眠りは安らかなること
果報、そう呼ぶのがいいだろう。
この世界で異能は力を持った。
質がよければそれだけ強く、強力であればそれだけ有利に立てる。暴力が地位を得る無法の中で異能という力は自然と猛威を振るった。
内発的に広がる異能による支配、蛮行。
例えば彼の暴君、銀髪の支配者の異能は"別次元の月"(Another moon)。
二夜全土に効果領域を持ち、かつ夜の女王が目覚めている間は常に他者を脅かす事が出来る。これ程の能力が得られれば何の努力もせず玉座に鎮座するのも容易である。
他にも異能の種類は無限の数を持ち、それぞれ一人の人間に一つ変異という形で宿った。
それらが善報で捉える僥倖ならばよかったろう、しかし実際は人を殺し赤く染まった者達の罪の烙印。
この烙印に意味はあるのか?
人は烙印を消せた時罪も消せるのだろうか――。
カンナはそこでペンを置いた。月明かりのライトは薄暗く文字を見るには適さない、それでもカンナは月夜の下で執筆するのを好んだ。
ペンと本を離し隣に置くと腕が寂しくなり代わりに膝を抱く。膝小僧に顎を乗せながら二夜を見晴るかす。
「眠り誘うは風の止む時。罪終わるのは生命が等しく世界から消える時」
詩のように歌い上げられた思想。
誰も罪を贖う必要は無い、苦しんでまで烙印を消す必要はない。死ねば全て解決する。
「何にも難しい事なんてない」
膝に顔を埋める。口が弧を描き笑っていた。
「死ぬくらい簡単なんだよ」
また月夜を見上げる。月は当たり前に輝く。
だからこそ難しいんだ。単純明快な事柄が、不器用な人間は、生に執着する事が生まれつき決められている人間は、上手く出来ない。
不器用というならカンナもそうだ。異能の関与を受けないカンナでさえも目の前にある本一冊すら捨てられない。だからペンと本を拾い胸に抱く。
本は熱くなっている。紙と文字の摩擦熱、それは何かが行われる予兆。この熱がカンナは嫌いだった。
本はカンナに文字を書かれずとも自動で文字を刻む。
綴られた文字は
――今宵、月は一人を殺す。
***
「オウサマ、やっほー」
「やっほ〜」
俊足はオウサマの隠された無邪気さに語りかけるべく軽いノリで挨拶をした、案の定オウサマはナチュラルに同じノリで返事をした。
デスクに備え付けられた椅子にオウサマは寛いでいた。俊足が挨拶をしてもオウサマは椅子から腰を上げる様子はない、月光を浴びたまま倒された背もたれに気持ちを預けていた。
「眠いんですか? そんな顔をして」
「いいや、音を聞いているんです。眠いわけじゃないんですよ」
「そうなんですか。俺には月の子守唄を聞いている幼子に見えましたがね」
「それって私が子供っぽいってことですか?」
「そうですね、知らなかったですよ。やっほーっだなんて言ってはみましたが、あなたが素直に返すとはね」
「オウサマであるのは自分の違う側面だと思っているよ、本当の自分は自然な流れの中に自然と居る。自然な私を見つけられた君はもう唐突に出会っただけの他人ではないのかもね」
「恐縮ですよ」
俊足は頬を掻きながらオウサマに近寄った。距離を詰めるのは俊足と言われる足、今はゆっくりと歩みを進める。
「あんたは人から奪う時何を考えてる?」
答えを考え、一拍置いてから蒼白い唇が開く。
「何も。ただ弱きは奪われ強きは得る」
オウサマに手を伸ばせば届く距離まで詰めた俊足は一度強く瞳を閉じた。オウサマが俊足と目の高さを合わせるように椅子からデスクの上に座り替える。瞳と瞳が交わる、誘いかけるような蒼い瞳、それは危険な毒の香りになる。
俊足はオウサマに顔を寄せた。
「子供みたいに、眠ってしまってくださいよ」
オウサマの視界を自分で埋め、手に滑らせたナイフを死角から背に突き立てる。反動で倒れかかるオウサマをデスクに押し倒し、引き抜いていた背のナイフを心臓に突き刺す。
