I had a lot of fun today.

ついに、積年の積もり積もった恋が実るように、二人は友達として一日を遊び尽くした。

 ゲームをたくさん集めた店では、テーブルに着き、知性を必要とされるボードゲームをした。何勝何敗がカウントされていく中、頭で勝てるわけないだろと、少年は何回目かの負けの後椅子から腰を浮かせた。

 少年の好きな物を買ってあげようと言った時には、あちらに行ったりこちらに行ったり、目に映るもの全てを物色した挙句、いらない、と投げ捨てられ時間を無駄にした。なんと言うか、それすら楽しかったもので、草糸としては時間の無駄とは微塵も感じなかった。

 昼食はレストランに入る。嫌な目線がここでも二人に降り掛かったが、真昼の、これだけざわついたレストランで流石に赤の一族も荒事を起こすまいと、今回の空気は何分後かに平常になった。

 運ばれてきたランチを草糸は食べず、少年の料理がやってくるまで待った。少年の分も運ばれてくると、少年は頼んだステーキをナイフで切って、ほいっと草糸の皿の中に入れた。


「ねぇ? どっちがおいしい?」

「んー」


 草糸は自分のハンバーグと少年のくれたステーキの味を比べる。「どちらも美味しいですよ」と返すと、「へぇ」と言って少年も一口目のステーキを口に入れた。

「よく食べるね」と言う草糸を馬鹿にするように、少年はステーキをたくさん頬張って「お前がおかしい」と一蹴。まぁ確かに、草糸は軽めのランチを頼んでいたし、更に余った分を少年に差し出そうとしていたわけだから、食べ盛りの年頃の若者としては、おかしかったのかもしれない。


「そういえば俺、お前の名前知らないんだけど」


 フォークが皿に当たる。


「どーしてそういう事言うんでしょうね、悲しくなりますね」

「聞いたけど覚える必要なくて忘れた」

「ふう、僕の名前は」

「あー待って、別に言わなくていいどうせ覚える気ないし」

「草糸です」

「言うな、知らない」

「意識して聞いちゃったから、もう覚えるしかないね」

「知らないって」


 草糸も、少年の名前を呼んでみようとした。だが彼の名前には特別な響きがあるような気がして、胸にしまっておくべきだって、一度も空気に触れさせやしないと飲み込んだ。


 「ふぅ」と少年は椅子の背もたれに体を預けた。腹が膨れたのか少し嬉しそうだ。食べ終わった後の皿の面積は、少年が草糸の二倍であった。

 会計は全額草糸が負担した、少年は冗談混じりに「よくできました」と言うから、草糸は「彼女に払わせるなんて、男が廃りますからね」と返した。「そゆこと普段から言うの?」と少年がまた言葉をくれるから、草糸も「君も冗談言えたんだって今知りました」と笑った。


「お前肉ばかりくれたけど、ベジタリアン?」


 店の扉を閉めて出る。


「いいえ、なんというか」


 実は肉料理がうんざりで、なんたって死体処理中は毎回肉料理なのだから、と、それを告白するのは、まだまだ未来のお話だ。



 当初、草糸の財布はもっと軽くなる予定であった。しかし少年が無欲であるというか、赤の家は貴族であるから、少年は裕福で、一般市民の草糸の財力で何かを得るほど、貧困ではいないのだ。

 物を買ってあげて喜ばせる、というのは草糸のエゴで、その辺り失敗したなと歩きながら反省した。

 休みの日だが外は閑散としている。人はぬくぬくと屋内に居るであろうから、街路に足跡や体温はなくて、積もった雪を少年は蹴飛ばしながら進み、草糸は隣で子供みたいだと微笑みながら足を進めた。ぱあっと蹴られた雪が散った時、傍にあったのは見知った工場だった。


「ちょっと寄って行きません?」

「なに? 工場見学でもするの?」

「ここ、僕のバイト先なんです」


「へぇ」と少年は工場を見上げる。外観は白く清潔さをイメージさせる、然程大きくはないが、何十人もの人間が中でしきりに働いていそうな雰囲気があった。看板を見る限りどうやら何かの部品を扱う工場のようで、手作業で、同じ工程を繰り返し行う作業を彷彿とさせるものだから、少年はそこでバイトしてなくとも、面倒くさい気分になった。

