第二部 episode8 「罠」

「本当に・・・いいの?」

 クラナが問う。

 表情が硬い。頬が紅いのは緊張しているせいか、それとも・・・

 「クラナの好きにすればいい。心の準備は出来ているから」

そう言って顔を伏せ、目を閉じるキース。

 クラナの喉が鳴った。口が渇いて飲み込む唾が無い。

 息が荒い。

 興奮を自分で抑えられない。

 目を閉じたキースの顔をじっと見る。同性でも見とれてしまう美しい顔。

 このままずっと彼女を見ていたい。そんな衝動に駆られながら、深呼吸する。

 「じゃあ、遠慮なくいかせてもらうからね」

 クラナは頬を両手で叩き、気持ちを落ち着かせた。


 短い、聞き慣れない言葉。


 呪文を詠唱すると、振り上げた手の杖の先から、炎の球が現れた。

 杖を持った手を、上げたままゆっくりと回す。炎の球は杖の動きに合わせて回り、力を溜める。

 クラナは攻撃魔法が得意ではない。

 それは、魔力が強すぎて、加減が出来ないから。

 杖をキースに向けた。

 弓で弾かれた矢のように、炎の球は杖から放たれた。

 直撃。

 キースの体は炎に包まれた。


 「え、うそでしょ?!」

 クラナが思わず言葉を漏らす。

 心配する間など無かった。

 キースはそこに立っている。何も変わっていない。炎は一瞬で消えた。

 離れた場所で見ていた二人がやって来た。

 スレイとラザンだ。

 この出来事に合う言葉が出てこなかった。

 キースの状態を確認するため、走り寄るクラナ。あの大きなノーラムを焼き尽くす炎だ。人に向ければ火傷どころではない。

 プレ・タナ(魔法使い)同士で、相手が自分より魔力が強い場合、効力が弱くなることはある。謎の少年、ロズの時は別として、無力化されることは有り得ない。

 それに、キースは魔力を持っていない。

 何が魔法を消したのか。


 「信じられん」

 スレイがつぶやく。

 「クラナ、大好きなキース様だから、何か細工したのか?」

 ラザンが問う。

 キースの横で、クラナがムッとする。

 「試してみる?」

 杖を向けると、ラザンは大きく首を横に振った。


 ある日の出来事。

 ルコスを出発して約一ヶ月。南北に連なるロカ山脈が、目の前まで迫っていた。

 見上げる程突き出た岩がいくつもある高原。

 その岩陰で休んでいる時だった。

 「私に魔法で攻撃してくれないか?」

 突然のキースの提案。

 人に魔法攻撃すれば、結果は分かっている。断固拒否したが、ラザンの発言で折れてしまった。

 彼の交渉のおかげで、次の宿場町でキースが添い寝をしてくれると言う。

 折れるしかなかった。

 で、結果は予想外だった。

 ルコスでの戦いで、背中の封印の一部が解けてから、キースの体に変化が現れていた。肉体的なところは、ザギとの対戦で体感した。それ以外の部分。例えば、ロズと対峙した時。魔法で拘束された体を解いたのは何だったのか。ずっと気になっていた。

