episode6 「封印」

『武闘会』で、魔法の使用は禁止されている。それは大会の名の通り、武器のみで競い合うのが目的だからだ。

 これが試合ならば、ザギは失格となる。

 両目に巻いた布を取った途端、これまで経験したことのない魔力が、彼の全身から溢れ出ていた。

 姿かたちは同じ。

 だが、誰が見ても別人と感じる異様な威圧感。

 これまで優勢に戦っていたキースが、苦戦を強いられている。


 「ちょっと! 魔力を使うのは規則違反よ!!」

 客席最前部の、腰まである壁に身を乗り出し、クラナが叫んだ。

 声が届いたところで何も変わらない。

 闘技場で行っているのは決勝戦ではない。

 「クラナさん、早く行きましょう」

後ろにいる兵士が言った。

 幻覚魔法の術式はクラナが担当。観客に紛れた魔法使い十名と協力して、予定通り会場に人はいない。

 あとは騒ぎが大きくなる前に、この会場から出ること。

 キースとクラナは、会場外の馬に乗って、東の街トガリに逃げる手筈になっていた。

 クラナはいつでも行ける。

 だが、キースは・・・・

 あの男から、隙を見て逃げることができるだろうか。


 「あ!!」

クラナが叫んだ。

 キースがザギに蹴り飛ばされた。

 信じられないほど遠くまで飛ばされ、地面を転がる。

 もしあれが自分なら。

 十回や二十回は死んでる。

 キースの痛みを、自分に受けているように感じる。

 泣きそうになるのを必死でこらえる。

 「クラナさんだけでも、先に逃げましょう」

 兵士が促す。

 クラナは首を横に振った。

 「キースと一緒じゃないと駄目。それに、約束したから」

 走った。

 とにかく、キースの近くにいないと。

 兵士が何か叫んでいたが、クラナにはキースしか見えていない。あっちが魔力を使うなら、こっちも使ってやるか。攻撃魔法は得意じゃないが、幻覚魔法なら自信ある。

 少し走っただけで、息が上がってしまう。

 キースとザギの息遣いが聞こえるくらいまで近づいた。

 呼吸を整え、上着の中から杖を取り出す。ザギを苦しめる術式を頭の中で構築していると、無意識に体が震え始めた。

 怖い。怖すぎる。

 何だ、この魔力は?

 魔法の効果は、魔力の量によって決まる。クラナでもザギの魔力量に敵わない。

 剣士が持つ魔力の量ではない。


 というか、これ、一人で扱えるものじゃない!


 実際に、人の持つ魔力の量が見えるわけではないが、魔法使いは個人の魔力を感覚である程度測ることができる。

 ザギの持つ魔力の量は、個人差があるにしても、制御できる量ではない。

 立ち上がったキースが、また蹴り飛ばされた。

 すぐ近くの壁際に転がってきた。

 「キース!!」

クラナが叫んだ。

 聞こえていないかもしれない。

 ふらつきながら立ち上がるキース。

 もう一度名前を叫んだ。気づいてクラナのほうを見た。呼んだはいいが、どう声をかけていいか分からない。


 だけど・・・・

 いつものキースじゃない。

 「あんな奴、さっさと倒しちゃってよ」

 無理やり笑顔で。

 少しだけ、キースの表情が変わった。

 「ここにいるから。ここで見ているから。必要なら呼んで」

 うなずいた。

 ザギに向かって歩き出す。

 隙を見て、一緒に逃げるつもりだったけど、多分キースも私も後悔する。結果はどうであれ、ここで決着をつけないと、駄目だと思った。

 次に進めない。

 いや、次へ進みたい。キースと一緒に。

 この先、何が待っているのか分からないけど、この先があるかも分からないけど、私はキースについて行く。そのためには、ここを越えて行かないといけない。

 ザギが背中の長刀を抜いた。両刀だ。それだけで、魔力が上がった気がする。

 キースの足が止まった。

 何だろう。

 私はキースと同じ方を向いた。

闘技場の入場口から、ぞろぞろと兵士が入ってきた。ようやく異変に気づいて、ザギを止めに来たようだ。

 決勝まで残ったウラを一瞬で倒し、キースも苦戦している。実力も、何度も目にしているので知っている。それでも行かなくてはならない心境は、いかに。

 両目に巻いた布を外してから、明らかに様子がおかしい。

 酒に酔ったようにふらつきながら、刀の振りは鋭い。何か喋っているが、何を言っているのか聞き取れない。

 兵士たちが距離をおいてザギを囲んだ。

 「ザギ様、もう十分戦われたでしょう。どうかお静まり下さい」

正面に立った兵士が言った。

 キースは二人の兵士に連れられてクラナのいる方へ。

 

