「本当」の能力

 深く冷たい暗闇の空間に、エリスは横たわる様にして漂っていた。


(……リスッ! ……エリスッ! エリースッ!)


 その暗闇に囚われたエリスを、どこかから呼ぶ声がする。

 声の主は彼女の聖霊であるユーキだった。


(……ああ……あんた……まだいたの……?)


 だが返事をするエリスに生気は一切感じられない。その瞳は絶望に囚われ、希望ある光は全く灯っていなかった。


(エリス、聞いてっ! 今がチャンスなんだっ!)


(……は? ……チャンス……?)


 慌てたようにそう言ったユーキに対して、エリスは醒め切った声音で返答した。何処をどう見ればそんなポジティブ意見が出て来るのか到底理解出来ないからだ。


(そう、チャンスなんだっ! 今しかないっ! 二人でアイツを倒そうっ!)


 微睡の中に漂い、しかしどこか醒めた意識を有している不思議な感覚に身を任せているエリスは、同じ事を必死で繰り返して言うユーキの声を、どこか冷ややかに聞いていた。


(倒す……? 何を……? あの魔獣を……?)


 ユーキの言う“アイツ”とは恐らく“あのドラゴンの様な魔獣”の事を指しているのは理解出来る。だが彼は先程から結果のみを語り、肝心な所が抜け落ちていた。


(……どうやって? どうやって倒すの?)


 ザワザワとエリスの周囲が波打ち、一切の光が灯らない闇黒の中で漂う彼女を、黒よりも黒い多量の水が満たし出した。


(倒せるわけないっ! エイビスさんだって死……死んじゃったんだよっ!? 私が何をどうしても敵う訳ないじゃないっ!)


 エリスの悲鳴が暗闇に吸い込まれていく。その声は悲哀と恐怖に染まっていた。

 しかし彼女の言う事ももっともだった。ユーキの能力は彼女の知る限りで、多種の武器をBランク相当で扱え、その力を駆使して相手と相性の良い武器を使い、こちらが有利に立ち回ると事が出来ると言う物だ。

 だがエリスは直感した。あのドラゴンとの力量差は、そんな“小手先”の技ではどうにも埋まら無いと言う事を。そして立ち向かった先にあるのは……死であると言う事も。


(そうだ、エリス。このままだったら君に待って居るのは“死”だけだろう)


 そしてユーキもその事を肯定する。

 気休めでも否定してくれれば、彼女も少しは楽になれたかもしれない。しかし肯定された事で周囲の水はより黒く冷たい物へと変化した。


(エリス、今の君は哀しみと恐怖で完全に支配されている。もう希望も見出せない、生きていく事を諦めてしまう程に)


 そんな事は言われるまでも無く、彼女自身が理解している。だが絶対的な力の差を見せつけられ絶望的な状況に追い込まれれば、そうなってしまっても仕方のない事だった。


(だから僕を受け入れて欲しい。僕を信じて、欲しいんだ)


 しかしエリスには、ユーキが何故そんな結論に辿り着くのか分からなかった。今更彼と協力し何をどうした所で、ユーキの能力を以てしても事態が好転するとは思えなかったのだ。


(ユーキ……あなた……何を言っているの? 全然理解出来ない……それに受け入れるって言うならもう受け入れてるじゃない……)


 それに過程はどうあれ、エリスの心情はどうであろうとも、すでにユーキが彼女の中に入って来る事を認めており、その結果の勇者化だったはずなのだ。


(受け入れられた訳じゃない。今はただ、互いに協力関係を取っているだけだ。本当に信頼されている訳じゃない)


 ユーキの指摘はもっともだった。エリスが彼を信頼した事等一度も無い。

 聖霊が顕現した者は勇者となって前線に赴かなければならない。その為には彼を自身に受け入れ勇者の力を手にしなければだけだ。だから彼がエリスの中に入って来る事を許可したに過ぎない。

 ゴウッとエリスの周りに沈殿していた黒水がうねりを上げた。


(……信頼? あんたの何を信頼しろと言うの? 協力するだけで十分じゃない……)


 聖霊のせいで幼馴染は死に、恐らく両親も、そして目の前でエイビスも死んでしまった。何よりエリス自身も、今まさに死へと直面している。

 常に死を引き連れて来る聖霊を、ユーキをどうすれば信頼出来ると言うのか、エリスには全く以て分からなかった。


(俺はエリス……君の前で嘘はつかなかった。自分の気持ちを偽った事は無い。その事を信じて欲しいんだ)


