それでも生きていてほしかった

夜は繋がっている。ナギとアガミが見上げる月を別の誰かも同時に見上げている。

 水に濡れたガラスの大地はこの世の汚れを忘れさせてくれる。夢の中に居るみたいに、汚いものが全て消え去って、世界には綺麗なものしかなくて、ならば人間も、汚い自分達も消えてしまえるんじゃないかって。

 マナコ――。

 彼も同じ空を見て何かを感じているのだろうか。今もまだ自分を思ってくれているのだろうか。

 ユウラは空の月に願いを込める。マナコはきっと、理由があって自分から離れたのだ。自分を思ってくれているからこその、苦肉の策だったのだ。マナコが自分から、自分の前から居なくなるはずがない。

 だって二人は愛し合っていたのだから――。

 ユウラは女の顔をして男を想う。

 

「僕はこんなにも変わったよ――。マナコ、僕を見てよ、会いたいよ」


 ザクッ……。


「がッ……!」


 突如闇に紛れ剣が腹部を突き刺す。貫通した刃は腹から背に突き出て血をしたたらせる。刺された本人は腹に深々と突き刺さった刃を握り、苦しそうにしながらもそれを引き抜こうとした。

 剣を刺した者は懸命なその動作を笑うように己からズルッと刃を拔いてやった。


「ぐっ、流石……血は伊達じゃないね」

「次そういうくだらない事したら殺すから」

「怖い……怖い、ふふ」


 腹からドクンと流れる血を手で受け止めながら、銀髪の男は一歩一歩ユウラから距離を置いた。ユウラは既に剣を収めていたので再び刺される事はない。安心と鋭い突きが今も健在な事に満足の意味を込め、銀髪の男は奇襲を読まれた無様な凶手から本来の姿に切り替える。


「君の実力はピカイチだ、いつまでも変わらない、研ぎ澄まされた刃。嬉しいよ。ただ最近、刃にリボンが着いた感じになっているけれどね」

「どういう意味」

「無骨な刃物が色気づいて可愛いリボンを着け始めたってことですよ」


 ユウラは銀髪の男の揶揄の意味を直ぐ様理解し鞘に手を掛けたが、仮にも主君である為その先の行為は控えた。


「好きな男は見つかりましたか?」

「……」

「まだですか。いったい何処の誰でしょうね、こんな可愛い女の子を捨てたのは」

「捨てられてなんかない、彼は僕を想って離れたんだ」

「どういう理由で? 君等の生活は極めて潤ったものだっただろう? 水も食事も不自由ない、暖も取れるし気替えもある、住む家だって金だってあるのに、なぜ彼は君から離れる? 理由がわからないなぁ、だからこそ私も興味がありますよ、ユウラに」

「何故僕に」

「楽しみじゃないですか、捨てられた女がどう狂っていくのか」


 ――殺してやろうか。

 鞘と銀の刃が擦れ合い半身程身を覗かせる。


「殺しは駄目ですよ、殺したら消えるんだから。一巡でそうだったみたいに、ここでも人殺しは世界から消えマース」

「……」


 本気で斬るつもりなんかないし。

 負けた気になるのが嫌でそう思い込むようにしている。今回も見逃してやっているのだとユウラは自身を言い宥めた。


「近々死人の町に行こうと思う。可愛い子達を迎えに行くんです」

「前のはどうした」

「前の子は見苦しくなったから捨てました。毎日毎日喜んで食べ物を頬張るものだから太ってしまって。ああ見苦しい」


 前の玩具は食事も満足に食べられない過酷な土地の子供だった。毎日飢えに苦しみ人の肉すら食らうような環境の中、その子供だけは人を食べず、物を盗まず、潔癖なまでに清らかな精神を持っていた。

 銀髪の男はその気高い精神を気に入り、手元に子供を置いた。

 その後は今銀髪の男が言った通り。


「あんなにも美しく愚かな心を持っていたのに、欲しい物が簡単に、おねだりするだけで手に入ると知った瞬間変わったよ。私にはあれが天上の聖者からドブに暮らすネズミになった」

「あなた、へん」

「変ではないだろう、美しいものが傷付いたら価値を失ってしまう。共通だよ。君の刃も錆びないように気を付けてくださいよ」


 銀髪の男は月の光に笑みを見せる。透き通ったような銀の髪は光を反射し幻想的な美しさを見せる。肩までに揃えられている為長くはないが、長ければもっと美しかったかもしれない。

