sick

 思えば最初から少年は人殺しであった。

 結を殺して、他人の両親を殺して、それでいて悪びれた様子もない。瞳孔の開いた中紅色の瞳は、罪悪感とか善を貪り取られたような無地で、その腕は、切ってしまった方がよかったのにと言う程残酷だった。

 これじゃあ結の方が善人だったのではと、言うこともまた出来やしないが、少年はたわわに実った実を、わざと千切って笑っていられるクズ人間だったのだ。



「やっぱまた会えたね――」


 何か運命めいたものが小指にでも繋がっているんじゃない? と少年は指を見せるも、草糸はいつも通り少年に近寄って、その指に自分の指も合わせようとか、出来なくなっていた。

 人の両親を殺した指、草糸に触れられる事なく、それは元の位置に戻った。

 結を殺した倉庫に草糸の足が向かったのは、何となくそこに少年が居るんじゃないかっていう、科学的に証明できない勘や、運命なんかに引っ張られたからかもしれない。それか、思い出の殺人現場に行けば、結みたいに少年も、自身の殺人の痕跡を眺めているんじゃないかって、思ったからだ。

 昨晩から雪は酷くなり、朝になると雪はやんでいたものの、真新しい積雪が足元を覆っていた。ブーツを履いていないものだから、靴の中に雪が入ってくる。冷たさも、濡れた不快感も気にせず草糸はマフラーを口元に引き上げ、こうして倉庫までやって来た。


「今何を思ってる?」


 少年は草糸の顔をじっと眺める。何か違う。それはかつて結をめった刺しにしていた、あの時の少年の目のよう。

 草糸は声を外に出せなくなっていたから、喋るという手段で少年に何かを提示する事が出来ない。

 少年は悲しいんだろ? というように近づいてきて、憎いとか、思ってるの? と耳元に囁きかける。

 少年の声が鼓膜を伝い中に入ってくる。目を閉じると、より一層体に感じる。隙をついて包丁を刺してきたとしても、構わないし、それでいい。

 そのうちにつまんね、と少年が零したのは、微動だにしない草糸の反応が面白くなくて、殺意とか怨憎とかが期待出来なくなったから。少年は結を殺した倉庫の中に消え、草糸も後を追った。


 中は相変わらず薄暗く、端にはダンボールが詰まれ壁がところどころ剥がれていた。

 以前にはなかったおかしな部分に気が付いた。草糸はそこに目をやった。

 動いている、もぞもぞと何かが鳴きながら動いている。

 ――人間だった。白いビニール袋を頭から被せられ、首で乱暴に括られ、両腕は背後で柱に縛り付けられ固定されている。大人の男の体型。

 被されたビニール袋をゆさゆさと揺らしてうーうーと鳴く。どうやら中で口も塞がれているらしい。

 少年はこれやるよ、と草糸の手に冷たい塊を乗せた。両親の、今じゃ形見になってしまったものもこうして手に乗せてくれた。最悪の状況をまずはイメージさせようと、悪趣味な心意気でわざと手に置いてくる。頭を掻き立てるような残酷なイメージは、露骨な贈り物から流れてくる。

 今回のそれは拳銃であった。この状況で拳銃を渡されたら、その先に何をすればいいのか、頭が良くなくても、なんとなく予想できてしまう。

 少年は楽しそうに、笑ってはしゃいで、ビニール袋を被った人間に近寄り、黒いマジックで白い表面にきゅっきゅと円を描く。元の位置に戻ってくる。


「ほーれ、あれのど真ん中を撃ってみろよ。見事ぶち抜いたら何でも言う事聞いてやるよ?」


 それこそ一生友達にでも、恋人にでもと。


(そんなつもりじゃない。)


 結を殺して尚、少年に惚れたのは殺人者をかっこいいと思う、そういう類の間抜けた考えなのだろう。だから草糸は実際に殺してみたいわけじゃない、それは怖い。

 なのに君に認められるなら、という草糸もいた。拳銃を構えた。

 ビニール袋の中から声が聞こえた。これから殺されるかもしれないという流れを掴み、恐怖から逃げ出したい悲鳴。縛られた腕が擦れるほど体を動かし、無我夢中で塞がれた口から叫びを上げる。

 うーうー!

 ゆさゆさとビニール袋が揺れる。

 うー、うー!

