From now on you

 病院といえばあの、白い大貴族のものの存在が多くを占めるが、少年は赤い色をしていたもので、白い息の掛かった病院には携わりたくないらしかった。故に、少年は白い息の掛かっていない病院に診てもらいに入った。

 白い病院とは比べ物にならないくらい、設備や規模が心許ない。医師や看護師も白い髪ではなくて茶や金といった、一般層からそれなりに勉強して上がってきた、だがそれだけの何の変哲もない医師と言えた。

 受け付けへ行くと、少年は特別な顔パスでもあるのか、待ち時間もなく奥の方へとすり抜けた。たくさんの待合室の人達に申し訳なく思いながら、草糸も付き人を装って少年を追い掛けた。


「何故腕を診てもらうだけなのに病棟の方へ向かうのですか?」


 廊下を歩むものだから、どんどん診察室からは遠ざかる。


「端から腕診てもらおうなんて思ってねーよ、お前、ちょっと死んでもらうかもしれない」

「え?」


 まさか何か危険な薬の治験とか、解剖実験とかの材料として少年に騙され提供されたのではないだろうかと、不安が過ぎったが、眼鏡を掛け直すだけで、多少恐怖じみた顔付きを正そうとする草糸の足は依然少年を追って止まらなかった。


 一つの病室の前に立つ。


「いいか、話を合わせろ」


 脈絡なく言われ、草糸は要点を求める。


「煩い、黙って立ってろ。中に居るのはあやだ、女、それ以外の何者でもない」

「綾という、女性……」


 少年は草糸が準備する間もなく病室の扉を開いた。中にはベッドがあった、個室なので患者は一人だ。シーツは皺一つなく雪原のようだった、布団は片付けられていた、医療機器も稼働していない。無人のベッドにのみ、草糸は視線をやる、少年に答えを求めようとした時、少年が睨んだ。

 やがて雪がちらついてくる、窓の外は白み、ガラスに結晶が張り付く。


「綾、調子はどうだ」

「はい、今は落ち着いています」


 草糸は二人の会話を聞き取ることが出来なかった、綾という、あまりにも透明な女性はそこに存在してはいなかった。

 同時に、綾の病室に一人の男が入って来た、草糸はその男を見てはっとした、内面を悟られぬよう平静を装った。

 黒い髪は短く、切れ長の瞳は青い、ファー付きの黒いコートを着た、どうにも気性の尖った感じの男だ。――と、少年に、言われなければ草糸は彼と握手をしただろう。彼が、全く黒く鋭い男なんかではなくて、真逆の、柔らかそうな印象を受けたからだ。

 綾は彼が現れてから殊更輪郭をはっきりと浮き上がらせるようになった。歳は十代後半から二十代前半、髪は赤茶色で、肩までに揃えられており、後ろでハーフアップになっている。病院服ではなく、白いブラウスに黒いカーディガンを羽織っていた。下半身は布団の中にあったので定かではないが、同じ色合いに整えられていることだろう。

 綾の、髪と同じ色の目が草糸を見る、だが草糸はそれに気付かない、草糸は綾を上手く捉えられないのだ、そればかりか、黒い男や、少年すらぼやけて、まるで夢か現実か、区別すら出来なくなっていたのである。唯一、聴こえる言葉だけは鮮明で、黒い男が綾の知り合いで毎日見舞いに来ているとか、綾は外に出たがっていて、だけど出られなくて辛いだとかを、何とか記憶した。余計な事を言う暇などなかった、少年に釘を差されなくとも、綾についても、彼――ゆいについても深入りしようなんて思えなかった。

 死んでもらうかもしれないと、先方の少年の呟きを思い出した、一瞬綾か結か、多分綾だろうが、彼女の為に内臓を取られて、体の中をがらんどうにされるのではないかと不安が過ぎった。現に、結は草糸を見つめたまま、動かなくなる事が多々あったからだ。実は闇の医師で、内臓を抜き取るのを得意としていて、綾の為にその手を、癖のように動かしている右手を予行演習みたいに、期待で動かしているのではないかと。