 「お前・・・は・・・知っている・・・か・・・」

 うわ言のように話すザギ。

 「プレ・ナ・・・が・・・死んだ・・・どう・・・なる・・・か・・・」

 兵士たちは後ろへ下がる。

 ザギは平常心を保っていない。普段でも危険人物なのに、今はもっと危険だ。いつ切り殺されるかわからない。

 「プレ・ナ・・・死ぬ・・・塵・・・に・・・」

 なぜ今プレ・ナの事を言っているのか。

 意識が混濁しているなか、ザギは何を伝えようとしているのか。

 「おい。なんか様子がおかしいぞ」

 誰かがつぶやく。

 一歩でも近づいたら命はない。意識とは別に、体が勝手に震える。それでもこの国の兵士である限り、被害を拡大させるわけにはいかない。

 年長の兵士が合図する。

 気持ちは誇りにかき消される。  

 腰の剣を抜いて、兵士たちはザギに近づいた。


 「クラナ」

 少しザギの方を見ていた。

 キースが下から呼んでいた。客席と闘技場は、かなり高低差がある。クラナは腰まである壁から、身を乗り出して下を覗き込む。彼女の美しい顔が、土と血で汚れていた。武闘会用の戦闘服もあちこち破れている。

 キースの表情を見て、すぐ分かった。

 でもそれは、本当に正しい選択なのだろうか。

 「封印を解いて」

 キースの意思に従うつもりだったが、ためらいが拭えない。

 「大丈夫なの?」

 答えを知らないのに聞いてしまった。

 「分からない。でも、ザギを止めるにはそれしかない」

 ザギを見る。

 確かに。言葉だけで静まる雰囲気ではない。囲んでいる兵士たちに、今にも斬りかかりそうな勢いだ。

 キースを死なせない。絶対助ける。それは変わらない。

 クラナはうなずいた。

 「分かったわ。すぐそっちに降りるから」

 壁から離れようとして、キースに呼び止められた。

 刀を鞘に収めて、キースは両手を広げた。

 「時間が惜しい。飛び降りて」

 受け止めるつもりらしい。

 「え?・・・だって・・・」


 高いし、怖いよ。それに、受け止めるなんて・・・・


 「クラナ。飛んで」

 強い口調で言われた。

 迷っている場合じゃないみたい。

 壁の上に乗ると、さらに高くなった。ええい、どうにでもなれ!と、覚悟を決めて飛び降りる。

 時間の流れが早くなったような感覚の後、母親に抱かれたような安心感。

 目を開けると、キースの腕にしっかりと受け止められていた。いくらクラナが細身で体重が軽いといっても、この高さから落下すれば、かなりの衝撃だ。そんな物理的な疑問より、キースの腕に抱かれているという嬉しさが勝っているクラナ。

 名残惜しい視線を送りながら、しゃがんだキースに合わせて地面に足をつける。

 「よろしく頼む」

そう言って革製の上着を脱ぐキース。

 胸元だけ簡易的な防具があるだけ。キースは両膝をついて座り、クラナに背中を向けた。美しい肌と、封印の術式があらわになる。

 よし!

 自分の頬を両手でパチンと叩き、気合いを入れる。

 体力には全く自信がないが、魔力と記憶力には絶対的自信がある。一度目にして読んだものは、複写できるくらい覚えている。

 キースと同じように膝をついて座り、深呼吸する。

 手順を頭の中で復唱して再確認する。

指先に魔力を集中させて、背中の術式に触れる。一見複雑に見える円形の魔法陣だが、部分的に見ればいくつかの術式が組み合わさっているだけ。ひとつひとつ、鍵を開けるように解いていけば、この封印の陣は消えるはずだ。

 ゲバラクからもらった書物には、その手順が図式で書かれていた。

 まるで、この日のために用意されたかのように。


 「え?」

 あと少し。

 あとひとつ鍵を開ければ、というところで異変が起きた。

 薄く消えかかった魔法陣の上に、指の腹で押さえたような痕が浮かび上がった。円形の魔法陣に添うように四ヶ所。次に、新たな魔法陣が重なるように現れる。今度のものは、書物に記載されていない、もっと複雑な術式。円形の魔法陣ではなく、動物の絵のような不思議な形。

 クラナの指が止まった。

 「どうかした?」

キースが問う。

 お手上げだった。

 手順も術の意味も分からない。

 「術が解けかけたら、別の術が現れたんだけど」

 何だか悔しくて、強い口調で答えるクラナ。

 誰か別の魔法使いが、背中の魔法陣に触れてないか。そうクラナに聞かれて、キースの脳裏に浮かんだのはただ一人。

 先の大戦で活躍した三人の剣士を、影で支えた魔法使い。

 今は南の国の小さな街で、細々と占いをしている。彼女しか背中の魔法陣に触れていない。

 彼女は未来を予知できる能力があった。もしかすると、こうなることを知っていたかもしれない。さらにこの先も。

 だとすれば、今はまだ封印を解くべきではないということか。


 「これは私の予想なんだけど」

クラナが言う。

 「前の術式より、力の抑え方が弱くなっている気がするんだけど、体に何か変化がないかな?」

 感覚的には何も感じない。

 キースは自分の手のひらを見る。握ったり開いたり。前を見る。兵士たちが、少しずつザギを囲む輪を狭めている。

 なんとなく。

 なんとなくだが、変わった気がした。いや、変わったというより、感覚が近づいた、という表現が正しいかもしれない。

 生活するのには問題ない。刀を振ったり、戦闘の時、ずっと感じていた違和感。自分が思い描く自分と、実際の自分とのずれ。もっと早く動けるのに、もっと鋭く刀を振れるのに。その違和感がうすくなったような気がする。

