友がいるから大丈夫
「あれー、予想以上にボロいな」それがアガミの自宅に上がり込んで最初にナギが述べた感想だった。
「ナギぐん? ふふ」
人の家に招かれてそれはないだろうとアガミは引きつった笑みに拳を握る。
「木造の平屋ねー、まぁ一人で住むには構わないか」
ギィィィと床を踏む度軋みを上げる。踏み抜いてしまうのではないかとウルワは怯えてナギの背中に貼り付いた。
「ナギくんは育ちがいいのかねぇ~、きっと貧乏とは縁遠いのだろうねぇ~」
「べっつに、普通の家に住んでたし」
「じゃあ解るだろ? マイッホームはどんな高級ホテルよりも尊いのだよ!」
「ふーん、でもボロ家には変わりねぇし」
「がくっ」
アガミがふらふらと壁に寄りかかると、壁の中は空洞になっているような音がした。やはりボロ家だとナギは実感した。
「水、飲む?」
「いいや、でも」
ウルワにはあげて――そういい終えてないのにアガミは水を一杯汲んでテーブルに置いた。最初からウルワに"だけ"は水を出すつもりだったんだなと顰蹙するが、それでよかったのだから結果オーライになってしまい口には出さなかった。
水は大切なもの。喉が乾いていても我慢する。我慢出来ないような者が、奪うだけの国で暴力という我が儘を振りかざす。
「節約して生きていけばまだまだ持つんだけどなぁ」
「一人一人の意識でしか成り立ってないんだろ、節約ってのは」
「うん。王様とかが現れてさぁ、水や食糧を節約して、みんな手を取って慎ましく生きて行きましょう。とか言ってくれないかな」
「言ったって聞かねぇ奴は聞かねぇだろ。それこそ神様が現れて心を豊かにしてくれないと」
「てかぁ、神様が居るなら水と食糧をくださーい! ってお願いする」
「そっか、アガミさん頭いいね」
「あ、ウルワちゃんに誉められた!?」
「馬鹿か、ウルワはお前を誉めるふりして貶してんだよ」
「え~」
「ち、違います……、ホントに神様が来てくれたらそうお願いするのがいいなって」
「ほら見ろ、ウルワちゃんこそ天使なんだ」
「へいへい」
ウルワは天使……か。
ナギの元に始めアガミが汲んだ水が差し出される。ウルワが残した水を、喋って喉が乾いたであろうナギとアガミに差し出す。気の利く娘、優しい娘。
何故ウルワはこの世界に居るのだろう。
生ぬるい水を喉に染み込ませながら、ナギは考えた。
***
金を見たのは久し振りだった。
「これとこれと! これ!」
3人は中央を見学する為に買い物に出た。
アガミは中央では結構名が知られているのか、行く先々で声を掛けられ時には微笑まれた。と言ってもアガミに気のある若い女性、ではなく、中年層のおばさま達だ。二夜には若者より大人の方が多かった。10才以下の子供等はまずいない。
18才であるナギすら二夜では珍しかった。若いのに人を殺したのかと冷たい目線が刺さっても、ナギは動じず買い物に付き合った。
結局は、俺もお前も人殺し。それだけだ。
「オレっちは中央の人の安全を守る警備の組織に入っているんだよ。奪うだけの国の奴等と戦うの」
「戦争に荷担してるのか」
「違う違う、戦争ってか争いはもっと国境の辺でやってる。オレっちが守るのは街の人の安全さ」
「奪うだけの国の奴等が来たら追い払うってわけか」
「うーん、追い払う事はしない……。あくまで人命を犯そうとする奴にだけ鉄槌をだな」
「みすみす水や食糧を渡してるのか中央は。渡さないとひどい目に合うからか」
「まぁ……そういうこと」
アガミが言葉を濁したのは痛い部分をつかれたからだ。
奪うだけの国の言いなり、情けない。そんな風に伝わった、ナギの言葉は。
「来やがった!」
警鐘は唐突にやってくる。
怒号にもとれる男の叫びが街に響くと、道行く人も買い物客も散り散りになって民家に逃げ込んだ。残されたのは怯えきった店の店員の憔悴した顔だけ。
