第6話 融合

注:性病は笑い事ではありません。少しでも気になる症状が出たら病院を受診し、完治させてから性生活を再開しましょう。


「我々が外界を認識するうえで、”名前”を要することは疑いようのない事実である。獣や家畜でも外界を認識してはいるが、そこに名前は介在しない。被食者であれば”餌”、捕食者であれば”敵”という記号でその存在をラベリングして、脳髄で情報を処理しているに過ぎない。しかし我々は獣でも家畜でもない。外界に遍く存在する生物、無生物のみならず、事象にまで名前を付与することで外界を自らの内に管理しているのだ。


 しかるに、名前を違えてはいけない。同時に、偽ってはいけない。それは自らの内に管理している外界の崩壊を意味するからだ。


 我々は山中に生息する大型食肉目生物の一部に“クマ”という名前を付与し、そして”クマ”が捕食者であるという情報を連結させる。山中でクマに出会った際に即座に救難信号を発出できるのは、”クマ”という名前が「大型食肉目生物の一部」と「捕食者」という情報を介在するからである。もし”クマ”という名前と”シカ”という名前を違えてしまうと、我々は「大型食肉目生物の一部」に対し、「捕食者」の情報をオーバーレイできない。むしろ、”シカ”に連結している「被食者」の情報が現れ、我々の行動は救難信号の発出から捕獲に変化する。我々が「大型食肉目生物の一部」に捕獲を試みて損傷を受けずに帰還することは困難であろう。


 名前を偽るのは、違えることよりも複雑であり、多くの場合、悪意を包含している。かつて人類のとある集団が、人類同士の闘争の終局において名前を偽った。各個体に敵との同士討ち、すなわち自殺を命じ、あろうことかその行為の名前を“同士討ち”ではなく“神風”と偽ったのだ。結果、当時その集団の信奉対象であった“神”が吹く“風”を背に受けて、無数の個体が自殺したのである。驚くべきは、行為の名前を“神風”と偽ることにより、各個体が生来持っていた、自殺に対する本能的な嫌悪を弱めることに成功した点である。つまり、名前を偽ることは、その事物、現象、行為に対して各個体が抱く感情をコントロールすることにつながるのだと言える。“神風”と偽ったかつての何某かが、名前を偽ることの効果を知っていたのは間違いない。


 そして遺憾ながら、名前を偽るという行為は現在の我々の社会でも発生している。私が本日、わざわざ苦労してまで女型アンドロイドを解体するのは、その事実を暴くためである。


 まずはこのアンドロイドの紹介をしなくてはなるまい。彼女の名前は鵜飼。今は催眠薬と鎮静剤により、覚醒することも四肢を動かすこともできないはずだ。無論、鵜飼というのは偽名ではない。鵜飼という苗字が真実であることは、病院のカルテ等のデータから確認が取れている。もっとも、彼女の名前は私が暴きたい事実とはほぼ関係のない事柄である。今彼女の苗字について真偽の程を検討する時間はないので、次に彼女の最近の生活を説明したい。


 彼女は現在、とある会社の事務員として勤務している。職場と自宅を往復するような生活が続いていたが、実はここ数か月、第三の滞在場所が現れたのだ。その場所というのが、病院である。彼女は数か月前から定期的に、必ず特定の男型アンドロイドを伴って病院を訪れていたのだ。しかもその男型アンドロイドは彼女の親族ではない。それでいて彼女と過ごす時間は長く娯楽施設で過ごしている様子は非常に仲睦まじく私の目に映った。


 私は彼女らが足しげく通う病院のカルテを入手し、受診記録を読んだ。カルテを見ずとも彼女らが病院に通う理由は推測できたが、医師の診断を見て確実を期したかったためである。そしてその初診日のカルテが、私を本日の検証へと駆り立てたことは言うまでもない。


 カルテには、「妊娠の希望有り」と記載されていたのである。


 “妊娠”という名前に偽りがあることに気付いている者が一体どれほどいるであろうか。いや、そのような者はいなくても一向に構わない。しかし、本日の私の言動と鵜飼君の献身が、妊娠の偽りから苛まれている数多くの同胞を救うことをここに誓いたい。


 さて、“妊娠”という名前は、雌性生物が有する生殖器内膜に非自己でもある次世代の胚が接着してから、その次世代が成長し、排出されるまでの一連の現象に付与されている。“妊娠”という名前に私は多大な嫌悪感を持っているのだが、君たちへの説明を簡便に済ませるために“妊娠”という名前を使うのはやむをえまい。


