episode7 「旅立ち」

ルコス東部の街、トガリ。

 東へ向かう旅人が、最後に立ち寄るところ。東西を走る大通りには、道具屋が何軒もあり、旅仕度はここで全て揃えることができる。また、この街には、海のように広い湖があって、新鮮な食材が市場に並んでいる。

 街は人の出入りが激しく、一日中賑わっている。


 その一角。湖のほとりに建つ、一軒の小さな家。人通りのほとんどない森の中。荷馬車が一台何処からかやって来た。

 正確には、市場で買い物を終えて帰って来たところ。

 体格の良い、三十代くらいの女だ。馬を小屋へつなげると、荷台から食材を家の中に運んだ。かなりの量だったが、見た目通り体力には自信があるようだ。息一つ乱さず運び終えると、家の中へ入っていった。

 屋根の煙突から煙が伸びる。


 体力的にも精神的にも、思っていた以上に疲労していたようだ。

 街に到着してすぐ、体格の良い女性に声をかけられた。彼女はゲバラクの仲間のひとりだと言う。人脈の広さに関心しつつ、案内されたのは湖のほとりの一軒家。

 家の中に入ったところまでは覚えている。

 その先は・・・・

 どうやらそのままベッドで寝てしまったようだ。窓の外は夕暮れ。街に着いた時と同じ。すぐ横で寝息を立てているのはクラナ。始めから同じベッドに寝ていたのか、途中からなのか、探る記憶がない。

 クラナを起こさないように注意しながら、ベッドから立ちあがる。

 何かを焼く、香ばしい匂いがする。

 匂いと灯りに誘われて、足が勝手に動き出す。


 「おや。ようやく起きたかい、女剣士さん」

かまどの火と格闘している女が言った。

 名前は確か、エマとかいったか。

 エマは火加減を確認すると、鍋の蓋をして振り返った。

 「全然起きないからさあ、生きているのかどうか不安で、何度も息をしているのか確認したよ」

 微笑む。

 母親、と言う程年は離れていないだろうが、なんだか心が落ち着く雰囲気を持っている。つられてこちらも笑顔になる。

 「え~っと、名前は何だっけ?」

 「キースです」

 ああ、そうだそうだ。

 椅子に座るよう勧められる。素直に従う。寝起きのせいか、頭がふらふらして地に足がついていない感じがしていた。

 座ってから始めて、身体のあちこちに包帯が巻かれていることに気づく。

 「手当てをしてくれたのですね。ありがとうございます」

 エマは微笑む。

 「何度も起こしたんだけどさ、起きないから勝手にさせてもらったよ」

 言ってすぐ、表情が変わる。

 目線がうろうろするエマを見て、キースは首を傾げる。

 「あんた可愛いからさ、つい二回もキスしちまったよ」

 恥ずかしそうに言うエマ。

 どう答えていいか分からず、じっと彼女を見つめていると、本当は四回だと訂正された。場所が変わっても、女性に好かれるのは変わらないらしい。

 「次からは、ちゃんと私の許可を取ってくださいよ」

 後ろから声がした。

 壁に体を預けながら、クラナが立っていた。

 

 キースとクラナが座ったところで、エマは二人がまる二日寝ていたことを告げる。

 つまり、今はここへ来てから二日目の夕暮れなのだ。もちろん、本人たちに自覚はなく、ただ顔を見合わせて首を傾げるだけ。

 エマは、ちぎったパンを少し煮込んだスープを出した。パンがほどよく馴染んで、お粥のようになっている。

 まずはこれから。

 病気で寝込んだ時によく出される料理だ。

 空腹感は無かったが、スープを目の前にして、お腹のあたりが軽くなっていることに気づいた二人。

 「ゆっくり食べな。体がびっくりしちゃうからさ」

エマが言った。

 キース同様、クラナも母親のようなあたたかさを感じた。


エマは、二人の様子をうかがいながら、ゆっくり時間をかけて料理を出した。

 空腹感の無かったキースとクラナだったが、食べ始めると体が勝手に食べ物を要求してきた。

 彼女の出してくれる料理はどれも美味しく、特に湖で捕れた魚の塩焼きは、言葉で表現できないくらい美味しかった。素材を生かした簡素な料理。エマの人柄。その組み合わせがさらに調味料となる。

