「未知」の魔属

 一斉に逃走する村を襲った魔獣達。その最後尾の魔獣を視界に捉えながら、見失わない様に疾走する二つの影はエリスとエイビスである。

 如何に四足歩行の魔獣が俊敏とは言っても、勇者と化した彼等を引き離せる程の力は無かった。魔獣の集団は予想に反して随分長い間疾駆し、山を二つ超えて漸く一つの洞穴へと入って行った。視認していた最後尾の魔獣がその洞窟に入ったのを確認して、エリス達は急制動をかけて止まり木陰へと身を寄せた。


「ここが……あの魔獣達の住処なの……かな?」


 エリスがそちらを覗き込みながら呟いた。普通に考えれば逃走して巣穴に逃げ込む狼の群れと見て取れ、彼女の感覚ではそう思えたのだろう。


「それは分からない……中の様子を伺わない限り断定は出来ないな」


 しかし彼女の呟きを是とも非ともしない言葉がエイビスから返された。

 ハッキリしている事実は、追っていた魔獣があの洞穴に入っていった、ただそれだけだ。

 洞穴の先が大きな空洞となっているのか、それとも単なる通路となって反対側へと抜けているのか、地の利の無い彼女達にはそれすらも分かり得なかった。


「エリス、どうする?」


 エイビスから聞きなれない言葉を聞いて、エリスはすぐに返答出来なかった。エイビスが彼女に助言を求めてくるなど、それこそ今までになかった事だ。そしてそれは、彼の性格とも合致しない様に思えた言葉だったのだ。呆然とするエリスに、やや照れた様なエイビスが声高に言った。


「か、勘違いするなよ。軍規に照らせば、特務であるお前の方が役職は上に当たるから聞いているだけだ。それよりもこのままあの洞穴へ強硬偵察を掛けるのか、それともメイファーに報告へ向かうのか? お、お前が決めるが良い。」


 そっぽを向いてエリスと視線を合わせない様に話すエイビスの顔は真っ赤だった。それを見たエリスは今まで感じていた緊張が少し和らいだ様に、自然と表情が綻んだ。


「そうですね、やはり報告を優先させましょう。私がメイファーさんの元へ走りますので、エイビスさんはここで監視していてもらえますか?」


 少し考えて答えたエリスの返答は無難なものだった。そもそもそう指示されていた事だし、何よりも不意なアクシデントに対応出来る程二人は経験豊富という訳では無い。

 そしてエイビスを残すのは、エリスが残るよりもそのアクシデントにまだ対応出来ると考えたからだ。エリスが残っても踏み止まれるだけの地力が無い。


「分かった、では頼む」


 それが分かったエイビスだから、彼女の提案に異を唱える事は無かった。


(エリスッ! 後ろだっ!)


 エリスがその場を立ち去ろうとした瞬間、ユーキから急を告げる言葉が飛んだ。

 それはエイビスの方も同様だったのだろう。殆ど同時に後ろを振り返った二人は、飛び掛かって来た二匹の魔獣を各々の盾で防ぐ以外手立てが無かった。


「きゃあっ!」


「ぐぅっ!」


 彼等を同時に襲った二匹の魔獣は、攻撃が防がれてもその事に執着せず左右に飛び退いた。その後ろには魔法の準備を済ませた別の魔獣が構えている。


 ―――ゴウッ!


