episode4 「首都」

西の砦ギリスから、首都ルコスに来て二日目。いよいよ『武闘会』が始まろうとしていた。会場のある街の東寄りはもちろん、都全体が祭りのように賑わっていた。

 国外からの観戦客も多い。

 ゲバラクは都では有名人で、顔も知られているが、人の多さを利用して、キースとクラナを連れて、会場で打ち合わせをした。


 元々は、犯罪者を公開処刑する施設。円形の見上げるほど高い建築物。中心に闘技場があり、その周りに階段上に観客席がある。一万人は収容できる。

 初代ルコス王の時代には、ここで罪人が人やノマ(魔獣)と戦い、処刑されていた。

 いつからか使用されなくなったのを、現在の側近チャウバが、別の目的で利用することを提案した。

 大戦が終わって五十年以上。

 いつまた起きるかもしれない戦争のため、剣術の維持と向上が目的。国内の兵士たちを対戦させて、技術を競わせ、士気と愛国心を高める。

 それが『武闘会』。

 今では国外からの参加者も多いとか。

 上位に入れば地位と名誉。優勝すれば、さらに賞金が出る。そのせいか、最近では兵士や戦闘士だけでなく、民間人も参加している。だが、今のところ、予選を勝ち抜いて本戦まで残った者はいない。


 太陽が見上げる高さまで登った頃、会場では予選が始まった。

 国内の兵士たちは本戦からの参加だ。予選は国外参加者と民間人。会場を区分けして何組か同時に行う。

 この『武闘会』の勝敗は、相手が降参するか戦闘不能となるか。殺し合いではないが、本物の武器を使って戦うので、怪我もするし死亡者も出る。特に戦い慣れしていない民間人は死亡率が高い。力の加減が分からないせいだろう。


 ゲバラクは、ギリスから一緒に来た兵士たちを連れて王宮へ向かった。

 ここからは別行動だ。

 この街の彼の仲間を合流して、クラナは会場の観客席にいた。キースは予選に参加するため隣にいない。彼女の強さを十分理解していても、戻ってくるまで不安で仕方がない。まばらな観客と違い、人で埋め尽くされた闘技場。すぐにキースを見つけて、近くの席に座る。

 座ったが、何だか落ち着かない。立ってみたり、歩いてみたり。他の観客に睨まれてもお構いなしだ。

 「クラナさん、落ち着いて」

と、ゲバラクの仲間の男に言われても、引きつった笑顔を返すだけ。

 気づくと、すぐ近くまでキースが来ていた。

 クラナは、腰の高さまである塀にしがみつき、キースを見下ろした。今にも泣きそうな表情だ。

 会場から見上げるキース。

 「落ち着け。私は大丈夫だから」

 それだけ言って振り返る。

 「だってぇ~」

 腰をくねらせ、彼女の背中に言葉をかけるクラナ。

 キースは立ち止まり、振り返る。

 「クラナがいてくれる限り、私は負けない」

 それだけ言って歩き出す。

 クラナはさっきまでとは別人のように、おとなしく席に座った。何だか頬を赤くして嬉しそうな顔をしてる。

 隣の男は苦笑した。


 日が沈む頃、予選が終わった。

 結局、キースは一度も腰の刀に触れることなく予選を通過した。ほとんどの相手が民間人だったせいもあるが、他の参加者と比べても、力の差は歴然だった。

 キースが気になったのは、男女二人の戦闘士。会場に用意された武器を、吟味するかのように全て使って戦っていた。

 顔の雰囲気が似ているので兄妹かもしれない。

 予選を通過した残りの者はどうか。剣術、腕前、似たりよったりだと感じた。終わった今では、顔すら覚えていないほどだ。

 百人近い参加者から本戦に出れるのは十名足らず。

 明日からいよいよ本戦が始まる。

 観客席も人で埋め尽くされるだろう。

 キースが会場から出たきた。外で待っていたクラナが手を振る。

 「料理の美味い店があります」

 そう言ってキースとクラナを促す男。

 三つの影が街の中へ消えていった。


夕食後、男に案内された宿は、小高い丘の上に立つ古びた宿だった。

 外観の印象とは対称的に、部屋の中はとても綺麗だった。

 どこからか花の香りがする。

 木窓を開けると、正面に武闘会の会場が見えた。


 「私はこれで失礼します。何か御用がございましたら、店主に声をお掛け下さい。いつでも参りますから」

 男は深々と頭を下げて部屋を出て行った。

 扉の近くまで見送りに来たクラナを見て、小さな声で一言。

 「明日は本戦です。キース様をあまり疲れさせないように」

 ちょと気味の悪い笑みを残して階段を降りていく。

 最初は男の言葉の意味が分からなかったが、彼が見えなくなってから、ようやく思いつく。途端に顔が赤くなる。

 そうか。

 この宿はそういう宿なんだ。

 いわゆる、男女が楽しく夜を過ごせる密会の宿。

 ゲバラクかさっきの男か判らないが、気を利かせ過ぎだ。確かにキースのことは好きだけど、もっと深くキースのことを知りたいと思っているけど。

 思っているけどさあ・・・・

 私って、他人に分かるほど態度に出ているのだろうか。

 