 答えは、実戦して確かめるしかない。

 「クラナ」

 「どうした?何か変化があるの?」

 「ウラの傷が深い。治癒魔法で助けてあげて」

 意外な返事。

 ここからウラの様子は見えない。

 キースはひとつの出入口を指差す。そこはウラとサラが去った場所。

 「治癒魔法って、本で読んだだけで、上手くできるかどうか・・・」

 「急所は外れているけど、出血がひどい。せめて傷を塞いであげて」

 放っておいても危険な状態。

 駄目なら駄目で仕方ない、か。ウラには申し訳ないが、こんな機会は滅多にない。

 キースはこのまま闘技場を走れという。

 つまり、ザギの横を通り過ぎなければならない。それはちょっと危険なんじゃないかと、目で訴えるクラナ。

 キースのいつもの冷静な表情。じっとザギを見据えている。

 信じて覚悟を決めるしかないようだ。

 「行って!」

 キースの言葉を合図に、クラナは走った。

 ひとりの兵士が一歩ザギに近づいた。

 閃光。

 左肩から斜めに脇腹へ。兵士は両断された。


 ひぃ~!!


 恐怖と運動能力不足で、走っても大して進まない。足が上手く上がらない。街の端から端まで走ったくらい息が苦しい。

 それでも止まらないのは、キースのお願いだから。

 目的の出入り口だけを見て走る。

 何人かの兵士がザギに斬られたようだが、見ていないふりをする。

 さっさと終わらせて、キースの戦いを見守らないと。それだけを考えて、クラナは出入り口の中へ消えていった。


ザギはもう手に負えない状態だった。

 何を言っても反応がない。うわ言のようにプレ・ナがどうとかつぶやいていて、兵士たちが話しかけても聞いていない。

 近づけば斬られる。

 三人の死体が物のように転がっている。人の体は、こんな簡単に両断できるものなのだろうか。恐怖を克服するため、他人事のように思考をめぐらせる兵士たち。

 見知らぬ女が、すぐ横を走っていったが、かまっている余裕がない。

 そんな時だった。


 「離れて下さい」

 誰かが話しかけてきた。

 振り返らなくても分かる。

 彼女はためらうことなく、兵士たちの数歩前まで進んだ。何度もザギに蹴り飛ばされて、顔も服も血と土で汚れている。あれだけやられて、まだザギの前に立つ勇気があるのか。体の震えを恥じる兵士たち。

 「離れて下さい」

 キースは同じ言葉を繰り返した。

 「し、しかし・・・」

 言葉が続かない。

 国の兵士として、男として。彼女ひとりに任せるわけにはいかない。気持ちはあるが足が一歩も踏み出せない。

 ザギが動いた。

 兵士の誰かが悲鳴を上げた。

 目を閉じていたわけではない。

 何か質量のある物が落下してきたような感覚。ひとりの兵士が尻もちをついていた。その前にキースが立っている。彼女が片手を上げて支持しているのは、長刀を振り下ろしたザギの腕。

 ザギもキースも、何時そこに移動したのか。

 「助けるのはこれ一度きりです。私はあなた達の命などどうでもいい。この男と戦うのに邪魔です。離れて下さい」

 穏やかな口調。それがかえって説得力を持つ。

 呪縛が解けたかのように、一斉に後退する兵士たち。尻もちをついた兵士も慌てて離れていく。

 

 風が・・・止んでいた。

 少し息苦しく思うのは何故だろう。大気の濃度が変化したような感じがする。

 ザギは力任せに腕を振り上げようとするが、キースの手が離れない。

 左腕を振り上げる。

 もうひと振りの長刀を構える。振り抜こうとした瞬間、キースに脇腹を蹴られた。信じられないが、ザギの足が浮いた。

 体をくの字に曲げて蹴り飛ばされる。二、三度転がって、長い手足を広げた這うような姿で止まる。

 キースは居合い抜きの姿勢をとっていた。二度防がれた技だ。

 ザギは刀を持ち直し、双刀の構え。二本だから力も倍、とは限らないが、今の彼に常識は通用しない。

 素早く抜刀。

 刀身の先端がザギに向いたところで止まる。

 意識の混濁した状態で、何かを感じ取った。キースの刀から放たれた見えない力。避けるように姿勢を低くするザギ。

 すぐ後に、闘技場の壁に音もなく亀裂が入る。

 それがキースの抜刀によるものだと気づいたのは、少し経ってから。

 ザギが動き出す一歩手前、すぐ目の前まで踏み込める。だがしない。刀を左手に、ザギが万全の体勢になるまで待つ。


 キースはまた手のひらを見る。握ったり開いたり。

 不思議な感覚だった。どう表現したらいいか。伝えられる言葉が思いつかない。

 ザギはプレ・ナの眼のせいで正気を失っている。もう元には戻らないだろう。本人のものでない魔力が全身に侵食して、支配権を得ようとしている。両目を斬っても手遅れだ。見えているわけではないが、キースには確信があった。