アガミも状況に対応出来ないナギとウルワを引っ張り物陰に隠れた。
「奪うだけの国のやつ、来た」
緊迫した空気にウルワが体を強張らせる。大丈夫、静かにしていれば何もされない、アガミはウルワの頭を撫でた。
中央の人々はこうして災厄が去るまで屋内に立て籠る。店の主人を犠牲にし、店の商品や食糧が盗られても無視を決め込む。
奪うだけの国の人間はこちらが下手に出れば図に乗り、好き放題蛮行を行う。体躯の良い男、筋肉のついた男、がらの悪そうな女。傲慢な国の性悪な人間が貧しい店の中を蹂躙していく、出てきた時には大きく膨らんだ袋を担いでいた。
「ひでぇ奴等だ」
「仕方ないんだ、あいつらは強い」
「こっからナイフ投げたらやれる?」
「止めろ」
いつになく真剣な制止にナギはそれ以上の愚案は引っ込めた。
「次は水だねぇ」
華美を装った賎しい女が袋を抱えた体躯の良い男に寄り掛かる。豊満な体を強調するように体を締め付ける黒い服を着て、豪奢な金髪にルージュを赤くさしている。ナギにはこの女がいくら美貌と艶かしい肉体を持っていようと異性として惹かれる事はまずないと思った。こんな下品な女より絶対にウルワがいい。
女に寄り掛かられた体躯の良い男は女の肉感に気を良くし、奪ったものを猫車に乗せると筋肉のついた男に手押しさせ国へと運ばせる。自身はこれから女と共に水を奪いに行くのだろう。
アガミは一連のやり取りを拳を握り締める事でなんとか見過ごし、女と男が水源に向かったのも知らぬふりで我慢するしかなかった。
「アガミ、そんなにあいつら強いのか? 街の奴みんなでかかれば」
「死にたくないだろ――」
怒りを含んだ、静寂から沸き出る水のようにそれは響き渡った。攻撃性を持った声は本当にあのアガミから出たものなのだろうか。
恐れを感じたナギは瞬時に口を閉じた。
「みんな死にたくない、だから他人の事は見ないふりをする。明日はわが身だとしても、今はその時じゃない。怖いという感情を、オレは責められない、強制も出来ない。オレはな、自分が情けないよ」
街を警備すると正義を主張しても所詮はこのザマだ。
「アガミは見過ごす事で被害を抑えているんだろ、それも責められる事じゃない」
「ナギ、弱さは賢さなんだろうか。いっそ国境の奴等みたいに戦って潔く散った方が」
「それこそ身を誤ってるっての。アガミが尊厳を抱いて死ぬことがご立派だと考えるなら、それもいいけどさぁ」
「……嫌だ、俺は……尊厳の為に死ぬなんて、そんなのはしたくない」
昔みたいになりたくない――誇りと血を守る為に命を踏みにじるなんて。
……ああ、思い出してしまったじゃないか。
「ナギといると、心が痛い、どんどんオレの弱いとこ突いてくるんだもん」
「別にわざとじゃないし、謝るつもりもないからな」
「はは、ナギ様らしいわ」
アガミはそこで決意した。ナギになら何でも話せる気がする、だから今度、自分の過ちと抱えた苦しみを聞いてほしいと。悩みを打ち明けるられるのも、俺達が友達である証だよね――。
***
「ユウラ、ちょっと情報を集めてほしいんだけど、というかあの二人が何処に住んでるか探ってきて」
「いいけど」
奪うだけの国のオウサマ。彼は気紛れで我が儘で自分勝手。
見初めたものは相手の事情などお構い無しに無理矢理物にするし、欲しいものがあれば――高価なものなら盗み取り、希少なものなら奴隷を使い死ぬまで探させる。
美しいもの、珍しいもの、自分にとって価値のあるもの、使えるもの。人も物と同じ、欲しければ手にいれる。
オウサマが次に狙うのは白い子供たち。
奪われるだけの国に気紛れで遊びに来てみれば、中央と呼ばれている場所で見付けた二つの白い綺麗な玉。
「取ってこれたらそうしてほしいけど、キズものにされたら悲しいしなぁ」
