崩壊

「ナギ……」


 ウルワは起き上がる、何が起こったか解らないが、何かに体当たりされたのは解る。

 ウルワは自分の上に重なるように倒れているナギを自分ごと起こす。


「いた、い」


 体が痛む、体当たりしたものを目視する事は叶わなかった。突然透明な物体がぶつかって来た、というのがありのままの証言と言える。


「っつ! てめぇまだ」


 ナギもウルワに抱き起こされ頭を擦る。尻をついたまま、こちらを見下ろすオウサマを精一杯睨む。

 ウルワを巻き込むのを構わず硬いものをぶつけてきた、ナギにだけならともかく、なんの力もない、前も見えない少女に躊躇いなく力を使ってきた。絶対にオウサマだけは許せない。

 そして自分もウルワを下敷きにしたのでそこにも苛立ちが走る。ナギはウルワに謝った。


「お前ゾンビかなんかかよ、どんだけ刺したら死んでくれる」

「君ね、もし誤解だったらどうするんです? 君は私が月を使い水を引き上げていると思っているようですが、それがもし」

「もしなんてねぇよ」


 ナギは跳ね除ける。聞く耳持たない、なぜなら確信しているからだ。

 笑っているではないか、その薄ら笑いが肯定だ。嫌らしい、それでいて無邪気な笑みが自分がやりましたとバラまいている。

 隠す気がないのに自分を守る嘘をほいほいと口から出す。この人物にとって嘘は日常的な、ジョークの一類でしかないのかもしれない。

 ナギは服を探る、残り少ない内から投擲に適したナイフを取り出す。小型のナイフは指から放たれ首を振ったオウサマの顔の横を拔ける、その後裏手の水に落ちる。


「消えるのが怖くないのですか? 私を殺したら君は消えてしまう」

「消えたら怖いも何もなくなる、俺には関係ない」

「なるほど無理矢理な理屈ですね」


 オウサマはナギを深く覗き込む。人の心が読めるのか、それとも読むのが得意なのか。

 人は死ぬのが怖いのではない、死ぬのを想像するのが怖いのだ。

 だから今の状況をナギは恐怖とはしない。彼は死を想像する必要はない、何故なら家族の為に王を殺し、衝動的に事件は解決され、気がつけばさよならの時間が来る。それだけだからだ。


「君らしいと言えばそうですね。家族の為なら何も恐れない、都合よく自分の命を使うタイミングが見つかってよかったですね」

「御託はいい、何度も蘇るなら、死ぬまで殺すだけだ」

「……、そうですか」


 流れが、変わった。

 オウサマは笑みを止める、真剣な表情はオウサマを別の人間に見せる。笑いの本性を外してしまったら、銀の王は何になるというのだろう。

 神々しい後光を受けながら王は手を掲げる。


「そろそろ、消えましょうか」


 青い夜、白い月は二夜を喰らう。

 動き出す、月が再び進行を始める。オウサマが決心をつければ月は連動して二夜の大地へと動き出す。

 巨大質量が異空の音を上げ大地に近付く、その様は壮大で恐ろしく、意識しなくとも体が震える。

 水位の下がった水面が再び大地と共に波打つ、水没し、再び頭を見せた建物が崩壊する。

 それはまるで雨が逆さに降るようだった――。

 大地から水と、瓦礫が月に吸い込まれていく。ゆっくりと地上のものを崩壊し、砕き、逆さの雨となり天に登っていく。

 引力に抗うよう脚を踏ん張っていなければ立っていられない。もちろん立っているよりしゃがんで伏せている方が安全だが、ナギは王の手前見栄を張った。

 ナギとウルワの裏で大きな音がし、二人は振り返る。装飾代わりの高い尖塔が真ん中でぼきりと折れ、倒れていく瞬間だった。折れた尖塔はまるでスローモーションのように巨大質量を床に叩き付け、轟音と共に瓦礫と煙を撒き散らす。

 ナギはウルワを背中で庇いながら吹き付ける煙を腕で防ぐ。突風が吹き込み辺りを白く染める。暫くしてようやく風の脅威が収まると、髪や服は粉塵により白く汚れていた。

 城自体はなんとか原型を保っているが、こうした根を張らぬ建造物は月の力に耐えられず自壊を始める。屋根はめくれ上がり、窓は割れガラスは粉々になり、折れて地に叩きつけられた城の一部は解体され雨となっては宙へと登る。

