第三部episode14 「伝導」

 ポレスを拠点としたのは、反乱軍にとって利点が多いからだ。

 王を救い、国を再建する。

 思いをひとつにして集まったとはいえ、相手は組織された兵団だ。まともにやり合えば勝ち目は無い。だから、ゴルゴルの兵団にポレスまで追い詰められた、というわけではない。初めからそういう作戦だった。



 ゴルゴルは大陸のほぼ中央、ロカ山脈の東側、やや北よりにある国。二年前の戦争で、イーゴルとプーゴルという国が統合されてできた国。

 元々野心家だったイーゴルの国王をその気にさせたのは、紅い髪の少年ロズ。

 特異な性癖を持つ国王を惑わし、ロズは戦争を起こさせた。

 ロズのただの気まぐれ。

 やがて現れるキースを待つ間の暇つぶし。

 多くの人が死んだ。

 人生を狂わされた者は数知れず。

 そのロズがキースに倒されてから、ゴルゴルの様子は一変する。

 以前から好機を狙いつつ、同志たちを集めていた反乱軍に、元プーゴルの騎士団だったスレイとラザンが加わった。反乱軍はこれを決起として活動を開始する。

 一方のゴルゴル。

 ロズを失った悲しみからか、国王は怒り狂い、反乱軍の一掃と、元プーゴル国民の皆殺しを命じる。

 ほとんどの兵団を送り、さらに南にある国ドガイから傭兵を雇う国王。

 戦争が始まって約一ヶ月。

 あるきっかけから、戦況が大きく動く。 



 西の街ポレスは、石造りの建物が密集していて、路地が細く迷路のように入り組んでいる。街と街を繋ぐ大通りさえ封鎖してしまえば、隊列を組んだ攻撃はできない。少人数の白兵戦が主になる。

 そうなれば、勝敗を決めるのは数ではなく、個人の戦闘能力だ。

 反乱軍は、プーゴルの王族騎士団にいたスレイとラザンを中心とした集団だ。

 元兵士だけでなく、実力があれば一般人も参加している。ゴルゴルに反旗を翻そうと、好機を狙っていた集団は、実は以前からあり、スレイとラザンがそれに加わって、さらに参加者が増えた、というのが現状だ。

 強い味方を得て、士気が高まっている反乱軍。

 一国を攻め落とす程の兵力を送ってきたゴルゴル。

 ポレスでの戦闘が始まって五日目。ほぼ互角に戦ってきた戦況が急に反乱軍へと傾いてきた。

 きっかけは二人の参加者。

 ひとりは元ルコスのプレ・タナ。強い魔力を持ち、幻覚魔法と治癒魔法を得意とする者だ。

 もうひとりは・・・・



 夜明け前から始めた作業がようやく終わった。

 辺りを見回す。

 ありったけの弓矢を各建物の屋上に置いた。梯子を何度もかけ直し、路地と屋上を何度も往復した。おそらくは、路地に入り込んだゴルゴル兵を、上から狙い打つ作戦。弓士を百人くらい配置すれば、確かに戦闘は有利になるだろう。

 だが、反乱軍に腕の良い弓士はいない。

 作業を終えて屋上から降りていく仲間たち。手を振る仲間に合図を送り、男も梯子に向かう。すると、誰かが屋上に登って来た。

 顔まで隠すローブを着た小柄な者。

 続いて・・・・

 「ちょっと。お尻触らないでよ、馬鹿ラザン!」

 甲高い女の声。

 彼女は知っている。先日から反乱軍に参加しているプレ・タナだ。負傷した仲間を魔法で治療しているのを見た。

 「梯子から落ちそうになったのを助けたのに、馬鹿とは何だ」

 圧倒的な存在感。

 反乱軍の副将、ラザンだ。

 彼を馬鹿呼ばわりするとは、なんという女だ。しかも、罵声を浴びせながら彼の脚を蹴っている。数ヶ月旅を共にしてきたかなんだか知らないが、元王族騎士団のラザンに対して失礼極まりない態度だ。

 不満を表情に出していると、小柄なローブ姿の人物が近づいてきた。

 フードを下ろす。

 声は上げなかったが、表情に動揺が出ていたと思う。

 この世にこんな美しい女性が存在するのだろうか。まだ幼いが、明らかにほかの女とは違う。

 激しく脈打つ心臓。

 ひと目見ただけで男は冷静さを失っていた。

 彼女は男の前を通り過ぎ、東の方角を見た。

 振り返る美少女。

 一瞬目が合った気がして、男は変な声を上げた。

 彼女はラザンのいる方を見ていた。

 「クラナ」

 プレ・タナの名を呼んだ。

 「ゴルゴル兵団の様子が見たい。力を貸して」

 彼女の言葉を聞いて、クラナの態度が変わる。

 最後にラザンを睨みつけてから、足早に歩き出す。男の前を通り過ぎて美少女と並ぶ。

 「気になる事でもあるの?」

 問うクラナ。

 「念のためだ。兵団の顔ぶれが見たい」


 兵団の・・・顔ぶれ?

