しませんか? 途中参加出来ますし」

 スミが観客席へ導く。


 薄暗い通路を進むと、広い空間に出た。円形の観客席。百人くらいは収容出来る。それが階段状になっており、地下の中心にやはり円形の競技場。高い石の壁に覆われている。

 床に薄く水が張られている。先程道の横にあった水路から取り込み、新しい水が循環するように排水口もある。

 何のための水か。

 スミが聞いてきた話によると、大量の出血、死体の処理を迅速に行うため、流してしまうための水らしい。



 試合が始まった。

 武装した兵士が二人、直刀の剣で戦っている。ほぼ同じ実力のため、決め手の一打が出ない。

 観戦だけの者もいる。声援したり、野次を飛ばしたり。金を賭けたい者は、通路に立っている係の者から、競技参加者の番号札をもらい、掛け金を払う。対戦が始まるまで金を賭ける事ができる。殆どの試合が実力差の無い、僅差のものなので配当は少ない。掛け金が二倍になれば大儲けだ。

 ひとりの係員が五、六人の相手をする。


 試合は膠着状態だ。

 疲労で二人の動きは鈍く、火花を散らした剣は、刃こぼれして致命傷を与えられない。

 力尽きて倒れる。

 これ以上の結果は望めない。

「引き分け! 」

 進行役の男が叫んだ。

 高い壁に空いた穴から、大量の水が吹き出した。水位が戻った時、そこに兵士はいない。

 なんというか、合理的な仕組みだが、参加者は人扱いでなく、物扱いだ。

 均衡した試合がいくつか続いた。どちらが勝ってもおかしくない内容で、大金狙いでなければ、それなりに稼げるし、試合を観る方としては面白いかもしれない。

 進行役の男が変わった。先程出入口に立っていた派手な服の男だ。流暢な言葉で口上を語り、未だ不敗の男を紹介した。


「本日最後の試合となりました。連勝記録を伸ばしております、謎の男。伝説の剣士、ガガルを葬った鉄仮面の戦士の登場です!」


 登場口の鉄柵が上がって、高い壁から男が出てきた。身長が二メートルを超える大男だ。本当に鉄の仮面を付けていて、顔は分からない。上半身は裸で、筋肉質。特に腕まわりが異常に太い。

 革製のベルトで携帯した背中の得物は、剣でなく槍でなく。鉄の塊に木製の棒がついた鉄槌だ。

 歓声が上がる。

 今日一番の盛り上がり。


 キースに呼ばれていた。

 慌てて隣の彼女に顔を近づける。

「あの男に挑戦する。お前の全額私に賭けろ」

 お願い、ではなく命令。

 ガガルのことを侮辱されたと感じているのだろう。目つきが鋭い。キースの実戦力はルコスで見た。あの大男に負けるとは思わなかった。

「分かりました」

 断る理由もなく、手続きをするために係員を探す。

 帰ってきてすぐ、またキースに呼ばれた。

「用意して欲しい物がある」

 ・・・え?

 聞いた途端、スミは驚く。

「キース様、まさかそれで対戦するのですか?」

 返事の代わりに、のけ反る程の殺気が押し寄せた。

「その首飾りと交換してこい」

 急げよ。

 はい!