 ゆらゆらと、からだを左右に揺らしながら、ザギが近づいてくる。

 これまで多くの人の血を吸ってきた長刀が舞った。

 どこからどう攻められようと、今のキースに死角はない。

 力は力で返し、鋭は鋭で返す。体格の差など全く問題ない。刀が二本だろうと、対処できればいいだけだ。

 「塵・・・集まって・・・個体に・・・」

 何かに取り憑かれたように話し続けるザギ。

 最低でも二百年は生きるというプレ・ナ。寿命が来ると肉体は塵となり、大気と同化する。やがて塵は集まって、個体を形成する。そういう内容を語っている。

 個体、とは一体何だ?


意識は別にあって、体が勝手に動いている。そんな感じだった。それでも刀の振りが鋭いのは、ザギの潜在能力が元々高いからだろう。

 休みなく舞う二本の長刀。

 動きは綿のように軽く、獲物を狙う獣のように鋭い剣技。姿かたちは同じでも、潜在能力を発揮しているキース。

 剣士にしては細く、背も低い。

 ザギの腕が鞭のようにしなって、加速した長刀が乱舞する。鋭さに押しつぶされそうな程の質量が加算され、受けた刀が悲鳴を上げる。

 二人の持つ刀と呼ばれる武器は、見た目の美しさだけでなく、強靭さと耐力を有していた。

 キースが右手をかざした。

 ザギの胸元。触れそうなくらいすぐ近くに。音も何も無かったが、ザギの体は吹き飛んだ。姿勢は崩れたが倒れなかった。

 魔力ではない。何か、別の『力』。

 ザギは衝撃を受けた自分の胸を見る。表面上は何も変わらない。一瞬心臓が止まったが、プレ・ナの魔力が働いた。

 視線をキースに戻した時、かざした右手に槍が吸い込まれたところだった。

 そのまま振り上げて投げる。

 弓に弾かれた矢のように、風を切って飛ぶ。

 左手の長刀で切り落とした。同じ風に乗って、キースが目の前にいた。

 優雅に舞う。

 その表現が一番ふさわしいと思える美しい動き。力でねじ伏せる。そんな感じではないが、ザギの勢いが少しづつ弱くなって、受け身の体勢になる。


 ためらいはなかった。

 一筋の閃光。反して、ゆっくりと落ちるザギの左腕。

 右腕は仕損じた。すぐに刀の先端でザギの首筋を狙う。これも届かない。まだ肉体が感覚について来ない。

 もう一歩踏み込む。

 次にザギがどう動くか。腕の振り、重心の変化。未来が映像で浮かんだ。鮮明だが、それは一瞬の出来事。

 右腕は肩口から根こそぎ。あざやか、としか言いようのないくらい見事に切り落とされた。

 ザギの動きが止まる。

 意外なほど出血がない。顔が自分の腕を確認するため左右に向く。そこに振り上げる腕は無く、戦う武器は無い。

 結末は突然訪れる。

 ザギの首筋に閃光。

 キースは、刀身についた血糊を払い、鞘に収める。

 普通の人間ならば、首を切り落とされたら絶命する。

 両足を前後に開き、姿勢を低くする。キースは居合抜きの構えに入る。

 まわりの兵士たちは、彼女に近づこうとして、また足を止めた。これ以上何を斬ろうとしているのか。顔を見合わせる兵士たち。

 腕と首のないザギの体がゆっくりと倒れた。

 素早く抜刀。

 何かが刀身から飛び、反して強い風がキースに向かって吹いた。

 狙ったのは、ザギの首か?

 それとも・・・・


 ザギの首の目の前に、黒い小さな塊が現れた。

 黒いローブを着た人物。フードを被っているので顔は見えないが、背格好はまるで子供だ。両手を前に突き出して立っている。

 その小さな手で、キースの居合いの技を防いだのだろうか。

 両方の手のひらに魔法陣が描かれている。手からかすかに白い煙が上がっているのは、熱を帯びたからなのか。何かの魔法なのか。

 突然の来訪者に慌てる兵士たち。腰を抜かす者もいた。

 キースは無表情のまま。じっとローブ姿の人物を見つめている。

 

 「危ないな~」

黒いローブの人物が言った。

 少年の声だった。

 フードを下ろして、両手を見る。

 「登場して、いきなり死ぬところだったよ。まったく、せっかちなんだから」

 目線をキースに向ける。

 血のように真っ赤な髪。微笑んだ顔にある両目も赤い。背格好と同じく幼い顔つき。年齢は十才前後だと思われる。

 見た目は少年だが、キースが一歩踏み込めない何かを、体から放っている。

 これは・・・なんだ?

 人、なのか?