赤い血が飛び散る、もう一度トドメに心臓を刺す。
赤く濡れた銀の髪が綺麗で、俊足に生と死の美を感じさせる。
ただならぬ感覚がする、目の前の視覚からくるものではないと気付いた瞬間、俊足は心臓を鷲掴んだ。
「がはッ……!」
「心音が大きすぎるよ」
オウサマは俊足の目の前で起き上がる。俊足には何が起こったが解らなかった。殺した筈のオウサマが蘇り、自分が心臓を痛め地に伏せていた。
「なぜ、だ……ッ」
「殺したくて仕方なかった? 自分が消えてまでも僕を消したかった君は。心音までしっかり冷静にさせるべきだったよ、緊張が、憎しみが、君からは溢れていた」
完全に先読みされていた俊足は痛む心臓を押さえ涎を垂らす。初めからバレていた、内にある殺意もナイフによる攻撃も。ならば何故オウサマはナイフを躱さなかった、俊足を近づけた理由、胸から溢れる血はどう説明する。
俊足の疑問を補完するようにオウサマは告げる。
「刺されても痛いけど死にはしないんだ、これが僕の烙印」
オウサマは心臓に刺さったナイフを抜く。
「ッは……! 痛いよ、刺されたら、痛い」
引き抜いたナイフをデスクに突き立てる。赤い血が吹き出し続ける。
傷を塞いでいたナイフが抜かれた事により夥しい量の血液がオウサマから流れる。俊足の顔が青ざめる、痛みよりも目の前の赤に戦慄する。
これが王の、真の異能? ならば月とは一体何なのだ。
俊足は心臓の痛みが引いてきてもこれ以上王を傷つける事は出来なかった。
「君が選んだ道ならば、僕は引き止めないよ。今まで精一杯生きてくれて、ありがとう」
俊足は混乱する。オウサマは突如訳の分からない一人芝居を始める。どうやら俊足に対して別れを惜しんでいるようだが、俊足はさよならの一言も言っていない。オウサマだけが俊足との物語をひとりでに作り進めていく。
「また逢える日があればいいね」
「……っ」
いきなり俊足の足が力を込める。脳が指示していないのに勝手に歩き出す。自分の体なのに自由が利かない、立ち上がり、入り口の扉を開き部屋から出て行く。何か叫んでいたがオウサマは気にもとめなかった。
こうして月夜の凶手はあっさりと退場させられた。
「……やらなきゃいけない事をまだ成してないから、死ねないんだ」
オウサマは椅子に座り直し、始めと同じように窓から外を眺める。月が綺麗だ、二夜に住まう人々の何人かが今日も月を見上げているだろう。
真っ赤に染まった体は冷たくなり、椅子にはべったりと血が滴る。血の中に沈んだオウサマは沈まない月と瞳を交わした。
オウサマはやがて忘れる。俊足という男が存在していた事、恨みを持ち取り入って来た事、最後に別れた時。
月に影が重なる、それは重力に伴い下に落ちる。風を切り垂直に落下するのは城の最上階から飛び降りた人間。自殺者は地面に叩きつけられる直前、月とオウサマの間を通過する。
「僕は止めないよ、死ぬという事は幸せになるという事だから」
オウサマはこの音を忘れない。やがては忘れるとしても、ガラスが震えたあの音を今だけは忘れない。そして死者の顔を。
その目は見開かれていた、驚きと、憎しみ、王を恨んで、死にきれない呪いの表情を貼り付けていた。怨めしい、憎しい、何故飛び降りたのか解らない、許せない。
このような凄惨な形相を見て平然としていられる人間は人間ではない。
だからオウサマは微動だにしない、地面に叩きつけれ人が肉塊となっても。落ちる瞬間まで自分を呪い、窓越しに血の涙が見えていたとしても。
「眠りは等しく、人に幸せを与えるものだから。君は自殺という形で幸せになったんだよね」
オウサマはそのまま瞳を閉じた。
心理は錯覚を続けた。
***
俺はやってねーから!