 「どうかしたか?」

キースに声をかけられた。

 振り返ると、彼女は窓辺に座り夜風にあたっていた。

 ちくしょう。

 何気に座る姿が格好良いじゃないか。

 走り寄って、抱きつきたくなる気持ちを抑える。

 「なんでもない」

 それだけ言って、彼女のすぐ横にある机に向かう。

 このままキースのことを見ていたら、変な気分になりそうだ。ゲバラクからもらった魔法書を開き、気持ちを切り替える。

 それにしても、と書物に書かれた魔法の膨大さに目を見張る。

 二、三日ではとても読み切れる量ではないでの、必要な部分だけを抜粋して読む。

 自分が得意な幻覚魔法。そして、キースのために役立ちそうな魔法。例えば治癒魔法とか。魔力で傷が治せるなんて、一体どれだけの魔法使いが知っているのか。

 それとも、私の常識が狭いだけだろうか。

 この『魔法陣』というのを、直接人や物に書いて発動する魔法なんて、聞いたことがない。ここに書かれている事が真実なら、術式が消えない限り永遠に魔法の効果があるそうだ。

 こんな魔法、何の役に立つのだろうか。


 キースが刀の手入れをしているのを、横目で見ながら、魔法書を読み続ける。

 どれくらいの時間が経った頃だろうか。

 キースがクラナに声をかけた。

 木窓を閉めて、椅子をクラナの横に運んだ。

 何だかいつもと様子が違う。椅子に座ったキースが戸惑っている。それを見て、クラナの表情も変わる。

 「どう、したの?」

 緊張のあまり、声がうわずってしまった。

 それに、変な所で言葉を区切ってしまった。

 「クラナに見て欲しいものがあるのだけど、いいかな?」

 キースが言った。

 うなずくクラナ。

 次にキースがとった行動は、クラナの緊張をさらに高めた。

 鮮やかな刺繍の入った服を、目の前で脱ぎ始めたのだ。腰の帯を解いたら、ほとんど裸に近い状態になってしまう。

 「わわわわ、ちょ、ちょっと待って。こ、心の準備が」

 クラナが動揺しているが、お構いなしに服を脱ぐキース。

 首から上が熱くなって、心臓の鼓動が早くなる。

 脱ぎ終えた姿を見て、思わずため息が出てしまった。

 何て美しい肌。

 何て美しい裸体。

 形の良い豊かな胸。腰は見事な程くびれている。芸術的な完成された体だ。

 こんなに小さくて細い体なのに、あの力強さはどこから来るのだろう。

 キースが後ろを向いた。

 彼女の背中を見た途端、欲情に似た感情が一気に冷める。 

 「これは・・・・」

 見覚えがある。

 今まさに、魔法書で見た魔法陣。

 しかもこれ、最初に書かれたものに、別の魔法陣が上書きされている。

慌てて魔法書を読み返す。

 「これが何か分かる?」

キースが尋ねる。

 クラナの手が止まった。

 これだ。

 でも、これって、魔物や形のない悪霊みたいなものを封印する術だけど。

 人に使ったら絶命するって書いてある。

 「子供の頃、私を育ててくれた魔法使いが書いたものだ。術の効果が弱くなってきたので、別の魔法使いに書き直してもらったけど」

 クラナの表情が固くなる。

 「何のために?」


 この書物に書かれていることが事実なら、この術を人にかけた場合、呼吸はおろか、体の機能全てが動かなくなるそうだ。

 手足が動かず、息もできない。

 それはつまり、死んでしまうということ。


 「私の『力』を抑えるためらしい」

 問い返したが、何の力なのか分からないらしい。

 だけど、人に使わない術を書くということは、そうしなければ抑えられない『力』で、まわりやキース本人が危険にさらされるから書いたのだと、クラナは思った。

 『力』が何なのか、それも知りたいが、もっと気になることがある。


 何で生きていられるの?


 そっちの方が不思議だ。

 本人が答えを知るはずもなく、疑問ばかりが増える。

 「この術を解くことができる?」

キースが問う。

 「ええっと、うん。そうだね、この書物に書かれてるからできるよ」

 「私が頼んだら解いてほしい」

 「いいけど。何の力を抑えているか、分からないんでしょ?」

 キースが振り返った。

 目の前に、また彼女の乳房が現れる。

 駄目だ。つい目がそっちへ行ってしまう。

 「チャウバの弟子が相当強いらしい。私の中にある『力』が必要になるかもしれない」

 キースに危険が及ばないのだろうか。

 不安なクラナ。

 全て終われば、また術をかけ直してくれればいい、とキース。

 確かに、術の解き方が分かれば、かけることも出来る。封印の術は強い魔力が必要だ。

私の魔力で大丈夫なのだろうか。

 魔法書に目を向けていると、良い香りが私に近づいてきた。

 キースが裸体のまま抱きついてきた。

 「クラナ、頼んだよ」

と、耳元でささやく。

 ずるいよ。

 私の気持ちを知ってて、こんな事するなんて。

 もう断る理由がない。

 「分かった。頑張ってみる」

 「ありがとう」

 また耳元でささやくキース

 お腹の下あたりが、何だかムズムズする。

 男が女に性欲を感じるのって、こんな気持ちなのかな。私は男と、もちろん女とも、そういう経験が無いので、ただの想像でしかない。

今すぐにでもキースを押し倒してしまいたい気持ちを必死で押さえ込む。

 

