episode13 「聖地へ」

何が起きているのか。思考が追いつかない。

 キースがそこにいて、ロズという少年が地面にうつ伏せになって倒れていた。

 本人の意思ではない。

 キースの手から発せられる何かの『力』が、少年を拘束していた。

 ロズの様子から見ると、キースの『力』はとても不安定で、強くなったり弱くなったりを繰り返しているようだ。


 「まいったな」

 ロズが言った。

 立ち上がろうとするが、すぐに見えない力で押さえ込まれる。

 どう対処していいか分からない。

 アーマンたちはすぐそばで、何もできず、ただじっとキースとロズの様子を傍観していた。

 三才の小さな子が、あんな『力』を出せるものなのか。

 人とプレ・ナの血を引く特異な子。

 プレ・ナと違い、魔力を持たずに産まれてきたので、人に近いのだと勝手に思い込んでいた。

 もっと注意深く見ていればよかった。そうすれば対処法もあったかもしれない。

 カサロフは悔しさをぐっと噛み締める。


 「大丈夫なのですか?」

 キースを見て、メラスが問う。  

 「あれが大丈夫に見えますか」

 いつも冷静なカサロフが感情的になっていた。

 「あんな小さな身体では『力』に耐えられません。放っておけば命にかかわります」

 「では、止めさせないと・・・」

 「私たちだけで少年に対抗できますか?」

 メラスは言葉を返せない。

 「それに、キース様を止めることはできません」

 メラスもファウザも、カサロフを見た。

 「感情の変化で発動したあの『力』は、キース様の意思と関係なく、暴走を始めています」

 なんと・・・

 「くそう!」

 メラスは地面を思いっきり蹴った。 


 キースのすぐそばに立つアーマン。近づくことも離れることもできず、今頼れる者はひとりしかいなかった。

 「少年は私が何とかする。キースを助けてやってくれ」

 アーマンが言った。

 カサロフは顔を上げて目を閉じた。

 深呼吸をする。

 パパスが書き上げた魔法書を、隅々まで思い出す。


 「取り込み中、悪いんだけどさ・・・」

 ロズの声。

 地面にうつ伏せのまま。

 「この子、自滅するようだし、なんか白けちゃったから、僕はこれで失礼するよ。主の伝言は伝えたから、あとは君たちで勝手にやって」

 少年の輪郭がぼやけてくる。

 どういう術か、ロズの身体は消えようとしていた。

 「キース、だったよね」

 無理やり身体を起こして、キースに目をやる。

 「もし生きていたら、僕は君と再戦したい。生きていると信じて、五年、いや十年後、準備して待っているからね」


 君とはたぶん、再会する日が来ると思う


 ロズの笑顔が風に舞った。

 少年の身体は煙のように淡い形となって、大気と同化した。

  

 一難は去ったが、まだ一難が残っていた。

 アーマンは刀を鞘に収め、キースを抱きかかえた。

 不思議な『力』の放出は止まったが、小さな身体の中で何か異変が起きているのは明白だった。

 アーマンを囲むように、カサロフやメラス、ファウザも集まってくる。

 キースの顔色が悪い。

 アーマンが呼びかけても反応がない。

 高熱を出したように身体を震わせ、意識もはっきりしていない。

 白い肌が、内出血したように黒くなっていく。

 それが何の症状なのか。

 無理やり『力』を押さえ込んだ代償だと、カサロフは思った。

 キースの身体からあふれ出る『力』を止めれば、助けられるかもしれない。それには強力な術式魔法が必要だ。

 ふと、パパスの魔法書が思い浮かんだ。

 アーマンと目が合う。

 「何かあるのか?」

 カサロフは返事をしなかった。

 じっと、弱っていくキースを見つめた。

 迷っている時間はない。

 「パパスの魔法書に、私の知る限り最強の術式魔法が書かれています。

 全員がカサロフに目をやった。

「ただし、この魔法は人に使うものではありません。魔物や霊体など、人知を超えた存在を封印するための術式です。これなら『力』を止められると思いますが、身体にどんな影響があるか分かりません」 