 男は耳を疑った。

 

 ローブを脱ぐ少女。

 異国の民族衣装。着物に似た素材。袖は肩口までで、前腕に厚手の布を巻いている。裾は脚の付け根の少し下まで。中肉の真っ直ぐな脚が目を引く。そして、両腰には細身の反りのある刀が一振りずつ。これも異国の武器だ。

 印象的なのは、緑色をした髪。

 肩までありそうな髪を、後ろでひとくくりに束ねている。

 

 クラナは少女の背後に立つ。片手を彼女の背中に触れさせる。指先を少し動かせて止まった。振り返る。彼女は男を見ていた。

 男は肩を叩かれた。

 ラザンの太い腕が巻きついてきた。

 「喜べ青年。お前は今からあの魔法使いの護衛役に任命する」

 頭を締め付けられる。

 これ以上力を加えたら殺される。そんな状況だ。

 「いいか。ここで見た事は他言してはならない。すればどうなるか、お前なら分かるよな?」

 必死に首を縦に振る男。

 満足そうな顔をするラザン。

 「何も問題ない。続けてくれ」

 ラザンの方を見て嘆息するクラナ。

 「護衛なんていらないけど・・・まあいいわ」

 クラナは少女の背中に向き直る。

 「人に見られたからって、どうにかなるものではないけどね」

 背中に触れた指を動かす。

 呪文。

 男は魔法について詳しくないが、魔法を発動させるものとは違う気がした。何か異国の言葉を聞いているようだった。しかし、少女の背中で動く指は、魔法陣のような形を描いている。

 男の判断は正しい。

 クラナは魔法呪文でなく普通の言葉を発していた。

 人でなく、プレ・ナの言葉。

 それが少女の役に立つと教えてくれたのは、北のリノーズに住む女性。

 指先から溢れる魔力を、肉体を構成する最小単位に集中して注ぎ込む。それが満たされると、伝導して隣の最小単位へ魔力が注がれる。

 やがて、少女の身体は魔力で満たされた。

 少女は目を閉じた。

 「遠くを・・・見たい」

 誰に向かって言った言葉か。

 ゆっくり目を開ける。

 心地よい風がどこからか吹いてきた。 

 「数は多くない・・・二百、くらいか。ただ、ポレスでの戦闘を考えて傭兵を多く引き連れている。」

 ここで見えるのは、石造りの街並み。しかも平らな屋上部分だけ。少女が何を見て言っているのか、男には理解できなかった。

 「それでは、個人戦は避けて三人か四人の小隊で行動させましょう。戦闘経験豊富な元騎士団員を一名加えて・・・」

 男の横で策を練るラザン。

 同じ人とは思えない巨体を見上げる男。

 少女とクラナが、何かを話しながらこちらに向かってきた。男の正面で立ち止まる少女。あまりの美しさに、男は呼吸するのを忘れるくらい動揺した。

 「私はキース。彼女はクラナと言います」

 よく通る澄んだ声。

 着ている服は南国の民族衣装なのに、顔つきは北国の民族。それが彼女の不思議な魅力を、さらに強く演出していた。

 「クラナのこと、頼みます」

 目の前のキースから、甘い果実の匂いがした。

 どう答えていいか分からず、男は引きつった笑顔を返した。

 頭の上で高笑い。

 ラザンに何度も背中を叩かれる。骨が砕けそうだ。

 「こんな間近で主様の戦いぶりが見られるなんて、お前は幸運だな」

 ラザンを見上げ、苦笑する男。

 「ところで主様。弓矢の数はこれで足りますかな?」

 キースに問う。

 「大丈夫。矢が尽きるまでここで援護します。だから思う存分戦って下さい」 

 彼女の言葉を聞いて、またラザンが笑った。



「叫びたくなったら、叫んでいいからね」


 目の前に立っているクラナに、最初に言われた事を思い出す。

 振り返った彼女は、微笑み、また向き直った。多分彼女も最初はそうだったのだろう。その表情が男の気持ちを理解していると告げていた。


 男は大声で叫んでいた。抑えきれない感情が、雄叫びとなって溢れた。

 ポレスの街の建物の上。

 平らな屋根の上で、美しい少女、キースが矢を射っていた。小さく細身の身体から、鋭い矢が風を切って放たれる。矢は仲間に斬りかかろうとするゴルゴルの兵士の腕を貫き、路地の角から突然現れた兵士の足を貫いた。

