第3話 replication

「………なんだこれは」

腕にはめ込んでおいたスキャナーデバイスを停止させながら、上司に聞こえないように呟いた。聞こえるはずはないのだが、何となくあの上司の下についてからは愚痴の類は小声で言う習慣が出来上がっている。

しかし、傍らの随行機には独り言が聞こえていたようだ。

「本事案の被害者である病際魔異やまぎわまこと教授が残したメッセージです。道中のブリーフィングで説明したはずですが。ブリーフィングデータを今一度読み上げますか?」

「いや、いい。サンプル採取を続けてくれ」

 随行機は自分の作業――足跡、指紋、体液、その他遺留物の採取作業――に戻った。随行機がかようにも殊勝なおかげで、こちらは”メッセージ”とやらに取り組むくらいしか作業が残っていない。そのうち随行機だけに現場捜査を任せる日が来るかもしれないし、今回の捜査で随行機に大ヘマをやらせとくか。

 そう出来もしない妄想に耽りつつ再度”メッセージ”に目を通す。

 スキャン結果によると、この文法形態は約1000±100年前の時代で用いられたものらしい。主に「日本」という国で用いられた「日本語」という言語で、ピーク時には話者数が約3億人を誇っていた。現在ほぼ使用されていない原因は「日本」の崩壊に端を発しているようだが、そこまでの情報は今回必要ないだろう。問題はこれが捜査上有用であるのか、という点だ。かつて存在していた感染症をただ説明しているだけで、特段、解決に繋がりそうな情報は含まれていない。暗号復元用のプロトコルは本庁に戻らないと使えないので、今この場で可能なのは文面のまま分析する事だけだ。

 メッセージは、自身が保有している感染症の情報を特定の何者かにではなく多数の人間に周知したい、という旨の主張から始まっている。しかし広く周知したいのであれば1000年も前の言語など使わなくてもよいし、ネットワークにアップロードした方が効率的だ。それをわざわざ紙に”自著”している。このご時世に死に際の遺言やら世迷言やら繰り言を紙で残す事例は僅少である。紙媒体だと消失してしまう恐れがあるし、第三者に内容を書き換えられることもある。紙媒体に固執している小説家も極少数いるが、今回は小説家ではなく教授だ。実際、病際教授が執筆した論文や著書には紙媒体のものはない。ただ、最も不可解なのは言語や媒体ではなくこの”メッセージ”そのものだろう。現場に到着する前に教授の論文を一読したが、教授たるものかくありなんと思わせる文才で、”メッセージ”に見られるような異常性は微塵も感じさせなかった。それに引き換え”メッセージ”はまさに「キチガイ」じみていて、途中で読む気が失せるほどであった。ところどころ主観と客観が混合しているせいで、読んでいて目が回るし、最後には発狂しているとさえ思える。正直、この”メッセージ”さえ無ければ「脳髄の故障による自殺」で一件落着だったのではないだろうか。

 まあ、著名な大学教授が変死体で発見されて、ろくに捜査をされずに自殺で片づけると、騒ぐ輩も一定数いる。そうなるよりは今回のように捜査にある程度時間がかかったうえで、結末を「自殺」に断定しやすい事案の方が上の連中もありがたかったのかもしれない。現場は密室で、教授の変死体と、自殺に使ったと思われるアンプル、化学物質の残渣、そして件の”メッセージ”しかなかったのだから。

 死体の第一発見者である教授のメイドは、今朝6時頃に微小な破裂音と僅かな振動を感じて目を覚ました。気付かない振りをしてそのまま就寝していれば、今日以降惨劇にうなされずに済んだのであるが、不幸にも教授の書斎に向かってしまったらしい。破裂音ともなれば泥棒が窓ガラスに穴を開けた可能性もあるし、あるいは何かガス漏れでもあったら、と判断したのだろう。教授に異音と振動を報告すべく書斎のドアを開錠後押し開けてメイドが目にしたのは、部屋中に飛散した教授の残骸であった。メイドが最初に確認できたのは臍より下の部位で、それらは部屋の中心に位置していた。それらは上部から強い衝撃を与えられたせいか、足首までオークの床材にめり込み、踵から膝までは床から垂直に起立していた。無論、膝より上は脱力のため屈曲し、メイドに腹の断面を暴露する体勢をとるに至った。腕部は胸部と共に本体から離別したようで、脚部の左右の床に各々が”爆発”のエネルギーに身を任せて散乱していたようである。頭部はと言えば、当初メイドはどこにあるか気が付かなかったのだが、部屋の中心――自殺の”爆心地”――まで慄きながら進み入ったところでその所在が判明した。メイドが恐怖に耐えきれず書斎のドアに向き直ると、押し開けたドアの陰に教授の頭部が転がっていたのである。頭部は元々ドアの正面に位置していたのであろうが、書斎に入る際にドアで無造作に転がしたのだろう。さらにその頭部は、メイドの言では「してやったり」とでも言いたげな顔つきをしていたようである。しかし、我々が現場に到着して頭部を観察した際は表情が確認できなかったことから、メイドの視覚履歴を洗う必要があるだろう。

 現場に残された物品から、教授が自殺を行った状況を推察できた。まずアンプルであるが、こちらには簡易検査の結果、教授を含め我々アンドロイドに致死的な、ある種のウイルスが含まれていた。このウイルスをアンドロイドが摂取すると、第一段階として疑似血液中のナノマシンを不活化し、疑似血管との親和性を低下させる。さらに第二段階として体内各所の免疫エンジンを暴走させ、ネクローシス及びアポトーシスを誘導する。数10分でアンドロイドの天然孔から疑似血液が噴出し、数時間後体組織は液化、硬組織のみが残る。以上のウイルス以外にも、2種類の化学物質が見つかっている。どちらも我々の生活圏内で調達可能な物質だが、組み合わせることで小規模の爆発を起こす液体爆薬を合成できる。この化学物質が教授の体表ではなく、胃粘膜の残骸から検出できた。また、任意の物質を胃に届ける目的で用いられる医療用カプセルの溶け残りも2つ、同様に胃粘膜上で発見されたことから、教授は各々の化学物質を医療用カプセルに封入し、それらを飲み込んで体内で液体爆薬を合成したものと考えられる。起爆に用いた信管は体内ナノマシンの診断用閃光であろうが、こちらはナノマシンの動作状況の確認による裏付けが必要だ。

 どうせ自殺だろうから改めて考えるまでもないが、報告書作成のために分析しておく。アンプルとカプセルどちらが先か、であるが、これはアンプルが先だろう。脚部の状況から、教授の体は部屋の中心か、中心に近接した場所で爆発したはずだが、その爆発の陰になるはずである書斎机の付近に教授の疑似血液が大量に付着していた。爆発する前に疑似血液塗れの体で書斎机に触れていたのであろう。恐らくアンプル、カプセルの順番で飲み込み、アンプルによる第一段階が進行中に書斎机に触れ、カプセルが溶け切った頃合いで部屋の中心に移動した。続いてナノマシンに胃潰瘍か胃アトニーだかの診断命令でも出したのだろう。そして教授の体は腹部を中心に爆散し、メイドに破裂音と振動が伝わった……と。

 これぐらいの報告書で上司も納得するだろう。自殺の動機は件の”メッセージ”と適当にこじつけて、1か月後くらいに報告すれば上の連中の顔も立つし、波風立たずに済むのではないか。そう勝手に納得して現場を切り上げようとしたところだった。

掌田しょうだ補佐より連絡ですよ、くれ主任技師」

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