 スミは走った。

 今まで感じたことのない威圧感。強制されることに反抗心など無い。むしろ嬉しいくらい。キースには、剣術だけでなく、人を従わせる特別な力があるのかもしれない。


「魔力を使う?」

 クラナが問う。

「いや。あの程度の男に必要ない」

 両腰の刀を革製のベルトから外して、クラナに渡す。

「え、なになに。 刀使わないの?」

 立ち上がるキース。見上げるクラナ。

「あの男には、相応しい得物がある」

 笑みを浮かべる。

 背中の悪寒と顔の火照りが同時にやって来た。

「格好良すぎ。惚れ直しちゃった」

 恍惚とするクラナ。

 今すぐにでも抱き締めて、口づけしたい気持ちを、必死で抑え込んだ。


 大男の対応は特別だった。

 対戦は一人でなくてもよく、三人、五人と挑戦した。身体は大きく、使う武器は鉄槌。誰もが思う。動きは鈍く、懐に入れば傷を負わせられる、と。

 誤算だった。

 鉄仮面の大男は、俊敏に動き回り、鉄槌を剣のごとく振り回した。

 鉄槌を受けた者は、高い壁まで飛ばされ、見事なくらい潰れた。

 分厚い盾で防ごうとした者がいたが、身体ごと飛ばされ、全く意味が無かった。

 大男の膝くらいまで水が入り、引いた時には死体は無い。


「さて、本日の挑戦者は全て終了しました。会場で、彼に挑戦したい方はいませんかー?」

 ざわつく会場。

 目の前の光景を見て、挑む気力など消え失せていた。

 進行役の男に係員が近づいた。何か言葉を交わす。一瞬笑顔が消えたが、顔を上げると満面の笑みになった。

「なんと、会場から勇気ある挑戦者が現れましたー!!」

 どよめく会場。

 呼び出す前に、壁の通路からキースが出てきた。

 またどよめく会場。

 ドガイの南、レブン地方の民族衣装に似た服。緑色の髪を後ろでひとつに束ねた若い女だった。背も低い。

 勝敗の行方より、本当に対戦するのか、という疑問が充満した。

 キースは大男を見向きもせず、進行役の男に近づいた。

「私が勝ったら、あの男にかかった掛け金、全額もらう。それでいいな?」

 この小娘は本気で言っているのか。

 内では冷めた顔だが、表は笑顔のままだ。

「もちろんです。そういう決まりですから」

 ですが・・・

 小娘は武器を持っていなかった。

 笑みを浮かべるキース。

 何故か背筋が寒くなる進行役の男。

「心配ない。あの男にふさわしい得物を用意する」

 振り返った。

「キース様!」

 ほぼ同時に、会場に戻ったスミが叫んだ。手には布にくるまれた細長い物がある。

 円形競技場の端から端へ。

 スミの真下で立ち止まった。

「あのぅ、本当にこれで戦うのですか?」

「負けると思うか?」

 逆にキースから問われる。

「いいえ。何故か微塵も思いません」

 根拠はない。

 キースが勝つ、という確信はある。

 布を開き、壁から身を乗り出してそれを下ろす。受け取る。暫く眺めて、何度か振ってみる。

「良い目をしているな。丁度いい」

 最高の誉め言葉。

 キースの手にある得物は木刀だった。

 鉄仮面の大男に歩み寄る。適度な距離で立ち止まり、初めて彼を見る。

「いつでもいいぞ。かかってこい」

 キースが言った。

 大男は鉄槌を床に叩きつけた。

 水しぶきがあがる。

「おい、クソ餓鬼。なめてるのか?」

 言葉に怒りが混じっている。

 キースは動じない。

「ガガルを倒した実力を見せてみろ」


 それとも、ただのはったりか?


 大男は鉄槌を振り上げた。

「俺は女だからって手加減しないぞ」

 飛び出した。

 身体に似合わぬ素早さ。

 横殴りの鉄槌を横移動してかわす。

 なるほど。

 薄く水が張っているので分からないが、床には苔のようなものがあって、足の踏ん張りが効かない。

 大男が目の前にいる。

 真上から鉄槌を振り下ろす。地鳴りがする程の衝撃。

 ぎりぎりでかわし、木刀で腕を叩く。

 身体ごとぶつかりにきた。

 片足を支点にして回転する。大男の背後から膝の裏側を叩く。虫に刺された程度のもの。

 横殴りの鉄槌。

 摺り足で後退。目の前を鉄槌が通過して、風圧がキースの髪を揺らす。

「相変わらず《《》》力任せな攻撃だな」

 キースが言った。

 大男は特殊な靴を履いているのだろう。踏ん張っても苔で滑ったりしない。

 キースの動きは良く見えている。だが、振り回す鉄槌はかすりもしない。

 大男は鉄槌を振り上げた。

 キースは素早く前進して、木刀を突き下ろした。

 大男の足先。右足の指が数本潰れた。

 呻く。

 少し前かがみになった。

 ゆっくり回転して、首の後ろを叩く。よろけたが手は出さない。間合いをとる。

「鉄の仮面は何のためだ?」

 問う。

「クソ餓鬼にやられた額の傷を隠すためか?」


 コイツはさっきから何を言っている?


