Here's farewell

なんて、とんでもない夢を見たんだ――!


 伝えると、実際は数週間しか空白のなかった間にそこまで同性を想い、イかれてしまったかと少年は一歩引いた。ドン引きというやつだった。


「お前だいぶおかしいな」

「そんなことは……」

「お前が気持ち悪いのはもうわかったから、それ以上気持ち悪くしてもなんの意味もない」

「好きで気持ち悪く振る舞ってるんじゃないよ、僕はただ君が」

「またそれか、好きだ、そればかりだ」

「わかってくれるならそろそろ」

「わかることはするが、そろそろとはなんだ」

「それは、その、とも」

「ああ殺してみるのか? いいよ? 殺しは世界が変わるぞ、今から薔薇色だ」


 凄く気持ちいいから来いよという感じに挑発するものだから、草糸は困ってしまう。そういうのは、物騒な話題が絡んでいないときに甘く囁かれたいものなのだ。


「違うよ、殺したくないから、あの時やらなかったんじゃないか」

「じゃあなに」

「……いいです」


 草糸は気を引くように、自身に悲しみを貼り付け背中を向けてみた。この先を、肩を掴んで振り向かせて、そして聞いてくれたらよいのだが。


「背後とっていいってこと?」

「違うって! これだから君は」


 可笑しくなった、笑えるものだからついうっかり二人は気が合うのだと、草糸は勘違いしてしまいがちだが、実際少年は草糸になんの感情も持っていないだろう。こうして草糸の古臭い家に少年が来るようになっても、それはあくまで草糸からの誘いなのだ。

 綾と結の事件から確かに草糸はおかしくなった。勉学に腰が入らず、友達がうっとおしくなり、バイトも手抜かりが多くて上司に注意された。夢はあながち誇大妄想でもないのだ、だって本当に皮を剥がれると言われるような、少年の一族の屋敷まで押し掛けていったのだから。

 赤の家には近付くな――これは町では常識のことだった。赤の家と呼ばれるその一族は血を好み、殺戮を繰り返すだなんて、そりゃもう狂気的な、他人に理解されない狂った戦士の集まり。誰も怖くて近寄らない、皮を剥がれるなんてでっち上げも、自然とそれっぽく浸透して囁かれる、それには納得がいくものが草糸にはあった。

 草糸も、少年を見て感じた。事実、赤い髪の、赤の一族は恐ろしい。他の、例えば黒い一族なんかはとても穏やかで、優雅で侘び寂びなんかを愛する、何の害もない自然みたいな優しさがあると聞く。それに比べて赤色は――と、草糸は目の前の少年をちらっと見て、思ってしまうのだ。

 草糸にとってそんな危険な赤色は、黒や白なんかより断然、色濃くて、鮮やかで愛しいものだと。

 これは、自身も少々イかれているからなのかな、と、草糸は先程の少年の的確な物言いに頷くのであった。


「一つ、忠告しておくよ」


 少年が言った。草糸は耳を傾ける。


「俺と居ると、不幸になる、金輪際会わない事だ」

「それは出来ない。と、知っていて言うのか?」

「正直、お前の気持ち悪さは嫌いじゃない、だがな、俺に付き纏うな、鬱陶しいからじゃない、忠告だ、って事は教えといてやる」

「ますますもってわからない」

「住む世界が違うって事だよ」


 少年がいきなり腕を振り上げる、草糸は殴られる! と両腕を顔の前にクロスさせる。


「そうだろ? お前はあくまで一般人なんだ、俺とは違う、さよならだ」

「そんな」


 少年は殴らず腕を下ろしていた、ガードに回す両腕を、少年の手に重ねようとして先にすり抜けられた。


「やっぱ気持ち悪ぅ、普通そんなに触らない」


 それだけ言うと、少年は居間から去っていった。

 それが、今生の別れだなんて草糸は信じたくなかった。


 例えば、不幸になるとして?

