カタストロフ

 ぶらりと垂れ下がる足、暗闇の中に浮かび上がる肌色。

 揺れる――

 揺れる――

 首に縄の付いた、肉塊。


「っ……あぁぁ――!」



 わかっていたよ、何があるか。

 だって死は見えているんだもの、いつも考えれば先まで見えていたんだもの。


「知っていたよ、何があるか。この世界には死が溢れている、全ての人が死に向かう以上何処かで誰かが死んでいるんだもの」

「なんだ? 何か見たのか?」

「――よくある事だよ」


 王は沈黙した。

 生命を受け、生命を投げ捨てた。

 賞味期限が切れたゴミではないのに何故進んで捨ててしまうのだろう。

 誰かが死んだ、王には見えていた。

 それは王が見てきた"よくある事"のうちの一つでしかないからだ。

 それに対し王は理解も否定もしない。それをする事が悪いと思わないのはそれが選択だと寛容出来る程それが日常化したこの世界が悪いだけ、尤も、二夜に限った事ではないが。

 王――オウサマは銀髪を指に絡めくるくると回す。整った顔は物憂いていて、時を潰すためだけに生きているような無気力さがあった。不思議な事に、マイナスである筈の表情が逆にアンニュイな美しさを醸し出している。


「ねえ」


 王の向かいには小さく幼い十にも満たぬ年齢の少年が座っていた。綺麗に梳かされた茶色の髪、奪う国にも奪われる国にもないような美しい服、痩せてはいるが健康に問題なさそうな体。少年は大きく広い机から顔だけを覗かせ、床にとうてい付かない足を大人しく揃えていた。

 少年は窓の外を眺めるよう王に指示した。

 王は空の上に行きたがっていた、邪魔なガラスを退けてやれば王は空の上へ行けるかもしれない。王の退屈を壊したい。

 思い付きを行動に移す速度は早く、少年はとんっと椅子から下り、その椅子を台にして窓を開けた。


「こんなに綺麗な空なのに――」


 言葉の途中、少年の体が窓から溢れる。少年はあっと言う間もなく羽根のように空に舞った。

 なんて無残なんだろう。

 こんなに綺麗な空なのに人を殺すのはたった数秒。

 王は人の死のあまりの呆気なさに虚しさと、そして嬉しさを感じた。かくも人間は容易く死ぬ、笑みすら溢れる。

 しかしながら――少年は生きていた。なんとか足を引っ掛け体を振るい部屋の中へ転げ戻っていた。青い顔で心臓を押さえている、九死に一生を得たような気分だった。


「ふっ、ふふ」

「わっ、笑うところじゃない……、危なかった、死ぬかと思った」


 地に足が付いている事は人間の無限の可能性を広げる、空では人間は落ちるだけ。大地に居られる当たり前をこの稚さにして安息と知った。

 少年は次は臆病な程気を付けて窓から顔を出した。


「こう見ると殺風景なだけで穏やかな世界なのに……」


 枯れた大地、乾いた風。生き物の姿はなく、植物も枯れている。

 これが終わり? 部外者の少年からすれば二夜はまだ生きているとしか映らない。大地は崩れていないし、空は割れていないし、一巡の荒野と何か違うのか相違点すら見分けがつかない。

 誰が、一体誰がこの世の終わり等予測出来ようか。今この瞬間、少年の見ている世界は美しく朽ちる事はない。


「長く住んでいれば分かりますよ、二夜はもう持たない、土地は悲鳴を上げている。ひび割れた地の底は乾き、水を得られず自然が枯れる事で生き物の生態系も狂う、その結果は確実に人間にも影響を及ぼす。と言うか水がなければ人間も死にますがね」

「土地も人も嘆く、か。死にたくないと、なのに死ぬしかないと……」

「最初から死ぬって決まっていますからね」

「決まっている?」

「ふふ、この世界は意思を持っているんですよ、我等を箱庭に閉じ込め滅ぼす。それは宇宙の摂理か神に作られたシステムか、人に知恵があるのをいい事に餌を必要最低限しか与えず、餌の残量を気付かせる事でトリガーは引かれる。生きる為の餌がこれ以上得られないと知った時、最後に人のとる行動は一つ、"死"。此処には我等の意思があるようで初めからない、最終的に全員が死を選ぶよう予め決められている。これが世界の意思。私はこの世界の仕組みを残酷なのに美しいと思う、人はこうも呆気なく死ぬと知り嬉しくなる。さっきも一人死を選びました、この下でね」