 矢は姿勢を正し、十分弓を引いて、よく狙いを定めて射るもの。

 男はそう思っていた。

 いや、それは正しい考えのはずだ。

 だが、それでは目の前で起きている事の説明がつかない。


 キースはほとんど休むことなく矢を放っていた。弦が切れれば弓を替え、矢筒の矢が無くなれば、隣の屋根にある矢筒へ移動した。

 狙っている様子はない。

 細い腕が弓を極限までしならせ、鋭い矢が正確にゴルゴル兵を貫いた。

 路地が狭いとはいえ、隣の建物へ飛び移るには少し勇気がいる距離だ。それを軽々と飛ぶキース。

 何なんだ、あの少女は。

 キースの放つ矢は、まるで意思を持っているかのように、路地に流れ込んだゴルゴル兵の動きに合わせて、様々な弧を描いて飛んだ。

 狙って当てている、というより、ゴルゴル兵が矢に向かって当たりに来ている。男にはそう見えていた。

 矢をあれだけ連続で、しかも正確に射る弓士を今まで見たことが無い。

 常識を超えた光景。

 驚きと恐怖を感じたのはほんの一瞬。

 全身に闘争心がみなぎり、興奮が雄叫びとなって溢れた。


 「子供の頃にね、三才とか四才の時。弓の名手に教えてもらったんだって」

 クラナがつぶやく。

 「弓の引き方とか、射る姿勢とか、基本的なちょっとしたこと。それであれなんだよ。参っちゃうよね」

 軽笑する彼女。

 男はそこで始めて、クラナが自分に話しかけていると気づく。

 聞くなら今だと思った。

 「あの、こんな時に何なのですが、質問してもよろしいでしょうか?」

 クラナは少しだけ後ろに顔を向けてうなずいた。

 「あなた様は先ほどから何をされているのですか?」

 当然の疑問だった。

 魔力を自在に操れる魔法使いは、大抵やるべきことが決まっている。


 旅人をノマ(魔物)から守るために魔力を首飾りの石に注ぐル・プレ(案内魔法使い)。

 国や街をノマから守るため、プレ・コア(魔法柱)に魔力を注ぐプレ・タナ(守護魔法使い)。

 戦場に赴き、魔力を火や風に変えて戦士を支援するプレ・サリ(戦闘魔法使い)。なかには治癒魔法を使える者もいる。


 魔法使いは適所によって仕事が決まっている。

 元プレ・タナで治癒魔法が使えるなら、クラナはかなり上位の魔法使いだ。戦闘においてもかなり活躍できるだろう。

 なのに彼女は、先ほどから屋上で何をしているか。

 弓を放つキースを見ながら、片手を身体の前にかざし、じっと立っているだけ。

 魔力を何かに注いでいるようだが、それが何か男には分からない。副将のラザンから護衛を任されたので、彼はてっきり魔法詠唱の時の、無防備な彼女を敵から護衛するものだと思っていた。


 「キースはね、生まれながらに魔法が使えないの」

 クラナが言った。

 それは不思議な事ではない。

 この世には、魔法の使えない者は多い。魔法は選ばれた者、プレ・ナに近い体質の者しか使えない。

 男はキースがプレ・ナの血を引いている事を知らない。

 「だけど、その考えは間違っていた・・・」

 

 遠くに見えるキースが手を振っていた。

 クラナも手を振る。

 建物の屋上から消えるキース。どうやら下に飛び降りたらしい。

 目線をクラナに戻すと、じっとこちらを見ていた。

 「問題は魔力の質。並みの魔力量では駄目だったの。そうねえ、プレ・タナで例えるなら五人分くらいかしら」

 プレ・タナ五人分の魔力。

 プレ・コアに魔力を注ぐのと同等ということか。

 「キースが魔法を発動させるためには相当の魔力量が必要。だけど、魔力を蓄積できない体質だから、私が仲介役になっているの」

 誰にも言わないでね、と念押しされる。

 つまりはこういうことか。

 あのキースという少女は、魔法を使えるが魔力を取り込むことが出来ない。だからクラナが代わりに魔力を集めて送っている。

 

 誰にも言うな、と言われたが、誰かに言ってもまず信用されない。

 プレ・タナ五人分の魔力を持つ者など聞いたことがない。魔力を溜めることができず、魔力を供給されて魔法を使う剣士。それも聞いたことがない。

 言えばきっと馬鹿にされる。

 そんな者はこの世にいない、と。


 背後で音がした。

 男が振り返ると、ゴルゴルの兵士が梯子で屋上に上がったところだった。

 ひとり、ふたり・・・

 鎧で身を包んだ兵士が四人。王族の護衛を主とする騎士団の印が甲冑にある。

 「貴様か。上から矢を射っていたのは」

 剣を抜く騎士たち。

 実際射っていたのはキースだが、それを言ったところでどうにもならない。

 一対一なら勝ち目があるかもしれないが、明らかに不利な状況。

 ラザンに任された以上、命に替えても彼女を守らなければならない。男は覚悟を決め、腰の剣に手をかけた。

 この世の者とは思えない美しい少女、キースの顔が頭に浮かぶ。クラナが死ねば彼女は悲しむだろう。そんな事はさせない。

 「私が時間を稼ぎます。その隙に逃げて下さい」

 立ち上がり、歩き出そうとする男。


 「待って。そこから動かないで」

 クラナが言った。

 男は振り返らない。

 魔力が強い彼女でも、耐魔の鎧には敵うまい。

 一歩踏み出す男。

 首に巻いていた布を思いっきり引っ張られた。

 「動くなって言ってるでしょ!」

 一喝された。

 首が絞まって咳き込む男。

 騎士たちがすぐそこまで迫っていた。逃げる好機を完全に逃してしまった。

 「私のことなど放って、逃げてくだされば・・・!」

 脚を蹴られた。

 「ちょっと黙ってて」

 強めに怒られる。

 「哀れな奴。二人仲良く死ぬがいい」

 騎士のひとりが直刀の両刃剣を振り上げた。

 

 もう駄目だ。

 男は目を閉じた。


 「残念でした」

 この状況で笑みを浮かべるクラナ。

 剣が振り下ろされた。

 途中で気がついても、力のこもった剣は止まらない。

 天井の石床を叩き、剣を落としそうな程の衝撃が騎士の両腕を襲った。

 目の前にいた男と魔法使いが消えた。


 何と!・・・奴等、あんなところに


 背後の騎士が叫ぶ。

 顔を上げて驚く騎士たち。

 男と魔法使いは別の建物の天井へ移動していた。

 