 芋虫みたいに足を床に擦る。

 この声を、やはり好きだとは思えない。

 恋人にはなれない。

 照準を下げた、拳銃を持つ手が項垂れていた。

 やりたくなかった。


 ――パンっ。


 別の場所から銃声がした。

 音のする方を見てみると、少年が立っていた。少年の持つ銃口の向く先へ、ゆっくりと視線を動かした。

 真っ赤な頭の、風船人間がそこに居た。



「なんて……ことを」


 ようやく喉を震わせた草糸の言葉は、か細く倉庫に消えていった。

 弾が通り、穴の空いたビニール袋から中身がぶちまけられる。首の括られた隙間から、赤い風船の中身がどろどろと伝い落ちる。首を流れて、服をぐっしょり濡らし、床に溢れ出して。やがて、風船人間の頭部は縮んで、小さく萎む。

 草糸は右足を、左足を交互に出し、風船の皮を――人間の頭から取り除いた。


「っ、あぁぁ……」


 こんなことがあっていいものか。赤い的の中身は同じ顔。

  神崎と同じ顔が、口を開けて、目を剥き出して、頭を爆ぜつさせて横たわっていた。


 これだけした後に、少年はへっちゃらな顔で言った。


「これでも俺が好きなら告白してみて? オーケーするから」


 両手を広げて、可愛く首を傾げて待っていた。

 ありえない、これだけして、されて、草糸の心がいくら歪んでいるからって、今恋を実らせようなんて、出来るはずがない。

 少年はくつくつと笑い出す。狂っていた、どこまでもイかれきった少年は、ただの人間だった。


 草糸は血が命ずるままに銃口を向けていた。両親を殺され、神崎を殺され、ここで少年にこうしない方がおかしい。


「撃てよ」


 少年も銃口を向ける。


「撃ちたいなら撃て」


 命を奪い合うように、銃口を互いに向けその中で話しをする。


「俺が人を殺しても平気な理由教えてやるよ。それは、俺が今俺じゃないからだよ」

「――二重、人格……」

「いいや、俺は梳理麝香くしけずりじゃこうだ」


 中紅色の髪、同じ色の瞳、暗い赤のコート。声、仕草、態度、全てが一片たりとも少年と違わぬ、少年が今は自分ではないと言うのなら、そこにはどんな絡繰があるというのか。


「赤の一族には、他人に乗り移れる力があってな。白にも黒にも銀にもそれぞれ別の力があるが、ま、その辺りはカミサマの領分なんで、詳しくは言わない。簡潔に言うと、俺らのは入れ替わりだ。体と精神を取り替えっこ。他の奴らは他人と頭を交換するんだが、俺は俺と頭を交換すんだよ、そしたら俺がした殺人は、元の俺には関係なくて、何もやってないって事になる。お前頭良いからわかるだろ?」

「肩代わりをさせているんですね」

「まとめるの上手いね」

「今の君はじゃあ、僕と出掛けた君じゃないんですね」

「そこら辺勘違いするなよ? 俺はいつでも俺だ、お前と遊んで、飯食って、寝たのは俺だ。体やナカの話じゃない、いつでも誰でも、俺だけなんだよ」


 少しややこしくなってきたけれど、草糸は決して拳銃を下ろしはしなくて、耳だけを貸す。


「乗っ取りの力を普通は他人に使う、だが自分に使うなんて、愚かな試みを俺はしたから、凄く、痛かった、苦しかった。痛みはずっと続いて、いつまでも不完全で、未だに交代に時間が掛かるし、目覚めれば頭痛がする。あの時結の前で隙が出来れば、それが死に直結した。最初から交代して行った場合も、また問題があった。俺のただでさえイかれた頭が、もっとイかれるってとこだ、何しでかすかわからない、暴走して、それこそ自壊もありうる。短期決戦が望まれるってわけだ」

「わかりました」

「わかってくれたか」

「全くわかりませんけれども」

「ああそ」


 いよいよネタバラシが終わり、拳銃を持つ手が固くなり、互いに狙いを定めて沈黙する。

 傍らには死体。暗い倉庫の中の埃っぽい空間に出来上がる、二人の有限。


「……さようなら」

「あぁ、憎しみを抱いて、撃つがいいさ」

「これが、不幸になるってことなんですね」


 出会いから別れまでが、まるで走馬灯のように映写機から流れて、セピア色の焦げた背景が、二人の少年の後ろで音を立てた。

 指が引き寄せられ、引き金に力が籠もる。

 弾ける。

 それは憎しみの弾丸ではなく――哄笑。



「ふふっ、あっはは」


 エンディングは、不似合いな笑いで締めくくられる。


「ははは、あはは」


 草糸は笑う。


「何がおかしい」

「だって君……っふふ、どんだけ、僕が好きなんだって!」

「お前……」

「こんなに愛されてるって感じるのに、なんで憎しみなんて湧いてくるもんか! 君は僕を勘違いしている、僕は君が居るなら家族も知人も死んでしまっても一向に構わない、もっと殺したいなら全部、全部どうぞ。殺して、殺し尽くして、たった一人になった僕だけが君の目に映るなら、なんて」