「……」

「首を括り台から飛んだ、果たしてそれは自分の意思か世界の意思か。ただそれはとても幸せな最期だったでしょう、早くに死ねばそれだけ苦しまずにすむのですから。水不足、食糧難、病、争い。なにより未来への絶望。最悪の結末しか想像出来なくて、怖くて眠ることさえ出来ないのなら安らかに死を選んだ方がいい」

「二夜は? 殺人者を集める箱庭で……、残り少ない水を解るように配置し、いずれ死ぬか、今死ぬか選ばせ……。それすら自分の意思じゃないかもしれなくて……」


 吐き気がする、世界は最初から美しく人間を滅ぼす為だけにある。


「藻掻いて、足掻いて、生きようとして結局死ぬ。何の救いもない、だって初めから死ぬようにしかなってない。どうしたって絶望なのです、私は絶望した顔は好きですけどね」

「貴方って人は……」

「だから私がいくら二夜を支配しようが未来へ取り組もうが雨の降らない機械の世界に存続の希望はゼロ。今すぐ死を選ぶのが世界のプロット通り人の幸せなのだと思うよ」


 少年は王の話をゆっくり咀嚼した。

 世界の意思、神の盤上。我等は箱庭の住民、意思を信ずるとも、実際は世界の意思に従い綺麗に滅びるよう作られている。

 ――溜め息。果たして貴方は信じてしまっただろうか、これは全て王の虚妄であるというのに、残念ながら全ては空想だったのだ。

 少年は顔を顰める。

 相変わらずお喋りが好きな食わせ者め。遺伝なのだろうか、事実と空想を織り交ぜた話は妙に真実味を帯びているが、度外れしていて俄に受け入れる事は出来ない。ただ一種の人間にはもしかして、と思わせる魔力があり、それが曲者だ。

 少年も初めて会った時、二夜は空の上の国だと教えられまさかと思いながらもその話に興味を抱いてしまった。今もそう、もしかしたら二夜は箱庭で、殺人者はそこで綺麗に自滅する。これが世界の考えなのだと思った。

 人を最終的に死へ導くのは生物として生まれた時からの宿命であり計画ではない。

 少年は騙されてばかりで面白くないと意表をついてやる事にした。


「じゃあ貴方は何故死を選ばないんだ……。早く死ぬ事が幸せと解っているなら早く死んだらいい」

「あっはは」


 王は笑う、幼い少年ながらに反撃してきた。王はようやく毛先を離す。


「なんででしょ〜ね〜。そうだな、僕はある場所で死ぬと既に選択しているからかな。初めから死を選択している僕は今死ぬ必要はないんだよ」

「ふぅん。杜撰な支配の理由はそれなんだね、王でありながら下々の蛮行を煽り介入し、人の死も悲しみも気にしない。感情のない発言や行動も、形だけの王として座っているのもどうせ死ぬって解ってるから。世界の仕組みを知り、抗うことも無駄だから。貴方にとって余生は娯楽なんだね、それはある意味、奪われるだけの国の最も端の人の思考に類似する。やはり貴方は奪うだけの国の王には到底不釣り合いだよ、早く行くといい」

「んふふ、あれだけの情報からそこまで推測出来るなんてね、君の頭脳、子供なのに侮れないね〜」


 天才くんをよしよししたいと、王は手を招く。


「茶化すのは止めてよ子供じゃないんだから。もう一つ、聞いていい?」

「どうぞ」

「"貴方は選択に後悔しないか?"」

「さてね、人はだいたい後悔するよ。自分の選択全てに満足出来る者がいるの?」

「……」

「君は苦しむといい、それが君の選んだ道なのだから」


 もしもはない、選択した時点でどちらかの未来は潰えているのだから。あの時ああすればよかった、過去に固陋しても得られるものはない。自分が選んだ道なら、誰かに助けを求めるなんて間違っている。


「君も一緒だね、あの子と一緒で叫んでいる。全く君達は真面目過ぎるんだよ、そんなんだから生き辛いの。アドバイスするならこっちの人達みたいに自分勝手に生きるか、向こうの人みたいに開き直るかしたらいいと思うな。可哀想だよ、ほんとに可哀想……あの子も君も、あいつも、人も、みんな可哀想、世界に踊らされているよ」