 今試してみて分かった。

 キースは魔法を打ち消す力を持っていた。


 「じゃあさあ、背中の封印も魔法なんだから、解けるんじゃないの?」

 クラナが問う。

 当然の疑問だった。

だが情報が足りない。

納得する答えは出なかった。

 黙っていたが、キースはあのラマジャなら、未来を知ることができる彼女なら、何か策を練っているはずだと思っていた。

 「まあ、なんだ。明日は久々の宿屋だ。クラナはキース様に添い寝してもらえるんだから、良かったじゃないか」

 結局、ラザンのそんな言葉で締めくくられた。


 キース一行は休憩を終えて出発した。カルスト地形の高原を進む四頭の馬。クラナもそれなりに馬を操れるようになっていた。

 空の青。緑の大地。

 目の前には雄大にそびえ立つロカ山脈。

 雲が近くに感じるのは、きっと標高が変化しているから。

 目的は別にして、彼らは共に旅することを楽しんでいた。


山の麓にある宿場町。

 馬を繋いで宿屋に入る。交渉はラザンが受け持つ。宿屋の主はキースをじっと見つめたまま、上の空で会話。

 仕方ない、とクラナは思う。同性だって見とれてしまうのだから。


 「夕食まで少し時間がありますが、どうされますか?」

 スレイが問う。

 キースは刀の手入れをしたいと言う。クラナは顔つきで分かる。疲労感が全力で伝わってくる。体力の無い身体でよく頑張っているほうだ。

 「お前はとにかく休め」

 ラザンに肩を叩かれるクラナ。

 言われるまでもない、といった表情を返す。


 「あんた達、山を越えるのかい?」

 不意に、宿の主が話しかけてきた。

 「そうだが」

 ラザンが答える。

 「最近、山賊たちが活発に動いているらしいから、気をつけたほうがいいぜ」

 特にあんた、とキースを指差す。

 「顔は隠して越えたほうがいい。山賊に連れ去られるぜ」

 「どういう事だ?」

 スレイが尋ねる。

 「山賊の頭は女好きで有名だ。しかも趣味が少し変わっていて、大人より子供の女を好むらしい。幼くて美しい顔の少女が、ここ最近何人かさらわれたらしい」

 キースを見て納得する。

 主の話が本当なら、キースはまさに好条件だ。

 「興味深いな」

 そう言って腕を組むラザン。何やら考えをめぐらせている様子だ。

 「見たところ、旅の剣士のようだけど、生半可な腕じゃ山賊たちには敵わないぜ。死を恐れない兵士くずれの集まりだからな」

 主は真剣な表情。

 彼の目にキースはどう映っているのか。

 クラナはラザンのにやけ顔の方が気になった。


 「旅の物資を調達してきます」

 そう言ってスレイとラザンは町へ出た。

 キースとクラナは部屋へ。

 薄暗い階段を登る。木造だがあちこち金属製の金物で補強されている。今は時期ではないが、冬になると背の高さくらい積雪するそうだ。

 ルコスには冬が無かったので、クラナには冬の寒さも雪も分からない。

 キースにとっては懐かしい記憶。四才までいた街は北にあったので、一年の半分は雪で覆われていた。 

 部屋に入る。

 机がひとつとベッドがふたつ。

 クラナの暗い表情が明るくなる。ベッドで眠れる幸せ。それ以上に嬉しいのは、キースと一緒にいられる事。しかも今夜は添い寝してくれる。

 二人きりだ。

 間違いが起きたって不思議じゃない。

 木窓を開ける。

 日暮れ前の風は冷たかった。やや興奮ぎみのクラナには丁度良い。目の前にはロカ山脈が壁のようにそびえている。

 クラナの横、窓枠に座るキース。少し伸びた緑の髪が風で揺れる。ただ座っているだけなのに、つい見惚れてしまう。

 「夕食まで時間がある。少し眠ったら?」

 優しく微笑むキース。

 泣きそうになる。

 旅に同行して良かったと思う瞬間。

 「じゃあ、キースも」

 手を掴んで引っ張る。

 「いや、私は・・・」

 「約束したでしょ、添い寝してくれるって」

 そう、何も夜だけとは限らない。

 強引にベッドへ誘う。キースの困った顔もまた堪(たま)らない。お構いなしでベッドに押し倒し、身体を密着させて横に寝る。

 キースの温もりと鼓動を感じながら、胸いっぱいに彼女の匂いを吸い込む。

 疲労回復にはこれが一番だと思う。


 ドアをノックする音。

 クラナは目を開ける。

 野営生活が長いせいか、音には敏感になった。

 部屋はまだ明るい。それ程時間は経っていないようだが、一晩寝たくらいすっきりした気分だった。

 「顔色が良くなった」

 キースの声がすぐそばで聞こえる。

 どうやら彼女に添い寝してすぐ、眠ってしまったようだ。

 「お連れの方が戻られました」

 ドアの向こうから女性の声。

 たぶん一階の食堂にいた人。スレイとラザンが帰ってきたら、一緒に食事をすると伝えていたから。

 名残惜しいが仕方がない。続きは夜だ。

 クラナはベッドから起き上がる。


キースとクラナが食堂にやって来ると、スレイとラザンが立ち上がった。

 先程呼びに来た給仕人の女性が、二人の反応を不思議そうに見ている。

 気持ちは分かる。誰が見たって主従関係を逆に思うはずだ。

 四人が席に着き、慌てて厨房へ向かう女。物資の調達がてら、町で仕入れた情報をスレイが話していた。

 山賊の動きが活発になったのは、ここひと月だと言う事。そして、金や物資より、若くて美しい女性を狙った行動が多いらしいこと。

 ただの偶然かもしれないが、キースたちが旅立った時期と重なる。

 謎の少年、ロズが脳裏をよぎる。


 給仕の女が、ジョッキを持ってやって来た。満杯に入った酒を、一滴もこぼさず器用に配る。白く濁った酒。この地方独特の酒だ。

 「まあ、とりあえず乾杯しましょう」

 ラザンがジョッキを掲げる。

 苦笑いの後、乾杯。甘みがあって飲みやすい酒だった。

 つまみの豆や料理が次々と運ばれてきた。クラナが率先して料理を取り分ける。

 食事をしながら話は続く。

 「ここからゴルゴルへ向かうには、山越えが近道ですが、山賊に出くわす事も考えられます。無益な戦いを避けて、南よりの迂回路を通る選択肢もありますが、どうされますか?」