 魔法陣の術式はもう覚えたけど、書き写すから、とか言ってしばらく裸のままでいてもらう。

 ちょっとした仕返し。

 今の私は、恥ずかしそうな顔をしているキースを見ているだけで十分。

 私を頼ってくれた彼女に答えなければならない。

 魔法使いになって、これ程良かったと思ったのは初めてだ。魔力が尽きるまで、いや、命をかけてもキースのために頑張る。

 そう決心した。

 

 夜遅く。

 寝台に入ったが、なかなか寝付けない。色々な意味で気持ちが高まって落ち着かない。

 意を決して身を起こす。

 キースの寝台に入り込む。

 彼女はすぐ目を覚ました。

 「一緒に寝てもいい?何だか眠れなくて」

そう言うと、キースは優しく抱き寄せてくれた。

 私の方が年上なのに、これでは立場が逆だ。だけど、この関係が私には丁度良い。

 良い香りのする彼女の胸に顔をうずめる。

 キースの胸の鼓動が、私の中へ染み込んでくる。

 明日はいよいよ本戦。国がどうとか、私にはよく分からない。とにかくキースのためなら何だってする。

 キースは強者たちと戦い、私は魔法で支援する。

 百人だろうと千人だろうと、私の幻覚で操ってみせる。

 彼女の肌の温もりが心地良い。

 急に睡魔がやって来て、私は意識を失った。



首都ルコスは、水も他の資源も恵まれている。東西の旅の出発点でもあるので、人の出入りも多い。国の財源は枯渇することを知らず、国民も王族も、豊かな暮らしをしていた。

 誰もがこの平和な日々が、永遠に続くと思っていた。国王の側近が戦争を起こそうとしているなんて、王宮の者でさえ知らない事だ。

 まして『武闘会』が、戦争のための精鋭兵士を集める目的だとは、国民はおろか、参加者さえ気づいてないだろう。


 ここは王宮のある部屋。

 ひとりの男が、机の上に山積みされた書類に目を通していた。短髪で面長。はるか東の民族の血を引く顔立ち。

 常に現国王ルコス三世のそばに付き、助言と提案をする男。

 側近のチャウバである。

 明日の『武闘会』観戦に向けて、王宮を離れる時間を埋めるため、夜遅くまで雑務をこなしていた。

 『武闘会』で揃えた戦士も増えてきた。武器の準備も順調だ。

 後は明日、ルコス三世を殺すのみ。

 ようやくここまでたどり着いた。まずは西国を制圧し、次に魔法使いの聖地、ロフェア渓谷を支配下に置く。

 プレ・タナを制御できれば、戦争は勝ったも同然だ。


 筆を置き、目を閉じるチャウバ。

 慣れない仕事と年齢からくる疲労。先の大戦で活躍したコルバンの弟子。今は机の上の書類が強敵だ。

 これがなかなか手強い。

 水差しから酒を器に注ぐ。口元まで器を運んで手が止まった。

 目線をベランダに向ける。

 「ザギか。どうかしたか?」

 灯りの届かない、闇に向かって話しかける。

 黒い大きな塊が、チャウバに近寄って来た。

 「俺と同じ匂いがする」

闇が言った。

 声質は低くかすれている。

 闇は人の形になった。

 背が高くかなりの細身。手足が異様に長くて、獣の骨を削って作った武具を身につけている。

 禿頭で、両目は顔に巻いた布で覆われている。背中には長刀が二本。柄が両肩から覗いていた。


 「同じ匂い?」

 チャウバは同じ言葉を繰り返す。

 「北の民族の血を引く者が都に来ている」

ザギが言った。

 チャウバは破顔した。

 「ほほう。『武闘会』に戦闘民族が出るのか。それは明日が楽しみだな」

 ザギはチャウバの前に立ち、水差しを手に取る。

 そのまま口をつけて酒を飲む。

 両目を布で覆っているのに、まるで見えているようなしなやかな動き。

 口から溢れた酒を手で拭い、

 「我々の計画の、妨げになるかもしれないぞ」

と、言葉を続ける。

 チャウバの表情は変わらない。

 「今さら独りや二人増えたところで変わりはしない。危険ならば、お前が始末すればいいじゃないか。それとも、剣技が鈍ったか?」

 ザギは鼻で笑う。

 「少しは骨のある奴ならいいがな」

そう言って、水差しを置く。

 彼の強さは、チャウバが誰よりも理解している。師であるコルバン、剣術の神とまで言われたガガル。そして、剣術指南のゲバラク。彼らの全盛期でさえザギには敵わないだろう。

