血涙を吸って、銀の天使よ

 さあ、身を投げるか生き長らえ発狂するか選べ。

 神はどこにもいない、私は神などではないが人に選ぶ権利くらいはくれてやろう。

 さあ、誰が知っていた? 人は常と変わりなく二夜の地に眠る。

 誰か予測出来たか? 世界が明日終わるなど、誰か望んだだろうか。

 ――私も望んでいない。

 月は満月であった、恐ろしい程大きく巨大な月は二夜を食らうために侵略する。

 月に我が力を示せ。


 ――水の中に眠るは母の胎内へ帰る事。

 死を恐れるな。



***


 愛しい妹がいた、大切な友人がいた、お喋りな少女がいた。

 貴方ならこの組み合わせが集まれば食事が楽しくなるのではないだろうか。

 だがこの少年は違うようだ。胸に込み上げる吐き気を堪えている、何も口にしないまま少女達に心配されている。

 捏ねた生地を軽く焼き野菜を包んだもの、生の野菜もある、他には干し肉に調味料を掛けたもの、水が少し。

 床に直接座りテーブルを囲む形で食卓の場は設けられた。

 なのに食卓であるにも関わらず料理を腹に入れる事はない、彼――ナギは青ざめた顔でテーブルに視線を落としていた。

 ウルワは食事の手を止め心配そうにナギに顔を向けていた。ナギが食べないなら自分も食べない、野菜の包みを置いたのはもう随分前。

 可愛い妹を心配させるなんて悪い兄だな。

 笑おうとするナギ。ナギはウルワを心配させたくないのだ、その顔を曇らせない為にも笑え。

 そして、引き攣った笑顔が生まれる。

 こんなにも演技が下手なのだ、ミズガレなら心を落ち着け、ショックを隠した上で言うだろう「心配ないよ」と。

 自殺者の血類が降りかかる。天井を見上げれば縄が吊るされ、その先には人間がぶら下がっている。

 あの時のまま……揺れる体が食卓の上に吊り下がっている。


「っ……」


 カンナ――。カンナが居なければ赤が取れない。あの日のようにこの赤に視界が満たされた時正気ではなくなる。赤は怖い、赤は血の色だ。

 カンナ、その銀で視界を潰して。その髪で赤を吸って、その羽で死を拭って。

 血が掛かる、料理に死肉が垂れる、あの村の人の手だ、腐った肉が溶けてテーブルに流れる。

 首吊り死体が揺れを止める、ロープが切れて落下する。

 ――目の前に落ちた、首……


「ナギくん!?」

「ッ――!」


 肩が跳ね上がった。声を掛けたアガミも驚くくらいナギは酷い汗をかいていた。

 重症だ、このままでは精神を壊される。


「ごほっ、食べたら直ぐに片付けよう。ごめんウルワちゃん、ナギは借りるよ」

「はい」

「いいよアガミ、大丈夫……。俺はここに居たい」


 血の気がなく顔色の悪いナギが普通ではないのは明白。ウルワもルナも表情がなくなっていく。事情を知っているアガミも心のケアとなると慎重にならなければいけない、果たして少女達の中に置いておくのは正解か。


「大丈夫なのですか? お兄さんだいぶまいってるみたいですが」


 意外にもルナが親身になる。ナギは大丈夫と嘘を吐く。


「あとアガミさんも、風邪ですか?」

「なんだろ、熱があるわけじゃないけど咳だけ出るんだ」

「熱の前触れかもですよ? なんか他にも咳してるやつがおりましたし、風邪が広まっているのやもしれませんね。明日帰るのなら安静にしているべきです」

「大丈夫さ」


 アガミもナギも少女達の手前弱音を言わない。

 こうしていてもナギが辛いだけだと、ならば話をしようと、残った食事をつまみ代わりに四人は雑談を始めた。

 明日は二夜の端へ帰れるという、夜七時くらいの時刻であった。



***


 ユウラは城の外に居た。厨房を任されているおばさんと並んで野外で食事を運んでいる、祭りの配膳役をユウラは自ら買って出た。

 暗闇の中に弾ける薪の音、炎が燃え上がり立て掛けてある獣の肉を香ばしく焼き上げる。


「カンパーイ!」


 男たちはグラスを鳴らし喉を潤す。今日も奪った食糧と僅かな酒で祭りを開く。祭りの存在はここ最近出来たもので、みないずれ朽ち果てると知った大地から笑顔で収奪に没頭した。