 スレイが問う。

 キースの答えは決まっていた。

 「山賊たちを一掃します。あの少年が関わっている可能性があるなら尚更、背中を向けて進むわけにはいきません」

 クラナの手が止まる。

 「無理に危険を犯して進まなくてもさ、いいんじゃない?」

 彼女の言葉は、ラザンのテーブルを叩く音でかき消された。

 「さすが主様。そうでなくっちゃ面白くない」

 嬉しそうだ。

 彼は戦いたくて仕方がないらしい。

 「山賊と言っても、相手は戦い慣れした元兵士たち。人数も分かりませんし、何か策を練らないと返り討ちに会いますぞ」

 スレイが言った。

 ラザンが手を上げる。

 「名案がございます」

 何かを企んでいるような悪い顔。

 彼が苦手なクラナは、あからさまに嫌な顔をする。

 「戦いにおいて、確実に勝利を手にするには、敵の核となる部分を狙うこと。つまり、山賊の本拠地に侵入して、頭の首を取る」

 ラザンは手で首を切る真似をする。

 「頭領は女好きで、幼くて美しい少女がお好みだ。と、なると?」

 目線がキースに向けられる。

 「陽動か」

 スレイが即答する。

 「主様がわざと山賊に捕まって、頭領のもとへ行き、倒す。どうですか?」

 自信満々の表情。

 クラナは面白くない。

 そんな事しなくたって、襲ってきた山賊を脅して棲み家に案内させ、頭領を倒せばいいじゃないか。そう言おうしたら、

 「それでいい」

と、キースの一言。

 言葉が出なかった。

 スレイは苦笑い。

 ラザンは腕を組んで思案顔。

 「ただ、今のお姿では山賊も襲ってくるかどうか。旅の商人を装って、町娘のような服装をした方が良いかと・・・」

 給仕の女が山盛りの皿を運んできた。この町自慢の肉料理だ。香辛料の香りが食欲をそそる。

 男のひとりと目が合った。長年の経験から、夜の相手に誘われると思った。この顔は女好きの顔だ。無愛想にならないように、笑顔を作りながら、穏便に断る言葉をいくつか考える。

 「おお・・・おお!」

 ラザンが大声を出して立ち上がった。

 給仕の女が短い悲鳴を上げる。とっさにクラナが彼女を庇う。

 彼は感情が高まると、声が大きくなって、大げさな動作も加わる。

 「主様、ちょっと立ち上がってくれぬか?」

 勢いにおされ、ゆっくり立つキース。

 「女、主様の横に立て」

 泣きそうな顔で、ラザンの指示に従う。クラナは鋭い視線を送って彼を牽制する。

 二人を見比べている。

 また先程の悪い顔。

 ほかの者にはラザンが何に納得したのか分からない。分かるのは、キースと給仕の女の背格好が、よく似ていることだけだった。


翌朝。

 クラナはベッドの中で、肌に感じる違和感で目が覚めた。

 すぐに頭痛が襲う。途切れている記憶が、少しずつ繋がっていく。昨夜は美味しい料理と甘い酒で、思いっきり騒いだ。キースと一晩、同じベッドで過ごせる嬉しさも加味して、いつもより酒を飲んだ。

 と、思う。

 記憶に無い部分がある。

 こめかみをさすりながら、身体を起こす。布団が落ちて、冷気に体温を奪われる。

 「うわっ、寒い」

 自分の肩を抱き、何も服を着ていないことに気づく。


 ・・・え?


 まる裸だった。

 慌てて布団をかぶる。すぐ隣に人肌の温もり。クラナにとって心が落ち着く彼女の匂い。キースだ。

 また驚いて身体を起こす。

 キースもまた、裸だった。先に起きていたのか、クラナを見つめながら、寒そうに肩を抱いていた。

 顔だけ出して布団をかぶる。

 「おはよう、クラナ」

 キースが微笑む。いつもより女らしい表情だった。

 「なんで?」

 疑問は自分に向けたのか、キースなのか。

 「覚えて、ないの?」

 うなずくクラナ。

 「かなり酔っていたから、覚えていないかもしれないけど、部屋で二人きりになった途端、服を脱ぎ始めて。私もクラナに無理矢理・・・」

 覚えていない。

 「もしかして私、キースに何かした?」

 キースが恥ずかしそうにしている。初めて見る表情だった。

 「覚えて、ないのか」

 何かしたんだ、恥ずかしがるような事を。自分で自分を褒めたい。よくやった。だけど残念。全く覚えていない。

 「酔った勢いとはいえ、私のこと嫌いにならないでね」

 懇願する。

 胸が苦しくなるほど愛おしい顔でうなずくキース。

 思わず抱きしめてしまうクラナ。

 ドアをノックする音。

 「おはようございます。約束の物を持って来ました」

 給仕の女性の声がした。


 食堂で待つ、スレイとラザン。

 最初に給仕の女が階段から降りてきた。愛や恋に疎い二人でも、彼女の笑顔が違うと感じた。次にクラナがやって来た。振り返って、何か小声でつぶやくと、階段の方へ戻っていった。

 クラナはキースの腕を引っ張りながら戻ってきた。

 店主はキースの姿を見て、開口したまま、何とも言えない表情をしていた。

 本人たちは気づいていないだろうが、スレイとラザンも同じような顔をしていた。

 給仕の女の服。よく見かける町娘の姿。長袖のシャツに厚地のスカート。色あいも地味だ。なのにキースが着ると、貴族のような上品さがあった。

 隣にいる給仕の女と、つい見比べてしまう。


 「一回、何も言わずに抱きつかせて」

 そう言って、キースに抱きつく給仕の女。

 彼女の気持ちがよくわかるクラナ。次は私が、と思っている。

 キースのことを一言で表現するなら、『可愛い』だろうか。幼さの残る美しい顔が、より引き立っていた。

 この姿で町を歩けば、男女を問わず必ず注目されるだろう。

 あとは三角巾でもかぶって、目立つ緑の髪を隠せば完璧だ。

 「上出来です、主様」

 ラザンが言った。

 「あとは、その刀を預かります」

 手を差し出す。

 キースが左手に持つ刀を見る。

 「やはり、持っていては駄目ですか」

 うなずくラザン。

 「町娘が武器を持っているのは変でしょ?」


 町で得た情報をもとに、よく襲われる旅の商人を装い、よく出没する時間を見計らって出発した。宿の使用人をひとり雇って、商人に仕立てた。命の危険があるが、高額を提示したら二つ返事だった。