朝からナギの声が響き渡る。ルナはそれでもナギを問い詰める。
「あなたがオウサマを刺したのですよね!? ナイフで! ナイフだったんだから絶対あなたですよね!?」
凶器がナイフだったというだけで全てがナギの犯罪になりそうな主張を騒ぎ立てながらルナは詰め寄った。
「ウルワがお腹を痛めたのもあなたのせいなんですよね!?」
「それはお前が変なもん食わせたからだろ! そっちまでどさくさに紛れて責任転嫁すんな」
「酷いです、あれは私の作ったお菓子なんです!」
「暗黒物体食わせやがって。見えないからって何でもしていいと思うなよ」
「ぐっ」
「オウサマが刺されたのはオウサマが悪いだけで俺がやったんじゃない、お前がオウサマを慕ってて、刺した奴が許せないってのは解るが」
「違います」
「なに?」
てっきりそうだと思っていたナギは思わず訝しんだ。
「じゃあ」
「血のついた服を綺麗に落ちるまで洗濯しろと言われた私は断固、犯人を追求せねばなりません! 立派な犯罪です、陰謀です!」
「んなことかよ」
ナギは心底呆れ返った。
オウサマと約束した日は近い。互いの意見を尊重し、穏便に(ともならなかったかもしれないが)話し合った結果ナギはオウサマに協力する事にした、オウサマは代わりにウルワとアガミを連れてミズガレの家に帰る事を許可した。
結局オウサマは観賞用として白い髪の二人を手元に置きたかったわけではなく、自らの野望の為に華矜院との繋がりを期待していただけのようだ。華矜院がオウサマにとって何なのかは知らない。知る必要はない。
そのオウサマは胸を刺されて部屋に篭もり、約束の時間は先延ばしにされた。早く帰りたかったのに、誰がオウサマを刺したかは知らないが余計な事をしてくれる。いや、いっそオウサマが死んでくれれば晴れて開放されたわけか。
どちらにも転ばなかった事を悔やみながらナギは洗濯を手伝えとわめくルナを放置し歩きだした。城の中は自由に散策してよいと言われていた。
ナギが歩くとふわふわと後ろ髪が風に乗る、随分長くなってきた、その髪をある人物が触った。後ろ髪を引っ張られた感触にナギは振り返る。女が立っていた、あの日赤いルージュを挿し中央で略奪を行っていた豊満な胸の女だった。
「あなたまだ若いのに此処にいるのね」
いきなり嫌味を言われたナギは反撃する。
「ケバいおばさんこそ果たして何を仕出かしたのかな」
「私は被害者よ、男に辱められた。だから身を守る為に男を殺したってのに消えるのは被害者の私、理不尽だわ」
女は過去を話す。過剰防衛で二夜に落ちてしまったその理由にナギは同情する。
「あなたは誰を殺したの? 女の子?」
「あんたの経験だけで語るな。どうでもいい事だ、じゃあな」
「はぐらかすって事は後ろめたいのね」
「ちげーよ、俺は後悔していない」
「反省はしてるのね?」
ふふっと笑った女が癪に障る。何も知らないくせに。
苛立つ原因の女が更に体を寄せて腕に絡みついてくる、ナギは女を突き飛ばした。
女はふらつき床に尻をつく、いったーいと声を上げる。すると女の声を聞きつけたガタイの良い男が尖い剣幕でナギに怒声を浴びせてかかる。
どこから出てきたのか、この男にも見覚えがある。中央で女と共に略奪を行なっていたリーダー格だ。いかつい見た目、性格の悪そうな細い目、頭は刈り上げで中身はなさそう。こいつはいかにも犯罪を愛していそうだと偏見であるが抱いた。関わらないが吉。
ナギは無視して背中を向けた、もちろん刈り上げ(ナギが名付けた)は許すはずもない。自分の女にちょっかいを出したと難癖つけてナギに掴みかかった。
「シカトで済まそうとしてんなや、落とし前つけろ」
「何を、どうやって? そいつに謝ればいいの? ごめんだね」
舌を出すナギ。
「ってえ!」
刈り上げは突如後頭部を抑える。手のひらを見れば血が少しだけ付着していた。
「なにしやがった! 異能か!?」