 不安と無縁のような華やかな祭りは、その実不安から生まれた最期の宴、死を祝い、死んでいく事を受け入れようと……受け入れられずに、紛らす為に開かれる。

 怖いという思いを根底に一時凌ぎの夢を見る。

 ユウラは普段ならこのような祭りに参加しないが今は違った。酒の勢いで口を開かせる、必ず見つけ出すと決めた、それしかトキワに持っていくものがない。

 ――トキワ、これが終わったら僕は貴方の元に行きます。

 ユウラは偽りの愛らしさをぶら下げ男の間を回る。


「ねぇ、貴方は誰を殺したの?」

「ん? 無遠慮な事聞くねぇ」

「何となく興味あってさ、人ってどうして人を殺すんだろうって」

「そりゃ金絡みのトラブルじゃないかぁ、ハハハハ」


 こいつは違う。金銭トラブルで大切なトキワが殺されてたまるか。

 違うと分かればユウラは次に行く。


「衝動だよ、カッとなってな」

「事故やったんや、俺は悪くねぇ」

「人間を食べたら美味しいのか興味がありました」

「金だよ金、金の為にやった」


 祭りには二十人程参加していて、九割が男だ。男にはあらかた探りを入れたが目ぼしい人物は見つからなかった。残りは一割の女性。


「おばちゃん、おばちゃんは誰を殺したの?」

「あたしは……」


 中には話したがらない者も居る、話させるためならユウラは嘘も涙も利用する。


「私は恋人を殺されて、仇を取るために犯人を殺しました。私は……人を殺したんです、私、怖いんです、こんな事してしまって……償い方もわからない……っ、うぅ」

「なんて言ってやればいいんやろうねぇ……、あたしも、酷いことをしてしまったよ……」

「おばちゃんも?」

「ああ、子供を……死なせてしまったよ……、虐待したんだ、……なんで、なんであんな事を……」


 言葉が嗚咽に変わる。心底後悔しているのだろう、ユウラの耳が彼女の懺悔を聞き取る事はついぞないが、彼女は歯止めのなくなった感情に泣き崩れる。

 ユウラは冷たい。復讐に必要ないと知れば後はあしらって離れる。

 どうせ死ぬつもり、慰めあったって殺人者に変わりない。


 どうしたものか、酒の力で祭りの中を探り回ったがそれらしい情報はゼロに終わった。いつしか料理もなくなり、出来上がった男達が異能を使って戦い始めている。

 木の枝を硬化させ鉄の棒として振るう男、それを食らわされた男は転がり打たれた場所を抑えつつ笑っている。木の枝を持った男は雄叫びを上げる、次の挑戦者を望み挑発を掛ける。


「俺に勝てる奴はいねぇのかぁ!?」

「楽しそうだねぇ」


 名乗りを上げたのは剣の使い手、数日前アガミに武器を跳ね飛ばされた男。

 彼はバンダナを引き締め無造作に伸ばされた髪を揺らした。暗闇に紛れるように巻いた黒マントが彼を剣士よりもアサシンに見せる。


「いいぜ、始めよう。俺は今まで負けた事がないからな、向こうの国の奴何人も倒してきた。いいか、本気でやるからな」

「掛かってこい、こちらも本物の剣で行く」

「死なねぇようにはしろよー、殺そうが死のうが負けだからなぁ!」


 祭りの終わりは命を闘いの中に燃やす。生きている事の実感は夜に燃え盛る炎のように情熱的だった。

 試合は合図もなく始まる。

 アサシンが一瞬の閃光で首を掻き切るように闇の中に剣が煌く。木の枝の男は首を狙った剣を枝で弾き、反動で振られた剣士の銅に素早く横殴りを食らわせる。それがしかし、肉体ではなく黒マントに変わり、受け流されたと気付いた頃には布の音は宙へ飛んだ。


