サイレンス

 天使はカンナではなくウルワだった。

 彼女の銀の髪は月に照らされた白い髪。包帯は取れ、薔薇のような赤い瞳が月光に輝く。

 ナギが叫ぶ、ぼろ雑巾のような体で必死に立ち上がろうとする。傷付いた腕や足が悲鳴を上げる。だがそんな事はどうでもいい、張り裂けそうな胸の痛みは肉体の痛み等と比べ物にならない。

 お願いだ、この手の中に、腕の中に帰ってきて。

 二本足で立った瞬間激痛が全身を駆け抜ける。表情は歪み、命の火が削られたのを感じた、それでもウルワの手を握ろうと、どこにも行かせないとナギは歩く。

 ウルワに差し出す、この手を、掴んでくれ――ッ。

 だが、ウルワは兄の手を避けた、同時にオウサマを殺したハサミを下ろす。


「ナギ、月が離れ、水も干上がってくみたい、よかったね。お空に水が溜まっているから、もう直ぐ、雨が降るかもしれないね」

「ちが、ちがう、ウルワ……、ダメだ、お前は悪くない……お前は何もしてないから、お前はっ」

「したよ」


 言葉が言葉によって遮断される、追随を許さないとウルワは背を向ける。兄に見られぬ間、その目には涙。

 オウサマを殺したウルワはやがて消える。それが一巡でも二夜でも変わらぬ定め。


「わたし、力があるの、それで……殺した……」

「へんな事いうな! お前はなにもしてない、こっちに来い!」

「違わない、ナギを助けるためにやった、この人はわたしを見てなかった、わたしなんて目の見えない非力な子供だと無視していた、だからわたしなら出来た、殺せた、わたしはそうしたかった。殺人者は消える、でも、その前に」


 ウルワは歩き出す、月が異空の音を上げ天へ上っていく。月の退却に世界はどうしていいか分からず、中途半端に分解を止める。

 そんな世界を、ウルワは確かめるように歩いていった。

 一歩一歩がゆっくりで、合間に思い出を整理する。三人で暮らした日々、アガミが来てからは四人だったか。死を想い、生を嘆き、それでも四人でいる間は笑っていた、楽しかった、ほんとうに。

 白いスカートが月光を吸う、同じ色の髪が流れる。彼女は屋上の端へ向かう、遠くでアガミの声を聞き振り返る、彼の想いを知っていても立ち止まらない。けれど少しだけ、赤い瞳が我儘を言う。