 荷馬車も用意した。使用人の男とキース、ル・プレのクラナが乗っている。スレイとラザンはそのままの姿で、護衛のル・ジェとして馬に乗る。

 山道に差し掛かった。

 地形に合わせて、道が大きくうねっている。両側の巨木が、暖かい日差しを遮って、夕暮れのような明るさだった。

キースが使用人の男の肩を叩く。スレイたちと目を合わせ、うなずき合う。

 巨木の影から人の気配が近づいてきた。

 道をふさぐように、二人の男が現れた。男は荷馬車を止める。草木を踏みつける音がして、人影が道に溢れ出た。

 荷馬車を取り囲んだ。ざっと十人はいるだろうか。

 スレイとラザンは馬から降りて武器を持つ。対戦するつもりはない。形だけは護衛らしく振る舞う。


 「金と積み荷を置いていけ。命までは取らん」

 誰かが言った。

 「お金はありますが、積荷は卸したのでありません」

 商人役の使用人が答える。

 三人の山賊が荷台に寄る。確かに積荷は無い。荷台にはル・プレらしき細身の女と町娘。男の妻か恋人か。

 顔を覗きこむ。

 聞いたこともない変なうめき声をあげた。

 「あああ、兄貴、おおお、女・・・」

 言葉が上手く出ない。荷馬車の前に立つ、二人の男を呼ぶ。また二人が荷馬車に近づく。

 スレイとラザンは武器を構えるが、兄貴達の鋭い視線を浴びて逃げ腰だ。手まで震えている。名演技だ。

 吹き出しそうになるのを隠すため、下を向くクラナ。

 二人の男も同じような反応をした。

 「こりゃあいいぞ。頭に良いみやげができた」

 指示を出す。

 町娘の少女(キース)を荷馬車から引きずり降ろす。

 「先にこの女を連れて帰る。お前らはこいつらを安全な場所まで案内してやれ」

 ひとりの男が、キースを軽々と肩に担いだ。

 三人の男が森の中へ消えた。


 「行ったか?」

 ラザンがつぶやく。

 「行ったようです」

 商人役の使用人が答える。

 大きく伸びをするラザン。荷台の上で立ち上がるクラナ。何かに怒っている。

 「私のキースをあんな雑に扱って。許せない」

 「見失わないうちに追いかけるぞ」

 スレイが言った。

 呆然としている山賊たち。武器を構えて荷馬車を取り囲んだ状況で、商人と護衛たちは平然としている。

 死を目前として、動揺しているのか。いや、そんな様子ではない。

 「お前ら、悪いが死んでもらう」

 誰かが凄みを効かせて言った。

 誰も聞いていない。

 護衛の男が商人に金の入った袋を渡している。

 ラザンが振り返った。

 「お前たちはどこの兵士だ?・・・イーゴルか?」

 返事はない。

 「俺たちを知らんのなら、終戦前に動員された兵士か」

 何も答えないが、明らかに動揺している。

 荷馬車の上で、クラナが床を踏み叩いた。

 「あんたたち、楽して死ぬのと苦しんで死ぬのと、どっちがいい?」

 

 荷馬車と使用人は町へ戻った。

 クラナたちはキースを追って、山賊たちの本拠地へ。

 荷馬車を囲んでいた山賊たちは?