 もちろん、彼らの弟子たちでも同じだ。

 プレ・ジェより強い魔力を持ち、伝説の三人を超える剣技。

 この男に勝てる者などこの世に存在しない。チャウバはそう思っている。

 「それだけ伝えに来た」

そう言って、ザギは再び闇の奥へ向かう。

 「ずっとお前のそばにいられないかもしれん。自分の身は自分で守れ」

 「分かった。忠告感謝するよ」

 長身は闇に同化した。

 音もなく気配が消える。

 チャウバは筆を取り、残りの仕事を再開する。

 すぐに手が止まる。

 嫌な顔が頭に浮かんだ。


 北の民族か。まさかアイツじゃないだろうな。


 ガガルがルコスを去ってから、あの男とは会っていない。かつては技を競い合った仲だが、定住を嫌ったあの男は従者を連れて旅に出た。

 あのまま剣術を鍛え続けていたら、ザギの脅威となるのではないか。

 いや、とすぐに否定する。

 再び書類に目を通す。

 今のザギなら負けはしない。

 何故なら彼は、人を超えた力を得たのだから。



都に朝がやって来た。

 旅人たちを東西へと誘う大通り。多くの衛士に守られて、王宮から『武闘会』会場へ進む行列。

 二台の馬車の先頭は国王と王妃。道の両脇に集まった国民たちに、笑顔で手を振る。

 声援を送る人々。

 その中のどれだけの者が、国王に対して尊敬と感謝の気持ちを抱いているか。

 前国王が急死して、若くして国王となったルコス三世。彼には政治力も官僚を動かす力もない。すぐ横で影のように側につき、国を動かしているのは側近のチャウバ。

 国民の誰もが知っている。

 国王は見せかけだけの、ただの国の象徴でしかないと。


 後方の馬車には、チャウバとザギ。そして、兵士の剣術指南役であるゲバラクが乗っていた。

 表面上は、チャウバはゲバラクを師と尊敬し、ゲバラクはコルバンの良き弟子として対応している。お互いの思惑や殺意を知っていながら、それを言葉や態度に出すことはない。

 彼らの戦いは、既に始まっているのだ。

 

 「今回の決勝進出者は、どうなっていますか?」

チャウバがゲバラクに問う。

 「残念ながら、決勝に進んだ四名のうち、一名しか国内兵士が残らなかった。弓の名手、クロウだ。今回は国外参加の三名が、群を抜いて強かった」

 「ほほう。それは楽しみですな」

 満面の笑みを返すチャウバ。

 横にいるザギは、彼らの会話に興味がないらしく、馬車の外に顔を向け、腕を組んでいる。両目が布で覆われているため、表情はよく分からない。

 「戦闘民族の戦士がいるそうですね?」

チャウバが言った。

 「ああ、兄妹対決する二人か。育ったのはドガイらしいがな」

そう言って、一瞬ザギを見るゲバラク。

 彼もドガイ出身の北の民族だ。


 ドガイは、ルコスの南東にある国。先の大戦で、行き場を失った多くの兵士たちが流れ着いた国。内乱が絶えず、治安は良くない。今は、二国合併問題で争いがあったゴルゴルに、多くの者が傭兵として雇われているため、少しは住みやすいかもしれない。

 

 相変わらず、ザギは素知らぬ顔。

 ゲバラクも、特に何かを期待したわけではない。

 残ったもう一人の話題になった。もちろん、キースなのだが、ゲバラクは知らない事になっているので、詳しい事は分からない、と答えた。

 「女の戦士が二人も残っているとは。余程の実力者か、我が国の兵士が鍛錬を怠っているか。どちらにせよ、『武闘会』が終わった後、ゲバラク様には兵士たちを鍛え直していただかないといけませんね」