「もういいよ……。そろそろ本題に移ろうよ、おれがここに来るのも最後なのだから」

「君から振った話なのに」

「悪かったから」


 少年の当初の目的は一つ。無邪気に手を染めた代償は払ってもらわねばならない。

 少年はお喋りな王にもはや余談は許さないと目で訴える。王はようやく色を正した。


「此処に落ちて十数年、ついに訪れるんですね、人の住めない世界に変わる時が」

「食べ物、飲み物のなくなった世界に生き物は居られない、時は全てを滅ぼし清浄な世界を再び造る」

「それが今この時って素敵だね」


 二夜は滅びゆく世界、初めからそうだったように、時間と共に原初に戻っていく。ならばそれは自然的で、無駄な異物がなくなった世界はとても美しいだろう。

 王はその世界を見てみたいと思った。そして自分が異物だと理解した時、どんな絶望が湧いてくるだろうと。


「ゾクゾクしますね、世界の終わり」

「貴方のゾクゾクに興味はない、教えて、貴方の知った事を」

「はいはい、最後だから教えてあげますね」


 少年はやっと此処を訪れた意味が成せると王の言葉に集中した。


「一つ、水は半年も持たない。二つ、食糧はそれより持たない。三つ、死病の蔓延が確実のものとなった。……って、これは必要なかったかな?」

「うん、欲しいのは二夜の現状ではなくて……」

「はいはい、じゃあ一つ、世界は業を逃れようとした人が造ったものでしかない。二つ、目視叶わぬ最も高き塔の中に真実がある。……これらは君もあいつも知ってるよね。じゃあ次、三つ、世界に端があるのは世界が平面だから。四つ、禍神は既に二つ生まれている。五つ、近い内に世界人口の半分が死ぬ」


 そして六つ――。


 少年は、思わず息をするのも忘れた。四つ目や五つ目にも十分おどろいたが、六つ……その数字の次に知らされた事実が、少年を驚嘆に染めた。


「……まさか」

「まさかじゃない、私を疑うのですか? 確実な証拠が欲しいなら予言書を探すか君のご主人様を問い詰めるかすればいいですよ。というわけで私からは以上です、君がどうか選択を後悔しませんように。あ、それとガラスは今日壊します」

「なに?」


 少年はガラスを壊すという付け足しに疑問を持った。大した事ではなさそうだったが嫌に頭に残る一文だった。王が指すガラスとは一体――、窓ガラスか? それとも別の


「あっ……」


 少年は気付いてしまった。あるのだ、ガラスが。この世界には広大すぎるガラスが存在している。

 思考が始まった、一度考え始めると止まらなくなってしまう、少年の性分だ。

 果たして、何故王はガラスを割ると急に言い出したのか。あれだけ力を加えても割れなかったそれを割れるというのは本当だろうか。割ったとして、それは良い事であって悪い事であるとは思えない、人にとっても動物にとっても植物にとっても水が溢れる世界は生きる希望に光を灯す結果になる。

 夢のようではないか、後の世にまで語り継がれる偉大な英雄だ、王は。

 なのに昂揚が全くない、ついでに付け足した言い方に不穏が過る。ガラスが割れたら不吉な事が起こる? 胸騒ぎがしてならない。

 少年はまだまだ考える。そうだ、禍神の誕生、世界人口の半数が死ぬ、此等が啓示しているのは今なのではないか、王が厄神として二夜に災いを引き起こすのではないか。

 月の力は強大で王の異能力は群を抜いている、王が欲しがっていた華矜院の血を拾い、今世界のシステムにまで気付き始めている。

 王は死に場所を決めていたと言う、だから王は、王は――今。

 全てが憶測でしかないのに、嫌に糸が繋がって恐ろしくなった。


「……」


 止めよう。少年は思考を放棄した。二夜に肩入れするのは二夜に生きた人間のみの権利。

 少年は言いたい事を飲み込んでお辞儀をして王に背を向けた。


「じゃあね、あいつによろしく。もう二度と会う事はないだろうけど、最後まで道化を演じて絶望して死んでください、バイバイって」

「それが最期に言う伝言だなんてね、貴方はイカれた人だった」

「もっとイカれた世界を最後まで見れないのは残念に思うよ」


 王は首に巻いていたチェック柄のストールを少年に掛けた。少年はそれを突き返す事はせず、肌に巻きつけて"次の世界"へ帰っていった。


 ――カタストロフは来たる。

 私達は母なる海に帰りましょう。


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