 それでも、近くに居たかったのに。



 草糸は休みの日に両親の住む家に帰った。周りに建っている一般住宅と変わらぬ家、特別裕福でもなかったし、特別貧困もしていなかった。

 草糸は一泊してからまた祖父母の自宅に帰る予定なものだから、母の作る夕食を食べ、父と軽く話をして眠るつもりだった。

 一人暮らしはうまくやれているか? 学校での調子はどうだ? 父は煙草を片手に語りかける、この煙草の臭いは遠い昔から変わらない、ずっと同じ銘柄を吸い続けている、そんな父になんとなく安心する。あぁ、暖かな家庭だなと、二人を見て思う。草糸の母は白いシュシュで髪を結んで、テーブルの片付けに入る、父は煙草の灰を灰皿に落とす。

 ここから近い場所に、頭の良い子の通うべき、それなりのランクの学び舎があったにも関わらず、何故あえて普通の成績の子供達が選ぶようなランクの学校を志望したのかと、父は幾度となく同じ話を蒸し返した。それはだが、草糸も幾度も父や母に話し相談し、合意の上にある未来なものだから、やっぱり幾度でも言うが「おじいちゃんおばあちゃんの思い出の家で、一人で生活を始めてみたかった」そんな嘘で、そんな嘘を、信じてしまうような親だった。

 父が腕時計を確認した、草糸が贈った腕時計を、父は肌見放さず腕に嵌めていた。時間だな、そろそろおやすみなさい、父は草糸が眠る時間を、今になっても子供の時のように早めに勘違いするのであった。


 朝、帰っていく息子に寂しそうに手を振る母からおにぎりの入った温かい巾着袋を受け取り、照れ臭そうに「また来いよ」という父に「煙草の吸い過ぎは駄目だよ」と笑ってから草糸は玄関を出た。


 祖父母の自宅に帰る前に、草糸はバイト先の上司の家に立ち寄った。少年と終わりを迎えた事件の真相を交え合った上司の家は、なんだか沈んだ気持ちになるのであった。

 一人暮らしの上司は立派な一戸建てに住んでいる。草糸と同じように普段は社会の中に紛れて、死体を処理する時だけちょっぴり、闇の住人になるのだ。

 あぁ見てみろ、頭に寝癖を乗せ、出勤前の壮年が頭を掻いている。


「もうすぐ結婚するんでしょう? しっかりしてくださいよ」

「いや、まだ朝早いし……」

「すっきり目覚めるためにもまず顔を洗って歯を磨いてきなさい」

「お前母親みたいなこと言うなぁ」


 上司はペタペタと素足で床を鳴らし洗面所の方へ消えていく。暫くして出てくると、手には赤い液体の入ったコップが2つ握られていた。

 ダイニングに着席する草糸の前にコトリとコップが置かれる。よりによって赤い野菜ジュースだとは……、上司の自宅の冷蔵庫にこれがあったのを草糸は恨む。母のおにぎりを出す、食べる。おいしい。上司は向かいに座る、テーブルを挟みタバコに火を点ける。コップの中のどろっとした液体は嫌味だ、少年を思い出すからだ、殺せばよかった、そうすれば今頃自宅で二人きりだった。どうだっていい未練ごとを赤いドロドロの中に思い浮かべる。草糸は生きた少年をとったのだ、それはこれからも変えたくない。


「どうした? 野菜嫌いだったか?」

「いえ」


 上司がタバコを吹かすと同時にドロドロを飲み込んだ。血液が綺麗になる、綺麗になる、素晴らしい。必死だな、草糸は自嘲した。


「おれ、もうすぐ結婚する」


 上司が唐突に零す。


「知ってます」

「だからお前に手を掛けてる」

「知ってます」

「近いうちに、山場がくる」

「……」

「……」


 タバコを吹かす頻度が高くなると、言葉も先にたどり着かなくなる。話が要領を得ず要点だけが簡潔に話される、それが会話を濁らせる。


「この山を超えたら……おれは掃除屋から足を洗う」

「ええ、それだけを最初に言えばよかったんです」

「あぁ」


 長い沈黙の後、上司はタバコを揉み消した。


「お前は、もう一人でやれるな?」

「ええ、やれます、だからこれからは家族と幸せに暮らしてください」

「……幸せに、なれると思うか?」

「何を今更。悪因悪果が怖いんですか? 遺恨を晴らされるかもって、事実無根の強迫観念に苛まれて疲弊するなんて損なだけです。霊的なものに会稽を遂げる事は出来ないんです、出来るのは生者が自ら首を絞める事です」