 状況が飲み込めていないのは、この男もだった。自分の身体を触りながら、異常がないか確かめている。

 何も無い。手足はちゃんとあるし、痛みも感じない

 顔を上げると、目の前にいたはずの騎士たちが、二つ向こうの建物に立っていた。

 考えられる事はひとつ。

 彼女が魔法を使ったに違いない。振り返ると、クラナは自信に満ちた顔で騎士たちを睨んでいた。

 「こんな魔法・・・見たことが無い」

 男が言った。

 「当たり前よ。この大陸で使えるのは、多分私独りね」

 梯子を降りていく騎士たちを見ながら、男はクラナの声に耳を傾ける。


 昔、大戦で活躍したある戦士がいた。

 彼は魔力の全てを自身の身体能力に注ぎ、瞬間的に移動する技を完成させた。彼はその技を『瞬動』と呼んで、百人規模の兵団と独りで対戦したという。

 クラナはその『瞬動』と呼ばれる技に手を加え、魔力の強さで再現することができた。

 肉体を強化するのでななく、身体を含めた周りの空間ごと吹き飛ばす。

 呼び名は『魔瞬動』。

 二人目の師匠であるカサロフの案を大成させたものだ。

 実戦で使ったのは今日が初めて。

 どうやら上手くいったようだ。


 唯一の大通り。ポレスと街を繋ぐ通りだ。今は土嚢が積まれ、馬も通れない狭路となっている。

 迷路のようなポレスの路地から大通りへ、ゴルゴルの兵士たちが溢れ出た。

 何かから逃れるように、我先にと走り出る。誰かが土嚢にぶつかろうと、転倒してもがいていようと関係ない。振り返らず、広い場所へとひたすら向かう。

 続いて出てきたのは反乱軍の兵士たち。

 不揃いな防具と武器。様々な経路を伝ってかき集めたもの。

 その中でひときわ目立つ大男。

 長槍を頭上で振り回し、ゴルゴルの兵士たちを威嚇する。

 反乱軍の副将、ラザンだ。

 彼が槍を一振りすると、五、六人の兵士が吹き飛ばされる。


 悲鳴と怒号がひしめくなか、狭い路地からゆっくりと現れる人影。異国の民族衣装を着た美しい少女。

 キースだ。

 細身で背も高くない。だが何という存在感。味方の兵士ですら、彼女の殺気に振り返ってしまう。

 ゴルゴルの兵団は、一定の距離を取ってこちらの様子を伺っている。

 

 「ラザン!」

 キースが声を張り上げる。

 振り返る。

 反乱兵士が道を開け、キースがラザンに近づく。

 「来られましたか、主様」

 ラザンが言った。

 長槍を地面に立てる。

 「主様が加わって下されば、怖いものなどありません」

 キースはラザンと目を合わせず、ゴルゴルの兵団を見回していた。

 その何気ない行動が、今後の戦局を大きく左右するとラザンは知っている。相手の動き、発汗、目線など。キースはそれを見るだけで、彼らが何を考え、どう行動するかを予測する。

 ラザンが知る限り、予測は外れたことがない。

 キースと目が合った。

 その大きな瞳で見つめられると、彼女を抱きしめたくなる。

 突撃の合図を待つ。

 キースが片手を差し出した。

 一歩前に踏み出そうとした足が止まる。


 この手は何を求めている?