「僕一人では生け捕りは難しいからね、抵抗するならそれなりに傷付けてしまうだろうし」
「後日みんなで向かえにいくとして、おうちが解らなきゃ意味がないから。ユウラ、任せたよ」
「……」
ユウラと呼ばれた少女は艶のある長い黒髪をサイドで結い上げ、白のイヤーマフを耳にあて、ピンクのスカートに紺碧のカーディガンを羽織っていた。オレンジ色の瞳が面倒臭そうに落とされた瞼に収まる。
オウサマは先程運ばれてきた盗品を品定めしている。ユウラは何も言わずオウサマの前から姿を消した。
(面倒臭いけど、僕の目的も同時に果たせるし。まぁいいや)
ユウラは人を捜していた。国内にはもういない、きっと。だから国外に、奪われるだけの国にきっとあの人は居る。
そう確信して止まなかった。
***
ユウラという女と出会ったのは偶然の事だった。
三人は無事帰宅し、買ってきたものを部屋に置いた。ナギだけはウルワをアガミに任せ(もちろんアガミに念をおしてある)中央をもう一度周りたくて外に出た。なんとなくそうしたかった。
ユウラと言う女と出会ったのは小高い丘のベンチの側だった。波打つ草原が眼下に広がり、夕焼けが最も美しく見える場所。風が肌に冷たいが、絶景を前にすれば些細な事であった。
人殺しにありながら未だ世界を生きている事実、罪悪感や呵責に飲まれそうになる日もある、笑っているのは表面上だけで、ホントは人殺しである自分が許せない、生きていてはいけない気にさせる。
人に刃を突き立てた時点で社会からナギははみ出したのだ。裁きをうけず、のんびり友達と談笑しているのが時たま酷く苦しくなる。
息を詰まらせないよう、ナギは夕日に自身を晒した。ユウラはその時ベンチに隣り合わせ、ユウラからナギに声を掛けてきた。
「こんにちは」
当たり障りのない挨拶から始めれば誰も怪しまない。結んだ髪を風に揺らしながらユウラは夕日に頬を染め目的を遂行する。
「なに」
「人を探してるのだけど、知らない? マナコっていう赤い髪の男の子」
「知らないな、ガキなの?」
「僕より歳上だよ、もう成人。ね、知らない?」
ユウラは自然体のまま手を後ろに組み、上目遣いになるように腰を曲げ答えを待つ。ステップし出しそうな軽やかな足下はブーツを小突き休む暇はない。愛らしい仕草、腕に収まるサイズの華奢な体、こんな世界にいなければ男が放っておかないだろう。
ユウラ、彼女はとても可憐で可愛らしい女の子だった。
忙しなく土を踏む足の、ユウラのブーツを見ながらナギは考える。マナコと言う男は知らない、赤い髪と言われれば真っ先にあのお調子者が答えに浮かぶが、彼はアガミでマナコではない。つまるところユウラの探している人物に心当たりはないと言う事だ。
「悪いが知らないな」
ナギが告げるとユウラはそっかぁと気を落とし、ナギに背を向けまたブーツをコツン鳴らした。
「名前教えてよ」
「ナギ」
「いい名前だね、僕はユウラ。ナギは中央に住んでるの?」
「ここに居るんだからここに住んでんだよ、と言いたいが違うんだよ、俺は二夜の一番端から来た」
「端? 生を諦めた場所の人?」
「そんな風に言われてんの?」
「水も食糧もない場所に住んでる、心の死んだ死人だって、言われてる」
「……思い当たる節があるから否定は出来ないな」
「ナギは死にたいの? 死を望むの?」
「いきなりだな。俺は別に死にたくない、ただ、生きようとも思えない。それでも今こうやって生きてるけどさ」
「好きな人が居るから?」
「まぁ、そうかも」
「なら尚更死にたくないんじゃないの? 好きな人を置いて死ぬなんて……僕は許さないよ」
ユウラのオレンジ色の瞳が一瞬赤くなった。夕日のせいだ。
「ユウラ? お前は変な奴だ。俺にお前の思いをぶつけたってなんにもならない。俺とお前はただの一瞬、こうして話をする間柄に過ぎないんだからな。マナコってのが彼氏なら、頑張って探せよ」