 門を開き、草糸に引かれて少年は土地の中に入る。一般用の入り口の透明ガラスを潜る前に、草糸は横に逸れて建物の壁を伝う。少年はついていく。

 花壇があった、花は咲いていなかった、咲いていたら可哀想だった、雪に潰され項垂れていただろうから。

 植木鉢もいくつかあった、人の頭より大きなものも並べられている。何かわからない植物が生えている、土から栄養を拝借し、緑を育て生き生きとしている。


「それ、人の頭が入ってるんです」

「へぇ」

「驚かないんですね」

「見てもいい?」

「はい?」

「ほじくって」


 少年は恐れもせず植木鉢に指を挿す、草糸は屈んだ少年の肩を引く。


「止めてください、……嘘とも疑わず信じてしまうなんて」

「ホントに入ってんだろ? 生首」

「入ってませんって」

「ここ、よくうちが頼むところなんだ」


 少年はいたずらっぽく立ち上がる。


「人間の死体一つ隠蔽するために、ここに頼む。その人間は存在も生きた証も消され、この世からいなくなる。寂しいね、人一人の人生がまるごと全て、失われる」

「……」

「こうして俺とお前は繋がっていたわけだ、どう?」


 どう? と言われても、内心複雑である。暗黒業で親しく繋がっていたって。


「人の頭から栄養とって育った葉っぱは、でも、何も変わりないな」

「人間も、同じですよ……。僕も君も外見は何もおかしくない」

「人を殺していても」

「僕は殺していませんが……」


 そこで、背後から声が掛かる。


「よぉ」

「神崎さん」


 草糸は振り向く。神崎とは上司の名だ、草糸をこの道に明るくした先達、人の死体を処理する、見せ掛けは工場の中で世話になった上司。

 神崎はくたびれた様子で、まただらしない灰色のジャージに全身を包んでいた。もうすぐ結婚だというのに、身だしなみにくらい――と、お母さん顔負けの説教が出そうになり、草糸は口を覆った。

 神崎はあの日、血塗れの少年を抱えた草糸が早朝にやってきたのを思い出す。あの時の少年、草糸にまくし立てられ、死体を隠蔽してくれと頼まれ、金が底を尽きてもいいくらいの勢いで、草糸が守ろうとした少年。

 神崎はあまり驚いてはいない。赤い髪の少年を見ても、この工場が赤の家と繋がっていても、それはこの工場が部品工場の皮を被った死体処理場なのだから、先程の少年の物言い通り、赤の家と繋がっている裏話を、上司の立場なら聞いていたのかもしれない。

 神崎は少年に顔を向ける。


「君、名前は?」

「……どうだっていいだろ」


 どすの利いた声が返り、内心こわっ! と思いながら神崎はふっと笑った。


「だよな」


 赤の家の人間にまともな挨拶も、親交も期待しちゃあいない。

 子供二人を残し神崎はジャージのポケットに手を入れる。「ゆっくりしていけよ」と呟いてから、正面のガラスの入り口の方へ歩いていく。



 二人は夕方には一旦別れた。

 草糸は今日一日が人生で一番幸せな日ではなかろうかと、胸に傷をつけてでも、鮮明に記憶を残しておけないものかと残念がった。

 祖父母の自宅が面前に現れた。鍵を出して玄関を開ける準備をする、そこで、漸く玄関先に友達が待っていた事に気が付いた。

 友達は冷えていて、だいぶ前からここで草糸を待っていたと予測できた。友達は草糸が玄関を開けると先に中に入り、靴を脱ぎ、居間に歩いていった。何度か呼んだことがあるので、間取りを知っている、だから、草糸も居間へ向かった。


 痛い視線は、今は目の前から突き刺さる――。



 草糸は温かいお茶を淹れ、彼の前に差し出した。彼はそれを飲み、少しの間温まってから、痛い視線を本気でぶつけてきた。

 彼女を殺したのはお前なんだろ――。

 包み隠す事もせず、いきなりな質問と度胸に、草糸は恐れ入った。


「僕は、やってません。ただ、彼女と最後に会ったのは僕です。いや、最後に会ったのは殺した人でしょうから、僕は二番目ですね」


 心遣いを忘れてしまったのか、彼の知る草糸という友達はこんな酷薄な人間ではなかった。それは、彼自身にも返るのだが。彼も、草糸をここまで疑心し、殺してもいいとまで考え家に乗り込むとは、数ヶ月前の自分には考えられなかった。だって仲の良い友達だったのだ、笑い、苦しみ、そして楽しいことを共有した二人。