 うなずくアーマン。

 「キースなら大丈夫だ。やってくれ」

 確信は無い。

 だが、カサロフもキースなら大丈夫だと思った。

 彼女をずっと見てきて、普通の子とは違うと感じていた。多分それはアーマンもメラスたちも同じはずだ。

 三才とは思えない運動能力、洞察力。一度教えれば、大抵の事はできてしまう理解力。

 今、目の前で見た不思議な『力』。

 何もかもが常識を超えていた。

 ・・・大丈夫。

 キースならきっと耐えられる。

 カサロフは覚悟を決めた。

 「メラス、ファウザ。手伝ってください」

 指示を出す。

 アーマンの腕からキースを預かり、メラスはキースの服を脱がせた。

 ファウザと二人でキースを支え、カサロフに背中を向けて立たせる。カサロフはメラスの腰元から短刀を抜き、キースのすぐ後ろに膝をついて座った。

 「いいですか。キース様がどんなに暴れても、その手を離してはいけません」

 「分かりました」

 メラスとファウザは目を見てうなずき合う。

 痛々しいキースの背中。白い肌が黒ずみ、呼吸も弱っている。自身の動揺は消せないが、絶対成功させる。カサロフは頭の中で術式を反復する。

 短刀の刃先を指先に。

 呪文を唱えながら、傷から溢れる血を見る。

 血と魔力と呪文。

 カサロフはキースの背中に指を這わせ、自分の血で魔法陣を描き始めた。

 


 「・・・カサロフ?」

 キースの声で、カサロフは現在に引き戻される。

 北の村、リノーズ。

 スレイとラザンを見送った後、彼女たちはある場所に向かっていた。

 村の最北。一軒だけ小屋が建っていた。そこに「聖地」へ行くために必要な人物がいるという。

 その道すがら、急にカサロフが足を止めたので、キースが声をかけたのだ。

 「どうかしたの、カサロフ?」

 もう一度声をかけるキース。

 カサロフはキースを見て微笑んだ。その意味が分からず、困惑するキース。

 「あの小屋に『案内人』が住んでいます」

 カサロフの顔つきが変わる。

 キース、クラナ、ナック。全員を見回す。

 「『聖地』へ行くためには、地理や方角の知識があってもたどり着けません。プレ・ナに『聖地』へ入ることを許可された者、またはその者に入ることを許された者だけが行くことができます。あそこにはプレ・ナに認められた『案内人』が住んでいます。彼らを説得して案内をしてもらわないと、『聖地』へは行けません」

 「彼ら、ってことは、ひとりじゃないってこと?」

 クラナが問う。

 「はい。『案内人』は二人でひと組。地形と天文の知識を持った道案内役と、旅の護衛役です」

 「護衛役・・・」

 ナックはキースを見る。

 彼女がいれば護衛役はいらないのでは、と思った。

 「ひとつ言い忘れていましたが、ここより北に行くと、『聖地』に着くまで魔法は一切使えません。つまり、クラナさんもナックさんも役には立たない、ということです」

 初耳だった。

 魔法が使えない場所があるなんて。

 何の影響なのか定かではないが、百年前から急にそうなったため、北の民族が住んでいた土地が影響している、という説があるそうだ。

 さらに。

 「ここより北の土地の寒さは、想像を絶する寒さです。足元も滑りやすく、吐く息も凍るなかで、キース様のような剣士はなかなか実力を発揮できません。寒さに強いハイオカやほかのノマと対峙した時、苦戦するのは間違いありません。そんな時に必要なのが護衛役の案内人です。彼は狩人であり、悪天候や色々な環境での狩猟技術に優れています。ですから、『聖地』に行くためには、道案内と護衛が必要となるわけです」

 カサロフの説明に納得するキースたち。

「ただ、問題がいくつかあります」

 そう言って小屋に目をやるカサロフ。

 「今の案内人は変わり者で頑固。交渉が上手くいかなければ、案内を引き受けてくれるかどうか・・・」

 振り向いてキースを見る。

 「そして、コンサリをとても憎んでいる・・・」

 何かを言いかけて止めるカサロフ。

 キースたちの知らない事情があるようだ。


 