 「お前は、なんだ?」

キースが問う。

 その質問に笑うローブ姿の少年。

「さすがだね。僕の正体分かっちゃった?」

 慌てることも、誤魔化そうともしない。

 姿かたちは人間だが、違うものを感じているキース。

 「久しぶりだね、キース。君と会うのは二度目なんだけど、覚えているかな?十年くらい前の、ラフィネで」

 ラフィネは、キースが四才まで育った街。ガガルのもとへ旅立つまで住んでいた場所だ。

 顔色をうかがう。

 キースの記憶に少年はいないようだ。

 まあいいさ、とローブ姿の少年。

 「チャウバにかけた術が解けたから来てみたら、ザギまでこんな事になっていたとはね。もう少しモノになるかと思ったけど、駄目だったようだ。これは僕の誤算だ」

 無残な姿のザギを眺める。

 おっと。

 何かを思い出した。そんな仕草をするローブ姿の少年。

 「まだ名乗っていなかったね。僕の名はロズ。よろしくね」

 微笑む少年。

 本能的に、危険人物だと判断した。

 刀を持つ手に力を入れる。でもそれ以上はなかった。目と首が少し動かせるだけ。体は全く自由が効かなかった。

 少年を睨みつけるキース。

 彼、ロズは、ザギの首に近づきしゃがんだ。手をかざし何かの呪文を口ずさむ。すると、眼球だけが意思を持ったかのように蠢き、ザギの顔から飛び出した。

 ローブの中をまさぐり、小瓶を取り出す。蓋を開けると、空中の眼球は小瓶の中へ吸い込まれた。

 「プレ・ナの目は、まだ利用価値があるから回収させてもらうよ」

 小瓶はローブの中へ消える。

 両目を失ったザギは?

 さっきまで感じていた生命力が失われていた。

 ロズがキースに近づく。まだ体は動かない。これがもし魔法だとしたら、いつ術をかけたのか。そんな素振りは見せなかったはず。

 キースのまわりを一周して正面に立つ。赤い瞳がじっと彼女を見上げる。

 見た目は少年だが、中身は別物。

 キースはそう感じていた。

 

 「あの女の封印術が解けているね。でも、別の術が働いている」

 ロズはキースの頬に手を添えた。

 とても愛おしそうに彼女の頬を撫でる。

 「これは、ずっと僕の邪魔をしてきた婆さんの術。『死印』だね」

 聞き慣れない言葉。

 キースの表情を見て、ロズは解説を始める。

 

 死印とは?

 究極の術式魔法。術者の命を加えた危険な魔法。術者が死亡するまで効果は現れない。発動すれば、術に命の重みが加算されて、より強固な術となる。

 術者の魔力と構築が強ければ強い程、解くことは難しくなる。

 魔法使いが、自らの最後を悟った時に使う魔法。


 つまり・・・・

 ラマジャ様は亡くなられた。そういう事なのか。

 

 「この世で、唯一の成功例・・・・」

 微かに指先が動かせる。

 「でも、まだまだ未熟だ。僕の理想には程遠い」

 予備動作無しで、刀を振り上げる。

 確実にロズの腕を斬った。しかし、何の感触も伝わってこない。

 ロズは離れた場所に立っていた。斬ったはずの腕はなんともない。

 「だけど、その順応性には期待できるね」

 全ての感覚が戻った。

 左右に体を揺らし、静から動へ。

 光が交錯する。

 何度も斬った。しかし、手応えが全く無い。より一歩を早く。より刀を鋭く振る。それでも駄目だ。幻影と戦っているようだった。

 「今の君では、僕は倒せない」

ロズが言った。

 キースの動きが止まる。

 首を傾げるロズ。

 背後に強い魔力が迫っていた。振り返ると同時に、ロズの体は炎に包まれた。

 得意ではないが、魔力量だけは誰にも負けない自信がある。

 クラナの攻撃魔法だった。

 炎はそれ以上広がることなく、ロズの体を焼き尽くそうと火力を増す。

 「キースにちょっかい出す奴は、私が許さないからね!」

クラナが叫ぶ。

 キースに近づこうとして、すぐ足を止めた。

 ロズを包み込んだ炎が突然消えた。

 何も変わっていない。ローブも赤い髪も。焦げ跡すらない。クラナのことなど眼中にないらしく、見向きもしない。

 もう一度攻撃魔法を。

 振り上げた杖を、キースの手が制した。

ロズはキースを見上げて微笑んでいる。

 悔しいが、魔法使いとしての力量が違い過ぎる。クラナは杖を下ろした。

 「賢明な判断だね。もう一度僕に攻撃してきたら、殺すつもりだったからね」

 キースの剣術もクラナの魔法も効かない。

 計り知れないロズの能力。

 「お前は一体何だ?何が目的だ?」

 キースの問いに、大げさな動作で考え込む仕草をするロズ。また顔を上げてキースを見る。

 「うーん、そうだなぁ。ここで全てを話すのは簡単だけど、それじゃあ面白くないな。僕は今、隣の国ゴルゴルに滞在している。知りたければ、僕に会いにおいでよ。待っているから。最も、無事にたどり着ければ、の話だけど」