 なんてことのない普通の会話。

 家の灯りは夜遅くまで消えることはなかった。


 翌日。

 クラナ監修のもと、エマはキースの包帯を取り替えた。ほとんど裸同然のキースを見て、抱きつきそうになるクラナをエマが止める。これではどちらが見張っているのか分からない。

 傷の回復力が並ではない。

 二日程度で治るはずのない傷が、打撲のあざが、再生を終えようとしている。

 目の当たりにしても驚かないのは、ゲバラクから託された客だから。同性でも魅力を感じる少女だから。

 明らかに常人とは違う。魔物の類ではないかと思ってもおかしくない。そう思わないのは、彼女がキースだから。

 エマもクラナも、出会ってすぐに彼女の虜、なのだ。


 昼食を終えて、キースが刀の手入れをしている頃、二頭の馬が森にやって来た。

 ゲバラクと仲間の兵士がひとり。

 この頃合いの良さは、どうやら彼らなりの連絡方法があるようだ。キースたちが目を覚ました事を聞いて訪れたらしい。 

 兵士から、ルコスの宿に残していた二人の荷物を受け取る。

 「さて、ちょっと込み入った話だ。お前たちは外してくれ」

ゲバラクが言った。

 黙礼してエマと兵士が家から出る。

 テーブルに三人が座った。

 ゲバラクは、まずクラナを見た。

 「ここから先は、かなりの危険が伴う。一応聞くが、お前はどうする?ここには家族もいるわけだし、キースといる必要はない」

 ゲバラクは、クラナも含め、家族の安全を保障してくれるそうだ。

 この先、キースと共にいるか、否か。選択を迫られていた。もちろん、答えは決まっているが、それはクラナだけの問題ではない。

 キースが駄目だと言えば従うしかない。

 クラナはキースを見た。

 迷いのない目をしていた。

 「クラナさえよければ、私はクラナに一緒に来て欲しい」

キースが言った。

 天にも登る気持ちとは、まさにこのことか。クラナは嬉しすぎて泣きそうになる。

 キースに抱きつこうとして、ゲバラクに止められた。

 「それは話の後にしてくれ」

 不満そうに頬を膨らますクラナ。

 早速本題に入る。

 「キース、まずは礼を言っておく。こちらの思惑通りではいかなかったが、結果的にはこの国を助けてくれた。感謝する」

 一礼するゲバラク。

 次に聞かされたのは、チャウバの死。それは計画の範囲ではあったが、内容は違っていた。彼は自害したそうだ。

 真実を明かすために。

 「全ての根源は、あの男にあるようだ」

 謎の少年、ロズ。

 チャウバは師であるコルバンと家族を人質に取られ、少年の指示に従っていた。魔法をかけられ、真実を告げれば人質は命を落とす。

 自害することで魔法を解き、ゲバラクに真実を語った。

 そして、あの少年が現れた。

 「私のことを知っていました。会うのは二度目だと」

 キースが生まれた地、ラフィネで会ったらしい。記憶にないのは、キースが生まれてすぐの頃だったのではないかと思われる。

 両親のことも知っていると、ロズは言っていた。

 ゲバラクは、顎に手を添えて短くうなった。

 「十年前、お前の父親に会った時に、誰かに命を狙われていると言っていたが、もしかすると、あの魔法使いかもしれんな」

 可能性はあるが、証明できる材料がない。

「私の両親のことを知りたければ、会いに来いと言っていました。今はゴルゴルにいるそうです」

 うなるゲバラク。腕を組み、考える。

 ふと、ここへ来た本来の目的を思い出す。そこから導き出されることがあるかもしれない。

 「お前の父、アーマンだが・・・・」

 キースの表情が変わる。

 「お前をガガルに託した後、北へ向かうと言っていた」

 

 ・・・北?