「それも、そうだな」

「お金が必要なんでしょ? 結婚相手が病気を患っているから、貴方はそれでも結婚したいんでしょう? 支えてあげたいんでしょう? どうぞ」

「……ああ」


 上司はまるで人間らしかった。草糸は全くそんな気持ちを抱いた事がない、死んだ塊はもはや人ではなく、それを片付けたところで誰に何の根拠があって恨まれねばならぬというのか。検討もつかない。結の事も既に忘れている。金のために汚い真似をする日々の中に、割り切ること、自分なりの答えを出すことで人は精神を保つのだとしたら、草糸はそれを実行する事はない。部屋に恨みの目があると仮定したところで、草糸はそれに笑いかける事すら出来るのだから。

 どこまでもガラクタはガラクタ、そうなれば何の念も持たない置物なのだ、こちらから――愛しく抱擁するのは別として。


 上司は金のために掃除屋をしていた、結婚相手に捧げるために、まるで鴨にされているみたいだと忠告した日には、真剣な目で違うと否定された。鴨が葱をしょっているのが上司なのか、本当に闇の中の片足を抜いてかたぎに戻るつもりなのか。草糸は少なくともこの上司には世話になっていたので、死体の消し方や血の落とし方を習ったその日から他人よりかはずっと近い存在だとしてきた。出来れば片足を抜いた先では幸せになってくれと切に願う。

 別に、人を殺したわけではないのだから。



 日々は過ぎていく、草糸は学校の友達から相談を持ちかけられる、女の子からの恋愛相談だ、苦笑いする。

 自分の恋もまともに上手くいっちゃあいないのに――。

 二重の恋、どちらにも振り回されてばっかりだっていうのに。



 後日。校内がやけにざわついていた、特に草糸の周りが浮き足立っている、悪い方向にだ。知っている、誰も座らなくなった椅子の意味、次また会えるのはいつの日か、開いた席で誰が笑っていたのか。友達の涙、心配の声、そして"疑念の視線"。

 それは草糸の、背中を射るように向けられていたのだ――。


 かつて草糸は恋愛相談を受けた、喧嘩ばかりしていたあの二人の内の、彼女がついにやきもきして、喧嘩に決着をつけたいと彼の友人である草糸に戦力になるよう頼んできた。彼女は生き生きとしていて強く、彼ならそんな君を受け入れてくれるよと草糸は伝えた、当人達以外なら周知だったのだ、両思いだなんて事は。

 彼女はその日から失踪した、草糸に相談したのが夜遅くだったのが悪いのか、その夜に彼の元まで向かったのが悪いのか。

 草糸は学校から帰ると鞄を置き服を着替え支度をする。出掛ける、暫くして、冷蔵庫を開ける、買い置きしてあったみたいな肉の塊を取り出す、大凡一人では食べ切れないような量の肉を運ぶ。

 冷たい肉は冷たい少女の腕にぴったりと繋がる、そこから切り取られたものだから、それは接合すれば当たり前にぴったりと収まる。

 裸の少女は頭と腕と脚がなくなり、胴だけになり、寝台の上に寝かされている。逆さに向けられ、頭のなくなった首からどばっと血を抜かれ、ぴゅっぴゅと払われてから、ようやく静かに横たわっている。真っ赤な血液が根こそぎ抜かれたら、温かい胸に抱いていた恋も失われた。ぽっかり開いた心臓のあった穴に、果たして今少女は何を持っているのか草糸は気になった。手を突っ込んでみた、あぁそうだろう、きっと何も持っちゃいない、何もないのだから。


「凄く可哀想」


 草糸は持ってきた少女の腕にそっと刃を当て、横にズラし、皮膚を剥いで、肉の中に切れ目を入れる。快感みたいなものが伝う、骨に刃がつっかえた振動すら愛しくて、ともすれば腕を見つめて一人でいってしまいそうになる。


 誰もいない部屋に気味の悪い音が断続的に続く。


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