 小屋に近づくと、生活感のある匂いと、外で作業している男が見えてきた。男は獣の皮で作った防寒服で、白い息を吐きながらこちらを向いた。

 「カサロフ・・・さん」

 「お久しぶりです、トロエ」

 カサロフの後ろにいる三人に目を向ける。ローブを着ているので顔は見えない。

 「今朝早くから、パパスさんが来ていたので、もしやと思っていましたが・・・」

 トロエは、カサロフと会えたことを喜んでいるようだった。

 コンサリを憎んでいるなら、彼女とも会いたくないのでは?

 『案内人』は二人組。

 憎んでいるのは、もう一人のほうかもしれない。

 「仕事の依頼で来ました。彼らを『聖地』まで案内して下さい」

 目線をまたカサロフの後ろに戻すトロエ。

 風貌から三人の素性を計ろうとする。

 「許可証はお持ちですか?・・・カサロフさんも知っての通り、この村も今はゴルゴルの勢力圏内です。国王様の許可証がないと、私たちは案内できません」

 カサロフが後ろを向いた。ローブを着た者のひとりがうなずいたように見えた。

 振り返ってトロエを見るカサロフ。

 なぜか笑みを浮かべていた。

 「問題ありません。ゴルゴルという国は、近いうちに無くなります」

 ゴルゴルが無くなる?

 意味が分からない。

 「ヴァサンは家の中ですか?」

 「ええ。パパスさんといますが・・・」

 三人を連れて小屋に向かおうとするカサロフ。

 トロエは慌てた。

 「今日はやめたほうがいいですよ。何だか朝から機嫌が悪くて。カサロフさんの顔を見たら、暴れだすかもしれません」

 カサロフは足を止めて振り返る。

 「それは好都合。これまでの蟠(わだかま)りが、今日で全て解けるかもしれません」

 益々意味が分からない。

 カサロフの自信はどこから来るのか。

 トロエの前をローブ姿の三人が通る。若い女性。多分魔法使い。異国の顔をした男。はるか東の国の出身か。

 最後のひとり。

 小柄な女性。顔は・・・・!!