 綾は大人しい女性であるようだった、だが、結や少年は尖った刃物みたいだ、草糸は後悔した、少年になら構わないが、その他の為に死ぬ等と。あぁ、巻き込まれて、少年と出会わなければよかった。

 やがて結は病室を後にした。


「綾を、よろしく頼む」

「ああ」

「はい」


 少年と、草糸も綾を頼まれている気がして共にはいと頷いた。


「にいさん」


 似つかわしくない呼び方だった、少年が、結を慕っているように、兄と述べたのだ。

 結は応えず扉を閉めた。結の黒い影はなくなった。


「結さんはお兄さんなんですか?」


 少年は十代、結は二十代半ばといったところ。


「似たようなものだ」


 血は繋がっていないのだろう、髪の色がまず違う。少年の兄ならば赤い髪でなければならないのだ、絶対に。

 そして綾はいなくなった。結がいなければ綾は輪郭すら撫でられない、結が見舞いに来る時だけ、綾は儚い姿をベッドの上に表すのだ。

 綾も結も居なくなれば、草糸にも現実の感覚が蘇ってくる。白んだ外の景色が、帰ろうかと言わせるように、雪の勢いを増した。


 草糸は少年を家に連れ込んだ、こうなる流れだったみたいに、ごく自然に。

 少年は果たして学校には行っているのだろうか、考えてみても、行っていないという結論だけが強くつけられる。草糸も学校に行かなかったのだから、今から生まれる時間を、二人で存分に使っても良いと思えた。草糸は古臭い自宅の中で、温かいコーヒーを淹れた。


「綾さんは、何の病気なんですか」


 怖々と、居もしない綾について尋ねるのは、なんだか不思議な気分であった。綾は綾でしかないと少年は言った、綾は綾であるとなんとか自分に言い聞かせ、草糸は少年の答えを待った。


「綾は毒を盛られている、現在進行形でだ」

「毒を? 病院に居るのに」

「病院に居たって関係ない、どこまで逃げても綾は毒で殺される。誰かが今も、綾をそうやって弄んでいるのさ。俺は、そいつを殺したい」

「それが昨日の……そして」

「それ以上言うと、お前ホントに死ぬからな」

「君の髪を切ったのも、昨日の、ですね。君が執拗に追いかけるなら」

「……なぁ、お前、死にたいか?」

「死にたくはないです、でも、君の為に囮になるのは、少々ロマンを感じます」


「お前、イカれてるだろ」少年の冷ややかな態度に、草糸はそんな事はないと必死に弁明を入れた。



 今日も少年と夜を共にした。銭湯へ行かなくてはならなかったが、少年を置いて出ていったら、少年はきっと居なくなっているだろうから、草糸は仕方なく自宅の風呂に入った。寒くて震えたが、シャワーだけで済ませた、直ぐに風呂場からは出た。

 少年が見ていないうちに冷蔵庫を開ける、夕食は買ってあったが、夜食になりそうなものはなかった。草糸は風呂に入らない少年に着替えだけを貸した、少年はすんなり草糸の服を着て、すんなり布団の中に収まった。


 寝ているだろうか。

 寝ていても起きていてもいい。

 その寝顔に、首に、縄を掛けたい。


 少年は、逆に殺されると言う事を――考えた事があっただろうか。



「今日も生きていますね」


 朝。草糸は目を覚ますと、一番に喉元をさすった。自分の思想と少年の行動がリンクし、寝起き一番に生存確認をしたわけだが、少年ならば例えば、台所から包丁を持ってきて、胸を一突きであろう。その赤い髪は血を吸ってきたのではないだろうか、世間が近付きたがらない、血と争いを好む、赤の一族の一人なら。