 十分に腰の入ったひと振り。軽くかわされ、腕が伸びきったところで手の指を叩かれる。木刀でもかなり痛い。

 記憶は薄れていたが、痛みには覚えがあった。

 五年程前。

 ガガルがドレイドにいるという噂を聞き、西国から赴いた。特殊な結界があったが、効果を弱める方法を知っていた。

 小さな集落にガガルはいた。

 対戦を申し込んだが、木刀を持った餓鬼に邪魔された。


 相変わらず・・・

 額の傷・・・


 大男の動きが急に止まった。

「おおお、お前!!」

 キースを指差す手が震えた。

「まま、まさか。あの時の餓鬼か!」

 目の前のクソ餓鬼は笑みを浮かべていた。

「さあ、ガガルを倒した実力、早く見せてみろ」

 知っている。

 この女は真実を知っている。

 当たり前だ。ガガルと戦う前に、コイツにやられたのだから。

 血の気が引く。

 まさかこんな所で再会するとは。

 気持ちが折れそうになるが、歯を食いしばって留める。

 これは最悪ではなく好機だ。この餓鬼を葬れば、忌まわしい過去が払拭出来る。

 ガガルを倒した、という嘘を知る者はいなくなる。大丈夫だ。あの頃より動けるし、もっと早く鉄槌を振り回せる。

 大男は腕に力を込めた。


「ガガルの剣術の基本は単純だ」


 姿勢と集中力。


 気迫のこもったひと振り。

 遠心力で加速した鉄の塊。キースは木刀で受ける。まともに受ければ木刀は折れる。軽く当てるだけ。ほんの少し力を加えるだけで、鉄槌の軌道が変わる。

 衝撃と水しぶき。

 大男の姿勢が崩れて前かがみになる。

 キースは片足を軸に回転。首の後ろ、膝の裏側、背中も叩く。

 致命傷になる攻撃はしない。

 踏み出した足を踏ん張り、鉄槌を横に振る。

 二歩後退しただけ。

 あと少し届かない。

 力任せに鉄槌を止めて、横殴り。振り抜いた先にキースはいない。伸びきった腕のすぐ横、木刀で手の甲を叩く。

 間合いをとる。

「どんな姿勢でも、軸を通し、集中して、一撃を繰り出す」

 大男が突進してきた。

 鉄槌を振り上げる。同時に大男の懐に入る。踏み出した足を突く。一瞬だけ力を込めて、足の指を潰す。

 呻く大男。

 踏ん張りが効かず、前のめりになる。

 キースはその場で回転。遠心力を加えた木刀で喉元を叩く。 鈍い音。鉄槌を杖に、倒れかけた身体を支える。

 キースの振り上げた木刀が足首に落とされる。何かが切れる音。

 呼吸困難と激しい痛みで膝をつく。

 横振りの木刀が大男の後頭部へ。振り抜く。鉄仮面が飛び、大男はそのまま倒れた。

 動かない。

 死んではいないが、戦える状態でないのは明らかだ。

「ガルじいは、今の私より強かった。倒したなんて言葉、次に使ったら殺すからな」

 木刀を振り下ろす。

 鉄槌の柄と木刀が見事に折れた。

 大男の顔を見るキース。

 数年前、自分が木刀でつけた傷が大男の額に残っていた。


 歓声はない。

 静まりかえった会場。衝撃が強すぎて声が出ない。進行役の男も驚いた顔のまま、身動きしていない。

 気がつくと、キースは競技場から去っていた。


「負けるとは思っていませんでしたが、木刀一本で倒してしまうとは。折れないように力を加減してこの結果。凄いです。キース様、感動です。惚れ直しました」

 同意を求めて、隣のクラナを見るスミ。

 睨まれていた。

「駄目だからね。キースはあげないから」

 勘違いされている。

 慌てて首を振る。

「違います。誤解です。私はキース様の剣術に感動して、惚れ直したのです。そういう意味ではありません!」

 口ではそう言ったが、正直不思議な感情が沸いていた。女同士の好き、とは違うもっと欲情的な気持ち。

「キースを迎えに行くよ」

 クラナが言った。

 立ち去る彼女を急いで追いかける。

 通路の階段を上がっていると、クラナが待っていた。

「あげないからね」

 念を押された。


 十六才の少女が鉄仮面の大男に勝つなど、誰が予想しただろうか。

 スミが番号札を持って、交換所に立っていた。傍らで待つキースとクラナ。通りすぎる観客は、視線は浴びせるがキースに近づこうとしない。好奇心より恐怖が勝っているからだ。

