再び赤に染まるなら
お話の中で、こういう場合は決まって屈強そうな筋肉質の男達が絡んでくるものだが、二夜では違った。男達には男達だったのだが、筋肉は衰え、ボロボロに着古した布切れを申し訳程度に纏った貧者達であった。その貧者二人組は農具を手にナギ達の前に姿を表す。とても清潔とは言えない醜悪な者達だった。
「おい、着てるもんよこせ」
単刀直入、二夜において存在する者はほぼ殺人者と見ていい、殺人者でないのは殺人者同士の間に生まれた哀れな子供だけ。二夜では犯罪は取り締まられるものではなく跋扈するもの。故に、隠す必要も勿体ぶる素振りもなく二人組は暴力の片鱗を覗かせた。
二人組は農具を手前にナギ達を脅す。
「服を寄越せって、変態か。まさかあんたらが着るんじゃないだろ?」
ナギが眉を顰めウルワを背中に隠す。
「ボウズは黙ってろ、さっさとよこせ」
ナギの(本人にその気はないが)煽るような態度に男達はゆさぶられない。この世界では生きる事こそ一番。だからプライドはいらない、金になるものを奪い、売り、生きていくのが賢さだ。
臭いが目に見えるのではないかという程汚い男がナギに近付く。ナギの前にはアガミが居たので男はアガミの前で一時止まった。
「お前より後ろの奴等だ、こんな場所に居んのに小綺麗な服きやがって……。そうだ」
男は何か考えついた。隣の仲間にその思い付きを話す。
「後ろの二人、ずいぶんと綺麗じゃないか、こりゃ持ってけば受け入れて貰えるかもしれねぇ」
「どこへ?」
「あっち」
勝手に話を進める男達。ナギはこの隙に男達を撒いてやろうかとも思ったが、アガミはやる気まんまんだと戦闘体勢に入っている(ようにナギからは見えた)
「あっちって奪うだけの国?」
アガミが聞く。
「ああ、あっちのオウサマは好きなもん手元に置いて可愛がっているんだと、贅沢なもんだぜ」
「なるほど、そのオウサマに二人を手土産に取り合おうってわけか。だがお前らごときがオウサマに会えるかな」
「わかんねーだろそんなこと。あっち行かなきゃもう生きていけねーんだよ、こっちはもう、終わりだ」
「水もねぇ、食いもんもねぇ、おまけに有るものは奪うだけの国に奪われていく」
「こっちに居たら死んじまう、だから向こうに行きたいんだ。とにかく服に食いもんよこせ!」
いつの間にか食いものが追加されていやがる。
ナギは服の下に隠してあった調理用ナイフを指に滑らせた。いよいよ状況が動こうとしている。
「オラァ! よこさねぇんなら無理矢理剥いでやる」
「おっと」
一人の男が振り上げた鍬をアガミが躱す。それを機にもう一人の男が鎌を手に走り出した。
(異能は、なさそうだな)
アガミの視線が動く、洞察力は二人組を注意深く解析する。二人組は威勢よく振る舞っているがよくよく観察すれば農具に頼りきっている面が見える。つまり手にする農具だけが彼等の頼れる武器なのだ。
異能――それは特殊能力。
人を殺すと不思議な力が身に付く事がある。
一巡から二夜に来た者の中に奇妙な力を有した人物が生まれる事はよく知られていた。理屈は解らないが、それは人を殺した罪過によって得た呪いの烙印と言われている。その烙印は人にあらざる力を所有者にもたらす代わりに罪を曝し続けていけと運命付ける。