 トロエは卒倒しそうになった。

 「コ・・・コンサリ・・・?」

 すぐに自分の考えを否定する。

 カサロフが目の前にいるのに、コンサリがいるはずがない。

 小柄な女性は、トロエの前で立ち止まり、頭のフードを下ろした。信じられないくらいコンサリと似ていた。

 「私はキースと言います。その、コンサリという女性の娘、なのだそうです」

 自分の母親なのに他人事のようだ。

 「では、あの剣士の・・・」

 トロエはカサロフを見る。

 彼はカサロフの事を昔から知っていて、深い部分まで理解していた。だから、彼女の心情を思うと、とても複雑な気持ちだった。

 カサロフは微笑む。

 「私のことはお構いなく。ヴァサンは必ず説得しますので、旅の準備をお願いします」

 返事を待たず、小屋に向かうカサロフたち。

 あと数歩。

 申し合わせたかのようなタイミングで、入り口のドアが開いた。

 長身ではないが、体格の良い男が現れた。殺気のこもった怒りの形相。睨まれると、思わず足がすくんだ。

 「お久しぶりです、ヴァサン」

 カサロフが言った。

 ヴァサンが放つ威圧感に、動じた様子は無い。

 「お前、よく俺のところへ・・・」

 言葉が切れた。

 ヴァサンの目線はカサロフの後ろに向いていた。

 フードを下ろしたキースと目が合った。

一瞬だけ驚いた顔をしたが、またすぐ眉間にしわを寄せた。

 ヴァサンは聞き取れないほど小さな声で、何かをつぶやいた。目線と態度から、カサロフに対してだと思われる。

 同じ村にいながら、もう何年も会っていないカサロフとヴァサンたち。間にある確執は一体何か。


 「ヴァサン、彼女たちを『聖地』まで案内して下さい」

 カサロフが言った。

 ヴァサンは白い息を吐いた。

 「俺が案内すると思うか?」

 フードを下ろしたキースを見る。

 クラナとナックもフードを下ろした。

 「アイツの子なら、尚更だ。もう関わりたくない」

 何処かへ出かける準備を始める。

 開いたままのドアから、小動物が現れる。猫の姿をしたプレ・ナのパパスだ。彼はカサロフたちを見て、一声鳴いた。

 「私では役不足のようだ。彼の説得は失敗したよ」

 表情の変化は分からないが、残念そうな気持ちが伝わってくる。

 顔を見合わせるナックとクラナ。

 猫がしゃべっている。

 頭では理解しているつもりだが、猫がプレ・ナだという事実を、なかなか受け入れられない。どうしても顔が強張ってしまう。

 「大丈夫、問題ありません」

 カサロフがきっぱりと言った。

 彼女は作業中のヴァサンに近づいた。

 「では、あなた流の方法で決めるのはどうでしょう」

 手が止まる。

 「キース様と勝負して下さい」

 ヴァサンは身体を起こし、彼女を見た。

 コンサリと同じ顔。

 だが、まだ幼い。

 「まだ子供じゃないか。俺に勝てるわけが・・・」

 カサロフの顔を見て、言葉を止める。

 「キース様は五才から、ガガル様のもとで修行していました。剣技を見た感じでは、アーマン様やガガル様を越えるのもそう遠くないと思われます」

 ヴァサンは顔をしかめる。

 ローブを着ていても分かる細身の身体。背も高くない。仮に、小さな身体を活かして、素早い動きと剣速が武器だとしても、重みのない軽い剣だと思われる。

 経験と体格の差から考えて、キースに負ける要素がない。

 なのに、何故カサロフは自信たっぷりなのか。

 閉ざしていた感情が、ゆっくり解け始めていた。

 「面白い。いいだろう、勝負してやる」

 ヴァサンが言った。

 え?、とトロエが目を見開く。

 意外な返答に、思わず声を出してしまった。


 「ヴァサンは、ガガル様の弟子でした」

 カサロフが言った。

 「そのまま学んでいれば、アーマン様をしのぐ程の実力者でしたが、素行があまりに悪く、二年で破門されたそうです」

 原因は酒と女だと聞いたが、定かではない。

 ヴァサンは破門されてから、あてのない旅を続け、最後にたどり着いたのがこの村、リノーズ。

 当時の案内人にその腕を買われ、護衛役を引き継ぎ、現在に至る。

 ローブを脱いで、ドレイドの民族衣装をあらわにするキース。

 腕や脚が冷気にさらされ、少し赤みを帯びている。

 カサロフはキースに歩み寄った。

 「彼はアーマン様と同じ技を会得しています」

 彼女が小声で言う。

 ガガルはその技を『瞬動』と呼んでいた。

 魔力の全てを動力に注いで、目の前から消えたように移動する技だ。全盛期のガガルは、その瞬動と人知を超えた剣速で、全戦無敗を誇っていた。

 キースは魔力が無いので、その技は学ばなかった。


 対峙するキースとヴァサン。

 カサロフたちは少し離れた小屋の前で二人を見守る。

 「剣士が剣を使わないなんて・・・」

 不安そうなトロエ。

 彼の目線の先には、キースの刀を持ったクラナがいる。

 キースは勝負の方法をヴァサンに一任した。


 地面に背中をつけたほうが負け

 

 それが勝敗の決め手。

 しかも、武器は使わず素手だけで。

消えたように移動できるヴァサンなら、相手の背後を取るのは容易いだろう。男女の差、体格の差から考えても、キースが力でヴァサンに勝てるとは思えない。

 勝敗はすでに決まっているようなものだ。

 なのに、なぜカサロフたちは落ち着いている? 