 微笑むチャウバ。

 苦笑するゲバラク。


 会場から割れんばかりの拍手と声援。

 観客たちに手を振る国王と王妃。

 かつて死刑囚の最後を見届けた初代ルコス王と同じ席。少し高い位置にあり、会場全体を見渡すことが出来る。

 『武闘会』も残すはあと三戦。優勝者が決まる頃、この国の進退も決まる。

 キースは予定通り勝ち進んでいる。

 クラナは上手くやってくれるだろうか。会場にはまだ入っていないようだ。

 観客席の警備に立つ兵士たちを見る。そのほとんどが、ゲバラクの息のかかった者たちだ。ちゃんと打ち合わせ通りに立っている。


 これだけ年を重ねても、緊張するものだな。


 表情には出さず、ひとり思うゲバラク。

 王室専用席の隅。護衛も兼ねて王妃側に座っている。チャウバとザギは国王側で、少し離れている。

 チャウバは国王と何やら話をしている。決勝に残った四名について説明しているのだろうか。

 ザギはチャウバの後ろで、腕を組み静かに座っている。姿がかすんで見えなくなるくらい、気配を消している。

 この男をチャウバから引き離さなければ、今回の計画は成功しない。

 強い戦士を見ると、腕試しをしたくなる。

 ザギは過去の『武闘会』で、何度かここから闘技場に降りて、優勝者と戦ったことがある。今回もそれに期待している。

 キースなら、必ずザギの心を動かすはずだ。

 ドラが会場に鳴り響いた。

 いよいよ試合が始まろうとしていた。



予想はしていたけど、やっぱり目立ってしまった。

 いくら力を抑えて戦っても、相手の力量に合わせて、僅差で勝ったように見せかけても、彼女は際立っていた。

 体から溢れ出る特異な雰囲気と美しい容姿は、男女を問わず観客たちを魅了し、注目の的になっていた。


 「ま、仕方ないわな」

 納得するクラナ。

 観客席へ向かう通路の脇。自分の出番を待ちながら、キースの人気に微笑む。

 私が、ほかの誰よりもキースの事を知っている。その優越感が、クラナの表情を緩めていた。

 ドラの音が鳴り響いた。

 そのすぐ後に観客たちの声援。

 最初の試合が始まるようだ。キースの保護者としては、対戦相手を見ておく義務がある。

 クラナは観客席の方へ進んだ。

 中央下の、闘技場に目をやって息を呑む。

 兄妹で戦うから、少し手を抜いてするのかと勝手に思っていたが、それが間違いだった。

 観客の声援に負けない、熱い戦いが、円形の会場で繰り広げられていた。


 兄のウラは、槍のような長い柄の武器。ナギナタという名前らしい。それを手足のように自在に操っている。

 対して、妹のサラは直刀の細身の剣。武器の間合いの差をもろともせず、素早い動きでウラの懐に入ろうとする。

 二人の動きは、時々響く刃の打撃音に合わせて、まるで踊っているかのようだ。

 とにかく速い。

 武器の扱いも、身のこなしも。

 キースが『手強そうな二人』と感想を言っていたのもうなずける。

 

 お互いの手の内を知り尽くしている。力量も把握している。

 二人の戦いは長期戦になった。

 それでも観客が飽きることなく声援を送るのは、二人の剣舞が衰えることなく続いているから。

 いつの間にか、クラナも二人の戦いに引き込まれていた。歯を食いしばり、拳を握っていた。声をかけられたことさえ気付かなかった。

 「クラナさん!」

 少し強い口調で呼ばれた。

 一瞬体をビクつかせ、振り返ってみると、見覚えのある兵士が立っていた。

 ギリスから同行してきた兵士だ。彼は会場の警備をしていた。

 「そろそろ準備してください」

兵士が言った。

 「はい。分かりました」

 すぐに気持ちを切り替えるクラナ。

 夢中になって観戦していた姿を見られて、ちょっと恥ずかしかった。それを誤魔化すための無表情。

 兵士の案内で会場内を動く。

 これだけの人数を、同時に魔法はかけられない。なので少しずつ、何箇所かに分けて魔法を発動させる。

 兵士が一緒にいれば疑う者はいない。

 気がついた頃には、会場に観客はいない。キースもゲバラクも、遠慮なく戦える。


 さっさと終わらせて、キースを応援しなきゃ


 クラナは兄妹対決を何度も横目で見ながら、会場を歩き回る。

 会場の歓声が、ひときわ大きくなった。

 どうやら決着がついたようだ。クラナも兵士も、立ち止まって中央の闘技場を見る。

 細身の剣を失って、両手を挙げているサラ。

 槍のように長い武器、ナギナタの刃先を妹の胸元に向けているウラ。

 審判役の兵士が数名集まって来る。戦闘を止めて、サラの降参を確認する。

 ウラの勝利。

 大歓声。

 決勝戦は、ウラと、キースとクロウの勝った方。

 まず間違いなくウラとキースの対戦だ。

 次の試合までまだ少し時間がある。

 クラナは兵士を追い越し、作業を急いだ。


 試合が終わると、闘技場に男たちがなだれ込んだ。次の試合の準備だ。

 闘技場は、対戦相手や使う武器によって、少し様変わりする。目的が国内兵士の技術向上なので、彼らに有利に働くよう考えられていた。

 次は弓使いの兵士。

 何もない平地では弓士は不利だ。

 木材や煉瓦で作られた、人ひとり隠れることができる壁が、いくつか配置された。

 それぞれの壁には矢筒が用意されている。

 闘技場の中央には、様々な武器が用意されている。それを取りに行けば、壁に隠れた弓士が狙い撃つ。そういう配置になっている。


 クラナが突然立ち止まる。

 後ろについていた兵士が慌てて止まる。

 二人の目線が、観客たちのの注目が、闘技場に集まる。

 両脇の扉が開き、戦士が入場した。

 ルコスで最も優れた弓士クロウと、国外から参加の女戦士。

 歓声が上がる。

 多くの者がクロウの勝利を確信しているなか、クラナは結果を知る神のように微笑んだ。


目の前にしても、まだ信じられないクロウ。

 こんな幼さの残る少女が、私の前に立っているとは。

 ルコスから参加した兵士たちの力量は把握している。あの二人の兄妹に負けるのはまだ分かる。ドガイ出身の、有名な剣士の弟子だと知っているから。

 だが、この少女は・・・・?