 ここでは強い者が絶対。何をしても許される。キースの強さは人を寄せ付けないものだった。強者には服従するしかない。穏やかな日常になってきても、過去の惨状が根強く人の心に残っている。

 それほど国は荒れていた。

 スミが帰ってきた。何だか浮かない顔だ。

「どうしたの?」

 クラナが問う。

「はい。全額総取りだと思っていたのですが、もう一組キース様に賭けた方がいたようで・・・」

 いつからそこにいたのか。

 キースが振り返ると、若い男女が近くに立っていた。

「久しぶりだな、キース」

 男は言った。

 キースは平然としているが、クラナは身構えて警戒していた。

 スミは首を傾げる。

 キース様の、お知り合い?

 一年近く前、ルコスの『武闘会』で対戦した男とその妹。

 ウラとサラが立っていた。


 良い店を知っている、と案内されてやって来た。裏路地の小さな酒場だが、元兵士もならず者もいない。地元民しか知らないような落ち着いた店だった。

 店主とウラたちは知り合いのようで、注文せずとも酒と料理が運ばれてきた。

「まずは再会に乾杯」

 ジョッキを上げるウラ。

 全員がジョッキを当てる。

 武闘会の勝利にもう一度乾杯。

 ウラはジョッキを飲み干し、店員を呼んだ。

「お前に会ったら言おうと思っていた」

 ウラが言った。

 ありがとう。

 テーブルに両手をつき、頭を下げた。

「お前のお陰で俺は生きている。お前のお陰でサラが生きている。本当に感謝の気持ちしかない。ありがとう、キース」


 武闘会の決勝戦。キース対ウラ。生死を賭ける程の熱戦と高揚感。目的は剣術の師匠を殺したザギへの復讐。

 それを忘れるほど、キースとの対戦は心踊った。

 邪魔をしたのは師匠の仇、ザギだった。

 倒せる自信はあったが、全く歯が立たなかった。背中を刺され重傷。妹のサラも瀕死状態だった。

 その時、キースの迅速な対応で、二人は死なずに済んだ。


 スミは思い出す。

 そう言えば、兄妹で凄腕の剣士が『武闘会』に出ていた。兄は短剣に長い柄を付けたナギナタ《《》》、妹は細身の直刀剣。大陸中部では珍しい東よりの剣術。

 確か決勝戦でキース様と対戦していたはずだけど、結果はどうだったか。

 何故かそこからの記憶が欠落している。


「まあ、あれよ。大陸で一番の剣士は兄様ですけど、あなたは特別に一番にしてあげるわ」

 兄を血縁以上の感情で慕うサラが、キースに対して言った。

 彼女なりの感謝の言葉。

 ウラが言った通り、そこは良い店だった。酒も料理も美味しく、雰囲気も最高だった。

「ドガイは俺たちの故郷だ。大抵の事は知っている。何でも聞いてくれ。役に立つことがあると思う」

 ウラが言った。

「フィニカに行きたいのだが、出来るだけ最短で行く方法はないか?」

 キースの問いに、ウラは少し驚いた顔をした。

 フィニカは遺跡と岩山と荒れ地。人が定住出来る環境ではない。移動民族が少数いるらしいが、把握している者はいない。

「そこに何かあるのか?」

 ウラが問う。

 スミとクラナは食べることに夢中だ。

 ウラは一度剣を交えただけだが、信頼出来ると思った。

「生きている人と変わらない人形を作る者が、遺跡にいるらしい。そいつを倒しに行く」

 ほう、とウラ。

 サラを見る。答えはいつも同じ。ウラの決めた事にサラは従うだけ。

 サラは頷いた。

「面白そうだな」

 ウラが言った。

「もしお前がよければ、俺たちにも手伝わせてもらえないか?」

 命を救ってもらった恩がある。借りを返す好機だと思った。

 キースは何か考えている様子だった。

 すぐに察する。

「ザギに刺された傷はもう完治している。自分で言うのも何だが、剣術の腕も上がっている。まあ、お前程ではないが。少しは役に立てると思う」

「どんな奴か、何が待っているか。未知な部分が多い。命の保証は出来ない」