 「北の極地。プレ・ナの住む土地だ」

 クラナが変な声を上げる。

 驚くのは当然だ。人とプレ・ナは、魔力供給という形で繋がっているものの、交流はほとんど無い。それは彼らが人の住めないような極寒の地にいるからであり、『聖地』と崇められて誰も近づかないからである。

 「何のために『聖地』へ?」

クラナが問う。

 「分からん。理由は聞かなかった。ただ、案内人を紹介してくれと頼まれて教えただけだ」

 『聖地』へ行くための案内人。そんな者がいるのだろうか。ゲバラクの人脈の広さには驚かされる。どうやらプレ・ナの知り合いがいるらしい。クラナに渡した魔法書の著者だと聞いて、さらに驚く。

 名前はパパス。寒冷地でしか生きられない体を、魔法によって変化させて、大陸を旅していたそうだ。プレ・ナの中でも、考え方が人に近く、変わり者。先の大戦中に、ゲバラクら三人と共にいた時期があったらしい。


 「・・・会いに行ったんだと思います」

 キースが呟いた。

 二人の会話の途中で、声が小さかったので、うまく聞き取れなかった。

 キースは二人の顔を見て、

 「会いに行ったんだと思います」

と、繰り返した。

 首を傾げるクラナ。

 「誰に?」

 すぐには返ってこなかった。ためらいがあるようだ。

 木窓から差し込んだ陽の光が、キースをより幻想的に演出する。

 「父は、母に会いに行ったんだと思います」

キースが言った。

 すぐに理解できなかった。

 「信じられないかもしれませんが・・・実は私も信じられないのですが、私の母はプレ・ナです」

 理解できなくて反応できなかった。

 「私の母は、私を産んですぐ病気で亡くなったと聞かされていました。ですが、ガルじいといた村の、村長との会話のなかで、初めて知りました」

 「ちょ、ちょっと待って」

クラナが割って入る。

 「プレ・ナって、私たちと同じ姿だけどさ、そのう、子供を産むことは出来ないって。その代わり寿命が長いって聞いたけど」

 「そうだな。そのはずだ」

 ゲバラクが同意する。

 それは間違いない真実だが、プレ・ナがどうやって生まれるかは今だ不明だ。

 ふと、当時の記憶が蘇る。

 キースの父、アーマンと旅していたのは、弟子のメラスとファウザ。そして、ル・プレのカサロフ。彼女は魔力が強く、特に術式魔法に優れていた。あのラマジャに肩を並べる程にだ。

 特に変わった様子は無かった。幼い娘と世間を見て回っている。そんなのんびりとした旅をしているように感じた。

 

 「あ、でもさ、キースのお母さんがプレ・ナだとしたら、背中の封印も納得できるかもだね」

 魔物を封印する術をかけられて、なお常人離れの戦闘力。傷の回復の早さ。唯一の疑問は、キースに魔力が無いこと。

 答えを導くための情報が足りない。

 話題は今後の行動に変わった。

 「ザギを殺したことについて、キースが罪に問われることはない。錯乱状態で手がつけられなかったからな。だから、この国に留まって、策を練りながら相手の動きを見る。そういう選択肢もあるが、お前はどうする?」

 キースに問う。

 「ロズが私を狙っているなら、チャウバのようにまわりの者に迷惑がかかるかもしれません。奴に従って、会いに行こうと思います」

 「・・・そうか」

 残念な気持ちと納得の返事。

 アーマンの子なら、そう答えるだろうと思っていた。

 国の再生に、キースの力とクラナの魔力があればと考えていたが、どうやら説得の余地はなさそうだ。アーマンと同じ目。一度決めたらやり通すまで。そういう強い意思が伝わってきた。 