服は黒い為余計に銀だけが引き立っている、だから、こんなにもその姿に釘付けになってしまうのだ。

 王様。

 そう呼ばれている、奪うだけの国の支配者。

 ユウラはいつまでもいつまでも彼の美しさに惹かれていた。



***


「ユウラはきっとオレを捜している。だってオレ達は愛し合っていたんだ――」その一言から、重い空気は始まった。


 口火を切るのは躊躇われたが、友が決意を固めたのならとナギは夕方会ったユウラの特徴を話す。


「黒髪で、横で髪を結んでて、夕焼けみたいな目をしてて、可愛い服着た可愛い子」

「……ん、ん?」

「どうした?」

「ユウラって言うんだろその子。黒髪に夕焼け色の目はいいんだけど、可愛かったのか?」

「ああ、あれは間違いなく男に好かれる」

「ちゃんと外見が可愛いのか? 中身……っても違和感あるが」

「なんだよ、お前のユウラってブサイクなのか」

「いや、ブサイクじゃない、が、可愛くない、愛嬌がないし、笑わないし、男っぽい」


 どうやらアガミの知るユウラとナギの見たユウラがいまいち一致しないようだ。名前と頭部が同じなだけの別人か。だとしたらアガミの沈鬱は杞憂だ。


「身のこなしがただ者じゃないとか、鞘を腰に付けてたりは?」

「なかったなぁ、丸腰、スカートが短くて風が吹いてたからあーって思ったのと、足元が落ち着かなくてリズム刻んでた」

「おっ、ナギくんでも見てるとこ見てるんだ」

「いや、普通だろ。お前俺を初で純情で汚れない奴とか思ってんの?」

「だよねぇ、オレと一緒ダネ」

「お前と同類にはされたくない。てか脱線してるって、結局ユウラってなに」


 再びユウラの話題になる。夜の闇を喉に詰まらせ、吐き出したくないものが外に出てしまう恐怖を感じる。それでも、息を呑んだアガミは静かに友達に闇を打ち明ける決意をした。


「ユウラはきっとオレを捜している。だってオレ達は愛し合っていたんだ――」



***


 ――アガミ。ユウラと暮らしていた頃の名前はマナコ。マナコとユウラは愛し合っていた。

 二夜で起こった奇跡、二人が出会ったのは運命。

 臭い言葉だけれど、それは確かに運命だった。


 ユウラの死んだ恋人の弟がマナコだった。

 ユウラはこの巡り合いに一度はなくした心を取り戻していった。

 ユウラが二夜に落ちた理由は人を殺したから、恋人を殺された仇を討つ為殺人を犯した末路が今のユウラ。恋人を殺した犯人は既に消えていた為、元凶となった裏の人物を殺したらしい。ナギと同じケース。

 復讐を遂げ、自分も死のうとした矢先気がついたら二夜に落ちていた。恋人もいない、手は血にまみれている。そんな世界でユウラは生きていくことなんて出来なかった。何も食べず、何も飲まず、町の隅に座り込み膝を抱えて死ぬのを待っていた。

 世界なんて壊れればいいのに――。

 恋人のいない世界、隣に温もりのない世界、枯れた大地に乾いた風の吹く世界、精気のない人が屍みたいに無気力に行き交う世界。

 顔を上げて流れていく世界を視界の分だけ切り取って映す。

 しにたい、しにたい。

 世界なんて壊れればいいのに。

 生きる意味がみつからない。


 同じ時期、マナコも人を殺し二夜の世界を彷徨っていた。

 ユウラの映す無気力な屍と同じように、マナコも精神を病みいつ死んでも笑って逝けるような状態だった。

 心になにもない。感情が死に、体という器が歩いているだけ。

 何故世界に自分はいるのだろう。何故生まれたのだろう、何故息をしているのだろう。

 物を床に叩きつけて憤りを発散させたい。元来ならばそう言った怒りや焦りをシンプルに表に出す事も出来ただろう。今は心の死んだ器、怒りも悲しみも涙も愛もない。あるのは理不尽な人生の記憶だけ。自分の生まれだけ。