「彼女は君が好きだった、だから僕に相談していたんですよ、あの日も夜遅くにここへ来て、漸く答えが出たように、喜んで帰って行った。君に会うためだったんでしょうね、言うなら君が好きだったから彼女は死んだ、夜の闇の中誰かに襲われた」

「そんな……そんなの……、いや、本当は、彼女を殺したのはお前なんだろ!?」

「いえ……」

「わかってんだよ! お前が、お前が」

「ずっとつけていましたもんね、いつも背中の視線が痛かった。何か見ましたか?」

「何も見なかった、だだお前の行動はおかしい、だってお前は……」


 その次を言い出すのを恐れるように、彼は唇を噛む。断片的に見てきたものを繋ぎ合わせ、予測したのだろう。

 怖い。確率が低いとしても、0ではない、むしろ、高い。


「あの、ゴミの中の……肉は」


 俯き青ざめて、それでも彼は顔を上げる。常人にはきつい話だろうか、草糸はさも当然のようにただの食べ残しですよと常套句を返す。彼は捨てたゴミ袋の中身を漁ったようだ。そうか、そう知ると草糸はなんだか楽しくなる。


「シチューの余りですよ、食べきれなくて」

「……」

「――彼女の腕」


 彼はピクッと指を震わせる。


「なんて事は言わないので」


「だって僕はカニバリストではないですから」と笑顔で伝える。彼はそれを逆に誤解し、軽薄な草糸に最悪のイメージを組み立てていく。こいつは殺人を犯し、殺した人間の肉を食べていると。そうしたら、もう歯止めがきかなくて、目の前のお茶すら気持ち悪くて、叩き落として、そして机越しに草糸の服に掴みかかった。


「ちくしょう! お前! 本当に彼女をッ」

「今日は大事な日なんです、勘弁してもらえませんか、それにもうすぐ……」

「復讐に勘弁もなにもあるかよ! 草糸、オレが睨んだ通りお前が彼女をやったんだなッ!」

「やってはいません……」


 が、解体して処理しちゃいました、とは嬉々として述べた。彼は机にガタンと足をぶつけ、ふらついて、それから鬼のような形相になる。

 君が見るはずだった彼女の体を、先に見たのは僕ですねと草糸は煽る。煽られると、彼の顔は赤く憤怒に染まっていく。


 端から、彼に勝ち目はなかった。なにせ彼はそろそろ体が動かなくて、薬が回って床に膝をつくのだから。お茶を飲んで体内に入れた時点でもう、負けていたのだと、草糸は膝を付く彼に上から落とした。

 冷蔵庫からある薬品を出す。これは死体を処理する時に使う薬で、飲んだりしたらどうなるかわかりません、と草糸は彼を倒し馬乗りになって見せた。親指と人差し指の間に掴まれた薬液は、透明に波打っていた。


「そんなに僕を殺したいならこれを飲んで、先に死んだ方が負けにしましょうか」

「は、はぁ?! そんなんどっちもタダじゃすまねぇだろうが!」

「だから、普通の水とこれをそれぞれ用意して、飲んで、運が悪かった方が死ねば良い」


 生きのびたら勝ちを喜べばいい、と述べた草糸に対し、こんなにイカれた人間だったのかと、彼は酷くショックを受けた。憎しみの対象としていても、過去の友達であった記憶は消えやしない。優しく静かだった自分の友達が、こんな危ない、命をなんとも思っていないような提案をする事に悲しんでいる。まだ、どこかで憎みきれていない、憎しみを本物にする為にも、彼はその提案を受けることにした。

 草糸は提案を受け取った彼を開放し、同じ紙コップに水と、薬品を薄めた水を入れ、後ろ手に回した。


「どうぞ、選んでください」

「あぁ」

「飲まない、というのはなしですよ。もし飲んだふりで誤魔化したら、僕は台所から包丁を持ってきて貴方を刺します。ルール違反という事で、約束です、そうすれば殺人ではなく反則負です」