 形あるものは分解し、消滅していく。


「なに、何が起こってるの?」


 絶えず続く揺れに恐怖するウルワはナギに抱きつき離れない。ナギも混乱していた、ウルワの肩を抱きしめ返す。

 二人は寄り添い景色を傍観するので精一杯だ。同じくルナもオウサマから離れ振動に耐えるように頭を抱え伏せている。

 オウサマは二夜の崩壊を体全体で感じ取る、屋上の縁は少し段になっていて、膝を曲げてそこに足を掛ける、上る、つま先を宙に投げ出し、縁のぎりぎりに立つ。

 自殺者の好むその位置は世界がよく見晴るかせた。地震の中、一歩踏み外せば死ぬ屋上に立つのは狂気としか言えない。


「終焉に吹く風は気持ちいいですね」


 涼やかな風が世界の終わりを周っていた。

 これから消えるのだ、なにもかも、自身も。


 誰もが動き出した世界に対して無力であった。

 月に壊される世界、分解した自然や建物は小さく碎かれ、先端から天に上っていく。音は吸われ、水は雨を巻き戻したように逆さに降る。このような状況で、抗う事など無意味にみえた。

 だがユウラやアガミ、彼らはじっとしてはいられなかった。壊れ行く世界を黙って見てはいられない。

 二人は足に軸が通らず、ガクガク震いながらもオウサマに近付く。


「ごほっ! ユウラ、今だけは」

「わかってるよ、こいつどうにかしないと何も出来ない」


 二人の間で決着は引き伸ばしにされたようだ。

 この状況で殺し合いしているわけにもいかない、元凶を排除しなければ、その思いだけは皮肉にも重なる。


「ちょ、ちょっとユウラさん裏切るんです!?」

「裏切るんもんか、元々仲間でもない」


 ルナのリアクションを待つ間もなくユウラは刀を構えオウサマに斬りかかる。

 オウサマは無防備に縁に立っている、切り裂くと同時に突き落とす、そうすれば不死身でもいくらかは死ぬ筈だ。

 アガミも走り出す、ユウラの援護が出来るよう一定間隔を保ち立ち回る。


「貴方はおかしな人だった」


 右の刀がオウサマの背を斜めに切る、オウサマは翻す手を使い刀を払う、払われた刀の代わりにすかさず左の短刀を出す、オウサマの手を切りつける。がら空きになった脇腹を黒の血族は狙っていた。素早く引いた刀で血の色を捧げる。

 オウサマは胴を見捨て傷を受け入れた。躱す動作の代わりに指をユウラの輪郭に当てる、美しい青年の、しなやかな指が優しく撫でる恍惚、ぞっとするような愛撫をユウラは拒絶した。

 指が光をなぞり流れていく、美しい指先が満足そうにオウサマに戻る、突如としてユウラの腹に異変が起こった。


「ガッ……あっ」


 腹を押さえ転げ回る。口から血を吐く、内臓が暴れ回っている、体の中から腹を食い破ろうと肉に噛み付いてくる。


「あぁぁぁあ"あ"」

「ごほっ、ごほっ、ユウラ!」


 アガミが急いで腹を見るが外傷はない、オウサマが何を仕出かしたのか検討もつかない。ユウラが苦しんでいるのを傍で見ているしか出来ない。

 オウサマは揺れる城の上でもバランスを崩さず優美に影を落とす。アガミと話そうとオウサマは対話を試みる。


「咳、してますよね。それ、疫病なんですよ」

「なに?」

「風邪じゃないんですよ、貴方は心当たりありませんか? 死肉や腐った水や、何の生き物か解らないまま口の中に入れたりとか、そんな人間達を」

「……」

「不衛生で病気の塊みたいな土地を、知りませんか?」

「まさか……」

「疫病の蔓延は確実のものとなった。これ私の知る未来の一つなんですけどね、城の中にも大分広まってたみたいなので、水や食糧がなくなるより先に、病気の感染で全滅する方が早かったかもしれません」


 アガミは恐れながらも記憶を探る。記憶の端々に自分の犯してしまった罪が見える、強く認識していく度頭が白くなる。

 そんな、まさか……

 体が熱くなる。鼓動が早くなる、罪を自覚していくのが怖い

 自分が……。


「いつの時代も、人を脅かす死因の一つに"病気"というものが存在する。病気は、生きている限りどうしても切り離せない、いわば人と共存する歴史の一部。一巡においては、歴史に残る疫病は確か12年前のかの……」


 アガミはオウサマの話を聞いていない、耳から入って逆の耳から抜けていく。否定しようとしても事実はアガミを打ちのめす。オウサマは更に続ける。


「死病だからね、もう助からないよ」

「俺が? 持ってきた、のか……」

「かもね、だいぶ伝染してたから、二夜全土に流れるのは時間の問題だった。でも安心して、発症したのは君じゃない、君がここに持ってこなくても、動物や虫、或いは風がどうせ運んできた。一ヶ月後には、人類もその他生き物も全て死滅していただろうさ」