「うん、ありがとう、頑張るね」
ユウラは赤い夕日にマナコを見る。彼はきっと僕に出会う、だって彼は僕の……
「おー、ナギ様のお帰りだ~」
散歩から帰ると真っ先にアガミの声が響く。玄関に出迎えにはこず、居間に座ったまま口走っているようだ。
(ウルワになんかしてねぇだろうな)
ブーツを脱いで揃えて隅に置く。もしアガミがウルワの近くに、そうだな、半径1メートル以内に座っていたら一発お見舞いしてやろう。拳を握りながら居間に入ると、意外にもアガミはウルワから離れた台所に立ち、夕飯の支度をしていた。
「意外なんだけどー」
座布団の上にどかっと腰を下ろし思った事を口にする。ウルワが小さな声でおかえりと言ってくれたので返事をした。
「意外ってなにが? まさかこれ?」
「ご飯作るんだなって、アガミのくせに」
「いやね、オレだって料理くらいするよ? 男の一人暮らしだからって買って来たもので我慢したりしないのオレは。栄養バランスちゃんと考えてるのよ」
ナギとしてはアガミに感心したくはないが、素直に偉いなと思ったので茶化すのは止めておいた、のだが。
「アガミさん、もてたいから料理勉強してたんだって」
ウルワのひそひそ話でアガミに対する尊敬は脆くも崩れ去った。
夕飯は楽しく頂いた。友達と食べる食事は幸せの時間で、くだらない事で笑って、見た目の不出来さをからかい、それでもくちゃっとした料理はいつもより美味しくて。出来れば、これからの未来……何度もこういう時間を過ごしていきたい。
死にたくない――。
一巡に帰りたいと言うのは都合が良すぎるのだろうか。人殺しが平穏を望むのは許されない事なのだろうか。
殺された者の遺族が許す筈が無い、許せる筈が無い。
人殺しは地獄で飢えて死ねばいいのだ。
二夜は地獄の最寄りなのだ。
ナギにとって中央で迎える初めての夜がやってくる。ここも二夜の端と同じく夜になると大地がガラス張りになり、その中にはいっぱいの水と月が浮かぶ。どれだけ残酷で無情な景色でも美しいから、だからガラスの中の月を眺めている者は未だに多い。
みな何を考えてそれを見ているのだろうか。後悔、不安、懺悔。悲しい気持ちにさせるのは間違いない。ナギも、このガラスの大地を覗いていると感慨深くなり胸が重くなる。
月は恐ろしい、その魔力をもって人殺しを浄化しようとしてくる。
「ユウラって子について聞かせてよ」
「あ、ああ」
月を見下ろし中々話を切り出さないナギを催促するように、隣のアガミが言葉を投げる。
ナギは回想する。
先ほど、夕食の準備をしているアガミにユウラという少女に会った事を伝えた。ナイフを持ち出し鼻歌を歌う気分で食材を切りながら二人は話をした。
ユウラ――、名前を出した途端にアガミは眉をひそめ手を止める。表情を見られまいと鍋の中に目を落とす姿は、確実に何か隠している証だ。
「なんかあるなら聞かしてよ、別に吐き出すだけでもいいし」
「ナギくんってさ、たまに優しいよね」
「いやいや、毎日優しいから」
「はは、うそだぁ」
鍋から視線を上げたアガミが静かに零した言葉をナギは拾う。
「月が出たら、ユウラという少女の話を聞いてほしい――」
夜の二夜は昼間よりも遥かに美しい。二つの夜の美しさに飲まれないよう、外気の寒さに震える手を擦り自分の存在を確かめる。
「ユウラって、どんな子だった?」
アガミの声のトーンは低く、いつもの調子は感じられない。ユウラについては聞きたくない、けれど聞かなければならないという責任のようなものを感じる。
「あのさ、聞きたくないなら言わないけど」
「いいや、教えて」
この静かな夜なら耐えられる。それにアガミには友がいる、だから大丈夫。
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