 幻覚の中で何度も肉体が腐って、死よりも恐ろしい体験を繰り返していた。



 もっと山深い場所だと思っていたが、馬は一時間ほどで速度を緩めた。

 見上げる高さの見張り台に、丸太で作った門壁。岩場の広い平地に山賊たちは住んでいるようだ。

 キースは馬に乗せられ、後の男が手綱を握っていた。道中わざと身体を密着させて、荒い息を耳元に吹きかけてきた。

 殴ってやりたい気持ちを何度も抑えた。

 馬から降ろされると、手足を拘束された。両手は手首をくっつけた状態で固定され、両足は肩幅くらいしか開かない。手首足首に金属製の拘束具が付けられた。

 ただの町娘に大袈裟な拘束だと思ったが、理由はすぐ分かった。拘束具を付けながら男がぼやいていた。

 山賊の頭は、女を拘束したまま犯すのがお好みらしい。

 首輪まではめられた。

 男が鎖を引く。首輪を引っ張られ歩き出すキース。下を向きながら周りの状況を確認する。山賊の人数、地形、戦力。

 独りでどうにか出来る状態ではない。

 普通ならば。


布と木で構成された住居。遊牧民族の家に似ている。その中で、一際大きく手の込んだ天幕。男に導かれ、キースは歩く。鎖の擦れる音が耳につく。

 天幕に近づくと、鼻をつく匂いがした。これは香ではなく煙草の匂い。

 男は顔だけ幕に入れて、誰かと話していた。

 顔を出して振り返る。

 「中に入れ」

 男が鎖を引く。

 拘束された両手で鼻を押さえながら、幕をくぐる。高い天井。手の込んだ刺繍。男が五人、高者な椅子に座る男を囲んでいた。

 中央の柱に鎖を繋がれる。

 男が頭を押さえつけて無理矢理座らせる。

 そろそろ我慢も限界にきていた。


 「顔をよく見せろ」

 椅子の男が言った。

 髪を引っ張られ、顔をあげた。おお、とどよめきが起こった。

 幼い少女ではあるが、どこか品があり、何より見たこともない美しい顔立ち。

 頭領は椅子から立ち上がりキースに近づいた。目の前でしゃがんで、彼女の首に手をかけて顔を引き寄せる。

 身なりはこの地方の服装だが異国の顔つきだ。戦場で見た北の民族に似ている。

 キースは男の体臭に顔をしかめる。

 「いい女だ」

 頭領は笑った。

 「お前が山賊の頭か?」

 キースが問う。

 「そうだが」

 「ロズという魔法使いを知っているか?」

 「ロズ?」

 頭領は問い返す。

 「黒いローブを着た、紅い髪の少年だ」

 知らないと答えると、女は明らかに態度を変えた。

 殺気のようなものを感じて、とっさに離れる頭領。キースがゆっくりと立ち上がる。さっきよりも身体が大きく見えた。


 「それなら、ここに長く居る必要はない」

 周りの男たちも、キースに変化に反応して身構える。

 両手足を拘束され、さらに首輪の鎖が柱に繋がれている。そんな女に何ができるのか。男たちは何を恐れているのか。

 頭領は声をあげて笑った。

 男たちも笑った。女に恐れた自分を消すために。

 「気の強い女は嫌いじゃない」

 そう言って、椅子に座る頭領。

 「女の服を脱がせろ」

 男たちに指示を出す。

 いくら気の強い女でも、これだけの男の前で裸にされれば大抵静かになる。

 男が二人、キースに近づいた。

 頭領はキセルに煙草を詰める。

 次に女は悲鳴を上げるか泣き叫ぶ。この瞬間がたまらない。


 変なうめき声がした。

 頭領は目線を戻す。

 女の前に男が二人倒れていた。拘束された手に倒れた男の剣を持っている。どういう状況なのか理解出来なかった。周りの男たちも動かない。

 キースは剣を一気に振り下ろした。

 剣が折れて金属音が響いた。

 「粗悪な武器だ」

 そう言って折れた剣を捨てるキース。両足を繋ぐ鎖が斬られていた。

 男たちが油断していたのだろう。残りの男たちに合図する。キースを連れてきた男も含めて四人。彼女を取り囲んだ。

 「傷つけるなよ」

 頭領の言葉。

 キースの後ろに立つ二人が押さえつけて、前の二人が服を剥ぎ取る。目配せをして間合いを確認する。

 よし、今だ!