アガミは相手を甘く見た。不思議な力を授かっていないなら恐れる事はない。自らの能力を手際よく使えばこんな奴等どうでもなる。
アガミだからこその、賢さ故の油断。
***
ミズガレは隣人である老婆の家に上がっていた。
老齢の体を労るように、食事の準備や掃除等をこうして頻繁に手伝っている。
「ありがとう、いつも優しいのね」
「お互い様です、いつもウルワを見てくれてありがとうございます。女同士でしかわからない事もあるから、助かってるんですよ」
「よかったわ……。ウルワちゃんはいい娘だから、私も可愛くって」
「ウルワが世話になってるからと、それだけじゃなくて、私は貴女の為なら何でもしますよ」
若いのに老婆の生活まで親身に考えてくれる。どこまでも優しいミズガレ。美し過ぎる程高潔なその精神は、反して恐ろしい程潔く歪んでいるようにも思えてしまう。
人は死にある大地でこんなにも優しくあれるのだろうか。
「ユキノさん、お皿洗ってきますね」
「はい、なら私も行きます。畑を見ないと」
「じゃあ私も畑の手伝いをしますよ」
ミズガレは老婆――ユキノの食器をユキノより先に手に持ち、ユキノが通りやすいように紳士的に扉を開けて待つ。ユキノは遠慮がちにミズガレの隣を通り過ぎた。
ミズガレやユキノは食器を水ではなく砂で洗う。乾いた砂を食器の中に擦り付ければ取り合えず汚れは落ち、また使う事が出来る。
紳士の格好をしたミズガレが土の上にしゃがみ、砂で皿洗いをしているというのは随分滑稽な様だ。だが実際ミズガレが美しく見えるのは衣装だけであって、こうして生活はみすぼらしいだけのものだ。
「あ」
ミズガレは何かを手で捕まえる。
「まぁ」
「昼食捕まえました」
ミズガレが笑いながら見せたのは、虫だった。
***
特殊能力を開花させた者は命を長らえさせる事が出来る。
――オウサマは異能を手元揃え、グンタイを作り玉座に鎮座しているから。
異能は生きる為の力。
生きる為のその力は、人を殺したという烙印。
――彼らは、犯罪者という名の晒し者。
アガミはまず鎌を持った方の男から相手にする事にした。単純に鎌の方が傷を貰いやすそうに見えたからだ。
「ほっ!」
アガミは繰り出される鎌の引っ掻きを躱し、すかさず背後から蹴りを入れる。鎌の男は顔面から音を立てて倒れたが、直ぐに鍬の男が鍬をアガミに向けて降り降ろしてきた。
鍬の一撃もひらりと避ける。
運動神経、機敏さ、度胸。一般人では太刀打ち出来ぬ技を持ってアガミは男達を成敗する。へらへらした普段のアガミからは想像も出来ないような戦闘姿。真剣な瞳は何か胸に抱く志に向かって一途で、熱を帯びているようだった。
鍬を避けた後は鎌の男と同じく背後から蹴りを入れる。強撃に咳き込みながらも鍬の男は踏ん張り、再びアガミに襲い掛かってきた。
アガミは同じ攻撃が利くものかと余裕を見せる。油断大敵という言葉があるように、まさにその油断は命取りになる。
「こんのっ!」
男はまたしても鍬を振り上げた――ようなフリをしてなんと木の柄を槍のように素早くアガミの腹に突き出す。アガミは呆気にとられ木の柄の一突きを腹に食らった。
チャンス!
