第2話 fusion

注:性病は笑い事ではありません。少しでも気になる症状が出たら病院を受診し、  完治させてから性生活を再開しましょう。


 性病如きに神秘とは何事か、貴様はキチガイか、と考える諸兄姉が多いかもしれない。しかし、婦女子の受胎から分娩における何某かの記録が大衆に供給されればやれ「生命の神秘」、特定の植物が有益な機能を包含することが明らかになればやれ「神秘の植物」と称される混沌の時代であるのだから、この混沌に扇動される諸兄姉を嘲る意図はない。寧ろ諸兄姉には、性病が有する神秘的で粘調的な知識をもって混沌に更に混沌を添加して頂きたいのである。

 前述したとおり、尖圭コンジローマなる病魔は発症者に対して”第一印象”が良い。それが奏功し、諸兄姉に依っては、病変を観察する気力が削がれる事なく無垢な観察眼を発揮できるであろう。観察を続ける事で様々な疑問が湧出する。如何な機序でこの奇天烈な肉塊が突出するに至るのか?最近性行為を行った相手にこのような肉塊があっただろうか?これらの疑問に解を与えることも本紀行文の義務である。

 尖圭コンジローマの本性はヒトパピローマウイルスであるゆえ、まずはこの本性に粘調的な光を当てばなるまい。諸兄姉の近隣には人間がいるであろう。これらの人間一人一人をウイルス粒子一つ一つと仮定することが本性の理解に有用である。ただし、現実の人間と、諸兄姉に仮定して頂く”人間”には差異が存在する。人間は好ましい相手と結合する際に互いの遺伝子の一部を供給し、子孫を生産する。従って親と子孫の遺伝子が完全に一致することはほぼない。”人間”は好ましい相手に結合し、大量の子孫を生産できるが、この子孫は基本的に”人間”と同じ遺伝子配列を有する。さらに子孫は好ましい相手との結合を繰り返し大量の子孫が生産されるのである。子孫が諸兄姉の近隣で飽和すると別の地域に拡散し、その地域で子孫がまた大量生産される、というのが”人間”の基本的な機序である。

 諸兄姉の舌、陰茎の雁首、陰門の一つ一つの襞が掬い取った”人間”共はどうであろうか。舌であれば、それが可動する範囲の口腔に、陰茎であれば、それが接触する包皮や亀頭に、陰門であればその周囲の皮膚に”人間”共は付着する。と同時に、皮膚に傷が存在しないか、捜索を開始する。これは”人間”の好ましい相手が、傷でもなければ到達することが叶わない、皮膚の奥深くに鎮座するためである。相手は「基底細胞」と呼ばれ、幸運にも到達が叶った”人間”は結合し、自身の遺伝子の集合たる精液を基底細胞内に射精する。ところで、この基底細胞は皮膚の他の細胞にはない特異的な機能を包含する。皮膚というのは得てして障害、欠損を受けることが多いため、これを補填することが出来るように、基底細胞は強力な増殖能力を有している。”人間”は基底細胞に射精することでこの増殖能力を暴走させるのである。その結果、”人間”の子孫を大量に包含する基底細胞が無秩序に増殖する。ある基底細胞塊は鶏の肉冠状に、ある基底細胞塊は樹氷状に成長し、まさに神秘とも形容できる形状の獲得に成功する。

 この過程を経て形成された突出物を確認して、諸兄姉はある事実に行き着くだろう。それは、諸兄姉がこの本性を何某かから掬い取ってしまったという事実である。諸兄姉の性行為のパートナーが唯一人であれば必然、本性の由来はそのパートナーと判断が可能で、不貞、あるいは性生活に疑義を示すのが合理的である。しかしながら、本紀行文は諸兄姉の多種多様な関係に言及することで、思慮外にヒステリックな批判を甘受することが目的ではない。あくまで性病の神秘を紐解くという観点から申し上げれば、諸兄姉のパートナーが複数人いて、本性を獲得していた何某について思考する必要が生じる。

 その何某は諸兄姉のパートナーの誰なのであろうか。パートナーの口腔、陰茎、陰門、肛門を観察してもそれを確定するのは困難な時がある。本病魔は例えパートナーに感染していても確実に肉塊を突出させるとは限らない為である。更に言及すれば、本病魔は感染者に対し一度完治したと詐称を働き、その実皮膚に潜伏するという特性を持つ。諸兄姉のパートナーに過去、突出物が形成され、それが消失したとすると、パートナーは如何に思考するであろうか。自身は完治したのであるから体内から本病魔は完全に退散したはずで、自身は決して何某ではない。そう思考させることで病魔の戦略は完了する。何某については何もわからぬまま何某は知らずにその病魔の版図拡大を幇助するのである。

 何?ちっとも神秘を感じられない?なるほど、仕方がない。突出する肉塊の現物を諸兄姉自身が目の当たりにしなければ、神秘を感じるのも難しいであろう。しかし、あの形状の何と芸術的な事よ。既に初老を迎えたかと思われる娼婦の大陰唇に顕現されたる樹氷状の突起物を一目認めただけで視界に稲妻が走り、それまで神秘的と位置してきた数々の事象、事物が一瞬で俗物的位置に転がり落ちた。それが洗礼であったのだ。それが解脱であったのだ。それが新嘗であったのだ。それが殉教であったのだ。それが奴隷d

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