 ユーキの言葉は真摯な物でエリスも一笑に付す事は出来なかった。

 確かに彼は口にした事を違えた事は無い。どれだけエリスが邪険に扱おうと、ユーキが口にした事は実行されて来た。そして彼女の前で振る舞うユーキは自身の気持ちに忠実で、決してその感情を覆い隠す様な事は無かった。


(そしてエリス、俺にじいさんとの約束を守らせてくれ)


 ユーキがエリスの祖父ガストンと交わした約束。


 ―――『エリスを必ず守る』


 彼はそれを懸命に行使しようとしているのかもしれない。


(俺を信じる事が出来なくて良い。だけどじいさんとの約束を守ろうとする俺を信じてくれ)


 その言葉を聞いても、エリスの周囲に渦巻くうねりは止む事が無い。だがエリスにはユーキの提案を受け入れようと言う気持ちが湧き上がっていた。

 エリスには今更何をどうしても状況が一変するとは思えず、死は遠からず確定していると感じていた。ならばユーキの思惑に乗ってやるのが、今までの彼に報いる最後の方法だろうと思い至ったのだ。


(……いいわ。それでどうしろって言うの?)


 溜息にも似た吐息と共に、彼女はユーキに問いかけた。


(今から俺は君との同化を試みる。俺の考えに間違いが無ければ、今の君とならに同化出来る筈なんだ。だから君は俺との……じいさんとの約束だけを強く信じて心を開いてくれ)


 エリスは諦めと共にユーキの言う通りに試みた。

 絶望が、哀しみが、恐怖が支配する今のエリスには、心身ともに脱力する事はそう難しい事では無い。それは心を開くと言う行為には程遠く、明け渡すと言う表現が最もピッタリと来るだろう。ユーキへの嫌悪も忌避も無く、エリスはただ祖父ガストンと祖母マリエスの事だけを考えた。


(……じゃあ、やるよ)


 しかし今のユーキにはそれで十分だった。いや、を行使する為にはそれでは物足りないが、今はこれ以上を望むには時間が足りなかった。エリスの心に張り巡らされた壁を取り除き、彼女との信頼関係を構築する時間がである。


(……ハァ……ハァァー……)


 甘い様な、苦しい様な吐息がエリスの口から洩れ出た。彼女を今までに感じた事の無い感覚が襲う。それはエリスの更に内側へ何かが侵食して来る感覚、自身の根源に侵入を許す感覚だった。

 鈍痛とも疼痛とも取れる様な痛みが彼女を苛んでいた。

 だがそれもすぐに止み、そして更なる不思議な感覚がエリスを包み込んだ。


(……これって……)


 エリスにとってまたも初めての感覚に、不安や戸惑いよりも興味が沸いていた。


(エリス、聞こえるかい?)


 聞こえるのはユーキの声。確かに感じる事は出来ていたにも関わらず、しかしエリスには彼の姿を見る事は出来ないでいた。


(……ユーキ? あんた、何処に居るの?)


 彼女には今の状態に不安や戸惑いは無かった。ただ純粋に疑問だけが持ち上がったのだ。


(今俺はエリス、君の魂と融合している状況なんだ。姿は見えないかも知れないけれど、間違いなく存在を感じられている筈だよ)


 まさしく今、エリスはその通りだった。


(これから俺本来の力を行使する。その後は君の好きな様にすれば良い)


 そう言うと同時に、エリスの周りで渦巻いていた黒水が何かに吸い上げられるように無くなっていく。


(君達人属は実に色んな感情を持っているよね。喜怒哀楽に留まらず、多種多様な感情を持ち、それらは他の感情を簡単に凌駕して自身を満たす)


 黒水が完全になくなっても、エリスの周囲から何かを吸い取る感覚は治まらない。


(その感情は時に天を突き、時に大地を割る。とても人属個人の力とは思えない凄まじい力だよ)


 エリスが漂っていた暗闇の空間さえ吸い込んでいるような感覚。しかし無限とも思えるその空間を、すぐに吸い取り切る事は流石に出来ない様だ。


(エリス……今まで言えなかった俺の能力、それは君達の感情を力に変えて貸し与える能力なんだ)


 漸く、吸い取る力が止まった。だがエリスには黒水が無くなったこと以外に大きな違いを感じる事は出来なかった。


(君達の極限まで到達した感情、それを俺の能力と融合させて具現化させる。その為には君達と完全な同一化が必要だったんだ。そして今、完全ではないにしろ同一化を済ませた。これで俺の能力を使う事が出来る)


 しかしその言葉が途切れると同時に、大きな変化が生じた。精神世界に居るエリスの体が、何か強い力でどこかに吸い込まれようとしていた。


(さあ……エリス、戦おう。俺達であの魔属を倒すんだ)


 そしてエリスの意識は突如出現した光の中へと薄れて行った。


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