「旅の支度は任せろ。数日中には準備する。それまではしっかり休養しておけ」

 うなずくキース。

 お前はちょっと不安だがな。と、クラナを見るゲバラク。

 魔力は強いが、体力は無いし馬に乗れない。旅の邪魔になるのは間違いない。本人も自覚があるから反論できない。引きつった笑顔で笑っている。

 「ゴルゴルに行くなら、ちょうどいい案内役がいる。剣の腕もそこそこあるから役に立つはずだ。連れて行け」

 もうしばらく打ち合わせをして、席を立つゲバラク。

 これからトガリの役員と会合だそうだ。その合間に立ち寄ったらしい。

 家を出ると、湖のほうから兵士とエマがやって来た。

 ゲバラクはキースを見た。肩に手をかけ微笑む。

 「出発の日に顔は出せないかもしれんが、まあ達者でな。己を信じ、学ぶ心を忘れなければ、必ず道は開ける。ガガルの教えを忘れるなよ」

 兵士を連れ、ゲバラクは去った。

 西の空が紅く染まり始めていた。

 「さあて、夕食の準備をしないと。クラナ、手伝っておくれ」

エマが言った。

 私も怪我人なんだけど。彼女の言葉はあっさり無視された。


 さらに二日が過ぎた。

 キースとエマは、クラナに旅立つ前に家族と会うよう勧めたが、首を縦に振らなかった。二度と会えなくなるわけじゃないから。そう言っていたが、たぶんキースに気を使ったのだとエマは思っていた。本当のところは分からない。死を覚悟してのことかもしれない。

 この旅は、そういう旅だ。

 待っているのは、得体の知れない魔法使いとキースを狙う罠。

 怖くない、と言えば嘘になる。けれど、クラナは期待してしまう。キースと一緒にいれば、見たこともない景色が、経験できないような未来が、待っていると。


 湖のほとり。

 足首まで水に浸かり、右腰の刀を抜くキース。ゆっくりと。

 上段から振り下ろす。早くない。次は、下段から上へ。刀の角度と体の動きを確かめるように。

 すぐ近くで、その姿を見つめるクラナ。

 洗練されたキースの動きは、芸術性さえ感じさせた。全ての動きに意味があり、相手を斬るための軌跡だ。殺傷が目的でも、美しいと感じるのはクラナだけではない。家の木窓から覗くエマも、クラナ同様恍惚な表情で見つめている。

 幼い、まだあどけなさの残る少女。なのに、男女を問わず性欲をくすぐる魅力。もう少し大人になったら、どうなってしまうのだろう。嬉しい不安を感じてしまうクラナとエマ。

 動きが早くなった。

 刀身が心地良い音で風を切っている。足の動きも早くなったが、波は立っていない。

 刀を振るたびに、水面に亀裂が入るのは錯覚ではない。

 キースの上気した顔。それがさらに二人を恍惚とさせる。

 剣舞が止まった。

 キースが振り返る。クラナもエマも、自分が見られたと思って緊張する。しかし、彼女の目線は森のほうだった。

 鳥の羽音。

 エマが振り返ると、テーブルの上に鳥がいた。ゲバラクとの連絡に使っている鳥だ。足につけた小さな入れ物に、手紙が入っている。

 「明朝、トガリの東門。そこで案内人と合流せよ。幸運を祈る、だってさ」

エマが言った。

 いよいよ出発だ。

 キースは刀を鞘に収めた。足を前後に開いて上体を低く構える。水に浸かっている足から、波紋が出始める。

 あの技をするのか。

 クラナは息を呑む。

 風がどこからか吹いてきた。

 やや下向き。水面に向かって素早く抜刀。

 一瞬まわりの音が消えて、キースの正面に見上げるほどの水しぶき。信じられないくらいの質量が宙を舞い、落下した。

 離れて座っていたクラナの上から、技の影響で霧雨が降ってきた。

 口を開けたまま固まっているエマ。初めて見た者は、だれも同じ反応をする。

 「少し今の体に慣れてきた」

キースがつぶやく。

 封印が少し解けた体。

 それでまだ慣れていないのか。


出発の日。

 エマはキースを抱き寄せる。

 「元気でね。体は大事にしなよ」

 「ありがとう」

 優しい言葉に感謝するキース。体が離れた途端、顔をエマの両手で掴まれた。抵抗する間もなくキスをされる。

 唇と唇。あいさつのキスではなく、愛のキス。

 深い、長いキスだった。クラナも呆れ顔である。

 ようやく離れて、戸惑い顔のキースを見つめる。

 「あたしがもう少し若かったら、ついて行くんだけどねえ」

 名残惜しそうに、唇の感触を思い出すエマ。

 「キースに変な男がつかないように、頼んだよ」

そう言って、クラナを睨みつける。

 うなずくクラナ。

 その点だけは同意見。心のつながりを感じる。

 大切に思ってくれる気持ちはとても嬉しい。でも、それ以上はどう応えていいのか分からない。

 微笑みを返すのが精一杯のキース。

 