 「槍を貸せ」

 キースが言った。

 強制的な口調ではないが、逆らえない力が込められている。

 この状況、何処かで体験したような・・・

 ロカ山脈で山賊達を連行中、ハイオカの群れに襲われた時。あの時もこんな事があった。


 「槍を貸せ」

 繰り返すキース。

 「またですか、主様」

 嘆息するラザン。

 断る理由が無い。キースは持ち主のラザンより、槍を巧みに扱う事が出来る。その事を知っているからだ。

 差し出したキースの手に、槍を託すラザン。

 小柄な彼女には重く、長い槍だが、自分の刀より軽々と扱うキース。

 「相変わらず重いな」

 キースが言った。

 「だが、お前の槍は私の手によくなじむ」

 「光栄です」

 答えるラザン。

 やや皮肉めいた口調。


 別の場所で対戦中だった反乱軍の兵士達が合流した。

 先頭にいるのは、反乱軍の将、スレイだ。両手に剣を持ったまま、ラザンのもとへと進む。

 彼の表情が曇ったのは、ラザンの様子が変だったから。

 「ラザン、お前素手で戦う気か?」

 スレイが言った。

 もちろん、今の状況を理解しての言葉。

 双剣の片方をラザンに渡す。

 苦笑するラザン。

 「悲しい事に、私より主様の方が、あの槍を上手く扱われる」

 ラザンが言った。

 キースを見ながら微笑むスレイ。

 「光栄ではないか。我らが主と認めたお方だ。それくらいでなければ」


 誰もここから動くなと目配せをして、ゴルゴルの兵団に独り向かうキース。

 スレイとラザンは、いつでも飛び出せるように、戦闘体勢を取っている。

 小柄な少女が、扱えそうにない長い槍を持って近づいて来た。ゴルゴルの兵士達は彼女を囲むように隊列を整える。

 槍を地面に立て、ゴルゴルの兵団を見回すキース。

 「降参しろ」

 キースが言った。

 この少女は何を言っている。

 言葉の意味が理解出来ない兵士達。

 「お前達に勝ち目は無い。降参しろ」

 繰り返すキース。

 ざわつきの中に、笑い声が混じっていた。

 ここにいるゴルゴルの兵士達は、キースの実力を知らない。

 そして後悔する。

 少女と侮り、降参しなかった事を。



 城や王族を守る騎士達さえ前線に駆り出されていた。一旦城内(なか)に入ってしまえば、落とすのは容易だと誰もが予想できる。

 そもそも、ゴルゴルの兵団が負けるとは、誰も思っていなかった。

 剣の交差する音。女たちの悲鳴。

 城内は騒然としていた。


 城の最深部。ある一室。

 豪華な装飾が施された甲冑を着た国王。

 対峙する二人の戦士。

 両手に剣を持った男と、長槍を持った男。スレイとラザンだ。反乱軍をまとめ上げ、ついにここまでやって来た。

 国を奪った張本人が目の前に立っている。

 殺してやりたい気持ちを抑え、彼らは彼女の到着を待っていた。


 「お前達が生きていたとはな」

 ゴルゴルの王が言った。

 今更ながら後悔している。あの時、プーゴルの王の願いを聞いていなければ。

 考えが甘かった。

 忠誠心の強い彼らなら、国王から必要ないと追放されれば、行き場を失い、自害するものだと思っていた。

 まさか、王の言葉の奥に秘められた真理を見抜いていたとは。

 彼らこそ騎士という称号にふさわしい戦士だ。

 苦笑するゴルゴルの王。


 実際は違う。

 死ぬに死にきれず、盗賊となって堕落した日々を送っていた。

 ある時、キースという少女と出会って、対戦し、完敗した。その事がきっかけで気づいたのだ。

 己がやるべきこと。進むべき道を。

 

 スレイが振り返る。

 両手の剣を背中の鞘に収めた。ラザンも同様、長槍を背中にまわす。戦闘体勢を解き、お互いが横に少し移動した。

 待ち人、来たる。

 「今すぐにでも貴様を殺してやりたいが、手を出すなと言われているのでな」

 スレイが言った。

 「安心しない方がいい。我々の方が良かったと、きっと後悔する。我が主様は容赦しないからな」

 ラザンが付加する。

 

 どこからか、風が吹いてきた。


 スレイとラザン。二人の後ろから、甘い香りと共に小柄な人影が現れた。異国の民族衣装を着た、緑色の髪が目を引く少女。両腰には、これも異国の細身の剣を携え、迷いの無い足取りで、二人の騎士を追い越し、ゴルゴルの王に近づく。

 すぐに分かった。

 この少女がキースだ。

 寵愛していたロズから、何度も彼女の話を聞いた。

 「貴様・・・よくも私のロズを・・・」

 怒りがこみ上がる国王。

 国王とキース。一歩踏み出せば、手が届きそうな距離。ゴルゴルの王が剣を抜いても、キースは動じない。

 「あなたの国は、もう終わりです」

 キースの強い目。

 後ずさりしそうになる身体を、必死に抑えるゴルゴルの王。

 結果はもう見えている。

 城に攻め込まれ、王の部屋に敵が進入しているのだ。

 それでも、と国王は思う。

 

 ロズのために、一矢報いたい。


 スレイに話しかけられ、後ろを向くキース。

 今だ!

 初代国王から受け継がれてきた名剣を振り上げる。振り下ろす瞬間、キースは二歩後退する。たったそれだけで、国王の剣は届かない。

 剣を抜く隙を与えなければ。

 ゴルゴルの王は、剣先をキースの喉目掛けて突き出す。

 彼女の動きには無駄が無い。

 必要最小限。

 国王の剣はキースの左肩少し上をすり抜ける。

 国王は全力で立ち向かった。

 振り上げる剣が何度外れようと、勢い余って床に倒れようと。腕の上がる限り、心が折れない限り。

 決して追いつけない動きではない。よく見えている。狙いを定めて剣を振る。それなのに斬り殺せない。

 キースの脚が上がった。

 今まで経験したことが無い衝撃が国王を襲う。吹き飛ばされ、床に転がった。脇の痛みは少し後から襲ってきた。

 剣を持つ手がしびれている。


 こんな小さな女に、傷ひとつ付けられないとは・・・・ 


 「あなたは殺さない。王位を退き、この国の行く末を見守りなさい」

 キースの言葉。

 鼻で笑い、突進する国王。

 剣を振り下ろす瞬間、彼女の身体が左右に揺れた。

 さっきと同じ位置。脇腹を蹴られた。今度はもっと強く。身体の中で、何かが砕ける音がした。

 スレイとラザンのすぐ近く。蹴り飛ばされた場所で、床にうずくまる国王。

 意識が途切れる。

 次に目が覚めた時、国王は牢の中。ゴルゴルは崩壊。しばらくは国王不在のまま、街の再生が民の力で始まった。

 その後、地下牢に幽閉されていた元プーゴルの王が新たな国を創設した。自分の名を国名とし、側近にスレイとラザンを迎え、争いの無い平和な国を築いたという。

 それは、キースたちが旅立ってから少し後の話。



 

 出発の日。

 旧プーゴル南部の街、キロン。

 巨大な鉄の扉は開かれ、南へ向かう道が旅人たちを待ち構えている。大きな欠伸をしていた門兵が、慌てて姿勢を正す。

 門を通り過ぎる人影。

 巨漢の男に背中を叩かれ、咳き込む門兵。

 「気を抜くな」

 「も、申し訳ありません!」

 今にも泣きそうな顔。

 「戦争が終わったばっかりだし、少しくらいいいじゃない」

 女性の声。

 彼に意見するとは、何という勇気。

 彼女は知っている。確か、兵士達の治療をしていたプレ・サリ(戦闘と治療を行う魔法使い)だ。噂では、この国の再建に協力してくれると言われていたが、どうやら違うようだ。