 ナギを見ていた。

 ナギがそこに居た。


「いかないで……」


 兄の声は届ない、彼女は右足を縁の上に乗せ登る、そこからは世界が見渡せた。

 枯れた世界が水に沈み、巨大な月が蒼白く夜に浮かんでいる。髪が夜風に誘われる、月に照らされた彼女の姿は、幻想世界に現れた天使のようだった。

 彼女は隣の柱に手を着いた、風で流れる髪を手で掬い、一度だけ後ろを振り返る。

 ナギの瞳の中で、彼女は笑っていた。


「おにいちゃん、またね」


 言うと同時に彼女は重力に従い倒れていく。

 瞳が、髪が、足が見えなくなる。

 最後に空の境界に消えたスカートの端が、ナギの心の中に永遠に残った。



***


 二夜に朝日が登った。

 月は隠れ太陽が輝く。当たり前の始まりが、凄く不自然だった。

 雲が現れると、朝日は遮られ灰色になった。

 彼女の予想通り雨が降る、二夜に降るはずのなかった冷たい雨。既に濡れていた大地はそれでも水を受け入れ、過ぎ去る頃には可愛らしい水溜りを作り出した。


 死者――二夜の人間の役九十%。

 滅びは免れた、だが、なくしたものは大きい。


「ミズガレ、生きてたんだな」

「ああ、ナギも」


 それ以上は何も出ない。互いに言う事が見つからないのだ、何故だろう、家族なのに、繋がらない、談笑が出来ない。

 それだけじゃない、上手く歩けない、何故? 何故二人は生きているのに、間にあったものはなくなってしまったのだろう。

 わからない、わからない……。

 二人は違う方向へ歩き始める、どうしてだろう。 

 離れていく。



「カンナ……、なんでこんなんになっちゃったんだろ」


 雨の中で膝を抱える少年、泣いているのも隠さずにこちらを見上げる。

 ずぶ濡れになりながら自分を責めているのか、それとも空虚感に壊れてしまったのだろうか。

 どの道彼はもう元には戻らないだろう。

 カンナは雨の中に座る。服が濡れて、汚れて、少年と同じになる。


「オウサマの名前は権能冥(けんのうめい)、権能は一巡の四家、華矜院、桐生、梳理、その中でも最も王家に近い銀の血族」


 今更無駄な情報を、それでもカンナは伝えておいた。


「彼は願いがあった、それを叶える為に君を利用した、君の力で彼は願いを叶えられるようになった。後は舞台に行くだけ、彼は二夜を崩壊させる運命に従い、扉を開けた」

「俺が悪いんだろ……俺が、あいつに何か渡してしまったから」

「君だけが悪いのかな。オウサマは? 元凶でしょう。僕だって、今更君に話している、全てを知っていた、そうだとしたら君は僕を責めなければならない」

「責めない、ウルワが……ああなるのをカンナは教えてくれた。カンナは俺の――、……だから、俺は何があってもカンナを恨まないし責めない、裏切らないし、離れない」

「ナギ、それならこれを教えてあげる」


 カンナはどこまでも酷くなれる。これが愛だから、こうする事で、幸せになれるから。


『君が、"最も辛いのはこれからなんだよ"』



生きていても、もう何もない。

 

「あいつは言った、犯人は必ずこの場に立つと。だからあの時貴方が鉄扉から姿を表した時、貴方が犯人だと確信した。例え少女が後ろに続いていても、その後あの少年が来たとしても。……でも、僕は間違えていたのかもしれないね、あいつはこの場に立つとは言ったけど、後から来るとは言ってなかった、つまり、あそこに居た誰もが僕の探す犯人に成り得たんだ。よく考えたら、予言が出来るなんておかしいもんね、トキワを殺した犯人を一番知ってるのは――その、犯人自体だ」


 ユウラは一つの間を挟み、こう言った

 ――オウサマが、本当の犯人だ。

 そう、そうユウラは言いたかった。だが実際は言っていなかった。これはもしそうだとしたらよかったのにという、未練でしかなかったからだ。


「あいつの勝ちだ、まんまと踊らされたよ」

 

 ユウラは寂しく微笑む。一瞬でもオウサマがトキワ殺しの犯人で、マナコは関係なかったのだと、糠喜びした、本気で、そうであってほしかった。馬鹿だ……。

 オウサマは最後まで嘘と真実で人をからかっていた。


「あいつは死にながらも僕を笑っているだろう、真実を誤魔化したくてしかたなかった哀れな僕を。……雨、冷たいね」

「ああ」

「じゃあ、いこうか」

「ああ」


 決まっていた事だ。

 最初から、トキワが死んだ時から、二人が生まれた時から、そうやって遡れば、生命が誕生する以前にまで及ぶような馬鹿馬鹿しさだけど。


「僕が初めて貴方にトキワの話をした時、犯人である貴方は普通なら逃げるか言い訳をする、暴力で誤魔化すかもね。でも逃げなかった、手もあげなかった、傍に居たんだ、優しすぎたんだよ。だから貴方を疑っても、絶対に貴方は犯人ではないと思い込みたかった。

貴方は誰よりも優しかった、その優しさが好きだった、自分が痛んでも他人を思い遣る、彼に似ていた。あぁ、兄弟なんだって思った。だけど、見捨てれば死にそうな僕を救ったその優しさが、僕を、貴方を! 一番傷付けていたんだ」


 ユウラは刀を血が滲む程握る、泥濘んだ土を蹴る。


「どうして殺したんだ――!」


 ユウラはマナコが本気で好きだった。好きだし世界一憎い。

 だから剣を抜いて、殺し合う。

 決めている、どうなろうと


「貴方がトキワを殺さず助けてくれてたら、そうすればトキワは生きていられた……。ねえ、桐生がいけなかったの? 僕がトキワを殺したきっかけなの? 出会わなければよかったの?」