 キースが言った。

 微笑むウラ。

「望むところだ。そんな楽しい旅なら、是非参加したい」

 戦うことにこの上ない喜びを感じる。戦闘民族の血を引く宿命、みたいなもの。強者を求め、自身の向上を計る。

 キースは手を差し出した。

 握手する。

「心強い。よろしく頼む」

「こちらこそ。足を引っ張らないよう精進する」

 仲間が増えた。

 旅の準備に一日欲しいと言われ、出発は明後日の朝となった。


 翌日。

 スミが、一日あるなら行きたい場所がある、と言った。このクドに、サリュゲンの元弟子が刀鍛冶をしているらしい。キースも興味があるので同伴することにした。

 クラナはキースと甘い時間を過ごしたかったようで、渋い顔をしたが、結局ついて行くことにした。

 大きな欠伸をするスミ。

「よく眠れなかったのか?」

 キースが問う。

 苦笑するスミ。

 女三人だし、同室でよいと思って宿を取ったが、とんだ誤算だった。

 二つの寝具で、スミはひとりで、キースとクラナは一緒に寝ていた。

 まあ、姉妹みたいに仲良しなので、何も思わなかったのだが、夜遅くまで二人の寝る方から聞こえる声が、スミの寝不足の原因となった。

 本当に友人以上の関係なんだと確信した。

 何だかこっちまで変な気分になって、二人の行為が終わっても、興奮して寝つけなかった。

 キース様が相手なら、それも有りだと思う自分が、ちょっと怖かった。

「大丈夫です」

 言いたい事はあったが、その一言だけ返した。

 恥ずかしそうに、すまない、とキースが小声で言った。その顔が堪らなく可愛らしかった。

 昨日旅費を盗まれた通りを横切り、人通りの少ない道を進む。宿屋の店主に聞いた道筋。公共の水源地がある広場。地下から汲み上げているらしく、井戸が二つあった。その広場を越えてすぐ、鉄を叩く音が聞こえてきた。


 若い女が三人、こちらを見ながら近づいてきた。

 ファロイは作業の手を止める。

 肌の浅黒い女があいさつした。どうやらサリュゲンの弟子らしい。彼から見れば弟弟子、いやこの場合は妹弟子と言うのか。

 後ろの二人は。

 ひとりは細身の病弱そうな女。魔法使いらしい。

 もうひとりは・・・!!

 ファロイは立ち上がる。

 昨日鉄仮面の男を木刀で倒した女剣士だ。

 彼は昨日の『武闘会』の会場にいた。

 近くで見ると、本当に小柄で、少女なのに妖艶な美しさを感じる。

 この容姿であの強さ。

 もし神が存在するなら言いたい。

 不公平過ぎる、と。


「キース様は、あの伝説の剣士ガガル様の最後の弟子です」

 スミが言った。

 また驚く。

 彼女の腰にある刀を見て、さらに驚く。

「ちょっと見てもいいかい?」

 ガガルの使っていた刀。

 刀鍛冶なら絶対見たくなる逸品。

 キースは腰から抜いて手渡してくれた。

「おおおぉぉ」

 言葉が出ない。

 全体が艶の無い黒塗りで、鍔の彫りもそれ程凝ったものではない。なのに何だ、この存在感は。

 抜いてみる。

 本当にこれが五十年以上前のものなのか。手入れは良くされている。今の持ち主のキースが良い剣士だという証拠。それよりも、この見事な曲線と波紋の美しさよ。

 名工と呼ばれる者の技術の高さ。神業とはまさにこの事。

 ガガルの刀を返す。

 キースの腰にはもうひと振りの刀がある。

 ひと目で師匠の作だと分かる。

 相変わらずの 偏屈者。刀身の美しさより機能を大事にする。

 紅の鞘に金色の模様なんて、目立ち過ぎだろ。

「刀剣を見てもいいですか?」

 スミが言った。

「勝手に見ればいい」

 ありがとうごさいます。

 注文を受けた刀剣が陳列してある棚に向かう。

 眩しいくらい目が輝いていた。

 若いな。

 師匠が認めたのなら、才能があるのだろう。しかし、何故ここにいる?