 空虚な殻になった二人は同じ町の隅で死を待とうとした。

 なのに、二つの殻は互いを受け入れ、受け止め、一つの未来になってしまった。

 殻でも、空を受け止められたんだ。


 こうして二人は愛し合った。

 何も、知らないまま――。


「こっから先はもっと重いけど、聞く?」


 ナギは俯いた。


「ユウラとオレは確かに想いを通わせていた、でも、それはユウラからだけだったんだ。オレは、ユウラを愛していなかった、愛せなかった、受け止めようとして、投げ出したんだ。辛かった、ユウラの側にいるのが、これは言えないけど、オレの中の罪がいつもオレを苛んだ、ユウラといると、オレは罪を体の底にまで刻まれてるようで、どこまでも追いかけられて、思い出さされて、懺悔する日々が続いて。苦痛しか感じなかったんだ、逃げたかったんだ! ユウラから。だからユウラを捨ててここに隠れ住んだ、マナコからアガミになって」


 アガミは言い終えるとナギに背を向け顔を隠した。表情は闇に紛れ、言葉はもう生まれてこない。

 ユウラといると、犯した罪を思い出さされて苦しかった、だから逃げた。ユウラは何も知らされぬまま再び恋人を失い、それでマナコを捜していた。アガミから全てを聞き出したわけではないが、空白の部分を知らなくても容易に心中を想像する事が出来る。

 この状況からして


「お前は自分が勝手だから苦しいんだろ、弱いから許せないんだ、ユウラから逃げ出した自分に憤りを感じている」

「そう、オレは自分が苦しいから勝手にユウラを捨てた、そんな自分が許せない、だからユウラに会いたくない、情けない、くそみたいな男さ。……それから、オレはユウラは嫌いじゃないけど、好きにはなれなかった。空虚を埋め合った時気付いたんだ、オレはユウラじゃなくユウラの体積が欲しかったんだ、殻に入ってくれれば何でも満たされたし嬉しかったんだ」

「寂しいもんな、からっぽは」

「ユウラは……本気でオレが好きだった。だから離れる前に言ったんだ、お前みたいな女らしくない男みたいな奴、好きになれないって。酷い男だったと諦めてくれたらよかったのに」


 女らしくない、男みたいな……。

 ナギは思い出した、ユウラは自分を僕と言っていた。その辺りは女らしくないのかもしれない。

 恐らく、名前と頭部の特徴が一致している時点で高い確率で夕方のユウラはアガミの知るユウラだろう。会いたくない女が近くまで来ている、アガミが沈鬱になるのも無理はない。


「ユウラがそのユウラなら、この辺りに住んでる以上近い内に見つかるだろうな。会いたくないなら、ミズガレのとこに暫く住めば?」

「ミズガレさんが大変だろ、水も食事もないのに」

「どうせなくなるんだ、暫くアガミが居たって関係ない」

「ナギくん、オレやっぱりそういうのヤダな。どうせ死ぬんだから今を適当に生きるとか……」

「死ぬもんは死ぬんだ、綺麗事言ったってなんにもなんねーよ。それより死ぬまでの間ミズガレもウルワもお前の存在で退屈しねーんだ、思い出膨らむ分そっちのがでかいだろ」

「そりゃ、確かに……。いや、そういう考え方知らなかった」


 納得するアガミ。アガミが楽になれるなら、ナギは小さな嘘くらいいくつでも吐く。


(なあアガミ。俺はほんとは死にたくないかもしれないんだ。なのに死を受け入れたみたいに大言吐いて。俺も十分弱いだろ。死に対して構える器がないんだ。ミズガレやウルワみたいに命の余命宣告を無視出来ない。明日死ぬのかな、明後日死ぬのかなって、いつもカウントが脳裏にこびり付いてる。自分が奪った命みたいに自分が消えていく。呆気なく、簡単に、終わりがくるだけ。それだけの事なのに。ミズガレやウルワに出会わなければよかった、そうすればもっと生きたいだなんて考えない、土に頬を寄せ死んでいけた)