「らぁぁぁ!」


 空中から剣に体重を掛けて降下する剣士、刃に乗った重い力を木の枝がなんとか横にずらし、両者は次の攻撃に移る。

 拮抗する戦闘は長引いていく。黒マントが舞い、木の枝が砕け新しい武器が形成される。剣士は異能を使わなかったが、木の枝の男は食器や盆も硬化し手当り次第に投げつける。

 笑っていた、みな死を忘れ、二夜を離れ。

 それもやがては終わりがくる、黒マントの剣士が相手の鼻先に刃を押し付けた。勝利の瞬間だった。


「俺の刃はまだ収まらないよ、どうだ? ユウラ――」


 指名が上がった。試合を見ていたユウラは笑う、それは可愛い少女の笑みではなく暗殺者の恍惚の美粧だった。

 周りは一瞬ユウラを見間違えたかと錯覚する、ユウラは確かに強い、だが可憐でしなやかな剣美を身に着けていても殺しに興奮する残酷な性質等ないと印象にあったから。

 目を擦って視界を入れ替える、やはりユウラは少女だった、やはり錯覚していただけだ。


「ユウラ、この国で最も強いのはお前の刃だ」


 剣士は脈絡のない問いかけを行う。ユウラは答える。


「やりたいんでしょ? 私もやりたい、斬りたいよ」


 鋭利でいて愛らしく笑う。武器を所持していなかった筈がいつの間にか剣を抜いている。動作の一つ一つが流れるように美しい、見惚れてしまう程、彼女には刃が似合った。


「桐生ユウラ」

「そうだよ、私は黒の一族、桐生の血縁」

「お座敷に座る雅な一族が何故ここまで強くなれた?」

「それは秘密だよ」


 桐生とは。華矜院、梳理と並ぶ一巡の華族の一家。

 古くから芸道全般を伝承し、華道、茶道を主にその心を説く。華矜院の高潔なる優美さと対照に風雅でいて奥ゆかしい一族。

 だから桐生ユウラという女は異端だ、武器を取り、華を愛でず茶も淹れない。

 だからこそ美しい。剣士が口の端を上げる。


「勝負だユウラ!」

「いいよ、おいで」


 誰も知らない、桐生の本当の顔。黒は白と対比である、故に黒は黒。

 ユウラは笑った。



「みなさん一巡に未練はないのですか? 帰りたいとか、やり残した事があるとか」


 ルナは一同の顔を見て回る。その中で口を開いたのはアガミ。


「オレは一つだけ。仕上げたかったものがあってさ、それが未完で終わっちゃったのが心残り」

「そのものとは?」

「教えられないよ」

「むっ」


 ルナは干し肉の残りクズを摘む。アガミの未完成のものを予想する、悔しいがノーヒントでは尻尾の先も掴めない。


「アガミさんって梳理様ですよね、赤い髪の華族。こうして側にお目に掛かる機会はなかったのですけど、梳理様は相当強いんですか?」

「いや、梳理じゃ……」

「いいよもう、梳理だって分かるさ、華族だからって態度変えたりしないし隠す事ない」

「あぁー……」


 ナギが伝えたように、友にまで秘密にしておく必要はないとそれは最もだが、今更明かして何になるかと問われれば言う必要を感じなかった。だが話す機会が今なら話してしまっても問題ないのも確か。

 アガミはルナから話し手のバトンを受け取った。自分は一巡の華族、偉大なる貴族である梳理の血縁。語る、梳理の内部を。


「みんなが強いって事はないかな。ゴホッ……えーと、集団で戦に加担し、戦場を血で染めると大言吐かれて化け物の塊に見えるだけ。実際は訓練すれば誰でも達する域に留まる一介の兵士にすぎない。戦闘狂いで好戦的な性格が多いのは事実だよ、実際戦争の火種を自ら作りに行ってる人も居たし」

「それって立派な犯罪では!? 平和を望む市民への背信行為でもありますよ」

「欲望を満たせてオマケに利益もついてくる、不正はバレなければ便利な手段。上手く隠蔽して来たんだろうな、民間を守る立場にありながらその民間を利用し戦災を拵える、戦が始まれば戦闘に正当性が加わり後はやりたい放題。戦う相手は誰でもいい、国でも、華族でも、一般市民でも。狂っているよ。

華矜院と仲悪いのもそれで、華矜院は白く高潔な華族、不正や不実を許さない。気付いていたんだ、血生臭い戦を好み世を欺く梳理に、だから華矜院は梳理を嫌悪し軽視する傾向にある」

「華矜院っていい奴だったんだな、ただの金満家だと思ってた」

「梳理と華矜院は表向き軍事費における主張の違いから仲違いと思われてる。梳理が通信社に賂を流し込み、大々的に報じているからそれが世界の"事実"なんだ。ホントは金の使い方で喚いてる幼稚な喧嘩じゃない、知らなかったでしょ」

「だとするとお前の家、相当ヤバイな」

「梳理様ってワルですね〜」

「はは、実は華矜院もいい勝負だよ」


 一巡に居ないからこそ、遠い世界の親族の犯罪を暴露してしまっても構わない。華族の裏という汚泥の中を垣間見、もっと魅惑的な話を聞きたがるナギとルナを他所にウルワはきょとんとしていた。