 炎の魔法がその魔獣から発せられた。態勢の整い切らないエリスとエイビスは、再びそれを盾で防がざるを得なかった。

 信じられない事に魔獣が見事な連携攻撃を披露し、勇者化している二人を圧倒していた。攻撃の圧力で二人は意図せず洞穴の入り口付近まで後退させられてしまった。

 それを見越したかのように、洞穴から先程入って行ったはずの魔獣達が飛び出しエリス達を包囲した。これもまた組織だった連携であり、見事な伏兵だった。

 しかも魔獣達は包囲するだけですぐに襲って来る素振りを見せない。まるで命令を待って待機している様であった。


「エ、エイビスさん、これって……」


 エリスはエイビスに意見を求めた。しかし彼もその問いに答える事は出来ず唸り声を上げるだけだった。

 確かに彼女よりも魔属に対して詳しいエイビスだが、それでも経験豊富と言う程では無く、まして魔獣が組織だった行動を行う理由など見当もつかないのだ。

 だがその答えは全く別の方向から示される事となる。


「オ前達二人ダケカ」


 魔獣の出て来た洞穴の中から、新たな“影”がユックリと姿を現した。

 生理的に悪寒を覚えるその声に、二人は同時にそちらを見た。

 その影は人の様な形を取っており、遠目で見れば人間と遜色ないシルエットを持っている。大きさもやや小柄な人間のそれであり、黒くユッタリとしたローブを身に纏った魔術師を思わせる出立に、右手には杖のような物を持っている。フードを目深に被りその表情は窺い知る事が出来ない。しかしそのローブから覗く肌は人間のそれと圧倒的に違っていた。

 ローブから僅かに除く顔や、杖を持つ手から伺える肌は濃い緑色をしており、そんな肌を持つ人間など皆無なのだ。

 明らかに人属では無く、連想出来るのは人型の魔属であったが、今までの情報では人型の魔属など確認されていない。

 それに先程投げ掛けられた“言葉”。

 魔属が言語を有している等、それこそ聞いた事の無い事実だった。だが目の前にいる魔属がこの魔獣達を統率しているのだと、エリス達は推測する事が出来た。


「お、お前は……何者だ!?」


 エイビスは何とかそれだけを絞り出したものの、その後の言葉が続かない。それも仕方のない事であり彼等の目の前では、今まで起こり得なかった、考えられなかった事が展開されているのだ。


「オ前達ガ魔属ト呼ブ存在ダ。ソレ以外ニ考エラレル事ガ他ニアルノカ?」


 返答され逆に問いかけられ、エイビスはそれに答えられず、それどころか一層混乱している様だった。その風体から、眼前の存在が魔族以外の連想には結び付かなかったものの、それを事実として捉える事が出来なかったのだ。


(ユーキ……これって……どういう事……)


 状況が理解出来ないエリスはユーキに問いかけた。


(魔属が知性を持ち言葉を話すなんて、俺も初耳だよ)


 流石にいつも軽口を叩くユーキだが、この異様な状況にふざけた事は言わなかった。


(俺の基本情報には、魔属は知性を持たず、言語を持たず、接触による和解は不可能となってる。でも目の前の魔属とはコミュニケーションが取れそうな状況だね)


 ―――魔属とのコミュニケーション……。


 その言葉でエリスは一つの考えを持った。

 もし話し合いで魔属との対立を解決に導けるなら、双方これ以上の犠牲を出す事無く戦争状態を終わらせる事が出来るのではないかと言う事だった。

 勿論、目の前の魔属がどれほどの地位や権力を有しているかは分からないが、しかし大きな切っ掛けになるのではないかと考えたのだ。

 そこまで明確にイメージした訳ではないが、とにかく話をしてみたいと思っていた。


「あ、あなた達がこちらに来る目的って……何なの?」


 今までは単に本能のまま襲い来ているだと思っていたのだが、何か他の理由があるならば知ってみたいとエリスは思った。


「目的……? ソンナノ決マッテル」


 エリスの問いかけに、ローブ姿の魔属は殆ど間を置く事無く答えた。


「蹂躙……スル事ダ」


 その答えは想像通りとも言え、また失望させるものとも言えた。エリスとエイビスは絶句してしまい言葉を発する事が出来ない。動き出せず声も出せない二人に、次の言葉を促されていると思ったのかローブの魔属は話を続けた。


「人界ニ住ム人間ヲ殺シ、喰ライ、ソノ土地ヲ我ラノ物トスル……言葉ハ合ッテイルカ?」


 余りに反応の薄いエリス達に、ローブの魔属は自身の言葉が正確に伝わっているのか探る様に疑問を口にした。その言葉で真っ先に再起動を果たしたのはエイビスだった。


「ふっざけるなっ! そんな事を許すとでも思っているのかーっ!」


 怒声と共にローブの魔属に向けて臨戦態勢を取るエイビスは、すぐにでも飛び掛かりそうな勢いだ。目の前で佇むローブの魔属からは威圧感も脅威も感じない。恐らく四足歩行の魔獣よりも少し強い程度、C級程度に感じられる。