 トロエには理解できなかった。


 「俺はいつでもいいぞ。それとも、お前は受け身の戦い方か?」

 笑みを浮かべるヴァサン。

 拳に布を巻き、左手の手のひらに、右の拳を何度も打ち付ける。体格からしても、腕力には自信がありそうだ。

 キースくらいなら、片手で持ち上げられそうなほどの腕の太さ。平手で叩かれても失神しそうだ。

 身体を左右に揺らしながら、ゆっくりとヴァサンに近づくキース。

 右足の蹴り。

 無駄は無いが早い動きではない。

 片腕で受ける。思っていたより強い蹴りだが、驚くほどではない。

 その場で軽く足踏みをして、もう一度右足の蹴り。

 ヴァサンは同じように片腕で受ける。

 身体全体が横にずれて、受けた腕の骨がきしんだ。

 全く同じに見えたキースの蹴りは、全く別物だった。

 何が違った?

 蹴る速度が速かったか。いや、変わらなかった気がする。

 ヴァサンはキースと距離をとった。

 呼吸を整える。

 さっさと終わらせよう。

 ヴァサンは魔力を身体全体に注いだ。筋力は常人をはるかに超え、五感は刃のごとく研ぎ澄まされた。

 キースが何の警戒もなく迫った。

 目の前のヴァサンが消えた。

 キースの左側、少し離れた場所に突然現れる。

 彼女の父アーマンと同じ技。ガガルより学んだ『瞬動』だ。常人の目では追いつけない速さで移動する。

 念のため様子を見たが、彼女には『瞬動』が見えていないと確信した。

 次の移動で決める。

 接近して地面に投げつける。

 キースが動く前に動いた。

 時間の差が生じるせいで、ヴァサンから見るキースの動きは、とてもゆっくりに見える。彼女は何かをしようとしていた。別のほうを向き、腰を低く構えようとしていた。

 偶然か必然か。

 キースの目線は、ヴァサンが行こうとする方向に向いていた。

 とっさに両腕を身体の前で交差させた。

 足が浮き上がる程の強い蹴りを食らった。腕の骨が砕けたかと感じるくらいの衝撃と痛み。 

 キースはその場で素早く回転。

 まわし蹴り。

 ヴァサンの足がまた浮いた。

 小柄なキースが、蹴りだけで体格の良いヴァサンを吹き飛ばした。

 着地点に向かって走るキース。

 腕を伸ばしたが、ヴァサンは目の前から消えた。

 二歩進んで姿勢を低くした。

 突然現れたヴァサンの腕は空振り。避ける間もなく、キースの手が彼の胸元に。

 生気を吸い取られたような感覚が、ヴァサンを襲った。力が抜けて、立っていられなくなった。

 膝をついたヴァサンの肩を押すキース。

 彼はそのまま倒れてしまった。


 「これで決まりですね」

 カサロフが言った。

 その横で、倒れたヴァサンを呆然と見つめるトロエ。

 「信じられない。彼が負けるなんて・・・」

 現実を受け入れることができない。

 彼女の蹴りの強さも脅威だが、何より、ヴァサンの『瞬動』を見切っていたことが驚きだ。加えて、ヴァサンを止めたあの力。

 容姿が似ているだけはないようだ。

 