 こんな美しい顔をした少女が、何故ここまで残っているのか。

 戦いぶりを見てきたが、それ程強さを感じなかった。色々な武器の扱いには慣れているようだったが、特別何かが優れているとは思わない。

 偶然手にした武器が折れて。勢い余って空回りしたところを狙われて。相手の突発的な事故が、彼女を勝利に導いただけで、実力で勝ち上がってきたわけではない。

 まあ、運も実力のうち、とは言うが、残念ながらここで終わりだ。


 私の放つ矢は、体の一部と同じ。

 弓のしなり具合、指先の感触。その日の天候、風向き。どんな状況であろうと、私は矢を同じように射ることができる。

 同じ速度、同じ角度。

 特注品の矢を使えば、弾道を曲げることも出来る。


 審判役の兵士が、キースとクロウから離れて、所定の位置につく。

 二人が武器を手に取り合意すれば戦闘開始だ。

 まだ声が届く距離に立っている。できれば、少女を傷つけたくない。

 クロウは弓に矢を番(つが)えながら忠告する。

 「ここまではよく頑張った。悪い事は言わない。今のうちに降参して・・・・」

 言葉は途中で消えた。

 キースは観客席を見ていた。全くの無防備だ。

 クロウはため息をついた。


 キースは誰かを探しているようだった。

 何かを感じて、クラナは足を止めた。すぐにキースと目が合った。距離があるので表情までは分からない。

 短い奇声を発しながら、クラナは手で口元を覆った。

 隣の兵士は不思議そうに彼女を見やる。今にも泣きそうな顔をしている。声をかけようとしたら、彼女が開口した。

 「やっぱりあなたは、私の運命の人だわ。うん、分かった。もう少し急がないと駄目だね」

 ひとり納得して歩き出すクラナ。

 兵士は首をかしげる。何が何だか、さっぱり分からない。分からないが、どうやらこの二人は、目線を合わせただけで、意志の疎通ができるらしい。

 早足で歩くクラナ。大して動いていないが、かなり息が荒い。見た目通りの体力の無さに苦笑しながら、後ろを歩く兵士。

 「何かあるのですか?」

 クラナの言葉の意味を知るため聞いてみる。

 彼女は体ごと振り返った。上気した顔。一体何に興奮しているのか。

 後ろ向きに歩きながら、

 「わたし、目が合っただけで、キースの気持ちが分かっちゃった」

と笑顔で言う。

 「観客が騒いでいるうちに、どんどん魔法をかけちゃうよ」

 短い魔法の杖をクルクル回しながら、また前を向いて歩く。

 兵士の気持ちはどんどん置いていかれる。

 クラナが振り向いた。

 「キースが本気で戦うって」

 何だかとても嬉しそうだ。

 兵士はどういう顔をしていいか分からず、はあ、と気のない返事だけ返した。

 置いていかれたままだった。


 自分の気持ちがクラナに伝わったことを確認したキースは、クロウの方を向いた。

 予想外の言葉を告げる。

 クロウは耳を疑う。

 キースは無防備にも、彼に背中を向けて歩き出す。ある程度距離をとったところで立ち止まり、またクロウの方を向く。

 動かない彼を見て、自分の言葉が聞き取れなかったと判断。

 「あなたの矢が一本でも当たれば、私は降参します」

 いつでもどうぞ、とキース。

 両手は下げたまま。

 右腰の剣は抜いていない。 

 何だが侮辱されたようで、無性に腹が立ってきたクロウ。

 いいだろう。女だからと言って容赦しない。

 矢筒の位置と壁との距離を確認する。

 頭の中で擬似戦闘をしながら、最適な戦術を構築する。

 ルコス随一の弓士クロウ。

 呼吸をするような自然な動きから、矢がキースに向かって放たれた。



・・・・二年前。


 ドレイド北部の街。旅の出発地、ルコスへ向かう旅人が、己を見つめ直すために立ち寄る街。通称『選択の街』。

 出産や加齢によって、魔力の弱まった魔法使いたちが、第二の人生を送る街。

 普通の民として生きる者。残った魔力で、占いや予言などをして生きている者。

 今日も多くの旅人が、未来の自分を求めて集まっていた。


 夕暮れ時。

 人通りの減った石畳の道を、旅人がひとり歩いていた。日よけのローブで全身を覆ったその人物は、しっかりした足取りで、ある場所を目指していた。

 宿屋街が見えた頃。

 細い路地を曲がる。複雑な、迷路のような道。赤みを帯びた空も何処かに消えて、目の前さえはっきりしない闇が襲って来る。

 その人物は、暗闇の中でも足を止めず、ひたすら奥へと進んでいった。

 恐怖はない。

 この先の結末を知っているから。


 ようやく目が慣れて、壁と道の輪郭が見えた頃、進む先に小さな灯りが現れた。

 そこが闇の終着地。

 壁も床も草木に覆われた小さな家。

 ローブの人物は、その家の前に立っていた。

 何もしない。

 声をかけることも、扉に手を伸ばすことも。

 

 「開いてるよ。入っておいで」

 家の中から声がした。

 低い、性別の曖昧な声。

 ローブの人物は、扉に手をかける。錆びた金具の軋む音がして、家の中から異臭が漂った。神への祈りに使うお香とはちょっと違う、独特な匂いがした。

 家の中は、思ったより明るかった。あちこちに燭台が置かれ、中央の老婆を浮かび上がらせていた。

 その人物はローブを脱ぐ。

 緑の髪に美しい顔。

 ドレイド南部の小さな村に住む少女。名はキース。

 彼女は、目の前の老婆に一礼した。

 「お久しぶりです、ラマジャ様」

キースが言った。

 老婆、ラマジャとは三年ぶりの再会だった。

 綺麗な刺繍が施された布の上に両手を置いて、彼女は大きなテーブルに座っていた。その上の、陶器の壺から煙が一筋。部屋に充満している独特な匂いは、そこからしているようだ。