 馬を連れた兵士が二名。

 最後に通ったのは、ローブで顔を隠した小柄な女性。顔が見えなくても、彼女も知っている。

 この国の救世主。

 あの少女も行ってしまうのか・・・・

 目の前を通り過ぎた少女から、甘い果実のような香りがした。

  

 反乱軍を勝利へと導いた二人の騎士。

 スレイとラザンが、ローブを着た少女の前で膝をつき頭を下げた。

 少女が顔を隠してるフードを下ろす。

 緑色の髪。後ろでひとつにくくっている。男女を問わず、心を奪われる美しい顔。

 キースだ。

 彼女と出会ってまだ一年も経っていないが、少し背も伸びて、顔も大人びてきた。女らしさに加えて、風格が出てきたように感じる。

 そんなキースに頭を下げ、真剣な表情の騎士二人。

 二頭の馬を連れた兵士も慌てて膝をつく。

 

 「主として忠誠を誓っておきながら、旅に同行しないとは。このスレイ、何とお詫びしてよいか・・・」

 歯ぎしりの音が聞こえそうなほど強く噛むスレイ。

 「主様、もう少し出立を遅らせることは出来ませんか?」

 問うラザン。

 キースの気持ちは変わらない。分かっている。それでも聞かずにはいられないのだ。彼らにとってキースの存在は、今の国王と同等なもの。

 「お前たちには、もう十分尽くしてもらった。これからは国の再建に力を注いで、国王を支えてあげて」

 キースが言った。

 彼女の言葉が心に染みる。

 「これから、さらに過酷な旅になるというのに・・・・」

 身体を震わせ、悔しがるスレイ。

 「大丈夫!!」

 甲高く大きな声。

 スレイとラザンは顔を上げる。

 キースの隣に立つクラナを見る。

 「あんた達の思いは私が引き継ぐ。任せておいて。キースは私が必ず守るから」

 自信に満ちた表情。

 疑いはしない。クラナなら、自分の命と引き換えてもキースを守るだろう。

 『愛の力』とは、とても深く、強い。


「そうだな。お前がいれば安心だ」

 ラザンが言った。

 立ち上がる二人。

 後ろに控えている馬と兵士たちに目配せ。すぐ近くまで呼び寄せる。よく訓練され、鍛えられた馬。加えて食料と水、備品が用意されている。

 「本当にこれだけでよいのですか?・・・腕の立つ兵士なら、何名でもお付けしますが?」

 スレイの言葉。

 笑みを浮かべ、首を振るキース。

 「これで十分だ」

 二人に歩み寄るキース。

 小柄な彼女の背は、二人の胸元くらい。

 クラナが短い悲鳴を上げる。

 スレイに抱きつくキース。戸惑い、動揺していたスレイだが、そっとキースの背中に手を添えた。

 「ありがとう、スレイ。全てが終わったら、会いに来る」

 「はい。それまでに、必ず良い国を築いてみせます」

 顔を見合わせ微笑む二人。

 隣のラザンを見るキース。彼は両手を広げて待ち構えていた。

 スレイから離れて、ラザンに抱きつくキース。

 遠慮はしない。キースが苦しがっても、ラザンは彼女を強く抱く。

 この感覚をもう味わえないと思うと、何だか寂しい気がする。キースもラザンに負けないくらい腕に力を込める。

 「私の槍を持っていかれますか?」

 問うラザン。

 すぐに返事がない。

 ラザンの肩口に顔をうずめたキースが、大きく息を吐く。

 「また今度にする。それまでもっと腕を磨け」

 大声で笑うラザン。

 「これは手痛い。主様に認めてもらえるよう、日々精進致します」

 また強く抱く。

 キースの足が浮いてもお構いなし。

 ラザンを睨むクラナの眉間のしわが、さらに深くなった。

 

 馬にまたがるキースとクラナ。

 別れはつらい。

 それぞれがこれから進む道は険しい。生涯の主と誓ったキースに恥じぬよう、また主として忠誠を誓ってくれたスレイとラザンに負けぬよう、お互い気を引き締める。

 「では、また会おう」

 キースが言った。

 「道中、お気をつけて」

 涙をこらえ、笑顔で答えるスレイ。

 大きく手を振るラザン。


 必ずまた会える。


 その日が来ることを信じ、これから彼らは苦難に立ち向かうだろう。

 スレイとラザンはその場に立ち、見えなくなるまでキースとクラナを見送った。



 

 ナックとは『聖地』から帰って後、リノーズで別れた。

 家族を殺したロズはこの世から消え、この地に留まる理由が無くなった。出来ることなら自分の手でロズを倒したかったが、実力の差があり過ぎた。

 大陸一の剣士と言われていたザギでさえ、あのロズと対戦して勝てたかどうか。

 今更、もうこの世にいない二人の対戦など、予想したところで価値はない。

 