「おはようございます、よく寝ていますね」

「寝てねぇことわかってんだろ」

「ええ、ずっと目が開きっぱなしでしたから」


 草糸は人を信じる事のない少年の、そういう孤独な姿勢に惹かれて、明日も眠らせず自分の傍に置いておきたいと思った。いつ倒れるだろうとか、いつ自分を殺しに来るだろうかと、考えるだけで明日生きている意味があった。

 さて、一つ疑問があるとすれば、少年は何故草糸の家から出て行ってしまわなかったのかという点だが、それは後日証明されるであろう。

 草糸は得意の仮病で学校へ行かなかった。変わりに病院へ向かう、仮病を使い病院へ行くなど不可思議なものであった。


「この髪を切られた時、俺は奴の足を刺した」

「なる程、その反撃の証があるから君は犯人を確信出来るわけですね。綾さんに毒を盛っているのがその人物だという証拠が、足の怪我」

「言っとくが、俺はお前を守ろうとは思わない、死ぬなら勝手に死ね」

「それは悲しいですが、重々承知です」


 草糸は優しそうな顔に心もとない不安を浮かべた。手持ち無沙汰な左右の指の空間に、何を持てばよかったのか、答えは、少年等のような、無法者にしか選べない。



「こんにちは、またいらしてくださったのですね」


 綾は白いブラウス、黒いカーディガン、昨日と全く同じ儚い微笑みで二人を迎えた。隣には結、しかし――結は黒い髪ではなかった。結は白く長い髪に白い白衣を羽織っていた、深い青色の、瞳の輝きが綾を愛おしそうに見下ろしていた。黒い髪の鋭い結、白い髪の秀麗な結。二人に愛される悲劇の当事者、綾。


「茅萱様はまだ帰って来てくださいませんか?」

「あいつは来ない」

「私が、こんな状態でも、ですか」


 茅萱という人物はどうやら綾の大事な人で、また、少年の知り合いでもあるようだった。茅萱は身寄りのない子供や虐待されている子供を引き取って育てているという、その子供の中に綾も含まれていた。このように立派な歳になるまで傍で接してくれた茅萱を、毒を盛られ死ぬかもしれないという有限時間の中、綾は求めた。


「何故綾が傷付かねばならない? 綾は何もしていないのに」


 結が拳を握りしめる。


「毒を盛った奴が憎いか?」


 結は顔を綾に向け、反らしてから戻す。


「憎いよ、病院に居るというのに、安全ではない。一体どこから綾に毒を呷らせている?」

「医者、かもしれないな」

「あらいざらい吐かせるか、一人ずつ脅してでも」


 真剣な顔の結はどうやら本気であるようだった、少年にも草糸にも結の綾への慈しみは疑う余地もなかった。ので、今からでも医者の一人一人に拷問でも仕掛けそうな結の気迫を、体に感じた草糸は不安になった。ピリピリする気配はこの男の本性を、空間が吸い上げているかのようだった。


 綾は泣き出しそうになっていると結は言った。白い髪から覗く整った顔を綾に近付け、大きな手の平で優しく後頭部を包む。

 綾はシーツの雪原の上に座っている。まっさらなシーツは皺になる事なく、綾の涙で濡れる事もない。草糸にはだって、綾の悲しみや涙の零れる瞳の揺らめきまで、全てがなんにも見えないものだから、結がそう言う通り綾が顔を伏せるのを、数秒後に想像するしかないのだ。

 結は相変わらず手を動かしていた、医者の癖か、或いは。その或いはが、昨日は二つの確率であったが、今日は三つの確率になった。

 癖。臓器を摘出したい期待。そして――今夜にでも殺してやろうという、準備運動。


 綾はベッドから足を下ろした。素足の彼女は冷たい床を踏み扉から出たがった。黒い膝丈までのスカートが掬われる、結に抱かれた綾はベッドに戻される。茅萱に会いたい、子供と女の感情が混ざった綾の素足は、赤かった。



 

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