 ウルワは世間知らずだった、新聞記事も見ないし、他人と情報交換する場面もない。

 ただ眠っていた、冷えたシーツの上に。


「白い悪魔っていうのはご存知ですか?」


 ルナが華矜院繋がりで話を広げる。


「十年程前、二夜の人々を人口の半数程虐殺した白い髪の人間です。その人間は悠々と日常会話をしながら、息をするように人を殺し尽くしたのです。……ってオウサマが言ってました」

「華矜院か? 何でそんな事を」

「狂気の沙汰だとオウサマは笑いながら言ってましたよ〜。その後悪魔は消えたそうです、人を殺せば消えてしまいますからね」

「オレも聞いたことあるよ、一夜で殺し尽くしたって言うから強力な異能を持ってたんだろうね、今その悪魔が居なくてよかったよ」

「怖いな、異能は何を齎すか解らねぇ。誰にどんな能力が目覚めるかもランダムだし」

「そうだ、みなさんの異能教えてもらえませんですか?」

「いつか戦う為にか?」

「へへっ、そうならない事を願いますがねぇ〜」

「冗談じゃなさそうなとこが怖いわ、はは」


 ウルワは気が付いた。ナギは小さく笑っていた、本人も周りもあまりに自然な笑いに気付いていないが、やっと元通りになりつつあるようだ。この安定したナギという存在がウルワは好きだった。


「で、異能は見せてもらえませんか? ただの興味心なだけですから〜」


 ルナに邪気はない、何の変哲もない人間が持つ意外な芸=異能とでも思っている。


「オレのは形に出来ないから見せられないなぁ、ルナのは?」

「えー、私に聞いちゃいます!? 見せられないと嘘を吐いて私のだけ見るつもりでしょう」

「言い出しっぺなんだから最初にお披露目してもいいんでない?」

「やらしーですね、わかりました、そんな人はこうです!」


 ルナが勝ち気な表情で手をわさわさと動かす、するとアガミの頭が突然テーブルに突っ伏す。


「ななな、何だコレ」

「ほら、頭を下げたのだから懺悔なさい」

「ちょ、ナギくんこの子止めてー」

「何の異能なんだ?」

「無視しないで〜」


 頭がテーブルにくっつき腰が折れたまま戻れないアガミ。ウルワが声のする方に手を伸ばし頭を見つけ撫でる、ウルワに撫でられるならこのままでいーやと笑顔になったアガミであった。


「私の異能は糸です、見てください、透明な糸がアガミさんとテーブルを巻きつけてます」

「ほんとだ」


 ナギが触れたところ糸は細いのに芯が通っており、糸と言うよりはワイヤーに近かった。しなやかでかつ強度のある糸は力を加えても切れはしない、ハサミやニッパーですら切断出来るか疑わしい。石をも切れそうなルナの異能力、この糸は危険だと判断したナギは指を引っ込めた。


「これで縛り付けるのが私の専門です。貴方達をオウサマが迎えに行った時私が同行していたのはいざとなればこれで拘束して連れ去るつもりだったのですよ。大人しく従って下さった貴方達の賢明さが非常につまらなかったです〜」

「俺は今、少女の中に邪悪なものを見た」

 

 ナギが解説した後、ルナはアガミから糸を引いた。


「じゃあ次は貴方達ですよ〜」

「あの、私は異能が何かわからないので」

「ウルワはよいのですよ、男どもから私は秘密を奪ってみせるのです!」


 偉そうにふんぞり返るルナは裏表がなく、打算も駆け引きも微塵も考えてはいない。だからアガミは話した。


「オレのは目に見えないから見せてあげられない、これはホントだよ。オレの異能は善人と悪人を判断する目、黒色の人は悪人、白色は善人ってね」


 以前もこうしてウルワに話した。

 アガミが異能を最初に明かしたのはウルワだ、彼女でほんとうによかった、そして次に明かすのがナギやルナでよかった。

 恒例の自分は何色? 質問を二人に受け、アガミは見えている色を話した。案外地味な能力はそれを語ると中身がなくなり、案の定直ぐに飽きられてしまった。


「じゃあ次はナギさんですよ〜」

「俺はな……」

「ねぇねぇナギくん、オレ言っちゃっていい? ナギくんの異能」

「知ってんの?」

「わかるよ見てれば。いい?」


 嬉々とするアガミに言わせてやろうとナギは頷いた。アガミは直ぐに答えを発表せず、立ち上がって窓を開けた。


「これがナギくんの異能です」


 何もない、窓から夜空が見えるだけで何処にも変わったものはない。彼の、その透明な異能はこう呼ばれている


 ――風。


「そう、それがナギくんの異能さ――」


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る