男は今度こそ鍬を振り上げた。
が……
ドドドッ――
ナイフが三本木の柄に刺さり男から鍬を弾き飛ばした。
「油断大敵って知らねぇの?」
「うっさい」
ナギの指摘にアガミが素早く口を挟む。ナイフを投擲したのはナギで、アガミはそのナイフによって助かったのだ。後は一連の流れに添って鍬を無くした男をアガミが蹴り飛ばす。
こうして二人組はアガミとナギによって武器を募集された。
「殺そっか」
たった一言、ナギのその言葉にアガミは酷く驚いた。
「え?」
「だって殺さないとまた襲ってくるから」
二人組を見下ろすナギの目はくすんでいた。アガミは知らなかった、こんなナギを。ナギという友達はもっと穏便なものだと思っていた。殺す等と口にしないものと思っていた。
「なにも殺さなくたってさぁ?」
冗談なんだろ? と調子を取り戻しにおどけて見せる。
「じゃあ誰が裁くの? 処罰するの? 放っておいたらまた襲いに来る、殺さないと襲われて殺される。殺されるんだ……大切なものが、なくなる、赤になる」
ナギはナイフを構えた。
「殺したくはないけど、殺そっか」
言葉は矛盾していたが根底は間違ってはいなかった。
いつかのナイフに映っていた虚無の瞳、今のナギとその瞳は鏡のようにそっくり。
「だ、駄目だって。……そうだ手か足かだけ切っとけば」
アガミはナギを止めようとするが男達からしてみれば手足が切断されるのも死活問題である。
「も、もうやらねぇから……許してくれ」
たまらず一人が謝罪を始める。するともう一人も同じように平謝りをし始めた。それでもナギはナイフを仕舞わない。平行線が続こうとする中、一人の少女がナギの腕に抱き付いた。
「もういい、この人達を逃がしてあげて」
「でも」
「いいの、ナギ……」
ぎゅっとナギの腕に抱き付くウルワはナギがナイフを振るえないよう身を持って止めているようだった。アガミは二人のやり取りを見守る。
「……んじゃ、もういいよ、シッシ」
ウルワという天使に救われた二人組は、ナギに追い払われるとそそくさと退散していった。
「殺しておかないとダメなのに……」
ナギの見詰める先には、もう男達は居なかった。
ナギ達は昼過ぎにはミズガレの家に帰宅した。ミズガレは既に昼ご飯を作って三人の帰りを待っていた。
「相変わらず手際がいーですねー」
「当然の事だよ」
「昔っからこうなんです?」
「そうだね、昔から何でも一人で、叱られる前にこなしていたね」
「ミズガレさん家って厳しかったんですか?」
「いいや……」
途切れる言葉。ミズガレが吃ったのを察知したアガミは少し間をおいてから自然と話題を変えた。
「そいやナギくん~、一回中央に来てみない?」
「なんで」
「理由はないし、ただオレっちだけが遊びに来てるんじゃ友達っぽくないからさー、ナギくんもオレの家に来てよ」
「まぁいいけど。でも俺金ないからな、旅費とか食事代は何とかしろよ」
「うんダイジョウブ。旅費なんてのはナギくんの足だし、食事もしなきゃいいしねぇ、はっは」
「お前ホントに友達とか思ってる?」
アガミはてへっと舌を出した。
「ミズガレさんと、ウルワちゃん! も、来ませんか?」
「ん? なんで俺とウルワの名前の呼び方にテンションの差があるのかな?」
「えぇ!? そりゃぁオレとしてはウルワちゃんの方に是非来てほしいから」
「やれやれ、お父さんはウルワちゃんを下心丸見えな男の家には行かせられないよ」
ミズガレはアガミに黒い笑いを見せる。その黒い微笑みすら麗しいと感じてしまう。
「っ……ナギくん! お兄さんからお父さんを説得して!」
「俺を勝手にお兄さんポジションにすんな。なぁウルワ、お前はアガミの家に行きたい?」
「あのね……中央には行きたいけど、アガミさんの家は……ごめんね」
「う、うわぁー!」
「うるせぇよ」
ナギは耳を塞いだ。
夜。騒がしいアガミが寝静まるとナギはようやく睡眠を取る事が出来た。
(なんで俺の部屋で寝るとか言い出すかな……)
アガミは寝入る前にナギの部屋に上がり込み、自慢話を抱え颯爽と寝床を作った。ナギはカバーが破れ中身が露出し、それをシーツで隠した自分のベッドに転がり、アガミは居間にあったクッションや座布団で器用にも仮設の寝床を作り終えそこに横になった。