 背後から襲いかかった男が目標を見失う。

 キースの左側にいる男。前かがみになった姿勢で、目の前に彼女の肘が迫っていた。よけられない。顔面に食らう。足が浮いて後ろ向きに倒れる。

 右側の男は、キースの体が左に寄ったのを見ながら、踏み出そうとした足が出ない。キースが足を引っ掛けたのだ。そのまま前から来た男とぶつかる。

 もうひとり。

 キースの正面の男は、肘鉄を食らわした両腕が自分に迫ってくるのを見た。反応出来る速さじゃない。両手首を拘束する金具が顎に命中した。

 ぶつかりあった男が倒れる前に。

 キースは一歩だけ足を前に出して、もう少し姿勢を低くした。後方右側の男の腰から短剣を抜く。

 倒れる男たち。

 首輪の鎖の根元。留め具に短剣入れて捻る。刃は折れたが鎖は外れた。

 一瞬の出来事だった。

ただの町娘じゃない。

 戦場で味わった恐怖心が蘇った。

 立ち上がれた男はぶつかりあった二人だけ。この野郎!、と二人の男が腰の武器を持つ。ひとりはそこで自分の短剣が無いことに気づく。


 頭領の天幕から男が転がり出た。

 広場で談笑していた山賊たちが一斉に振り返る。もうひとり飛び出して倒れこむ。起き上がらない。気絶しているのか、死んでいるのか。

 女が出てきた。

 キースだ。両手は拘束されたままだが、首輪の鎖は無く、両足を繋いでいた鎖は斬れて引きずられていた。

 戦慄が走った。ほとんどが元兵士の山賊が集まってくる。

 キースは歩きながらくるりと一周回って状況を確認する。人数、配置、手持ちの武器。次にとる行動まで予想しているとは、誰も思うまい。

 三十人はいるだろうか。

 遠くから弓で狙っている者もいる。


 天幕から頭領が出てきた。

 「お前は何者だ?!」

 キースと目が合う。幼く美しい顔。だがその鋭い視線は、獲物狙う野獣のようだ。

 「山を降りて罪を償え。抵抗しなければ殺さない」

 拘束された者が言う言葉ではない。

 馬鹿にして笑う者はいなかった。天幕の中にいた男たちは、戦士としてそれなりに名を残した者たちだった。それがこのざまだ。

 幼い少女だがあなどれない。

 片手を武器に添える。

 戦場で交錯した怒号が聞こえるようだった。

 「少しは戦えるようだが、この人数だぞ。お前こそ抵抗するな。まだ触れてもいないのに殺したくない」

 こんな極上の女。滅多に手に入らない。味わわずして殺すには、あまりに惜しい。部下の代わりはいくらでもいるが、女はそうはいかん。

 「やってみろ」

 キースが言った。

 今までの山賊たちの扱いに腹を立てていた。

 「お前たち程度で、私を傷つけることなどできない」

 山賊たちが剣を抜き、槍を弓を構えた。

 頭領の命令を待つ。

 

 「手足は切り落しても構わん。女を取り押さえろ!」

 頭領の言葉を合図に、山賊たちが大声をあげる。

 地鳴りがした。

 ひとり対三十人の山賊。間合いを詰められて、広場の真ん中に追いやられるキース。どこからでも狙われやすい場所だ。

 キースは無表情で立っている。焦っている様子もなく、泣き叫んで命乞いをする気配もない。それでもなかなか近づけない。

 戦場を生き抜いた経験が次の一歩を踏みとどませる。

 誰かが叫んだ。

 剣を振り上げた男が向かった。剣を囮に体当たりするつもりだった。あの小さな身体では受け止められまい。

 剣を横に振る。

 キースは前に出た。振り抜く前、当たらない位置まで剣が振られたところで、膝を男の急所に食い込ませる。

 鈍い嫌な音がした。

 男は奇声をあげて倒れ込んだ。

 またひとり、男が突進した。

 細身の突きに特化した剣。傾げた首の横を剣先が過ぎる。耳に風切り音。

 男はキースに対して身体を半身に構え、腕の伸縮で剣を突く。豪快さはないが、剣先の動きは速い。これは西の国の戦術。

 キースは軽く足踏みをしながら細身の剣をかわす。

 男の腕が伸びきったところを狙って、腕に蹴りを入れた。剣は落とさなかったが、男は前のめりの姿勢になった。

 その場で回転してまわし蹴り。

 足首の拘束具が男のこめかみあたりに当たった。吹き飛ばされる。

 両手を固定されているのに、身体の軸はぶれなかった。

 

 「ひとりで行くな、隙を狙え!」

 誰かが叫んだ。

 槍を持った男がふたり、キースの背後にまわった。正面に剣を持つふたり。

 ふたり同時に攻撃すればどうだ。

 正面の二人が突進した。キースは彼らと同じ速度で後退する。

 背後に槍が待ち構えている。逃げられない。槍を突き出した。

 風が吹いた気がした。

 キースは跳躍して、槍の軌道に合わせて空中で後転した。

 二本の槍はふたりの男に迫っていた。



切り出した丸太で組み上げた見張り台。男は役目を放棄していた。

 風を切って飛んできた矢が、見張り台の男を貫いた。丸太の門壁に馬が三頭近づいてきた。

 クラナ達である。

 見張りの男がよそ見とは、まるで意味がない。

 ラザンが先に馬を降りて門壁に歩み寄る。内の様子を伺って二人を手招きする。クラナを守りながら、スレイ達も門壁に近づく。

 山賊たちの声が飛び交っていた。

 予想はしていたが、思っていたより早く始まっていた。山賊たちの根城。中央の広場に人だかり。

 今すぐにでも飛び込みそうなクラナをラザンが止める。

 「ちょっと、何で止めるのよ!」

 ラザンを睨むクラナ。

 「気持ちは分かるが少し待て。人数が多すぎる」

 「弓士が遠くから狙っている。迂闊に入ると射たれるかもしれん」

 スレイが助言する。

 状況がはっきりしない。

 ある程度見極めておかないと危険だと判断した。

 「だったら余計キースが危ないじゃない。私が行って助けなきゃ・・・」

 止められた。

 ラザンに腕を掴まれる。

 「魔法を使うにしても、あれだけ広がっていたら全員には無理だろ。弓士を何とかするから、お前はここにいろ」

 「怪我をさせるわけにはいかんのだ」

 スレイが言った。

 彼の言う通りだ。一度の魔法で全員を幻覚世界へ導く事は出来ない。スレイとラザンがいても、あの人数の中に飛び込めば、クラナひとりに構っていられない。弓矢や剣が多方向から襲ってくるだろう。 

 頭では理解しているが、キースの事を考えるとじっとしていられない。

 「主様を信用しろ。少し待て」

 クラナはまたラザンを睨んだ。

 