 そもそも、強力な魔属ならあの“門”を潜りこちら側へ来る事等不可能だ。それ一つとっても目の前の魔属がエイビスより強い訳が無いのだ。

 だが知性とは力を補う武器となる。ローブの魔属がC級だったとしても、その知性を有効に使う事で何倍にも強力になる事を考えれば、今ここで始末しておいた方が後顧の憂いは無くなる。激情に駆られたようにも見えるエイビスの行動も強ち間違いでは無い。


「言葉ガ通ジテイテ何ヨリダ。シカシ私ガ行動スル事ヲ君ニ許可シテモラウ必要ガアルノカ?」


 この言葉が引き金となり、弾かれたようにエイビスはローブの魔属へと向かい跳躍した。


「あ、ちょ、エイビスさんっ!」


 エリスが制止する間もなく、エイビスは彼女の隣から消え去った。いや消えたと見紛う程の動きを見せ魔属に突進攻撃を掛けたのだ。


 ―――ガキンッ!


 しかしエイビス渾身の一撃は、ローブの魔属が持つ杖で防がれてしまった。本当ならばその一撃でローブの魔属は屠られている筈だった。

 C級と言わずB級魔属でさえ、その一撃ならば瞬殺だったかもしれない。だが現実はその攻撃を防がれたのだ。

 エイビスの突進力と全霊を掛けた攻撃は、ローブの魔属に僅かな後退を与える事も出来ず右手で持つ杖によりアッサリと防がれてしまったのだ。

 逆に後退ったエイビスから、驚愕している雰囲気が感じ取れた。彼も俄かに信じられなかったのだろう。


(エリスッ! あいつは見た目よりずっと強いよっ! 気を付けてっ!)


 ユーキの注意を促す言葉が響いた。それを聞いたエリスはとりあえず身構え事態の変化に備えるも、何をどう注意すればいいのか分からなかった。


「コレガ、コノ程度ガオ前ノ、オ前達ノ“力”ナノカ?」


 ローブの魔属が纏う雰囲気が一気におぞましい物へと変化し、動けず見ているだけのエリスでさえ知らず汗が噴き出していた。


「ナラバモウオ前達ニ用ハナイ。コノ場デ始末シテオコウ」


 そう言ったローブの魔属から、仄暗い光が発せられる。

 その光にエリスは覚えがあった。彼女が勇者化する時に発する魔力光、その光にそっくりなのだ。ただその色は彼女やエイビスの物に程遠く、温かみ等微塵も感じられない、ただ禍々しい冷気だけが発せられていた。

 その光に包まれ、ローブの魔属が変形へんぎょうしていく。

 あたかもエリス達が勇者へと姿を変える様に、ローブの魔属もその姿を変えた。いや、本当の姿に戻ったと言った方が適当かも知れない。

 黒い光が弱まり、そこに現れたのは四足歩行の巨大な魔獣。しかし周囲を取り囲む魔獣とは似ても似つかない容貌だった。

 周囲の魔獣より二回り程ある巨躯。その体表は岩の様な金属の様な、不思議な光沢を放つ鱗のような物で覆われている。長い尻尾を威嚇する様に左右へ振っており、突き出た口はまるでワニの様な形状で、獣と言うよりも爬虫類の様な姿をしていた。

 最も近い名称を付けるならば、ドラゴン。

 翼は無いが人界でも空想の生物として知られる最強種の幻獣が、目の前の魔獣を言い表すに相応しい。

 その威容に、エリスは勿論エイビスも言葉すら出せないでいた。

 そんな彼等の精神状態等御構い無しに、ドラゴンは尻尾を横薙ぎにした。信じられない速度の一撃がエイビスに襲い掛かる。

 あと一瞬、ほんの僅か呆けていたならば、エイビスはその一撃をまともに喰らっていただろう。


 ―――ドガンッ!


 自身で覚醒したのか、それとも彼の中に居を構えるレグナスが声を掛けたのか、寸での所で彼はドラゴンの一撃を盾で防ぐ事に成功した。


「グ……ウウウッ!」


 だがその一撃は思いもよらない重さを有していた様で、勇者化したエイビスが防いだにも拘らず勢いに負けて大きく後退した。


(エリスッ! ここは彼と協力して切り抜けるんだっ!)