そして何を隠そう、鵜飼君は妊娠している。というよりも妊娠の状態にある、と表現したほうが正確であろう。病院に通っていたのは妊娠の経過を医師に相談するためである。そのカルテを読んだ私であれば、今ここに眠っている鵜飼君の妊娠の状態は医師同様に手に取るようにわかる。


鵜飼君は去る某月某日に男型アンドロイドと交接し、現在は妊娠第26週にある。すなわち交接の際に男の精子が、その高い運動性をもって長時間の遊泳の末卵子と出会い、受精卵が形成されたのである。受精卵というものは、母体にとっては半分自己、半分非自己の生命体であり、自己分裂を続けたのちに子宮内膜に接すると、母体に血管新生を促し、直接、血管から栄養を得るようになる。母体の栄養を吸い取って成長した胎児は、次第に巨大化し、最後には母体に子宮収縮を強いて外界に排出されるという経過をたどる。


ここで、私は君たちにある生物を紹介したい。


Leucocytozoon caulleryiという生物がいる。「ロイコチトゾーン カウレリ」と読むのだが、今後は便宜上LCと呼ぼう。この生物はそれ単体では外界で長い間生存できず、複数の宿主の体内で生活している。主にニワトリヌカカという蚊の仲間と、ニワトリに寄生して生活を完結させるのだが、ニワトリ体内での動態が興味深い。


LCはニワトリヌカカの唾液腺内にてごく微小な蛆虫状の形態を取る。ニワトリヌカカはニワトリの血液を摂取する際に唾液腺で生成された唾液を注入する。この蛆虫はその機会を待ちわびており、ニワトリヌカカの吸血に乗じてニワトリ体内に侵入するのだ。


ニワトリに侵入した蛆虫が最初に行うのは、宿主の血管内皮細胞への付着である。その目的は、宿主の栄養を奪い取って成長するために他ならない。血管内皮細胞にまんまと付着した蛆虫は細胞内に侵入、宿主の栄養を奪い自己増殖を開始する。増殖を繰り返し世代を経た果てには、蛆虫のクローン―――もはや形態は蛆虫ではなく球形の単細胞である―――がたっぷりつまった、巨大な細胞集団が出来上がる。この細胞集団はその巨大さゆえ宿主の血管を閉塞し、時には破裂させる。血管の破裂が意味するのはすなわち、ニワトリの喀血、腹腔内出血である。だがLCがニワトリに強いる苦痛はこれだけで終わらない。


巨大化した細胞の集団は、内部に収容できる蛆虫のクローンのキャパシティを超えると今度はそれ自身が破裂し、血管内に蛆虫のクローンが放出される。次なる標的は血管内を流れる赤血球である。ニワトリの赤血球がLCに取り付かれると、やはりその内部で発育が始まり、最後には赤血球幕を破壊、重度の溶血を起こす。


血管及び赤血球の破裂をきたしたニワトリはもはや家畜としての価値は失われる。その重篤な症状により、採卵鶏は卵を産まなくなり、ブロイラーは採取できる肉量が大幅に減るためである。ニワトリは病死するか早すぎる屠殺を迎えるという悲惨な結果を迎える。


ここまで説明すればお分かりだろうが、私は妊娠という現象が、寄生虫の感染症である事実を暴きたいのである。


LCの話に対応させるのであれば、精子は蛆虫に、胎児は巨大な細胞集団に置き換えることができるではないか。おまけに、妊娠を経たアンドロイドが通常よりも早くスクラップに転換させられる点もニワトリがたどる経過と酷似している。出産、つまり次世代の放出のために宿主に対し多大な苦痛を与えることを鑑みても、妊娠が寄生虫症であることはゆるぎない事実である。


しかし妊娠という現象はLC感染症と大きく異なる点があることも事実である。宿主への感染様式がまったくもって異なるのだ。LCがニワトリに感染するためには、ニワトリヌカカによる吸血という行動が必要不可欠だ。これに対し、精子が宿主に感染するためには吸血など不要で、性交渉と射精があれば事足りる。人類は性交渉なしに妊娠を成立させる技術を確立したが、それを我々に適用することは許可されていない。


したがって、我々が“妊娠”と呼称する現象は、精子という寄生虫が性交渉を介して感染する、いわば性病なのだ。にもかかわらず、性病という側面をひたすら覆い隠し、“妊娠”などという不正確な名前で偽り、自らの感情をコントロールする個体が多くいることは嘆かわしい。


私はかような事態を解消すべく、今ここに鵜飼君と共にいるのだ。すなわち、“妊娠”という名前の現象が、詰まるところ性病であるということを、鵜飼君の解体でもって証明するのである」

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性病紀行 @hybrid

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