「勝手にぱっくりいったんじゃねぇの。で、中身ちゃんとあった? 」
後半、ナギは刈り上げの背後に居た女に会話を振る。にやっと笑った少年の性格の良さに、女は思わず好感を抱いてしまった。そこで刈り上げは完全にキレた。
「ぶっ潰してやる、手足もいで、目ん玉ほじくり返してやる!」
「次はどこが開くかわかんないぜ? もしかしたら社会の窓が開いて短小なもんが飛び出すかも」
「ッ! 死ねや!」
刈り上げは右の拳をナギの顔面目掛けて繰り出す。ナギはしゃがんでそれを躱し、下段から刈り上げの股間付近を蹴った。
完全に馬鹿にされている、刈り上げは腸を煮えくり返しナギを踏み潰そうとした。太く筋肉のついた足はしかし床を蹴るだけ。
何もかもがとろすぎた。アガミはもっと素早い、そしてしなやかで頭もいい。二人でした稽古が体に刻まれている、友とした訓練が役に立っている。ナギは刈り上げの事など忘れてアガミとの思い出を浮かべて笑う。あいつならここでこうする、あいつならもっとこうする。刈り上げの攻撃を避けるたび嬉しくなってくる。
あいつは強かった、親友だった、最高の、今でも何よりも。
「そろそろ終わりにしようぜ。俺、あんまり体力ないから」
「っ、らぁぁぁ!」
「いいよ、これで最後にしよう」
刈り上げは突進する。力しかない自分はならば力で全てをねじ伏せるのが似合っている。細い小僧っ子一人圧し折ってやる。
ナギは突進してくる刈り上げの両腕から逃れる、抱き潰されたら終わりだ、なんとしても攻撃は避けきらねばならない。ナイフを手に滑らせる、シワになったブラウスの代償は払ってもらう。切る場所は決めていた、人殺しになるつもりも血を浴びるつもりもない。
一点に狙いを定めたナギは刈り上げの抱き込みを躱す、刈り上げはナギの逃げていく髪を掴む事すら出来ない。白い髪はふわりと広がり、刈り上げに一瞬天使の羽を彷彿とさせる。
見惚れてしまった、掴めない天使の羽に。
動けなかった、白は視界から消え背後に現れる。ナイフが入れられる。
ガシャ。ベルトが落ちた。ズボンが垂れ下がる。
刈り上げははっとして下半身を見下ろす。パンツ一枚の自分が間抜けに晒されていた。
女は思わず笑い飛ばした。ナギがバイバイと立ち去ってから、女は刈り上げのズボンを上げてやった。
「凄い少年だったね、あなた相手に胆斗の如しだよ」
「……」
「どうしたの? まだ気が立ってる? しゃーない、今夜は私が癒やしてあげるからもう」
「あ、あ」
女はやっと異変に気がつく。刈り上げは上擦った声を漏らし喉を枯らしていた。
「何があったの」
尋常ではない刈り上げの反応。刈り上げはやっと喉から息を吐き出せ言葉を話せるようになった。
「体から、五感が、なくなったような、嫌な感覚がした。やばい、あいつはやばい」
女は直ぐ様ナギの去って行った方向に視線をやる。得体の知れない何かが、そこにあったような気がして体が震え上がった。
***
オウサマに協力する、代わりにミズガレの元にウルワとアガミと帰ってもいい。そう約束を交換した日、ナギの中から記憶がなくなった。
オウサマは何を協力させるのか知らせぬままナギを月夜の下に呼び出す。月がオウサマの異能と聞いてからナギは何となく月光の元に立っているだけで縛られているような錯覚がするようになった。
記憶がなくなったと言うのはまさにその夜の事だった。オウサマに何をされたのかナギは思い出せなくなっていた。他に支障はない、その夜の事だけが思い出せなくなっていた。さしたる問題がないといえばその通り。
ナギが記憶を飛ばした分オウサマは上機嫌であった。おそらくナギとの邂逅で期待していた最高の結果が得られたからだろう。ナギが繰り返しオウサマを問い詰めてもなくなった記憶の一部分は永遠に知らされる事はなかった。
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