「オレが悪いんだ、全部」


 変わらない反応。それならばユウラは彼がそう望むように彼を否定する。


「貴方なんて生まれなければよかった、死ねばよかった、親に言われて兄弟殺しをするような奴、人間のクズだ!」

「オレだって、やりたくてやったんじゃない」

「ふざけるな! 人の命をなんだと思ってる、他人を助ける貴方の思い遣りは贖罪か? そうだよね、トキワを助けられなかった貴方はいつまでも罪を引きずり、後悔し、卑しくも他人を世話する事で慰めていた。トキワを殺した貴方は、どこまでいっても罪人だよ。僕と一緒で死ぬべきだ、生まれた意味もない、死にたがっていたんだ、貴方が一番」

「違う……オレだって、死にたくて、死にたくて生まれたんじゃない、殺したくてしたんじゃないのに! オレは親にとってなんだったんだ!? 梳理のくせに弱々しいトキワの所為で、桐生の女と駆け落ちするのを止める為に、家の体裁を守る為に消えなきゃならない命だったのか!?」

「……」

「トキワは無能だと散々言われていた、親も梳理という血の民のなか、情けない息子の所為で肩身が狭かったと、そしてオレも似たようなもので、どっちもいい加減にしてほしい、面汚しでしかないと」

「……そんな中、更に他華族とは交わってならないという禁忌を犯そうとしたトキワは、親の逆鱗に触れた……。そっか、貴方を、みんなを不幸にしたのは、僕だったんだ」


 唇を噛み締めた、辛い。生きてきた事を後悔する。何故? 人は生きる為に生まれてくるのに。

 辛いよ。

 桐生由羅(きりゅうゆうら)として生まれた事を、神の前で引裂きたい。裂けてしまいたい。

 ユウラの足が止まる、立ち尽くす体に雨が無情に降り注ぐ。

 アガミはユウラを見つめていた。

 彼はアガミでありマナコとも言うが、それは二夜で生まれた名前。本名は違う、梳理の血統で、華族の一員だ。

 彼もまた雨で後悔や悲しみ、愚かさに罪、憤りや苦しみを流していた。

 あの夜、兄は自ら殺される事を選んだ、殺しに来た弟に対し、抵抗もせずごめんねと泣いた。

 長男である兄の存在、次男にとって相続や跡継ぎの話は全て兄がやってくれる面倒事で、己には関係ないと好きな事を悠々自適としていた。兄が両親に失望されているのを知っても助けなかったし、自分自身も同じ立場に立っていたので不満こそあったが、自分の人生くらい自分で決めると、華族ではない、もっと自由に生きられる下々の意志を貫くつもりだった。

 親から兄を殺せと言われた時、酷く衝撃を受けた。

 人生の生まれてから今までを、産んでくれた本人達に否定される悲しみ。

 部屋に引きこもって机に突っ伏した。

 暗にお前も死ねと言った二人に、愛する意思は少しもなかった。

 悲しいのは何故なんだ、親に捨てられたからか、あまりの非道さに怒りと悲しみを取り違えているのか、いや、自分が赤い家に逆らえない事か。

 ここ以外に居場所が見当たらなかった事に気が付いた。赤の家から抜け出したい自分が、こうあらねばならないという格式や評価に、なにより一番捕らわれていた。だから理解出来る、華族として人前に紹介出来ない親の憤り、自分達の脆弱な趣向、不相応の身性、兄弟がどれ程親と家を貶めていたかを。

 椅子に座り、机に頭を乗せ延々と考えていたが決心が出来ない、食事も睡眠も取らず大腐りする傍らを日が登って沈んでを繰り返していた。

 腐った脳が奇跡的に思い付く。結果が出ないなら、聞きに行けばいいじゃないか――。

 ふらふらと部屋から出た弟は手短な刃物を持って兄のところへ行った。

 女々しく弱々しい、優しいだけの兄は相変わらずだ。

 泣くし、謝るし、何故か笑う。

 弟はそんな兄が愛しいし、また身勝手で憎くて、好きで、殺したくて、命令で、恨みで、敬慕で、殺意で、お前がいなければ、お前がしっかりしていれば、貴方は素敵な兄だった、貴方と自分はふさわしくなれなかった

 いらないのだ

 殺す、殺したくない、消えたくない、未来がない、望まれていない悲しみ、もう居場所はない、赤の家に捕らわれて、最後は見放される。血に相応しくない自分たちは俗物の親にも強さを求めるこの家にも世界にも全く価値がない――