それからアガミは中央での出来事や流行りの歌にファッションをナギに語り出す。口が達者な分放っておけば自分の話へと話題は移行し、静かな夜を乱すままにべらべらべらべらと喋り続けた。
もう解ったから寝ろ! とナギがどついてやったら、ようやくアガミは静かになった。眠ったか意識を飛ばしたかは置いといて。
「こいつがいるから……今日は会えないかな」
ナギは仰向けになると腕を頭の後ろに敷き、天井に天使の姿を思い描いた。天使――銀髪のあの人の事、想い目を閉じる。そのまま知らぬうちに眠りについていた。
ミズガレとウルワは家の外に居た。少し段になった所に二人して腰掛けている。横に並んでいるのではなく、ミズガレがウルワを膝の間に抱き抱えるようにしてガラスの大地を眺めていた。
「このガラスの下には一面水があるんだよ、俺達は水の上に立ってるんだ。でね、水の中には黄色い月が浮かんでるんだ。……まるで水槽の中に月が入っているみたい」
「うん」
ウルワは目を覆っていた包帯を解いた。
「綺麗だね。地平線を挟んで上下におんなじ夜が見える」
「二夜だね」
「うん」
ミズガレはウルワの手に自分の指を絡ませる。
「このガラスが割れれば水が手に入るのに、誰が何をしても割れないんだ。それこそ異能の力でも。水がこんなに傍に見えてるのに手に入らない、死んで行く私たちを嘲笑っているようだ」
はは、と乾いた笑いが零れる。
「ミズガレは……生きたい?」
「いいや、死んでも構わないよ。余命幾何かは解らないけれど、生きている限り生きて、死が大地を覆った時、俺も共に」
「死ぬ事は幸せなの?」
「そう、死は苦しみを消してくれるから」
「生きる事は拷問なの?」
「拷問って程じゃないよ、でもさ……現実は、死を私達に運んで来てる。水がなくなり、食糧が尽き、順番に死んでいくのさ。ウルワも、私も」
「聞いていい……? 誰かを犠牲にすれば生きられるとして、ミズガレは、生きたい?」
「奪う国に逃げるってこと? 私は、俺は誰かの死の上に立ってまで生きたくはないよ。覚えておいて、ウルワ」
「はい――」
***
アガミと共にナギとウルワが中央へ出発したのは直ぐの事だった。
ナギはウルワの手を握りながら肩から下がった鞄を掛け直す。中には服や食糧が少し入っている、もちろんナギの大好きなナイフも。
アガミはいつも水だけボトルに持ってミズガレの家に来ていたが、ナギ達がアガミの家に向かうのには荷物が出来た。普通こうなる、何故アガミは手ぶらで距離のある場所までこられるのだろうか。
ウルワが疲れないよう歩幅を合わせて三人は歩いた。
ミズガレはユキノが心配なので家に残ると言った。アガミが茶化して「よっぽどユキノさんが好きなんだね」と言ったのが最後、早く行けと家から追い出された。
かくして三人は途中で小さな集落をいくつか経由し、半日程歩けば中央が目の前にあった。
二夜は狭いから、直ぐに人は出会う。
人間の切り開いた大地など未開の土地にくらべたらほんの少ししかない。人殺しという人間は二夜という小さな箱庭の中でしか生きていない。小さな箱庭の中で、さらに小さな一生を、しがなく終えようとしているだけの微弱な存在。
微弱なりに、もがき、生きる。それが人間。
ナギは大して驚かなかった。秘境に住まわっているのだが、中央という整った町並みに対して感想を抱かない。
一巡りの方がよっぽど大都市だった。誰でも初めから解っている、簡単な事だ。
ナギは人にぶつからないようウルワを傍に引き寄せた。蟻の群れ程人が居るわけでもない(むしろ閑散としている)が、ナギにとってウルワは守らなければならないか弱いものだという志があった。
肩を寄せ会う二人にアガミが視線で攻撃してくるが気にしない。
中央は人を殺したという経験者が人口のわりに見渡せば二、三人は動く者が視界に入った。
店が並び、家が立ち並び。緑も土も生きていて、今のところ水に困った様子もない。奪われるだけの国で一番栄えているのが恐らくこの中央だろう。それでも二夜にある限り繁栄はしていなく寂れているし、家もぼろっとしているし人の表情もどこか暗い。
いつか水と食べ物がなくなる不安が人の心を蝕む。
しかして中央の住人であるはずのアガミはそんな風には吹かれない。友達を初めて家に上げる期待と喜びでいっぱいだった。
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