 ミズガレやウルワと一緒に時が来るまで棺桶で眠りたい、なのに本心は死が怖い。月の所為だと言い聞かせた、余計な不安が胸を掻きむしるのは。

 空の月は不安を増長させる力を持つ。水の中の月は悲しみを呼び起こす力を持つ。夜は寂しい、幻想的な世界は心を暴き出し、綺麗過ぎる毒に涙が溢れる。


 アガミの悩みも、ナギの思いも、やがて朽ちて消えるだろう。

 全て。水がなくなる、その日には――。



***


 ナギとウルワがアガミに誘われ中央へ向かった日、一人の男は生を嘆いた――。


 三人がいなくなった家は広い。空間的に感じるスペースではなく、存在していたものが心の中から居なくなる孤独感。気晴らしに掃除をしてみたが悲しさは拭えなかった。人が恋しいというのなら彼女がいるではないか、思い立ったらすぐにミズガレは隣の家に向かった。


「ユキノさん」


 いつもならユキノが直ぐに玄関に顔を見せてくれるのだが、今日は無言の空間だけがミズガレを迎える。嫌な予感がした。ぞわりと這う胸騒ぎと戦いながらミズガレは靴を乱暴に脱ぎ廊下を駆けた。

 一番初めに居間に入るとそこには信じられないものが存在していた。ミズガレは冷えていく、動揺して躓きそうになりながらも駆け出す。

 ユキノが倒れていた、息はあったが意識がない。


(どうするッ、どうしたらいいっ)


 医学の知識等ない、医者でもない、そんなミズガレはユキノの体を抱き起こし名前を呼ぶしかない。


「ユキノさんっユキノさんっ」


 60を過ぎたユキノにとって二夜という世界は過酷だった。特にこの二夜の端では満足な食事もとれず、健康を診断してくれる施設も医者もいない。年老いたユキノは二夜に落ちた時点で残り少ない命を義務付けられていたようなもの。

 老いたユキノがいつか病に倒れる事は心の何処かで覚悟していた、共に住もうと持ち掛けた時、ユキノは遠慮がちに微笑んだ。

「ひとりで生きていけるわ」夫を殺し、ひとりになった彼女がこれからの生涯は自分だけで歩むのだと、そう言った。

 何を我慢している、何を遠慮している。

 何故頼ってくれなかった。

 ミズガレは悔しい気持ちを腹の底で堪えながらユキノを自分の家の自分の布団に運んだ。


「ユキノさん、これからは一緒に暮らしましょう。もう我慢する事はないんです、目が覚めたら温かいお茶を淹れますね。それから暫くしたら煩い奴らが帰ってくるんで、そこのとこはすみません」


 目覚めぬユキノにただミズガレは言葉を掛け続けた。



 半日ほと経ち、日は暮れていく。

 夕焼けに室内がオレンジ色に染まる。伏せたミズガレの顔にも色は落ちる。ユキノは辛うじてミズガレの握る手を握り返したが、それ以来何の変化もなく眠っている。

 この美しい夕暮れの日を、ユキノはまた見る事が出来るのだろうか。彼女の人生は、後どれだけ生を許すというのだろう。

 ミズガレは室内の日の当たる場所で育てている水を欲しがらない植物を引き抜き、ユキノの様子を見てから外に出た。

 この二夜の最も端の町には瓦礫同然の建物がいくつかある。昔、ミズガレがまだ二夜に居ない頃からあったらしく、古い歴史を持つそれらを今ミズガレ達は利用させてもらっている。

 錆びて欠けた建物の中から住めそうな家を探し、修復すれば使えそうな建物は新参者が手を加え一巡の住宅さながらの住まいに変えた。

 この辺一帯は瓦礫の家。ミズガレの住宅付近は昔も人が住んでいたのか民家の残骸がいくつか残っていた。


「こんばんは、おじさん」


 瓦礫の家の一つにミズガレは入る。主人お手製の扉に吊るされたベルが鳴り、客人の入店を告げる。


「……おじ、さん?」


 返事がない。

 ユキノの例もあり、いつもより敏感になってしまっている。まさか……

 ミズガレは恐る恐る店の裏手へ回る。普段は客に対して感謝を忘れず、入店時には大声でらッしゃーいと挨拶をしてくれたおじさん。ミズガレの、ナギのウルワの服を作ってくれているのは彼。