 「小隊を組め!」

 「うかつに突っ込むな!」

 誰かが誰かに叫んだ。

 山賊といえども元兵士。戦い方は知っている。ひとりの力は弱くても、訓練と実戦で培った連携攻撃なら自信がある。

 五人ひと組、三人ひと組。決めた合図で指示を出す。

 後退してキースと距離をとった。中央に丸い穴が開いたようだった。

 狙うなら今だ。

 十分な力を蓄えて、矢は弓士の手を離れた。目標のやや左方向。風を読んでの軌道。ゆるやかな弧を描いて、矢先はキースの背中へと向かう。

 駄目だ。たとえ背後から狙っても、彼女はきっと気づいている。

 弓士の口元が緩む寸前、キースは横に動いた。矢は外れた。

 合図する。 

 弓士が一斉に矢を射つ。相手が女であろうと容赦しない。

 見上げるキース。

 上空から矢の雨が降ってきた。弓士の自信とは裏腹に、矢はその美しい顔に結末を予感する。

 土煙が上がる程、強い風が吹いた。

 キースは動かない。

 山賊たちは目を見張る。矢は一本も当たらなかった。幼い少女に何か人と違う力を感じる。自然と武器を持つ手が震えた。

 誰かが雄叫びをあげた。

 男に続いてあとふたり。三人がキースに迫った。横に広がって剣を構える。

 手首を拘束された腕を前に、キースは足を肩幅くらい広げた。

 三人が同時に剣を突く。

 腕が伸びきるところまで後ろに下がる。

 目で追えないほど速い動きではない。剣を引く腕を蹴られた。嫌な音がした。目の前でキースが回る。遠心力を加えた足が男の頬に食い込んだ。

 見えているけど反応できない。

 蹴りを受けた仲間を横目で見ながら、引き戻している剣の横をキースの足が通過する。胸元を蹴られて足が浮いた。

 動作から動作へ。その瞬間を狙われた。

 別の三人が突進してきた。槍と剣。

 首と肩を支点に、槍が風を切って回転する。渾身の一撃のため、踏み出そうとした片足の腿を蹴られる。よろけた。顔面に手首の鉄枷を食らって倒れる。身体が仰け反ってそのまま地面で頭を強打した。

 剣を振り上げた。

 無防備な腹を蹴られた。防具を着けていても打撃の力は抑えられなかった。

 相手はまだ幼さの残る少女。しかも、両手は手首の鉄枷で使えない。

 武器を持った男たちが次々と倒れていく。腕を折られた者、気絶した者。動かないのは死んでいるかもしれない。

 不利を有利に変える。

 手足の鉄枷を武器に変え、打撃の力を補っている。


 なんなんだ、この女は


 頭領の顔が恐怖で歪む。

 精鋭の王族騎士団でも感じたことのない圧倒感。

 仲間の山賊たちが叫ぶ。士気を高めるため。手の震えをごまかすため。対して、少女の落ち着いた涼やかな表情は何だ。

 どこから攻めようが関係ない。背中にも目があるような動き。

 急所を的確に狙う蹴り。弱い部分を弱い角度で打撃され、曲がらない方へ折れる腕。隙を狙った弓士の矢も、一本も当たらない。


 剣を振り上げた態勢で蹴られた。後ろ向きに倒れて仲間とぶつかる。

 キースの背後から抱きつく男。かかとで足先を踏まれる。痛くて思わず緩んだ腕を外されて、振り回した腕が顔の側面に。手首の鉄枷が武器となる。

 もう手段を選んでいられない。

 男がふたりキースに飛びついた。足に抱きつく。さらにもうひとり。横から来て彼女の首に腕を巻く。締め付けるが、首の枷が邪魔をする。

 手首には鉄枷。動けない。

 「取り押さえたぞ!」

 山賊たちから歓声があがる。

 「誰か、新しい枷を持って来い!」

 見回す男。

 視線が止まる。ある一点で。


 「そろそろ助けて下さい」

 キースがつぶやく。

 言葉の意味が分かったのは一人だけ。

 「すいません主様。どこまで戦えるのか、見ていたくて」

 男の声に、山賊たちが一斉に振り返る。

 自分たちよりひとまわり大きい男が立っていた。

 とっさに武器を振り上げたが、間に合わなかった。横薙ぎに振った槍が男たちを吹き飛ばした。

 キースを囲んでいた山賊たちが散らばる。

 「命のいらない奴はかかって来い」

 回転する槍が轟音をたてる。ラザンだ。

 男には遠慮しない。山賊たちは武器を振り上げる。だが、勇ましさは気持ちだけ。器用に回転する槍は、剣や槍をことごとく破壊した。

 ラザンも容赦しない。向かってくる山賊は、腕や頭を武器ごと吹き飛ばされた。


 弓士は何をしている!


 頭領が目をやる。そして後悔する。やられていた。女ばかりに気を取られていたとはいえ、異変に気づかなかったとは。

 腰の剣に手をかける。首筋に妙な感触がある。剣の刃が肌に触れそうなところまで向けられていた。

 気配なく背後に人が立っていた。

 「い、いつの間に」

 「女ひとりに気を取られ過ぎだ」

 刃を首につける。冷たい感触と軽い痛み。

 頭領は腰の剣から手を離した。

 武器を捨てさせろ。後ろから指示を出すのは、背中に剣を携える男、スレイだ。

 頭領の声で、山賊たちは立ち止まる。

 武器を捨てる。

 門壁のほうから誰かがやって来た。無抵抗な男たちを払い除け、広場の真ん中へ突き進む。ちょっと離しなさいよ。キースを抑えていた男たちに怒鳴る。彼女の姿を見て泣きそうな顔をした。

 「なんてヒドイ格好なの」

 鍵は誰が持っているの!