 ――幸せだ。



 やがて、草糸は一人になる。意識を手放した少年は汚れた床に倒れる、少年を抱く。

 肩代わりをさせられている方の少年は、限界タイムリミットがきて、呼吸がぷつっと途切れて、草糸に命を握られると知りながらも、未熟さに抗えず眠りについた。

 残った意識のない少年の体を、草糸は抱きしめた。

 感動している、まるで涙が出そうだ。

 歓喜、悦楽、哄笑。鳴り止まない、心臓を合わせて熱くする。


「これから――僕達の初めてをしましょうね」


 少年の髪を撫で、目を閉じた。

 


***


 朱墨草糸は学校から出ると、早めに帰宅する為に友達の勧誘を断り、鞄を抱えて家路に急いだ。

 女の子達がきゃっきゃと買い物をしている、可愛らしい店の前を走って抜ける。ハっハっハっと息が上がる。

 店内から、ガラスの窓越しにそんな草糸の姿を、赤茶色の、肩までに切り揃えられた髪の綺麗な女性が雑誌の隙間から捉えた。急いで走っていくものだから、つい隣の、親友の服をちょいっと摘み、今ね――と指を指す。女性の隣の黒服の親友は、走っていった学生の後ろ姿をなんとか目視する事が出来て、彼がどうかしたか? と聞く。


「あの子きっと――」


 女性は話す。


「綾の友達だよ」

「綾とは、あの綾?」

「そう、あの茶髪の綾」

「キミに手を出した、あいつ……」

「綾はその時あの子を友達だと言った、自分と同じ仲間だと」

「趣味が似ているとかだったのか?」


 女性は黙る。


「どうした? 

「――違うと思う。私も一応、赤家の血を引いているからわかるけれど――。あの子も綾も――」




 家の前に着く、息が上がっている、膝に両手を当て、寒いのに熱い体から咳を出す。慣れないくせに走った、喉が乾いた、しかしそれ以上に心が逸る。明かりがついている、祖父母の自宅から温かい匂いがする。

 草糸は靴を脱いで、ぎしっと鳴る廊下を歩いて、居間に入って、鞄を投げ捨てた。


「ただいま――」


 当たり前にそこにある幸せに寄り添う。


「会いたかった」

「相変わらず……もっと離れて座れよ」

「君が来てくれるからついはしゃいでしまって。それより聞いてほしいことがあるんだ。あの子、他所の土地に行くって」

「あ? お前が薬飲ませて脅した奴?」

「そう、遠くへ消えてくれる、肩の荷が下りた感じだよ、これで自由になれたって気分」

「自業自得だろ」


 草糸は立ち上がり、冷蔵庫を開く。


「ただいま神崎さん――」


 神崎に挨拶をすると、少年は嫌な顔をする。草糸はパタンと入り口を閉めて、また元の位置へ戻る。

 隣の少年は物言わぬ。やがて草糸は服を着替え、エプロンを着け、台所に立つ。


「待っててくださいね、直ぐに温かいもの作りますから」

「……」


 忙しく調理を始めたその背中に少年は近付く、共に台所に立つ。


「君にやれる事はないです。散らかすだけなので待っていてください」

「毒でも入れないかなと思って」

「入れるなら、毒より眠り薬じゃないですか?」


 軽く笑う。

 これからも、この先も、こうやって遊びに来てくれた少年に料理を作って、明日は出掛けて、昼は外食して、寝るときは布団を敷いてお泊りをする。

 乱脈な中の幸せは二人だけに与えられた。

 草糸を認めてくれた少年の隣で、十重二十重と重なり結い上げる物語。草糸は少年の一番の友達としてこれからも過ごしていく。

 友情っていう隠れ蓑に、歪んだ二人が収まって、互いのイかれ具合に述懐し、変わらず不変を生きる。







 少年はあの時の夢を見ていた。

 夢ではなく、眠りに落ちた少年の耳元に落ちてきた、最低の告白。


神崎さんを。これが二人の、初めての一緒ですね――』



 なんてったって、イかれた二人の相性は、最高で――。



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結 ―ゆい― 秋風 @cartagra00

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