 見えなくなるまで手を振り続けるエマ。温かくて、母親のような人だった。

 キースはエマと過ごした数日を思い出す。

 もしまた、この国に来ることがあれば、彼女と会いたい。何年かかるか分からないが、きっと来よう。

 クラナを後ろに乗せ、ゆっくりと馬を進める。

 森を抜け、石畳の道が現れる。

 エマから聞いた道順。

 石の橋を渡り、大きな通りに出る。それは、東西を結ぶ旅の道。路上で商売をしている商人たちが、道の両端に店を構え、旅人たちを誘っている。

 「あれかな?」

 クラナが指差す。

 右手方向に大きな建物がある。広場の奥。巨人が通れそうなほどの大きな門が、こちらを向いていた。

 キースは馬を操り、向きを変える。


 東門の前はちょっとした広場になっていた。酒場と馬屋が賑わっている。旅からトガリに着いた者。これから東へ出発する者。祝杯と景気づけの旅人が入り乱れていた。

 さて、この中からどうやって旅の案内人を探そうかと、キースは馬から降りながら考える。エマのように、向こうから声をかけてくれるのだろうか。

 頭から落馬しそうなクラナを、慌てて助ける。

 これから馬での長旅になる。クラナにはもう少し馬に慣れてもらわないと。

 尻餅をついたクラナを、支持して立たせる。


 「キース様」

 後ろから声をかけられた。

 クラナの表情が曇る。警戒している。キースが振り返ってすぐ、二人の男が片膝をついて、衛士のように忠誠を誓う姿勢をとる。

 背が高く、体格の良い男ふたり。

 「お久しぶりです」

ひとりの男が言った。

 「え、なに? キースの知り合い?」

キースの背中に隠れたまま、クラナが問う。

 見覚えのあるふたりだった。

 ゴルゴルの元衛士。ルコスへ入国する前に、旅芸人一行を襲った盗賊団の指導者。

 名前は確か、スレイとラザン。

 まさかこんな所で再会するとは。

 「ゲバラク様から、ゴルゴルへの案内役を仰せつかりました」

 背中に二本の剣を背負った、スレイが言った。

 重厚な武装はしていない。旅人らしい厚手の服に簡素な武具。

 キースは何も答えない。

 二人は頭を下げたまま。

 「縁あって、ゲバラク様にお声をかけていただきました」

スレイが再び開口する。

 「このようなことで、犯した罪を償ったつもりはありません。いずれ罰は受けるつもりです。ただ、キース様がゴルゴルへ向かわれるとお聞きしたので、少しでもお役に立てればと、志願しました」

 まわりに人だかりができる。

 幼い少女たちに、ふたりの戦士がひざまついている。異様な光景に興味津々だ。

 「な、なんだか注目されてるんですけど・・・」

 クラナは集まった人々の方が気になるらしい。

 「俺とスレイ様は、忠誠を誓った王に捨てられて、生きる目標を失っていた」

となりのラザンが言った。

 「それが、あんたと剣を交えて、負けた瞬間、光が見えたんだ」


 この人のためなら、命をかけられる


 「どうか我々に、旅の同行をさせて下さい」

 さらに深く、頭を下げるふたり。

 クラナはキースの背中にしがみつく。キースはふたりをじっと見つめる。

「私たちは旅に慣れていません。それに、ゴルゴルへ向かう道もよく知りません。あなた達が案内してくれるなら助かります」


 よろしくお願いします


 まわりからどよめきと歓声。不思議な一体感。拍手で祝福する者もいる。

 ラザンが立ち上がった。

 素早くキースを抱き上げた。

 「感謝する。よろしく頼むぜ、我が主様」

 奇妙な光景だった。

 キースの強さを知らない者から見れば、強面の戦士が少女に従うなど、不思議でならない。

 キースを降ろしたラザンの目が、クラナに向けられる。

 逃げる前に抱き上げられた。

 クラナは短い悲鳴をあげる。

 「よろしくな、魔法使い」

 足が浮いたままで、必死にうなずくクラナ。

 