「おじさん! ミズガレだよ、返事をして」


 これ以上静寂が続いたら狂ってしまいそう。返事のないイコール死んでいる。嫌な方程式が頭から離れない。


「おじさんッ!」

「ああ……」


 姿を確認出来た時、心からほっとした。服屋の店主は店の裏手の作業場の隅で箱の中身を覗いていた。ただその顔は何年もの過労が積み重なり痩せこけたように沈んでいた。


「なんだ、無事だったんですね」

「ああ、どうしたよそんなに慌てて」

「ユキノさんが……倒れて、だからおじさんもそうなってるんじゃないかと」

「ばーさんがな……、もう年だわな……」


 しんみりした空気を店主は醸し出す。それがミズガレにはどうしようもなく不安で、何か喋っていないと絡みつく重みに押しつぶされてしまいそう。


「何を見ていたんですか?」

「これな、残りの生地さ」


 店主が自分の体を退け箱の中身を見やすくする。箱の底には僅かな白い生地が見える、これは……


「もう生地がねえ、おれぁ服を作れねぇんだ。おしまいさ」

「そんな……」

「洋服作りはおれの生き甲斐だったんだがなぁ、何が狂わせちまったか、おれは人を殺しちまったよ。些細な事だったさ、おれの服に文句つけた野郎と言い争って殴り合って、気が付いたらあいつは死んでて。なんで死んじまったかなぁ、洋服を作るこの手が人を殺したんだよ……」


 店主は自らの過去を振り返るように語る。内容とは似つかわしくない優しい顔をして。その穏やかな表情はまるで今際の――。


「止めましょうよそういうのは、なんだかおじさん変ですよ」

「ああ、へんだな……、仕事がなくなっちまって胸に穴が空いたんかな」

「じゃあおじさん、俺の服を直してくださいよ。ほら、この上着」


 ミズガレは必死に思考を働かせ店主の気を引こうとする。いつも着ていた黒いロングコートを脱ぎ店主に差し出すが、それを店主は受け取ろうとしてくれない。

 ――どうして受け取ってくれない。

 静止した店主がミズガレの焦りを、不安を更に大きくする。

 やっと、店主がロングコートを受け取った時ミズガレの手は震えていた。


「んなにびびんなさんな、大丈夫さ」

 

 『大丈夫』その言葉に、誰も救われはしなかった。



 ユキノは目覚めぬまま、ミズガレだけがユキノの隣で目を覚ます。

 朝だ。ミズガレは動く、食事の支度をしなければ。習慣性は規則正しく体を巡っていて、ナギもウルワも出掛けている、ユキノも眠っているというのに何人分もの野菜と水をテーブルに並べ……まではしなかったが多めに食材を取り出したのは否定出来ない。

 一人で目覚め、一人で身だしなみを整え、一人で食事を済ませ、一人で生きていく。昔から何でもこなした、一人で、一人きりで。同じ子供に混じって遊ぶことはなかった、そんな事許されなかった。

 暖かな家庭はここでやっと手に入れたもの。ウルワがいてくれたから、だからミズガレは正常でいられる。人の温もりを欲し、人に優しくあれるミズガレでいられる。ウルワが幸せでいられるなら、ウルワをこの手で殺す覚悟がミズガレにはある。歪んでいるのかもしれない、ウルワを悲しませ怖がらせる死があるのなら、最後は自分の手で眠らせてあげようなんて。

 ミズガレは来るべき終わりの時を思い、手のひらを見た。この手がウルワを眠らせる、そしたら自分も死のう。水がなくなり、体が乾いて苦しむ前に。お腹が空いて、飢えに苦しみ涙を流す前に。

 死は幸せ。苦しみから解放してくれる。


「ウルワもナギも元気かな」


 死を思い生を願う。矛盾したミズガレは窓辺に沢山ある植物の世話をする。昨日抜き取ったものは服屋の店主に渡した。善意であり駄賃でもある。

 昼までは家事やユキノに付き添い、昼過ぎには服屋の店主が気になっていたのでロングコートを受け取る名目で服屋に足を運んだ。


「――なんで、なんで……」


 人は死ぬのだろう。

 服屋の店主は首を吊って死んでいた。悔し涙が瞳に滲む、拳を握りしめてそれでも生きていて欲しかったと絞り出す。

 ミズガレは暫くしてからようやく店主から離れる。綺麗に解れが直されたロングコートを見付け、隣には、最後の生地から作られた手作りのハンカチがミズガレに向けて贈られていた。



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