 ローブの黒が少しずつ薄くなっている。

 「僕は君の疑問に全て答えることができる。父親のことも、母親のこともね」

 ロズはフードを被る。

 「十年間、君を待っていた。ようやく君から現れてくれた。僕の期待に応えてくれることを願っているよ」

 じゃあ、また会う日まで。

 忽然と目の前から消える。多くの謎を残したまま。

 

 キースは刀を鞘に収めた。

 息を切らせて走ってきたクラナが、彼女の腕に抱きつく。

 「ここにいたらマズい。とにかく逃げよう」

クラナが言った。

 考えるのは後だ。

 クラナと手をつなぎ、走る。たぶん、走っている。ほとんど引きずっている。

 闘技場を出て、暗い通路を進む。兵士と何度もすれ違ったが、上からの指示も本人も混乱しているようだ。二人のことなど見向きもしない。

 側近の弟子を殺したのだ。犯罪者扱いされてもおかしくない。

 この慌てぶりは何だ。ザギだけではない気がする。ゲバラクもチャウバと決着がついたと考えていいだろう。

 石の階段を登ったり降りたり。迷路のような通路を抜け、会場を出る。こちらは予定通り。広場は観客たちでいっぱいだ。みんな、それぞれの幻覚のなかで、戦う剣士たちを応援している。


 見回して、キースたちに手を振る男を見つける。宿に案内してくれた男だ。人混みではぐれないよう、手をつないだまま進む。 

 「急いで!こっちです」

 叫ぶ男。

 彼の横には馬が一頭。

 クラナを押して馬に乗せ、キースも乗る。

 「馬に任せて走ってください。あとはトガリにいる者の指示に従って頂ければいいですから」

 では、と馬の尻を叩く男。

 ひと声鳴いて走り出す。

 「お気を付けて!」

そう叫んで手を振る男。

 キースも手を振り返す。

 いきなり全力で走り出す。それでも人にはぶつからない。 

 よく訓練された馬のようだ。馬上の指示が無くとも、器用に人混みを抜けて、東へ向かう通りを疾走する。

 クラナが何度も落馬しそうになる。


 石畳の道が土に変わり、街が草原になった。

 二人を追いかけて来る者はいないようだ。手綱を操って、会話ができる程度に速度を緩める。

 ウラはどうなった?

 治癒魔法で傷は塞がったようだ。ただ、出血が多かったので助かるかどうか。そこまでの回復は出来なかった。と、クラナ。

 それでも最善を尽くしてくれたようだ。

 「だけどさあ、あの子は何者なんだろう」

クラナが言った。

 突然現れて消えたロズのことである。

 「分からない」

 短い時間だったが、彼との会話を思い返す。

 彼は言った。

 キースの両親の事を知っていると。全ての疑問に答えられると。にわかには信じられないが、もし本当ならと、ふと考えてしまう。

 自分の出生について。封印までして抑えていた『力』について。

 知りたいことはたくさんある。

 父、アーマンは命を狙われていた。もしかして、狙っていた相手とは・・・・?

 「キース、どうかしたの?」

不安顔で見つめるクラナ。

何も答えず微笑み返すだけのキース。

 前を指差す。

 クラナも前を向く。

 青かった空が少し赤に染まり始めた頃、かすかに見える街並み。ルコス東部の街、トガリだ。東へ旅立つ者が最後に立ち寄る場所。

 キースとクラナも、ここから旅立とうとしていた。



・・・・五年前。はるか東の国、イナハン。


 最初に耳に入り込んだのは雨音。次に、頬に伝わる冷たい感触。自分が床に倒れていると分かるまで、少し時間がかかった。

 どうして僕は床に寝ているのだろう。目線の先にある自分の手を見ながら考える。

 血まみれの手。

 どうしたんだっけ?

 転んで怪我でもしたのだろうか・・・・

 じっと見つめながら、次第に記憶と痛みが蘇ってくる。

 そうか。

 突然二人組の男女が家にやって来て・・・・それで、どうなった?

その先がまだはっきりしない。起き上がりたいが、体に力が入らない。

 父様、母様は?

 姉様・・・・道場の門弟たちは?


 君たちは、僕らのことを知り過ぎた。


 赤い髪の男が言った。たぶん、僕と同じくらいの年齢。背は低く、幼い顔つきなのに、なぜか底知れぬ威圧感があった。

 人の姿なのに、人でないような。そんなことを思った。


 痛みを感じる間も無いくらい、美しく殺してあげるわ

 