 間もなく、三頭の馬が東門をくぐった。

 ゴルゴルへの旅が始まった。

 誰が見ても、二度振り返る奇妙な組み合わせの四人。明らかに他とは違う、風格のある戦士ふたりと、南の国の民族衣装を着た美少女。風が吹いたら飛んでいってしまいそうな、弱々しい女ル・プレ。

 異国の姫を守る戦士。そう見える者もいるだろう。

 旅の慰みを連れた傭兵。やや幼児趣味。

 主従関係を当てられる者は少ないはずだ。

 自分の容姿に人目が集まるのはよく理解している。キースが顔を隠さないのは、もちろん注目されるため。

 影に隠れて行く必要はない。相手は神出鬼没で、何処にいようとキースたちを見つけるだろう。それならば堂々と、道の真ん中を進めばいい。

 来るなら、いつでも来い。そういう考えでいた。

 

 「ここから、ロカ山脈を越えるまでは、険しい道のりです。多少の危険はありますが、北寄りの山道を通ろうかと思っています。それで十日は早く着けるでしょう」

 スレイが言った。

 旅人の荷馬車が通らない間、キースとクラナの乗った馬と、並行して進んでいた。

 ラザンは後方で身辺に注意を払いながら進んでいる。

 「多少の危険とは何ですか?」

キースが問う。

 「ふたつあります。ひとつは、その道にはよく山賊が出ること」

 聞き慣れない言葉だった。

 その名の通り、山に棲む盗賊集団らしい。

ほとんどの旅人はその襲撃を避けて、南寄りの比較的ゆるやかな道で旅を進める。

 たまに、時間と命を天秤にかけ、危険を選択した者がいる。無事に下山した者は少なく、今も行方知れずだ。

 山賊は金品だけでなく、人の命も奪っているらしい。

 スレイの話では、彼らのほとんどが元兵士で、街の生活に溶け込めず、群れで山に棲んでいるそうだ。

 キースはスレイを見つめ、真剣な顔で話を聞いていた。

 彼女と目が合うと、スレイは年甲斐もなく胸のあたりがざわついた。

 ひとつ咳払い。

 気を取り直して、話を続ける。

 「もうひとつは、まれにノマが現れること」

 ロカ山脈にしかいないノマがいるらしい。

 一般的には『ハイオカ』と呼ばれている。ノマのなかでも小型で、それだけに動きは俊敏だ。犬のように四足歩行で、見た目はオオカミに近い。常に群れで行動していて、頭も良い。

 奴らはまず何らかの手段でル・プレを襲い、唯一の防壁を断つ。魔力の壁が無くなれば、あとは死を待つのみ。旅人が雇うル・ジェは多くてもせいぜい三、四人。多少の腕前ではハイオカの群れに飲まれてしまうだろう。