 彼女の対面にもう一脚の椅子。

 勧められるまま、キースはその椅子に座る。

 「そろそろ来る頃だと思っていたよ」

ラマジャが言った。

 「どうだい、少しはあたしを信用出来るようになったかい?」

 老婆の問いに、キースの表情は複雑だ。

 笑っているような、困っているような。悲しんでいるようにも見える。

 それは、キースが望んでいた未来では無かった。

 「ガルじいを治す方法はありませんか?」

キースが言った。

 ラマジャは嘆息する

 「あれだけ長生きすりゃあ十分だろ。それに、お前との修行を続ければ、死期を早める事はあたしが教えたんだ。今更延命なんて、本人も望んでないさ。まあ、治す薬も方法も無いがね。寿命なんだよ」

 キースの体は揺れていた。

 泣きそうになるのを必死で我慢していた。

 「もうしばらくは生きている。ガガルは昔からしぶとい奴だからね」

そう言って、ラマジャは手元の壺に何かの粉を入れる。

 弱々しい煙が、一瞬太くなり、灰色が紅く染まった。

 「それで、今日はどうするんだい?」

 ラマジャはもう一度テーブルの上で手を組んでキースを見た。相変わらず、女が見ても惚れ惚れしてしまう美しい顔。しばらく俯いて、気持ちを落ち着かせている。

 体の震えが止まって、ようやく少女は顔を上げた。

 「封印を元通りにしてください。私にはまだ、この力を扱えません」

 キースの言葉に、ラマジャはうなずく。

 「だろうね。まだ早い」

 彼女には、これから先の未来が分かっているようだった。

 「ラマジャ様は、私のこの力が何なのか、分かりますか?」

キースが問う。

 彼女自身が力を使えないと言いながら、その本質を理解していない。

 「いいや」

とラマジャが言う。

 「今はまだほんの一部の力だけだ。封印を全て解放したらどうなるか、想像も出来ないね。だいたいその封印術は、人に使うものじゃないし、自力で解けるはずがないんだがね。あたしはそっちのほうが不思議だよ」

 キースは苦笑する。

 自分の体の事なのに、自分でも分からない。なんとも変な気持ちだ。

「服を脱いで、背中を見せてみな」

 ラマジャに言われた通り、キースは服を脱ぐ。

 まだ発育途中の小さな胸と細い体。それでも彼女からは、人を引き付ける大人の魅力を感じているラマジャ。

 もう少し若かったら、などと関係ない事をつい考えてしまう。

 椅子から立ち上がり、近くの燭台をテーブルに置く。

 キースの背中を見て驚く。

 背中に直接書かれた術式の一部が消えている。

 「普通は消えたりしないんだがね」

 長年生きてきたラマジャでも信じられなかった。魔法に関することで、まだ未知の領域があるとは。

 彼女はテーブルに金属製の平皿を置いた。それと、何かが入った小瓶がふたつ。

 手には小さなナイフがあった。

 「カサロフは、あたしが知っている魔法使いの中でも、随一の術者だ。これほど完璧な術式はなかなか無い」

 手元で作業しながら話すラマジャ。

 小瓶の中から、粉状のものと粘り気のある液体を、平皿に出す。

 指先をナイフで切る。

 血が数滴、平皿に落ちる。

 もう片方の手で傷口に触れると、血が止まり、傷も消えた。

 キースを振り返させる。

 「血を少しもらうよ」

そう言って、キースの手を取る。

 指先をナイフで切る。

 血が数滴、自分より多めに落とす。

 傷口に軽く触れる。すると、やはり血が止まって傷が消えた。

 細い木の棒で、平皿の中身をよく混ぜる。何か呪文を唱えているが、キースには分からない。

 ただ、彼女の記憶の隅に、同じような光景が浮かんだ。今よりまだ幼かった頃、五才まで暮らしていた家で、カサロフが似たようなことをしていた。あれは背中の術式を描く準備だったのか。