 出来損ないだ。

 ――刺した。

 血の温かさを感じ、刃物が震えるているのに気が付いた。兄の手が刃弟の手の上に重なり、更に深く腹の奥へと引いた。

 謝罪と恐怖が、濁流のように溢れた。

 どうかしていたんだ! 許してほしい。

 我に返った時には、もう。


「……オレは兄が逃げようと言えば逃げていた。だけど兄は死を願っていた。自分から刺していいよと体を差し出すくらい、それだけ辛い思いをしていたという事に、今まで少しも気がつけなかったんだ」

「……」

「オレも君も、彼の支えにはなれなかった。愛していても、その愛が相手を変えられる程の何かになる事もない、その程度の人間だったんだ」


 愛は人を助けられない、死こそが人を俗世や苦痛から解き放ち幸せに出来る。


 愛した人が死のうとするのを、貴方の愛なら止められますか――?


 静かな雨は二人の沈黙を繋いでいた。

 感情が壊されてしまったように何も考えられない。雨音と、後悔と懺悔だけ。

 もういいのかもしれない、死ぬのだから、死にたかったのだから。


 雨の流れる刀から水が払われる、同じく長剣からも水滴が払われる。

 二人は生の終わりへ、同時に向かうように水を蹴った。


「う、あぁぁ!」


 ユウラが泣きながら刀を振り下ろす、足場が悪い為それを受け止めるアガミの足が泥濘に沈む。ユウラは素早く刀を戻し、空いた脇腹へ切っ先を差し込む、反り返った刃が肉を削ぐ。血を引きながら刀は帰り、長剣が報復の為にその後を追う。

 腹が痛みを運ぼうともアガミは衰える事なく力を込める。叩きつけるような長剣の振り下ろし、重く伸し掛かる力をユウラは刀で逸らしながら旋回、再び隙のある脇を狙う。

 しかし刀が届く前にユウラの足に何かがぶつかる、いつかのお返しとばかりに足技が下段に入っていた。


「くっ」


 ユウラは前面に転倒、しかし泥に沈む直前に片腕で体重を支え、そのまま腕を曲げ、飛ぶ。前転の勢いで空中に飛び上がり逆さからアガミの顔に蹴りを入れる。アガミは顔を打たれ目眩を起こしながらも長剣を振る。

 頭が揺れていようが軌道は正確で、刃は狙った通りユウラの腕を切った。だが利き腕ではなかった為ユウラは止まらない。

 着地してから直ぐ様踏み込み、下から、アガミは上から、二人の最後の一撃が放たれる。


「うあぁぁぁ!」

「ユウラーッ!」


 愛で救えるものはない。

 愛は死よりも小さく、薄弱な何かだ。

 雨が降る。

 死人の頭上に、降り注ぐ。

 雨は血を流し、命を遠くへ運んでいく。

 ユウラは生者に抱かれていた。

 死者を抱きしめアガミは想起した。

 虚ろへと落ちていく心が、雨の中で同じものを流した。初めてこうして胸に抱いた時と、なんら変わりない。


「誰か生きてちゃいけなかったのかな。誰が間違っていたんだろうな」


 アガミはやがて聞こえる足音から、遠い雨の中から大好きな顔を見つける。幻影ではない、辺りを包む霧と水飛沫の先から白い影が来る。


「アガミ!」


 雨の中、ナギが息を切らして駆ける。


「ナギ、くるな」

「行くよ! お前まで消えられてたまるか!」


 ナギは来ないでほしいというアガミの願いを無視する。聞いてしまえば最後になってしまう、だから聞かない、走る、近付く、互いの距離を測れるようになるまで近付くと減速し、そこからは歩き出す。