 元衛士のスレイとラザン。ルコスで絶対的な実力を誇っていたザギを倒したキース。体は弱いが魔力の強いクラナ。

 この四人なら問題ない。そういう判断だ。

 「その道のりで、よろしいでしょうか?」

 スレイの問いに、うなずくキース。

 「欲を言うならば・・・」

 キースの発言に注目する三人。

 「山賊もノマも、どうにかしたいですね」

 一瞬考えたが、つまりは退治したいという意味だ。

 後ろで、ラザンが笑った。

 「威勢の良い主様だ。あんたがそうしたいなら、俺は従うぜ」

 スレイも笑っていた。

 つられて、キースも。

 青い顔をしているのは、背中に抱きついているクラナだけだった。



・・・・キースたちが、ルコスから旅立ってから幾日。


 ここはゴルゴルの城。旧イーゴル城。その最も高い場所に立つ、黒いローブを着た少年。赤い髪に紅い瞳。

 ロズだ。

 彼は西の方角を見ながら、何かをじっと待っていた。

 はるか西の空から、城に向かって飛翔する小鳥。やがてその小鳥は、ロズの差し出した手の上に舞い降りる。

 鳴き声は聞こえないが、小鳥はロズに向かって嘴を小刻みに動かしていた。


 「・・・なるほど。彼女は順調に向かっているようだね」

ロズが言った。

 何かが違う。

 姿も声もそのままなのに、別人のような雰囲気。よく見ると、ロズの額には文字のようなものが浮き出ていた。

 『浪』という漢字によく似ている。

 ロズは、空いている手の指で、空中をなぞった。

 小鳥は消えた。代わりに、彼の手ひらには四角い薄い板のようなものが乗っていた。手のひらと同じくらいの大きさ。厚めの紙に何かの絵が書かれている。

 鳥の絵が書かれた絵札だった。

 ロズは、その絵札をローブの中に納めると、また西の方角を見た。

 「あとは君の判断に任せるよ。万が一、君が止められなくても、彼女の行く手にはサロワとイリリがいる」

 両目はまばたきもせず、無表情。

 何かにとり憑かれているように、勝手に話しているロズ。

 「じゃあ、頼んだよ」

 額の文字が消えた。

 同時に、表情に変化が現れる。

 「さて、キースを迎える準備をしなくちゃ」

 顔つきも口調も、元のロズに戻っていた。



 国王の部屋。

 王妃や側近でさえも、国王の許しがなくては入れない場所。金色を主とした装飾品が惜しみなく使われている。

 王は、これから行われる定例会議に出席するため、準備をしていた。

 「国王さま」

 すぐ後ろで声がした。

 この国で、唯一部屋の出入りが自由な魔法使い。

 ロズがふかふかの長椅子に座っていた。足が床につかず、ぱたぱたと前後に動かしている。ローブは着ていない。

 「どうした、ロズ?」

 国王が問う。

 口ひげを生やし、鋭い目つきだが、口調はとてもやさしい。戦争で勝利して、二国を統一できたのは、ロズの活躍があったから。彼の待遇は王族並みだ。

 加えて、国王はロズをとても可愛がっていた。その注ぎぶりは度を超えていて、噂では夜の相手もさせているとか。

 「ちょっとお願いがあるんだけど・・・」

 甘えるような声音。

 「お前の望みなら、何でも叶えてやるぞ。申してみよ」

 国王は足早にロズに近づき、目の前で膝まつく。

 「何か欲しいものがあるのか?」

 色欲たっぷりの表情。

 ロズの素足を愛おしそうに撫でている。

 噂は本当なのかもしれない。

 「プーゴルのお城を、僕にしばらく貸して欲しいんだ」

 「なに、城だと?」

 プーゴルとは、戦争で勝ち取った隣国。

 城は利用価値を模索したまま二年間放置されていた。見張りの兵士が数名常駐しているだけだ。

 「僕に会いに来てくれるお客さんがいるんだ。そのお城で迎えたいんだけど、いいかな?」

 「別に構わんが、大丈夫なのか?お前の命を狙っている者ではないのか?」

 ロズは微笑む。

 「大丈夫だよ。僕は強いからね。国王さまだって知ってるでしょ?」

 手を上げ、国王の頭をなでる。

 「少し離れちゃうけど、夜は必ずここに来るからさあ」


 もっと楽しいこと、してあげるから


 小声でささやく。

 想像して、興奮のあまり息が荒くなる国王。

 「いいだろう。ロズの言葉はワシの言葉と同等。好きなだけ人を使い、好きなだけ金をかければいい」

 「ありがとう、国王さま」

 国王は、会議に出席するため部屋を出た。