 大丈夫、君の所為じゃないよ、と庇護する。それがアガミの性格上どんな影響を与えるか解っていた。

 事務的に説明するうちにオウサマはここでの口調を捨てていた。長話になると素が出てきてしまう。

 疫病だろうが餓死であろうが水死であろうが、どの道二夜は壊れる定めだった。それをアガミに伝えたかった。

 伝えた先を見たかった。楽しくなる。


「白い悪魔って知っている? 二夜の人間半分殺したってやつ、実はあの子はかつての疫病を患った人間を集め抹殺し、これ以上感染する前に食い止めていたんだよ。虐殺の裏でヒーローは誕生していた、というわけ」

「……」

「僕がしてるのは救いでも何でもないよ。自分の願いを叶えると悲しいことに二夜が崩壊するってだけ。でもいいよね? どうせ死ぬんだから」


 ナギを見る。

 オウサマは嘘を吐き散らすがその中に人を傷つける真実を含む場合がある、ナギへの目配せにも必ず意味が存在する。


「っ、ちくしょう」


 どうせ死ぬんだから――。

 これは、ナギが以前から思想として心に持っていたものだ。それをいざ他人の口から言われると、無性に腹がたった。

 どうせ――なんだから。

 無責任で投げやりな態度は、こんなにもムカつくのだ。

 生きている人がいる、生きようとしている人がいる、それに対しこの言葉は侮辱でしかない。

 ナギは過去を振り切るように立ち上がる、揺れに足を取られそうになるが膝を固め腰を据える。


 命在る限り、有終すべし。

 でなければ人は人ではなく、動く肉でしかない。


「アガミ! 人形じゃないなら、動け!」


 ナギは走り出した。人としての在り方を変えはしないが、自分の命の使いどころだけは理解出来た。

 終わらせないと。

 ウルワの為に、ミズガレと最期だけは会えるように。

 どうせ、ではなく祈るように。これは想いとして。

 だからオウサマに殴り掛かる、初めて拳を使った、美しくない肉弾戦をみっともなく仕掛ける。その心は、一つの決意によって固まっている。


「刺し違えてでも殺すぜ?」


 道連れ。という手段をナギは提示した。オウサマはもちろん拒否して避ける。自殺者の位置から生者の地面に舞い戻る、すると戻った先の地点に予期せぬ強打が待ち構えていた。


「あいった〜!」


 間抜け悲鳴を上げてオウサマは吹っ飛ぶ。銀の髪をふり乱し、壁にヒビを作りずるりと落ちる。

 暫くしてから動き出した、軋む体を立ち上がらせる動作はどうにも緩慢だ。

 それもそう、オウサマは死なないが痛みは感じている。死なないというのも死んでいないと言うだけで、実際どこまで非人間かは誰も検証していない。

 何より打たれた経験がなかったのだ。いつもやられる前にやるか、月の力を使い動かず相手を負かしていた。オウサマの弱点はまさに、単純な殴る蹴る等の暴力だ。

 打ち合わせをしていないはずがナギとアガミは寸分の狂いもなく連係プレーをやってのけた。成功した二人に会話はないが、言葉よりも今は行動するのだ。

 二人はまだこれでは終わらないと左右に分かれ展開する、息を吸い同時に攻める。挟撃を躱す体力のないオウサマはまたしても二人の打撃を体に受ける。

 異能に頼りすぎるオウサマは運動能力に乏しい、月さえなければ細くひ弱な青年なのだ。アガミが蹴りを入れれば軽く吹き飛び、壁に体をめり込ませ震えて動かなくなる。


「オウサマ、もう止めてください、月を止めればこれ以上は……」

「情けはかけるな、こいつは、殺す」


 崩壊する世界を背景にナギは有無を言わさずナイフを取り出した。これが最後だ、この調理ナイフは、ミズガレの家のものだからだ。これだけは最後まで身に着けていたかった。

 さあ、終わりにしよう。

 ナギはナイフを振り上げた。



「あんまり痛い事すると、知らないよ……?」


 ナギは悪寒が走ったのを無視しようとしたが出来なかった、体が強張り、腕の筋肉が止まる。冷たい風が背中を撫でる。汗、蹲ったオウサマから放たれる優しい一声、本能的な危機感が、ナギを硬直させ動かなくした。


「っく」


 アガミが突如脚を押さえる、指の隙間から赤いものが滲み出てくる。

 ナギはオウサマを凝視する。いつの間に攻撃を? 傷に痛む本人も相棒も全く気が付かなかった。

 オウサマの手には、ハサミ。


「やっぱりハサミはいいね、次は指の一本でも切断しちゃおっか」


 チョキチョキ、ハサミを動かす青い瞳の中には、ピンクのハートの模様が浮かんでいた。



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