 赤い髪の少年の横にいる女。とても美しい大人の女性。この地方独特の民族衣装がよく似合っていた。白い髪。体の曲線が映える衣装に、少し胸がざわついた。

 何故だろう。彼女も少年と同じ印象。人なのに人らしくない。


 僕をかばうように、姉様が前に立った。

 同時に、門弟たちがその二人組の男女を取り囲んだ。そこから先の光景は、驚きと恐怖を感じるものだった。 

 この国で格闘術の頂点に立っていた父様。その門弟たちが次々と倒れていく。鍛錬で使う木人のように、白髪の女性の打撃を受け、首や腕が変な方向に折れ曲がる。

 赤髪の少年は、その小さな体を活かして、飛び跳ねるようにして体術をかわし、時々片手の指先を門弟たちに向けた。

 何か小石のようなものが指先から飛んだ。

 額に当たり、頭の後ろから飛び出す。

 信じられなかったけど、指先で弾いた小石のようなものが、人の体を貫通していた。


 二十三名の門弟が、あっという間に倒された。あれだけ動き回ったというのに、二人組の男女は息切れすらしていない。

 父様も母様も、僕たちに逃げろとは言わなかった。逃げても無駄だと分かっていたのかもしれないし、守りきる自信があったのかもしれない。

 僕にとって父様は、尊敬する理想の男性であり、絶対的な強さの象徴だった。


 「お前たちの思うようにはさせん。ここで引導を渡してくれる」

 父様が二人組に近づき、足を止めた。

 両足を地面に叩きつけ、大きく息を吐く。全身に『気』をめぐらせて、戦闘態勢をとる。久しぶりに見た、父様の本気。

 地面の上を滑っているような足さばき。一瞬で相手との間合いを詰める素早い動き。どの姿も美しくて力強い。無駄のない洗練された格闘術。

 この世に敵う者などいるはずがない。

 何度も白髪の女の蹴りを受けた。何度も赤髪の少年の小石を避けた。決して負けていたわけではない。

 二人組の男女は、どれだけ戦闘が長引いても、疲れることを知らなかった。


 骨の砕ける音が、僕のいるところまで聞こえた。

 父様の足が変な方向に曲がっていた。

 何かがすぐ近くを通り過ぎた。

 「あ、いけね。手が滑っちゃった」

少年が言った。

 生暖かいものが、僕の頬に飛んだ。姉様の横に立っていた母様が、その場に倒れ込んだ。父様が母様の名を叫んで、僕は横を向く。 

 倒れた母様の服が真っ赤に染まっていて、床に赤いものが広がっていた。

 また何かが飛んできた。

 姉様のうめき声を聞いたところで、僕の意識は無くなった。

 父様の叫び声が遠くに聞こえた。


 たぶん、僕もあの少年の小石を受けたんだと思う。手足は全く動かない。唇は少し動くけど、声は出せない。目は見えるけど、だんだん辺りが暗くなってきた。

 このまま、僕も死んでしまうのか。

 雨音だけが何故かはっきりと聞こえる。

 ああ。指先の感覚が無くなってきた。もう、ここまでか・・・・

 まぶたが勝手に視界を遮ろうとする。

 

「南狗(ナック)、目を閉じちゃ駄目!」

 姉様の叫び声。

 その後、僕の体に何かがのしかかる感覚。姉様の荒い息遣いが耳元で聞こえた。

 「あなたは・・・生きて」

 ささやくような声。

 感覚がほとんど無いので分からないけど、姉様が僕の体に触れている。何か、何かを僕の手足につけているようだ。

 姉様、何をしているの?

 声が出ないので聞くことができない。

 「ここにいる、全ての者の命を・・・贄として・・・今、ここで・・・封印を・・・」

 呪文のような言葉を途切れながらもつぶやいている。

 とても苦しそうだ。

 赤髪の少年が放った小石が、姉様の体をいくつも貫通した。怪我をしているはず。それなのに、それなのに・・・・


 あなたは生きなさい。


 姉様の最後の言葉。

 僕の体に乗ったまま、動かなくなった。

 目を閉じて、ゆっくりと開けた。ほんの一瞬だと思っていたけど、しばらく意識を失っていたようだ。雨はいつの間にか止んで、夜が明けようとしていた。

 感覚が戻っている。

 痛みはない。

 姉様に気をつけながら、ゆっくり体を起こす。

 辺りを見回して後悔した。予想はしていたけど、それ以上の惨状だった。


 何が最善なのか、子供なりに考えた。

 一家と門弟が惨殺された後、公安(警察のような組織)の事情聴取があったり、父様の親友のおじさんの家でお世話になったり、気がつけば半年が過ぎていた。

 犯人は不明のまま。金銭目当ての犯行だと判断された。

 ナックがいくら主張しても、十二才の子供の意見は大人を動かさなかった。

 おじさんの家族は、とても優しく、我が子同然に接してくれた。それはとても嬉しくて、幸せな日々だったけど、何か違う気がしていた。

 

 ある日、新しい王が即位したため、式典が開かれた。

 おじさんの家族と共に、ナックも参列した。そこで彼は信じられない光景を見た。

 新しい王を披露する行列の中に、あの二人がいた。

 父様や母様、姉様、そして門弟たちを殺した、あの二人組だ。彼らはこの国の重要な役職に就いていた。

 色々な考えや思いが、浮かんでは消えていった。

 何が最善なのか。

 僕は、おじさんの家を出ることにした。


 僕が生きていると知ったら、あいつらが殺しに来るかもしれない。おじさん達の家族に迷惑はかけられない。

 みんなの仇をとりたいが、今の僕にそんな力は無い。まして相手は国の官僚。近づくことすら出来ない。

 結果的に、この国イナハンを出ることにした。

 二人の目の届かない場所で修行を積んで、必ずみんなの仇を討つ。胸に誓いを立て、旅に出た。

 商人の下男として働いた。

 旅先で、あの二人の名を知った。 

 赤い髪の少年の名はロズ。異国から来た魔法使い。この世の未来を予言し、国の平和と安全を守る者。

 白い髪の女。名前はイリリ。ロズと共に、異国から来た者。その美貌とは裏腹に、類まれな格闘術で、王の護衛役にあたっている。

 何故彼らが父様たちを殺したのか?