 怖い、この人間は何を言っているのだ。彼は言葉の凶器に今までの思い出を刺されるような気持ちで、こんな人間じゃなかったと、草糸の顔色を伺う。


「僕が飲まなくても同じ事をしていいですよ、包丁はあそこにあります」

「ああ……」

「それでは、いきましょうか」


 二人は同じ紙コップを見詰める。同時に水を飲み干す。舌の上を冷えた温度が通り、喉へと流れる。

 途端――舌に刺激と、粘膜に焼けるような熱さが伝う。


「っおぇッ!? げホッ! げホッ!」


 彼は血相を変えて液体を吐き出した。口に残るしょっぱさがじわじわと唾液に染み渡る、唾液が空っぽになるまで床に吐き尽くす。


「死ぬッ!」


 喉を押さえ、込み上げる恐怖に全身が震える。彼女のこととか、草糸への憎しみとかをほっぽり投げても、ただ自分が数秒後に死ぬのが怖くてたまらなくなる。草糸に助けを求めるように手を伸ばす、草糸はその手を払う。


「君の手には全く触れたいと思わないな」


 笑って跳ね除けてから、草糸は悠々と台所に行き、お茶を淹れる。彼に飲ませる。


「解毒剤入りですよ」


 彼は口元に当てられた湯呑みを喉を鳴らして、砂漠の水を全て吸い上げる勢いで空にした。

 もう、どこまで嘘を吐いても信じてしまうような彼が面白くて、草糸はしかたなかった。

 そもそも、彼女を殺したのが誤認だし、薬液っていうのが、とりあえずただの塩水だし、お茶の解毒剤も素っ頓狂な嘘で、荒誕で、じゃあ次に言うことも簡単に信じてしまうだろうなと思うと、面白可笑しくて笑いたくなる。玄関の方を確認した時、タイミングよくドアの開く音がしたので、ほくそ笑むのはやめられなかった。

 薬液とお茶で口元を汚くした彼の前に現れたのは、赤い髪だった。彼はひッと悲鳴が上がりそうになるのを堪え、目だけを見開いた。赤は恐れの色、血に塗れた極悪非道な梳理に殺されると、今まで草糸にされた残虐なイタズラから、彼は連想すると同時に頭が真っ白になった。


「殺していいですよ」

「ッ――!」

「邪魔なので、自由に殺してください、いつもみたいに遊びながらでも」


 梳理と話をしている。彼は草糸を尾行していた頃に何度か赤家との繋がりを見ていたものだから、草糸の一声で隣の少年がにいっと笑うのを、容易に想像出来た。


「なんで、なんでだよ! なんで怖いんだよ!」


 必死に声を張り上げ、彼は動け動けと体を叱咤する。そんなてめぇのヒーローごっこ知らねぇよ……と、草糸は物凄い笑顔で返したいが、内心に留め、言葉は別のものを選んだ。


「彼女に持っていってあげるんでしょう? 僕の死を」

「ッ!」


 草糸は彼に見えないよう少年の髪の襟足をちょいちょいっと触る。


「ぶっ殺すぞッ!」

「ヒッ!」

「友達だから、今回だけは見逃してあげてもいいですよ。もし次に僕に関わったら、その時は赤の家に差し出して、君も家族も一生掛けて拷問してもらいますからね」


 彼は幾度か迷い、己の情けなさを悔い、しかし命が惜しいのか腹を決め頭を縦に振った。彼女は哀れである、こんな意思の弱い男に自分の事で勝手に復讐だのなんだのかっこつけられて。

 最初のお茶に含まれていた薬の抜け切らない体で、何度も壁にぶつかりながら彼は玄関を探し逃げていく。草糸は見送る、少年は「なんだあれ」と言ってどかっと座る。


「気にしないでください、これから先、面倒くさい事にならなければいいんですけど」

「なんの話だよ」

「いえ」


 草糸はあっと思い出し床を拭くものを探しに行った。ついでに少年にも薬を飲ませてみたくなった、塩水を飲ませた時、少年ならどんな反応をするだろうと、わくわくしながら水を入れた。

 もちろん、そんなもの飲む前に水は草糸の体に投げつけられた。




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