 後数メートルというところで、アガミは再び来るなと言った。

 ナギは立ち止まってしまった。あまりの悲壮に、ガラスの壁が出来てしまったように。

 止まってしまうと、それからは時間が凍結したかのように動けなくなっていた。


「ナギ、オレさ、ウルワちゃんが好きだった」

「知ってる」

「傍にいたかったよ」

「ああ……一緒にいりゃあいいじゃないか」

「あの子がっ、ナギくんが、好きだった、よ。好きだった! ……傍にいたかったよ」

「ああ……わかってるから……お願いだから」


 声が震える、不安で、不安で、無くしてしまったら、二度とかえらないなんてわかりきっているのに。

 アガミはユウラの服の中を探る。冷たい感触、それを服の中でそっと引き出す。


「ナギくんごめん、ナギくん、ありがとう」

「やだ、言うな! それ以上……嫌だ! 世界は平和になったんだ! もういやだっ!」


 アガミは拔いていたものを首に当てる。


「ごめん、世界に平穏は訪れないよ」



 命を切る音が、ナギの元に雨と共に残響した。



***


「カンナ、俺も行きたい。みんなのとこ、いき、たい、父さん母さん、ウルワ、……アガミっ、アガミ……っうあぁぁぁ! なんでだよぉぉ!」


 ナギはカンナに縋り付く。カンナはナギを抱きしめる。

 静けさは悲しみを深くし、服を濡らす涙だけが時間の中を流れていた。


「ナギ、聞いて」


 カンナはそれでも言わなければならない。愛しいナギがどれだけ傷ついても、どれだけ苦しんでも。

 言葉を止めてはならない、言葉は望むものを手に入れる為の手段だから。

 未来の為に誰かを犠牲にする。それが権能。ずっと変わらない、四家の中でも異質で、奇怪で、哀れで、愚かな。


「聞いて、ナギ――」


 涙を止めるために。

 全ての人が幸せになれるように。

 第一歩を



***


 ミズガレの前には衰弱した少年が立っていた。

 髪は長さがバラバラで、服は切り刻まれ赤くなり、虚ろな瞳が、それだけが綺麗な水色だった。その瞳に見覚えがある、ミズガレは急いで駆け寄る。近くで見ると少年は魂も、命も抜けてしまったような、もうこの世にはいないような抜け殻になろうとしていた。

 ミズガレは少し背の低い――ナギに目線を合わせた。双眸が重なる、一方のものが濁っていく、濁り死んでいく。


「ミズガレ、話があるんだ」


 ユキノは今のうちだけ人に見てもらい、二人は廃屋の屋根で雨宿りしながら話をする。

 脆弱な唇が開かれた。

 ミズガレは初めは悲痛な顔をした、恐らく赤い彼の死を聞いたのだろう。そこから先は何の話が次いだのかは解らない、ただミズガレの目は動揺に揺れ、ナギの肩を強く揺さぶり、最後には顔から色がなくなった。


「こ、このような惨苦を負わすものなど、人ではない! こんな事があっていいのか!?」


 ミズガレは怒る。温和で声を荒げる事のない彼が信じられないような所業に義憤し、嘆き、哀れみ、自らも同じ痛みを受けたように悲しむ。

 ナギはミズガレらしい反応を見て安心し、隣を抜けた。ミズガレは行かせまいと腕を掴もうとする、ナギはそれを拒絶する。

 ミズガレだけが取り残された大地、彼はあまりの辛酸に膝をつく。


「どうして、……こんなのは。私だけでよかったのに……」



***


 ナギは懐かしい場所を登っていた。懐かしいと言っても数時間前まではこの場所に立っていた。

 オウサマの城。装飾は崩れ落ち、壁や柱は罅割れ、窓ガラスは全壊、建物自体もいつ崩れるか解らない為誰も近寄らない。

 月の爪痕が最も痛々しく残る城を、上へ上へと登っていた。

 螺旋階段、鉄扉を開け、瓦礫の山を通り超える。


 風が涼やかに流れていた。明日へ、明日へと。その流れにナギを誘う。

 一歩一歩亀のように、けれど確実に歩いていく。

 目的の場所に立ち止まる、右の足を掛ける、上がる、城の最も高き場所、自殺者が好む、ウルワが選んだ、この場所。

 世界を見晴るかす。雨が降り、二夜の荒れた大地を潤す。枯れて死にゆく筈だった世界は、今は水で溢れていた。

 風がナギの横を通る。輝きが見え、遠くに視線をやると曇天の隙間から太陽の光が差し込んでいた。

 神の現れる時に輝く、黄金の空のようだ。


 美しい、この静かな世界の中に。


 ナギは力を拔いた、体が軽くなっていった。

 


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