 

 君たちは、僕らのことを知り過ぎた


 ロズの言葉。

 父様たちは何を知ったのだろう。


 商人の終着地は『ドガイ』という国だった。

 行き場を失った兵士や戦士が集まる無法地帯。強い者だけが生き残る。それが唯一の法律。ナックにとっては絶好の修行場だった。

 商人とはドガイで別れ、ナックは街のあちこちで行われる賭け試合に参加して、腕を磨いた。

 彼の家は、ある格闘術を伝承する家系だった。基本的な技術は学んでいたので、あとは経験と実力を身に付けるだけ。

 あっという間の三年だった。

 北にある二つの国が戦争を始めた。それに傭兵として参加した。

 そこでロズと再会した。

 彼は、戦争を仕掛けた国の官僚だった。

赤い髪のロズが、イナハンでなく何故この国に?

 目的は?

 疑問はたくさんあったが、好機が先にやって来た。ロズと二人きり。偶然にもそんな時間が訪れたのだ。

 早めの撤退で戻った夕暮れの城内。

 いつも国王や高官たちといる彼が、ひとりで通路を歩いていた。考えるより先に、体が勝手に動いていた。

 ロズの前に立ちはだかるナック。三年ぶりの再会。

 「僕に何か用かな、兵隊さん?」

 相変わらず少年のままのロズ。不思議そうな顔でナックを見つめる。

 覚えていないようだ。それならそれでいい。

 ナックは腰の剣を抜き、ロズに飛びかかった。

 ふわっと、ロズの体が浮いたような気がした。綿のように軽い身のこなし。さらに追従して剣を振る。

 もうそこにはいない。

 ナックは片足で地面を踏み叩いた。独特の足さばき。地面を滑るような動きでロズを追う。一歩の距離が常人の何倍もある。

 剣を振り下ろす。

 斬ったはずなのに、感触が伝わってこない。

 何度も繰り返した。

 必死の形相で迫るナックとは裏腹に、ロズはふわふわと攻撃をかわしながら、腕を組んで思案顔。

 あっ。

 大げさに驚く。

 「君、確かイナハンの・・・あの時の子供だね?」

だけど・・・

言いかけてまた考え込む。

 その顔を両断する。

 感触は伝わってこないし、斬れていない。

 「なんで生きてるの?」

 ロズの問いには答えられない。

 ナック自身も何故生きているのか分からないからだ。

 二人は通路から離れて、さらに人気のない庭園へ入り込んだ。

 動きを読んで十分狙った。それでも斬れない。魔法でもかけられているのだろうか。

 ロズの片手が上がった。剣を振り上げるナック。

 軽く、そっと触れるような感じで、ロズの手がナックの胸の防具に。

 それで全て終わった。

 よく手入れされた庭園の中で、二人の動きが止まった。ナックは剣を振り上げた姿のまま。その場に膝をつく。

 ロズが触れた胸元は、ぽっかりと大きな穴が開いていた。

 肉片は飛び散らずに消滅していた。

 「せっかくの再会だったけど、さようなら。君程度じゃ僕は倒せないよ」

 ナックに反応はない。

 しばらく様子を見ていたが、何も変わらなかったので、ロズは庭園を去った。


 翌朝。

 城の庭師が庭園で作業をしていた。

 昨日誰かが入り込んだらしく、踏み荒らされた跡が残っていた。兵士不足で他国から傭兵を雇っているそうだから、その連中が迷い込んだのだろう。勝手に決めつけて作業を続ける庭師たち。

 そこには、あるはずのナックの死体が残されていなかった。



 ・・・・二年後。


 城のある部屋。

 西の空を見ながら表情を変える少年。ロズだ。

 山脈の向こうにあるルコスで動きがあったようだ。側近のチャウバにかけた魔法が解けて、ザギがプレ・ナの目を使用した。

 ロズは黒いローブを羽織り、笑顔を隠す。

 「ようやく現れたようだね、キース」

 その言葉を残して、ロズは部屋から消える。

 何かが始まろうとしていた。


 内乱が絶え間なく続いている国、ドガイ。

 北の国境付近。 

 完全ではないが、どうにか扱えるようになった。

 気がつけば、あれから二年が過ぎていた。争っていた二つの国は、ひとつになって、『ゴルゴル』という名の国になった。

 当時、王の相談役として城にいたロズは、今もそこにいる。

 待っていろ。今度こそ。

 誓いを胸に、男はひとり旅立つ。

 二年前。城の庭園でロズと対戦し、胸に大きな穴を開けられた男。

 ナック、その人である。


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