 カサロフは、とても悲しそうな目をしていた。

 「さて、ちょっと痛いけど、我慢しなよ」

ラマジャが言った。

 キースは彼女に再び背中を向ける。

 ラマジャは平皿の中で混ぜた液体を、木の棒に染み込ませ、キースの背中に押し付けた。

 肌の焼ける匂いと呪文。

 キースは顔をしかめた。

 少女の背中と平皿を何度か往復して、消えた術式を補修する。

 「だいたいさ、この封印術を描かれて、生きているのがおかしいんだ。お前の体は一体どうなっているのさ」

 ラマジャの問いに、キースは答えられない。

 本人だって分からない。

 おそらくは、術式を最初に描いたカサロフも。

 ガガルのいる村に連れて来られた時、村長たちと何か話していたが、記憶が曖昧で内容はほとんど覚えていない。

 何となく覚えているのは、背中の魔法陣で『力』を抑えている、ということだけ。

 カサロフも、その『力』が何なのか、理解していないようだった。


 最後に、ラマジャは指先を術式の何箇所かに押し付けた。

 それが何を意味するのか、キースには分からない。

 「よし。終わったよ」

ラマジャが言った。

 キースは服を着る。

 「ありがとうございます」

 キースが礼を言うと、ラマジャは苦笑した。

 「できれば、これで最後にしておくれ。あたしももういい年だ。占いはいつでもしてやるが、この儀式は年寄りにはちとこたえる」

 テーブルの上を片付けながら、ぼそぼそつぶやく。

 ただ呪文を唱えて、術式を描いただけだが、相当体力を使うようだ。何度も大きく息をしながら、動くのが辛そうに作業していた。


 お互いが気持ちも体も落ち着いた頃、ラマジャが温かい飲み物を出してくれた。

 ちょっと苦味のある、紅い色の飲み物。


 ガルじいの好きそうな味。後で少し分けてもらおう。


 「それを飲んだら、さっさと帰りな。あたしゃ忙しいんだ。いつまでも居られたら商売の邪魔だよ」

そう言って、顔の近くで手を振るラマジャ。

 こんな、街の暗闇に人が来るのだろうか。

 不思議に思っていると、ラマジャがテーブルの上に小さな袋を置いた。

 今飲んでいるお茶の葉、だそうだ。

 「家畜の乳を入れて煮たのが、あいつの好みだ」

と、付け加える。

 何だか、少し恥ずかしそうだ。

 ガガルとは古い友人、らしいが、年齢も近いようだし、案外恋仲だったのかもしれない。と、キースは思った。

 少女の表情に何かを感じたラマジャは、

 「ガガルとはただの知り合いだからね。勘違いしないでおくれよ」

と、言葉を加える。

 キースは微笑んだ。



疾走するウマ。

 乾いた大地に悲鳴と怒号が響いた。

 街を出た帰り道。キースはノマの襲撃を受けた旅人と遭遇した。

 普段、このあたりにノマはいない。ごく稀に、年に数回、迷い子のように現れることがある。

 今がその時だった。

 逃げる旅人。男が乗る馬と、女と子供が乗る馬。親子だろうか。ル・プレはいないようだ。ル・プレを雇わない場合、旅人は魔法柱(プレ・コア)の欠片を持って旅をする。それを街の商会に持っていき、魔法使いに魔力を注いでもらう。

 ノマが襲って来るということは、その欠片も持っていないということか。


 キースの乗るウマが速度を増した。

 二足歩行のウマは、初速は遅いが次第に脚の回転が速くなる。

 女と子供の乗った馬が少し遅れている。ノマに追いつかれそうだ。

 人を襲う魔物、ノマ。

 その中でも、最も人に害を与える種類の『ノーラム』。ノマの総称の語源。ノーラムは環境や状況に応じて姿を変える変態型。

 今は巨大な蜘蛛の姿。しかし、その足の速さは尋常ではない。

 馬に追いつきそうだ。

 奴らは確実に人を狙い、人を食らう。

 キースの乗るウマがノーラムに並んだ。

 少女は矢を射つ。

 頭か胴体か、よくわからない所に命中する。

 止まる様子はない。

 並行して駆けるなか、もう一度弓を構える。

 今度は集中する。体内の『力』が矢に注がれているような感覚。

 矢を射つ。

 同じ矢でも、今度は違った。

 頭部と思われる部分に当たり、そのまま突き抜けた。

 ノーラムの速度が弱まった。

 キースは弓を放り投げ、ウマの上に立った。右腰の剣を手で支持して飛ぶ。

 そう、飛んだ。

 ノーラムの上に飛び乗ったのだ。

 キースは素早く腰の剣を抜くと、逆手に持ってノーラムに突き刺した。確実に動きは鈍ってきたが、まだ止まらない。

 封印を元に戻す前なら、と一瞬よぎったが、すぐにかき消した。

 不安定な足元で、ノーラムの急所を探す。

 振り落とされないように注意しながら、剣を抜く。

 刺し痕から青い体液が溢れ出る。

 大きく振りかぶって、別の場所へ剣を突き刺す。手応えがあった。

 ノーラムは脚がもつれて急制動した。

 キースは宙を舞い、ゆっくり体を回転させながら、足から地面に着地した。

 

 三人が乗った二頭の馬が、キースに近づいてきた。

 「ありがとうございます。助かりました」

 馬から降りた男が言った。

 顔を見て驚く。その美しさと幼さに。

 女は泣きながら近づき、キースの両手を握り締めながら、何度も礼を言った。

 彼らはやはり親子のようだ。

 道中でプレ・コアの欠片を落としたらしく、この辺りはノマがほとんど現れないので街までなら、と油断していたようだ。

 街まではまだ距離がある。ノマが現れる可能性は薄いが、絶対ではない。

 キースは、首から下げたプレ・コアの欠片を、その親子に差し出した。

 「先ほど魔力を注いでもらいましたから、十日くらいは大丈夫です」

キースが言った。

 男は大きな動作で手を振り、後ずさった。

 「いやいや。それではあなたが襲われます。受け取れません」

 女もうなずいた。

 キースは仕方なく、じっと見上げている男の子の前でしゃがんだ。欠片の付いた首飾りを、男の子の首にかける。

 頬が赤いのは、小さくても男だから。

 「これで、お父さんとお母さんを守ってあげて」

 キースの言葉に、大きくうなずく男の子。

 少女は微笑んだ。

 立ち上がると、不安そうな二人の顔がキースを見ていた。

 「せっかく助けていただいたのに、これでは・・・・」

 「心配は無用です」

 不安そうな二人にキースは言う。

 「この欠片ひとつで三人が助かるなら安いものです」

 それに、と言葉を続ける。

 「私は強いですから」

 目の前で戦闘を見ていたので、返す言葉のない二人。

 見上げる小さな男の子の目が、憧れから尊敬に変わった瞬間だった。

  




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