 その光景をまるで演劇でも見ている様であったエリスにユーキの怒声が飛んだ。


「う……うんっ!」


 完全に冷静さを欠く今のエリスは、自身の行動すら自身で決められない状態なのだろう。ユーキに言われた通りに動くのがやっとだった。

 エイビスの元へと合流したエリスだが、何か策が合っての行動では無い。と言うよりも、現状で彼女が打てる策など無いのだ。


(エリスッ! エリスーッ! 聞こえてるっ!? ここは二人で逃げに徹するんだっ! そうエイビスにも伝えてっ!)


 ユーキの声にも余裕はなく、切羽詰まった声音でエリスに指示を出した。


(う……うん、わかった。でも、どうやって?)


(いいから伝えるんだっ!)


 今のエリスはユーキの言葉に動かされて、彼の言う通りにするしか出来ない状態だった。


「エイビスさんっ! ここは逃げましょうっ!」


 彼にとって不本意な提案を、エリスはユーキに言われたまま伝えた。


「ぐ……うう……そうだな……」


 エイビスには採用したくない提案だったが、それが最善である事を理解出来ない彼では無い。一瞬の葛藤の後、彼はこの場に措いて正しい採択をした。


 ―――……しかしそれを実行できるかどうかは別の話である。


 ドラゴンは今まで一歩も動いていない。巨大な体とそれを覆う重厚な体表で、普通に動く事は勿論俊敏さ等ないのではと思わせていた。

 だが次の瞬間、それが誤りであったと二人は痛感させられた。


「グルルルルラァッ!」


 この体では人の言葉を使う事が出来ないのか、まるで獣の様な咆哮を口にしてドラゴンが動き出した。いや、動き出したと言う言い方は適切では無い。その場から目で追う事も難しい速度で彼女等との距離を詰めたのだ。

 余りに一瞬だった為、エリスには何が起こったのか把握出来ないでいた。そしてドラゴンの標的はそのエリスだったのだ。


(エリスッ!)


 ユーキの叫びとほぼ同時に、尻尾を槍と化してドラゴンの攻撃が見舞われた。

 動きを取れないでいるエリスはその攻撃を受けて……


「ガハッ!」


 その刹那な動きに対応出来たのはエイビス。彼がエリスを弾き飛ばし、ドラゴンの攻撃を盾で食い止めようと試みたのだ。


 ―――しかし……。


 ドラゴンの尻尾はエイビスの盾を貫通し、彼の体に大きな風穴を開けていた。ズッと引き抜かれた尻尾と同時に、エイビスはドサリとその場に倒れ込んだのだった。

 尻餅をついて事の成り行きを見ていたエリスには全てがスローモーションの様だった。


「エ、エイビスさんーっ!」


 漸く何が起こったのか理解出来たエリスが彼に駆け寄った。倒れたエイビスの胸からは血が止め処なく溢れており、エリスから見てもそれが致命傷だと理解出来た。


「エイビスさんっ! エイビスさんっ! なんでっ! なんで……っ!」


 顔を青くしたエリスの目からは涙が溢れていた。だがどうする事も出来ない。消えゆくエイビスの命を繋ぎ止める術は彼女の持ち合わせには無かったのだ。


「ふ……ん……婦女子を……守るのは……貴族……の務め……だ」


 最後の最後までエイビス=アノンシュタインは不敵な笑みをその顔に湛えていた。そしてその言葉まで彼らしい物であった。

 すると突然、エイビスの体が魔力光に包まれる。しかしそれは勇者化する為では無くその逆の、勇者化を解く光であった。

 彼の手にあった槍や盾は消え、纏っていた鎧も消え失せると同時に、光の中から彼の聖霊であるレグナスが現れた。


「……お別れだね、エイビス……」


 普段はポーカーフェイスなレグナスが、どこか寂しそうに呟いた。


「……ああ……世話に……なったな……」


 エイビスは最後の力を振り絞り、彼の相棒にそう伝えた。

 それを聞き届けたレグナスが再び光に包まれると、一瞬にして天空へと去っていった。そしてその場に残されたのは、既に息の無いエイビスの亡骸のみであった。


「イヤ……イヤ―――ッ!」


 その一部始終を見終えて、エリスは発狂せんとばかりの悲鳴を上げた。

 自分に近しい者の「死」と言うものを目の当たりにし、到底敵わない魔属を前にして、彼女の中には哀しみと絶望の感情だけが渦巻いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る