 振り返るとキースと目が合った。

 思わず目をそらすファロイ。

 今まで、こんな美しい顔の女を見たことがない。どうしていいか分からず、やりかけの作業に戻る。

 スミとキースはファロイの鍛えた刀剣を見ながら、何やら話している。細身の魔法使いは、近くの椅子に座ってつまらなそうにしている。

 昨日の対戦を見て、気になったことがあった。聞いてみたいが、話しかけるきっかけがない。そんな事を考えていると、キースが声をかけてきた。

「小刀が多いですね」

 作業を止める。

「長刀は苦手でね。俺は小刀専門だ。ま、注文があれば、それなりに作るがな」

 今なら聞けるか。

「あんた、何で二刀流じゃないんだ?」

 不思議そうな顔をするキース。

「俺は師匠ほどの刀は作れないが、剣士の技量や性質は、見れば大体分かる」

 勇気を出して、キースと目を合わせる。

「昨日の試合を見て思ったんだが、あんたの動きと太刀筋が釣り合っていない」

 体術得意だろ?

 ファロイの問いに、少し考え、うなずくキース。

「せっかく鋭敏に動けるのに、長刀ではそれを活かせない」

「そんな事。考えたことはありませんでした」

「今でも十分強い。でも、戦法の選択肢があっていいと、俺は思うがな」

 腰の刀に触れるキース。

「その二本じゃあ、二刀流は無理だ。刀の性質、ていうか用途が違い過ぎる。同じ性質の刀じゃないと」

「例えば、これなんかどうですか?」

 すぐ側にスミがいた。

 小刀を二本持っている。ファロイがキースに見せようと思っていた刀だった。

 何だ、コイツは。

 妹弟子だが、ちょっとムカついた。

 キースがスミから手渡された小刀は、注文品ではなく、客寄せのために鍛えたもの。持てる技術を全て注ぎ込んだ。仕上がりには自信がある。

 刀身はキースの頭くらいの長さ。両刃の直刀。光の当て加減で、刀身が青くなるのは、刃の強度を高めるために、異なる鉄を加えているからだ。柄はまだ付けておらず、荒縄を巻いているだけ。

「この奥に試し斬りできる裏庭があります。そこで試してみたらどうですか?」

 言い終えて、ファロイが怒っているのに気付き、

「・・・と思いますが、ファロイ兄さん、いかがでしょうか?」

 と、言葉を足す。

 嘆息するファロイ。

 俺は師匠と反りが合わず、修行半ばでここに逃げたが、この子は合いそうだな。

 キースが俺を見ている。

 返事を待ってるのか。

「構わんよ」

 スミが我が家のようにキースを導く。

 俺も興味があるので、作業を止めて後を追う。

「深呼吸しておいたほうがいいよ」

 後ろにいるクラナが言った。

 「どういう意味だ?」

 問うファロイ。

 クラナは答えず、笑顔を返した。


 死ぬかと思った。

 思いっきり呼吸する。

 息する事を忘れるなんて、初めての経験だった。

 スミを見て、クラナを見た。虚ろな目をしているが、ちゃんと呼吸している。

「仕方ありません」

 スミが言った。

「キース様の剣技を初めて見た方は、みんなそうなるんです」

 そうなのか・・・

 いやいや、それよりも。

「小刀を使うのは初めてだよ。今まで見たことないし」

 クラナが言った。

 ファロイはもう一度キースを見た。

 最初は普通だった。刀の感触を確かめるように、ゆっくり、縦に横に、軽く振っていた。

 軽く振っただけなのに、試し斬り用の藁が斬れる。

 あんな軽く振っただけで、斬れるものなのか?

 キースが一度深呼吸した。

 動きが変わった。

 多分そこから俺は呼吸を忘れた。

 円を描くような足さばき。または、地面を強く蹴って滑るように飛ぶ。小刀は腕の一部のように、キースの手の中で踊る。

 藁が斬れて、藁をくくっている太い木が斬れた。

 実戦さながらの殺気。恐ろしく速い剣速。

 昨日の試合なんて、実力を半分も出してないじゃないか!

 不思議な感覚。

 ああ。あの剣技で斬られてみたい・・・

 今度は過呼吸になった。

 気がつくと、俺は椅子に座って、スミが背中をさすっていた。近くの水差しを取って、そのまま飲む。

「大丈夫ですか?」

 スミが問う。

 ファロイは片手を上げる。

 キースは小刀を手先でクルクル回してもて遊んでいた。

「私の夢は、キース様が認めてくれる刀を鍛えることです。その勉強のために、いま一緒に旅をしています」

 スミが言った。

 なるほど。そういうことか。

「あの女剣士の近くにいれば、十年、いや、修行では得られないものがある。よく学ぶことだ」

 はい、ありがとうごさいます!