 また怒鳴る女。クラナである。

 頭領が鍵を持っているらしい。クラナは早足で歩み寄る。彼女の勢いに押されて、慌てて鍵を取り出す頭領。

 山賊たちはラザンの指示で広場の端に集められていた。立っていられる者はわずか数名だった。

 「今外してあげるから」

 鍵をさそうとするクラナ。

 何故か途中で手が止まる。あらためてキースの姿を見る。薄汚れた町娘の服。手首を拘束する鉄枷。首輪。こんな状況だが、拘束具を着けたままのキースに妙な感情が湧いてくる。

 「手足を縛ったままっていうのも、悪くないよね」

 クラナの頭の中で、キースが淫らな姿になっている。

 キースは拘束された両手を差し出す。

 「外してくれ」

 口調は強いが、少し恥ずかしそうな顔をしていた。


この時間からだと、山を降りるまでに日が暮れてしまう。

 山賊たちは拘束して頭領の天幕に押し込む。荷馬車を襲った者も含めて総勢三十五人。ここで生きているのは八人。幻覚世界を彷徨っている連中は放っておく。

 念のため、スレイとラザンが交代で見張った。

 翌朝。

 火を絶やさなかったが、山は寒かった。

 山賊たちに抵抗する様子は無かった。キースの圧倒的な力量を見たせいもあるが、仲間の二人がスレイとラザンだと知って、戦意は失せた。顔は知らなくても名前だけは知っている。旧プーゴルの中で五指に入る戦士だ。

 

 「山を降りたところに大きな街があります。そこで公安(警察機関のようなもの)に引渡しましょう」

 スレイが言った。山賊たちのことである。

 拘束したまま荷馬車に乗せる。頭領に運転させて出発。山を降りる案内をさせる。

 岩場から山中へ。荷馬車が通れる迂回路で山を降りる。

 葉の緑は濃く、日差しを遮っていた。何度か馬を休ませながら進む。源流近くで喉を潤し、太陽が真上になった頃、開けた場所に出た。

 カルスト地形の高原に出た。

 空は青く、雲に手が届きそうだった。


 ラザンがスレイに近寄った。

 「馬車が通れる道を選択しているとはいえ、少し迂回し過ぎではありませんか?」

 彼の言葉に同意するスレイ。

 この辺りの地理に詳しくないので答えは出ない。

 「何か意図があるかもしれん。警戒しよう」

 スレイが言った。

 そのすぐ後、キースの馬が追い越していった。荷馬車を止める。視界の開けた高原を見渡している。スレイも同じようにしたが、何も見えなかった。

 彼らの前であまり表情の変化を出さないキースだが、ひとつだけ分かる顔がある。

 「ラザン。彼らの拘束を解け」

 キースが言った。

 彼女の危険を予知する能力は人知を超えていた。

 ラザンが山賊たちの拘束を解くなか、スレイはクラナの馬に近寄る。首から下げたプレ・コアの欠片を確認する。問題ない。


 「お前、初めから罠にはめるつもりだったな」

 キースが頭領に問う。

 彼は鼻で笑った。

 「俺たちが山以外で生きる場所はない。死なばもろともだ」

 死ぬ覚悟は出来ている。そういうことか。

 キースは馬を降りた。右腰の鞘に手をかけ目を閉じた。

 深い息をひとつ。

 目を開けた。

 キースの変化に気づいたのは、たぶんクラナだけ。

 馬から弓と矢筒を取る。何が起きるのか分からないが、スレイも馬を降りて身構える。クラナは遠くを見ているが何もやって来ない。

 荷馬車に近づくキース。

 「拘束は解いた。ここにいようと逃げようと自由だ。好きにしろ」

 彼女の言葉を聞いても動かない。

 全員覚悟は出来ているようだ。

 「ラザン」

 「何ですか、主様?」

 「槍を貸せ」

 耳を疑った。

 キースがラザンの方を向く。

 「お前の槍を貸せ」

 強めの口調で言われた。戦闘態勢に入ったキースは彼でも怖い。槍を差し出す。片手で受け取ったキースは、重いな、と一言。長身のラザンが使う武器だから、長さも重さもそれなりにある。

 「念のため、クラナを守ってくれ」

 いや、守れと言われても武器が無くては・・・・

 キースは荷馬車を背に歩き始めた。

 スレイが背中の剣を両方抜いて一本をラザンに渡す。

 「私はこちらを。お前は向こうを見張れ」

 うなずいて動く。

 スレイの剣の感触を確かめながら辺りを警戒する。

 風と共に大地を疾走する足音が運ばれてきた。芝のように短い草と白い岩。その中を何かが素早く動いている。

 「来た」

 山賊の誰かが言った。

 十や二十の数じゃない。

 分布としてはもっと北の高地にいるそうだが、最近この辺りでよく出没する魔物。属にノマと呼ばれている。

 スレイたちも実物を見るのは初めてだった。

 四足歩行の犬のような姿。

 「あれがハイオカ・・・」

 ラザンは、岩の大地を軽快に走るノマを見て、剣を強く握った。

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