 旅立ちの日。彼はキースにひとつだけ頼みごとをした。

 『もうこの地に未練は無いが、ひとつだけ気がかりな事がある。それは、デワンにいるサリュゲンのことだ』

 彼は刀鍛冶として素晴しい職人だが、生活力はまるで無かった。食事の用意や身の周りの世話は、全てナックがしていた。その前は弟子たちがしていた。

 ナックも弟子もいない今、サリュゲンはどうしているのか。ちょっと様子を見てきて欲しい。そう頼まれた。

 キースとクラナは、南下してドガイに向かう途中、デワンに寄った。

 馬は宿に残して、徒歩で街外れへ。山間の谷、岩の多い道を登る。そこにサリュゲンの工房がある。

 小屋の前の広場。輪切りの丸太を椅子にして、サリュゲンが剣を片手に座っていた。キースとクラナが近づいても、そちらを見向きもしない。両刃の剣を陽にかざし、出来栄えを吟味している。


 「生きていたか」

 サリュゲンが言った。

 視線は剣に向けたまま。おそらくキースに向けた言葉だと思われる。

 剣を差し出した。

 持ってみろ、という様子。サリュゲンから剣を受け取るキース。刀身をじっと見つめ、柄の握り具合を確かめる。

 「荒削りだが悪くない」

 キースの言葉に笑みを浮かべるサリュゲン。

 彼に剣を返す。

 「筋が良い。こいつなら、ワシの技術を継がしてもいい。そう思っている」

 サリュゲンにそこまで言わせる人物。

 小屋の奥で物音。

 出てきたのは革の上着と手袋をした女。

 キースと目が合うなり、悲鳴のような奇声を上げた。

 目鼻立ちのはっきりした可愛らしい顔。肌がやや黒いのは、南の国出身だからか。

 呆然と立ち尽くしていたのもつかの間、何かに突き動かされたかのように、革の上着と手袋を脱ぎ、乱れた着衣を整える。

 何度も自分の服装を確認して、姿勢を正す。

 じっとキースを見る。

 頬に黒いすす。

 「はじめましてキース様。私はスミと申します」


 キース・・・様?


 顔をしかめるクラナ。

 「ルコスでの試合、感動しました。この世にこれ程の戦士が存在するとは、夢にも思いませんでした。あれから、私はキース様を好きになってしまいました」

 突然の告白。

 クラナがキースに寄り添う。

 慌てて両手を振るスミ。

 「いやいやいや。誤解なさらないで下さい。私の好きは戦士としてのキース様でして、決してやましい気持ちではありません」

 どこでどう聞いたのか、キースとクラナの関係を知っているスミ。

 クラナは、何か言いたそうにしていたが、何も言わず横を向いた。

 肯定も否定もしない。

 「私は、剣士としてのキース様に惚れたのです。目的を果たすため、ルコスからサリュゲン様のもとへやって参りました」

 「目的?」

 クラナがつぶやく。

 「はい。私の目的は、キース様が使って頂ける刀を鍛える事です」

 スミの目が一段と輝いて見えた。



 キースが右腰の刀をスミに手渡した。

 「おお。これがあの有名な剣士、ガガル様の刀・・・」

 重さ、形。得られる情報を全て吸収しようとしている。

 鞘から刀を抜き、刀身を見つめるスミ。

 「同じ師匠様から学ばれただけあって、サリュゲン様の刀とよく似ています。でも何でしょう。どこか違うものを感じます」

 「フッ。そこまで見抜くか」

 笑うサリュゲン。

 「ワシの刀との違いは完成度だ」

 「完成度?」

 スミが振り向く。

 「ワシの刀は、使い手があって初めて完成する。その者が鍛錬を繰り返して、刀に使い手の力量を加味する。それでようやく刀本来の実力が出せる」

 うなずくスミ。

 「アイツの刀は、仕上がった段階で完成しておる。ある程度の力量が無ければ、人を斬ることすらできん。棒切れと同じじゃ」

 「ふむふむ。なるほど、そういう事ですか」

 サリュゲンの説明を聞いて、納得した様子のスミ。

 クラナには、両者の違いが今ひとつ分からない。

 「つまり、ルコスの師匠様は刀の完成度が高く、サリュゲン様の刀は使い手の力を借りないと完成しない。他力本願という事ですね」

 スミが言った。

 「おいおい。それではまるで、ワシの方が劣っているみたいじゃないか」

 短く息を吐くキース。

 横を向いているので表情は見えないが、笑っているようだ。

 「滅相もない。私はただ、同じ師に学んでも、剣作りの方向性が違うのだと感心しているのです」

 スミの表情が硬い。

 言葉が過ぎたと、慌てて弁解している。誰が見てもそう見える。

 焦点の合わない目線がキースで止まった。

 「キース様、もしよろしければ、居合いの技を見せていただけませんか?」

 スミが問う。

 今度はクラナが笑った。

 サリュゲンの弟子とはいえ、初めて会った者に、キースが披露するはずがない。

 そう思ったからだ。

 だが、キースは意外な反応を示す。

 彼女は何かを探すように辺りを見回し、クラナから離れた。


 まさか・・・やるつもりなの?