 ひとり長椅子に座っているロズ。

 「どれだけ成長しているか、楽しみだなあ」

 たぶん、キースに向けられた言葉。

 それにしても・・・

 ロズは自分の体を客観視する。

 「国王さまは、こんな作り物の体、どこがいいんだろうね」

 答えは国王しか知らない。



・・・・ゴルゴルから南。小さな村の一軒家。


 「ワシは刀鍛冶なんだがなあ・・・」

 何度も同じ言葉を繰り返す老人。

 手にした木の棒のようなものを、丁寧に吟味している。膝上くらいの長さの棒に、直角でやや細い短い棒が出ている。

 文句を言いつつも、仕上がりには満足していた。

 老人の近くには、火をおこす釜と水を張った石の容器。まだ柄の無い刀身が壁に吊るされていた。

 「爺さん、これ何だ?」

 家の奥から声がした。若い男の声。

 「こらこら。勝手に部屋を荒らすな」

 男が奥から出てきた。

 手にしているものを見て、老人の顔つきが変わる。

 鞘に収まった一本の刀。

 柄も鞘も、細かく彫刻された模様が施され、他の物とは明らかに異質な存在。

 老人が十年かけて、やっと形となった逸品。

 「良い刀だな。誰のだい?」

 若者は問う。

 顔も声も、初めてではない。

 かつて家族を殺され、復讐を試みたが、胸に大穴を開けられた男。

 ナックという名の青年だ。

 「名前は、まだ無い」

 刀鍛冶の老人、サリュゲンは、気に入った者にしか武器を造らない。そして、仕上がった武器には必ず名前をつけていた。

 使い手と同じ名前を。

 名前が無いということは、その刀の使い手がいないということ。

 ナックはその刀をゆっくりと鞘から抜いた。

 刀身はゆるやかな反り。刃の中央に波のような模様。片刃だが、先端から半分くらいが両刃になっている。斬るより突くほうに重点をおいた刀のようだ。

 刀身の美しさに魅せられるナック。人を斬るための道具だが、芸術品だと感じる出来栄えだった。


 サリュゲンは語る。

 夢か現実か、曖昧な記憶の中で、誰かが彼に語りかけた。『斬れないものが斬れる刀』を鍛えろと。その言葉に導かれて、彼は十年間試行錯誤して、ようやく完成させたのだと言う。

 できた刀は、この世に二つとない、彼の最高傑作。

 ただし、人を選ぶ魔刀。人知を超えた高い技量がないと、この刀は扱えない。

 先の大戦で活躍した剣士、ガガルの全盛期ならおそらく扱える。サリュゲンはそう思っていた。

 果たして、今の時代にそんな剣士がいるかどうか。

 彼が知る剣士のなかで、大陸一番と言えば、ルコスのザギだ。彼でさえ、この刀の実力を引き出すことは難しい。


 傑作であり駄作。

 武器は、使い手がいて初めて価値があるもの。

 使い手がいなければただの棒きれだ。


 サリュゲンはそう言ってまた作業を始めた。

 神話みたいな不思議な話だ。ナックはそう思いながら、刀を鞘に収めた。

 

 仕上がった武器を手に取るナック。

 長い棒の横から出ている棒をつかんで、手の内で回転させる。

 東の国で、『トンファー』と呼ばれる武器だ。

 腕の肘から先までくらいの長さの棒が、握った棒を支点に回転している。腕に添わせれば斬撃を防ぎ、回して棒を伸ばせば攻撃ができる。攻防が瞬時に切り替えられる変わった武器。

 格闘術を得意とするナックの、新たな武器だ。


 「不死身のお前に、武器がいるのか?」

 サリュゲンが問う。

 ナックは自分の両手を見つめる。

 「この力は、あまり人前では使いたくない。それに、力の全てをあいつに注ぎたい」


 家族と門弟の仇、ロズを倒すために


 数日後、ナックはゴルゴルへ旅立った。

 ロズと戦い、胸に大穴を開けられた日から約二年。さらに修行を積んだ。

 家族と門弟を殺されたあの日、姉が最後に託したもの。普段は目に見えないが、ナックの両手と両足首には『輪具(リング)』と名づけた枷(かせ)がはめられていた。

 それは、どんな時にも命をつなぎ止めるものであり、常人を超えた『力』を発揮させるもの。

 ナックが不死身なのは、その輪具の力。ようやく自分の意思で扱えるようになった。

 これでまた、ロズと戦える

 ナックは決意を新たにした。  





第一部 完

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