 生意気だがどこか憎めない。

 俺は逃げたがお前は頑張れ。

 キースが近づいてきた。

「良い刀です」

「当たり前だ。俺の自信作だからな」

 もう一度、手元の小刀を見つめるキース。

 幼児が面白い玩具に出会ったような、キラキラした瞳。

「これを売ってくれませんか?」

 キースが言った。

「そんなに気に入ったんなら、あんたにやるよ・・・と、言いたいが、こっちも生活かかってるからな。でもまあ、ちょっと安くしとくよ」

 キースが微笑んだ。

 何だか、胸のあたりがモゾモゾする。

「少し待ってくれ。装飾は作ってあるんだ」

 立ち上がって、小刀の柄を取りに行こうとする。

「これですね」

 スミが言った。

 手には、ファロイが取ってこようとした小刀の柄がある。

 やっぱりコイツ、ムカつく。



 早朝。

 待ち合わせは、クドの南門前。

 門といっても、形式的な簡素なもので、検閲官はいない。

 ウラとサラは、既に門の前で待っていた。

「大丈夫なのか?」

 ウラに聞かれる。

 スミとクラナのことだ。

 相手の出方が分からない状況で、二人を守りながら戦うのは、例えキースでも厳しいだろう。

「問題ない」

 キースが言った。

 彼女がそう言うなら、と納得するウラ。

「フィニカへの最短は、首都のヒズリアを通るのが近い。だが、あそこは検閲が厳しく、特に俺たちみたいな武装した剣士は、なかなか通してくれない」

 王族や高官たちが多く住んでいるから。

「なので、東よりの、トナスを通って行こうと思う」

 国土は広いが、ほとんどが砂漠の国。

「任せる。よろしく頼む」

 キースが言った。 

 出発だ。

 男ひとり、女四人の旅が始まった。

 何もなく、順調に進めば、フィニカまで 三日程だ。

 しばらくは平原が続く。

 ドガイは大陸中央部に比べ、ノマの発生率が少ない。恐らくは、数百年前にプレ・ナが住んでいたフィニカが関係していると思われるが、それを知る者はほとんどいない。

 馬は快調に走る。

 青い空に地平線。心地好い風。

 途中、クラナが馬上で居眠りをして落馬したが、幸い草原なので怪我はなかった。

 キースと相乗りを懇願したが、サラが反対した。

「私だって、兄様と相乗りしたいのを我慢してるんです。ずるいですわ」

 と、サラに小声で言われた。

 クラナとサラ。

 案外気が合うかもしれない。

 日暮れ前。

 初日は何もなく、無事トナスに入国した。



 荒れた大地。

 その一角に、巨大な岩山がある。大きな地殻変動があったらしく、大地には亀裂があり、起伏があった。

 岩には、人の手が作った穴がいくつもあり、中は迷宮のごとく通路が交錯していた。

 一番奥に、地下へと続く階段がある。

 見事なほど円形の巨大な穴は、どこまでも地下へと向かっている。

 その途中。

 横へと続く道がある。

 そこは現世と常世が繋がっている場所。

 プレ・ナが残した技術。


「トナスに来たよ」

 女の子の声がした。

 小さな黒い塊が動く。禿頭の白い髭を伸ばした小男。

「サロワめ、裏切りおったか」

 ここにいることは仲間以外知らない。時期から考えて、サロワだと断定した。

「トナスにはトセイヤがいるが、ロズを倒した女だ。念のためだ。お前も行け」

 分かった。

 十才くらいの女の子。振り返って走り出す。

「急がねばならんな」

 作業に戻る。

 小男の目の前には、祭壇のような作りのものがある。石なのか木なのか、何で造られているか分からない。

 中央に大きな平板がある。鏡のようだが、光の少ないこの地下で、淡く光っているのは何故だろう。

 その横に人形がある。鏡の両脇に二つ。 布のような柔らかい素材だが、それではない。

『聖地』で眠るコンサリと、見覚えのある男の人形。

 小男は手元のはめ絵《《》》を必死で合わせる。何万通りもの組み合わせが解けたのは、小男の執念と奇跡。

 冥界と繋がった。

 特定の魂を、冥界から見つけられるのは、プレ・ナの技術だから。

「よし、成功だ」

 小男が言った。

 鏡の光が一点に集中して、それが光の筋となって人形と繋がる。

 最初は定着に約一日必要だが、二回目はどうだ?