 何が起きたのか、すぐに理解出来なかった。

 キースを下から見上げている自分がいた。

 「俺は、倒されたのか」

 自覚なくつぶやくヴァサン。

 キースはヴァサンのすぐ横にしゃがんだ。

 彼は目を細める。

 本当にコンサリと同じ顔。まさか彼女の娘と対戦することになるとは。

 「あなたは大切な案内人。怪我をさせるわけにはいきませんので、少し卑怯な方法をとらせて頂きました」

 キースが言った。

 苦笑するヴァサン。

 「いや、構わんよ。俺の『瞬動』だって卑怯な技だ。・・・まあ、あんたには通用しなかったが」

 ゆっくり身体を起こすヴァサン。

カサロフと目が会った。

 彼女とは長い付き合いだ。言葉を交わさなくても、お互いの言いたい事は分かる。

 立ち上がるヴァサン。

 「約束は守る。必ずお前たちを『聖地』へ連れて行く」

 キースを避けるように小屋の方へ歩き出す。

 「トロエ、旅の準備だ」

 名前を呼んだが目も合わせず、ヴァサンは小屋の横にある作業場へ向かった。早速準備を始める。

 カサロフに一礼して、トロエも作業場へ。

 決着のあっけなさに呆然としていると、目の前にキースが立っていた。大事に抱えていた二本の刀を渡すクラナ。

 「勝てるとは思っていたけど、よくあの素早い移動に付いて行けたよね」

 クラナが言った。

 「子供の頃、一度見たことがある」

 だからといって、移動先が読めるのか。

 いや、とクラナは思い直す。

 キースなら、一度見れば対抗策を実践できるかもしれない。実際にそうしているわけだし。

 「ところでさ、何で軽く触れただけで、あの人倒れたの?」

 問うクラナ。

 それは、と横から声が。

 ナックだ。

 「『気』だよ。相手の『気』を操作したんだ」

 思考、行動、反射。無意識にしている呼吸さえ『気』を使っているという。

 キースの手から『気』が送られ、ヴァサンの『気』を乱した。結果、手足の感覚が無くなり、意識が飛んでしまったそうだ。

 ナックが生まれた国イナハンでは、戦闘だけでなく、『気』を使った治療術まであるらしい。

 クラナは見ていないが、キースがルコスでザギと対戦した時、これと同じ力を使っていた。初めて披露したわけではない。


 刀を両腰に収めて、ローブを着るキース。

 冷え切った身体を抱きしめて暖めてあげたい。クラナがそんな事を考えていると、カサロフが作業場の方へ向かっていた。

 「三日だ」

 ヴァサンの声がした。

 「三日で準備する。それまでに身支度をしておけ」

 顔も上げず、ひたすら作業を続けている。

 軽くうなずくカサロフ。

 「分かりました。では、三日後に」

 振り返って、キースたちに目配せする。

 歩き出す一行。

 それを見て、トロエだけが顔を上げ彼女たちに一礼した。

 来た道を戻る。

 色々聞きたい事があったが、カサロフの家に着くまで誰も喋らなかった。  

 

 

  ・・・・少し時間を遡る。

 どこまでも続く白い大地。真上から降りそそぐ太陽の熱射。吐く息も凍るこの世界では、何層にも重なった氷の大地を溶かすことはできない。

 突然現れる氷の壁。

 はるか昔の変動で、隆起した氷の大地。登るには険しく高い。まるで世界と異界の境目のようだ。

 その壁の上に動く影。

 人ではない。四足の銀色の毛で覆われた獣。空を見上げて何かを待っている様子。

 小さな額が妖しく光る。

 何か文字のようなものが浮かび上がる。『参』という漢字に似た文字。

 鋭い牙を持った口が開いた。

 