 姿勢を正すキース。

 肩が揺れるほど何度か深呼吸をする。ゆっくり目を閉じ、ゆっくり開けた。

 実戦さながらの集中力。

 あふれる殺気。

 全身の毛が逆立つような感覚に、スミは身震いした。自分に向けられた殺気ではないのに、これ程の恐怖を感じるとは。

 キースは、左腰の刀『キース』をそっと抜いた。

 軽く刀を振る。

 縦に、横に。

 軌跡を確かめるようにゆっくりと、それでいて全く無駄のない動き。刀を振るたびに鈴のような音がする。

 眼では見えないが、何かの『力』が刀に集まっているのが分かる。

 使い手の『気』を食う刀。

 鍛錬を積んだ剣士でさえ、その刀の力で失神する。


 キースの動きが止まった。

 静かに息を吐きながら、刀を鞘に収める。

 振り返る。

 目線はスミに向いている。

 「ここに立って」

 キースが呼んだ。

 嫌な予感はしたが、期待のほうが少し上回っていた。キースに従い、大きな岩の前に立つスミ。

 離れてゆくキースの背中を見ながら、期待した自分に後悔した。

 「動かなければ怪我はしない」

 キースの言葉が呪文のように身体の自由を奪う。

 

 つまり、動いたら怪我をするってことですね


 左手で鞘を押さえ右手で柄を掴む。両足を前後に開き姿勢を低く構える。

 居合いの構えだ。

 大気の流れがキースを中心に変化している。


 不思議な感覚。

 斬られるという恐怖より、斬られたいという気持ちがスミに芽生える。


 抜刀。

 眼に見えない何かが身体の中をすり抜けた。

 その圧力に尻餅をつくスミ。


 「何と・・・」

 サリュゲンがつぶやく。

 「こやつめ、ワシの刀を手なずけおった」

 自分で鍛えておきながら、この世に扱える剣士がいるのかと半信半疑だった。

 ガガルの弟子であり、アーマンの子ならばと思ってはいたが、実際目の当たりにすると驚いてしまう。

 試行錯誤の十年が、ようやく実を結んだ。

 自然と笑みがこぼれてしまうサリュゲン。


 痛みは無い。

 服も斬れていないし、血も出ていない。

 安堵するスミ。

 ガガルの居合いは、刀身に溜めた魔力を飛ばし、複数の兵士を倒したそうだ。キースの居合いも同じはず。

 なのに、何故怪我をしていない?

 彼女の技はまだ未完成なのだろうか。

 ゆっくり立ち上がってサリュゲンを見る。彼の目線は自分を通り越して、後ろに向けられていた。

 振り返る。

 最初は分からなかったが、大きな岩のほぼ中央に細い筋が入っていた。

 ・・・亀裂?

 近づいてみる。

 また倒れそうになる。

 亀裂ではない。

 横に一直線に伸びた細い筋は、鋭利な何かで斬られた跡。

 答えはひとつしかない。

 キースの居合いでできた斬跡。

 「素晴しいです」

 スミが言った。

 「でも、これは我が師匠の鍛えた刀を褒めるべきなのか、キース様の技量を褒めるべきなのか・・・」

 

 そもそも、技量で出来ることなのか


 魔刀『キース』から放たれたものが、魔力なのかそうでないのか、そこが問題ではなく、岩をも斬る『力』がスミの身体を傷つけることなく貫いたこと。

 

 静かに息を吐きながら、刀を鞘に収めるキース。

 その姿を恍惚とした表情で見つめるクラナ。

 

 「よく学んで、良い刀を鍛えてください」

 キース言った。

 期待がこもっている。スミはそう感じた。嬉しくて泣きそうになる。

 「はい、日々精進いたします!!」

 スミは気持ちを新たにした。



 早朝。

 宿屋を出発したキースとクラナは、デワンの南門へ向かった。

 ナックとの約束を果たし、次に彼女達が目指すのは、南の国ドガイ。戦争が終り、行き場を失った兵士や傭兵達が集まっている国だ。

 当初の予定では、このまま東の国イナハンに向かうはずだったが、その前にどうしても立ち寄らなくてはならなくなった。

 そこに倒すべき者がいる。

 ロズ、サロワ、イリリ。三人を従える謎の魔法使い。彼の仲間であり、彼と同等に脅威となる存在。その者を倒すことで、今後の戦局が大きく変わる。


 南門。

 石を積み上げてできた壁に鉄の扉。検閲はなく、いつも扉は開いている。

 キースとクラナは、門のすぐ前で馬を止めた。

 「おはようございます!」

 朝から響く元気な声。

 目の前に旅支度をしたスミが立っていた。

 「な、なんで?」

 クラナが問う。

 明らかに嫌そうな顔をしている。

 「師匠から許しをいただき、しばらく修行をお休みすることになりました」

 キースだけを見つめるスミ。

 「つきましては、キース様の旅に同行させてもらえないかと・・・」

 「駄目に決まってるでしょ!」

 スミの言葉を切るクラナ。

 「観光目的の旅じゃないんだからね。とても危険なのよ」

 「承知しています。これでも自分の身を守るくらいの剣術は会得しています」

 荷物のなかに、女には似つかわしくない武器が見えている。

 「キースも言ってやって」

 キースに委ねるクラナ。

 「何のためについて来る?」

 キースが尋ねた。

 姿勢を正すスミ。

 「私はいずれキース様の刀を鍛えたいと思っています。そのためにはまず、あなた様のことをよく知ることが大切だと考えました。共に旅をして剣技を眼に焼きつけ、これからの修行の目標にしたいのです」

 じっと見つめる。

 目線を外さないのは、それだけ決意が固いから。

 「私は、キース様の全てが知りたいのです」

 愛の告白ともとれる言葉。

 クラナは面白くない。

 振り返ったキースと目が合った。


 まさか・・・

 

 「馬には乗れるのか?」

 問うキース。

 「もちろんです!」

 スミの元気な声が返ってきた。  

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