「・・・あれ?」

 即可動した。

「僕、生きてる?」

 男の言葉を、小男は鼻で笑った。

「お前は始めから死んでる」

 男は下を見た。

「あ、カマツだ。久しぶり」

「手足はちゃんと動くか、ロズ?」

 小男、カマツに言われ、手足を動かす紅い髪の男、ロズ。

「うんうん。大丈夫みたい」

 手のひらを見て首を傾げる。

「魔法陣はない。今のお前は、アイツの魔力を使っていないからな」

 へぇ~、そうなんだぁ。

 祭壇から飛び降りる。

「で、何でまた呼んだの?」

 ロズが問う。

「あの女、キースがここに向かっている。私の護衛をしろ」

 ロズの顔が明るくなった。

「キースが来るの?」

 嬉しそうだ。

「またキースと戦えるんだ。うわー、楽しみだなぁ」

「魔法は使えん。剣術のみだ」

 えー、つまんないよ。

 その代わり・・・

 ロズの顔がまた明るくなる。

「いいじゃん、それ。気に入った」

 コイツとは一生馬が合いそうにない。はしゃぐロズを見ながら思う。

「早く来ないかなぁ」

 陽気なロズを放置して、カマツは作業に戻る。

 何度失敗しても、これは成功するまでやるしかない。

 プレ・ナの魂が定着出来る人形を作ること。

 最後の課題。

 成功するまで母国には帰れない。

 人形は完璧だ。問題は魂の定着。何百年とかけて自分たちの身体を変えてしまったプレ・ナ。そして、プレ・ナの魂は脆く、すぐに自覚が消えてノマへと変貌してしまう。

 タイミングが全て。

 この定着実験が成功しないと、コンサリの魂を人形に移すことは出来ない。

 大陸に渡って二十年。コンサリの人形を作って十年。そろそろ終わりにしたい。

 もう少し、もう少しなんだ。何かが掴めそうなんだ。

 誰にも邪魔されたくない。

 カマツは手元のはめ絵《《》》を、必死で動かした。



 遥か東。

 海に面した窓。

 長くて真っ白な髪をなびかせる妖艶な女性。額には『威』に似た文字が浮かび、目に見えぬ誰かと話をしていた。

「ねえ、最近カマツと連絡取れないけど、放っておいていいの?」

 問う。

『心配ないよ。彼は人見知りだからね。人形が成功すれば、向こうから連絡してくるよ。それまで待つさ』

 頭の中に響く声に嘆息する。

「呑気ね。サロワは最後に裏切った。カマツも分からないよ」

『もし裏切っても大丈夫。君がいるからね、イリリ』

 微笑む女、イリリ。

「あのキースって。随分気にかけてるようだけど、あたしは容赦しないよ。殺すからね」

 声の主が笑った。

『君を倒せないようでは、生きていても仕方ない。いいよ、好きにすればいい』

 声の主の気配が消えた。額の文字がゆっくり消えていく。

「このあたしを倒そうなんて、百万年早いわ」

 髪をなびかせ、振り返る。

 部屋を出て、目の前の護衛の兵士に近づく。

「イリリ様、どうかされました・・・?」

 指を一本。兵士の額につける。

 頭の後ろから、何かが吹き出した。

 兵士は直立したまま後ろ向きに倒れた。

 立ち去ろうとして、足を止める。回廊の向こう、中庭から若い男が現れる。

「何人殺せば気が済むんだ?」

 嘆息するイリリ。

「コルバン、あたしに護衛はいらない」

 何度も言ってるでしょ。

「一応決まりだからな。お前は大事な官僚のひとりだ」

 中庭に入って、若い男、コルバンに近づく。

「さっさと戦争を始めましょうよ。早く人の血を全身に浴びたいわ」

「そのための準備をしている。もう少し待て」

 コルバンを睨むイリリ。

「なんなら、あの二人を殺してきてもいいのよ」

 本気だ。

「メラスとファウザか。あの二人は私が何とかする。それなりに利用価値がある」

 何度も聞いた言葉。

 イリリは振り返って、回廊へ戻った。

「たまには会議に出席しろ」

 彼女の返事はなかった。





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