 「ロズが殺られた」

 獣の口から声が聞こえた。

 一匹しかいないが、誰かに話しかけているようだ。

 『・・・そのようね』

 頭の中に響く女の声。

 感情は無く、ただ事実を受け入れただけの声音。

 『次は、あなたの番よ』

 「分かっている」

 銀毛の獣が答える。

 「しかし信じられん。あのロズが倒されるとはな」

 彼の実力は熟知している。

 魔法も剣術も、この大陸で敵う者などいないと思っていた。その絶対がひとりの少女に覆された。

 『それだけ私たちの認識が甘かったってことよ』

 返す言葉が無い。

 『まあ、あなたなりに頑張りなさい』

 銀毛の獣が笑ったように見えた。

 「お前は大丈夫なのか?」

 問う銀毛の獣。

 姿は見えないが、女が笑みを浮かべた気がした。

 『あの男の弟子が抵抗しているけど、こちらには強い味方がいるしね。大丈夫よ、誰も海を渡らせないわ』

 自信に満ちた声。

 愚問だったと後悔する。

 女の実力は知っている。殺傷能力だけなら三人の中では抜きん出ている。あの少女がいかに強くとも、女に勝つことは無いだろう。 

急に何かが変わった。 

 女の声を押しのけて、別の者が割り込んできた。そんな感覚。

 『・・・彼が話したいそうよ。ちょっと替わるわ』

 女の気配が消えた。


 『君は君の役目を果たせばいい』


 別の声が頭の中に響く。

 威厳のある声ではないが、逆らえる相手ではない。

 「分かっている」

 張り詰めた声。

 獣にとって彼は主であり、この世に人格を繋ぎ止めるため、魔力を提供してくれている命の源。

 彼の命令は絶対だ。

 十年間、獣は主のため『聖地』に滞在し、任務を遂行している。結果をなかなか報告できないのは、働きが悪いのではなく、それだけ慎重で、緻密な作業だからだ。

 進行具合を聞かれる。

 「順調だ」

 答えはいつも同じ。嘘ではない。少しずつだが確実に進んでいる。

 『君からの報告を楽しみに待っているよ』

 穏やかな口調だが、別の意味が含まれている気がする。

 さすがに十年は待たせ過ぎだという自覚はある。しかし、初めての事をするには必要な年月だ。

 失敗は許されないのだから。

 『あ、それから、キースがそっちに行くみたい。ロズが色々と喋ったから、多分母親の身体を取り返すつもりだよ。サロワなら大丈夫だと思うけど、くれぐれも気を抜かないようにね』

 すぐに返事がない。

 全く、ロズがいなくなった事で、こっちにしわ寄せが来たか。そんな事に関わっていたら、私の作業が遅れるじゃないか。

 嘆息する獣、サロワ。 

 『じゃあ頼んだよ、サロワ』

 それだけ伝えて消える。

 女の気配もしない。

 見えない相手との会話は終わったようだ。

 銀毛の獣は立ち上がり、きびすを返した。ロズを倒した相手に、どれだけ抵抗できるか分からないが、準備だけはしておこう。

 銀毛の獣、サロワは何処かへ向けて走り出した。



 同じ頃、大陸の東側。

 海に面した大国、イナハン。そのある場所で、空を見上げるひとりの女。

 真っ白で長い髪。魅惑的な身体の線に沿った民族衣装。金や銀の糸で紡がれた刺繍は、この国で魔除けとされる伝説上の獣。

 気配に気づいて振り返る。

 美しい顔。血のように赤い唇。最も目を引くのは、額に浮かんだ文字のようなもの。漢字の『威』に似た形。

 近づく人影に、女が笑ったように見えた。

 「ロズが殺られたわ」

 女が言った。

 人影は、女の横で立ち止まった。

 若い青年。そうか、と一言。彼もまた、女と同じく見慣れぬ民族衣装。腰にある武器は、反りのある細身の剣。おそらくは刀と呼ばれるもの。

 青年の顔に表情はなく、女の額から消えてゆく文字のようなものを、じっと見つめていた。

 「ガガルは、自身の剣術も優れていたが、師としての才能も並みではなかった。キースも父親同様、よく学んだのだろう」

 青年が言った。

 「対戦してみたい?」

 女は笑みを浮かべる。

 「いいや。この身体になったとはいえ、剣術では敵うまい。私の専門は戦術や戦略を思案することだからな」

 女から目線を外し遠くを見る。

 「だが、人とプレ・ナの血を分けた者がどれ程のものか、この目で確かめてみたいとも思う」

 「『聖地』に行く、ってことは、父親同様あの女を取り返しに動くってことでしょ。だったらいずれこの国にも来るんじゃない?」

 女の様子を見て、眉間にしわを寄せる青年。 

 「・・・・嬉しそうだな、イリリ」

 「フフ。殺しがいのあるくらい成長してくれればいいのだけど。期待して待つことにするわ」

 苦笑する青年。

 そこへ、また別の人影がやって来た。

 武装した兵士がひとり。二人と少し離れた場所でひざまずき、頭を下げる。

 「イリリ様、コルバン様。そろそろお時間です」  

 兵士が言った。

 「分かった。すぐ行く」

 青年、コルバンが言った。

 二人は西の空に別れを告げ、兵士と共に何処かへ向かった。

 潮の香り。

 ちょうど海からの風が吹き始めたところだった。







第二部 完

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