「ユーキ」の力

(エリスッ! 先手必勝だよっ!)


 ノクトの開始を告げる声と同時に、ユーキがエリスの背中を押した。


「言われなくてもっ!」


 まるで息が合っているかの様に、ユーキの言葉で弾かれる様に大剣を振り被ったエリスが素早く前方に跳躍した。その動きは常人のそれを遥かに凌駕し、巨大な剣を携えているとは思えない程だった。


「なにっ!?」


 驚いたのはエイビスだけでなくノクトも同じだった。もっとも驚いた内容には、双方で違いはあるのだが。

 エイビスはエリスの動きに驚いた。それはエリスの動きが彼自信のそれに匹敵する程であったからだ。

 勇者、聖霊にはそれぞれその強さを表すクラスとランクが存在している。共にSSを筆頭として、S、A、B、Cと格付けされており、Cが最も低い地位となる。

 高い地位となれば戦闘力も高く、強い権限を与えられるものの、最前線へと送られる可能性も低くはない。

 エイビスの聖霊であるレグナスは、記録を遡って調べればBランクに相当する聖霊だと知る事が出来る。エイビス自身も貴族の嗜みとして武芸全般に精通しており、査定では低くてもBクラス、順当ならばAクラスの勇者と評価される事を疑っていなかった。その自分と同等の動きを見せるエリスに驚愕したのだ。

 一方ノクトの方は些か驚きの方向が違っていた。

 彼女が驚いたのはエリスの動きでは無く、その動きを与えたユーキの方にであった。

 記録やエリスの証言が間違っていなければ、ユーキはこの世界に顕現してまだ数日の筈であり、到底多くの経験を積める筈は無い。何よりも宿主が未だに一度も変わっていない事がそれを裏付けていた。

 しかし今エリスが取っている動きは、低く見てもBクラスの勇者に相当する。つまりユーキは、この世に顕現した時点でBランク以上の聖霊である事が伺えるのだ。そんな聖霊は今までの記録に、どこにも記されていなかったのだ。


「いやぁ―――っ!」


 エイビスに向かって真っすぐ跳躍したエリスは、勢いもそのままに担いだ大剣を振り下ろした。その動きは高速で、振り下ろした大剣の速度も威力も、とてもエリスが放ったとは思えない程の攻撃だった。


 ―――ガキンッ!


 だがその攻撃は、エリスを正面から迎え撃ったエイビスの巨大な盾に防がれた。

 それでもエリスの動きは止まらない。

 大剣を受け止められた盾との接点を起点に、一回転してエイビスを飛び越し彼の背後に降り立ち、同時に振り向く動作に併せて大剣を横薙ぎに払ったのだ。

 一連の流れる動作に澱みは無く、それが一つの技だと思わせる程であった。


 ―――ガシンッ!


 しかしこの攻撃も、即座に振り向き盾を構えていたエイビスに防がれた。

 彼は大剣の一撃を受け止めたと同時に、右手の槍をエリス目掛けて突き出した。

 エリスは間一髪でその攻撃を躱す。槍の突き攻撃はモーションが小さく連続で繰り出す事が出来、接近戦では部類の強さを誇るのだ。

 二度、三度、四度……。エイビスは小刻みに、エリスの隙となっている部分に向かって連続攻撃を仕掛けた。

 エリスはそれをかわすのに精一杯で反撃すら出来ない。元よりリーチは長く攻撃力が大きい大剣は、近接戦闘での切り結びに適していないのだ。まして小刻みに連続攻撃を繰り出されては防戦一方になるしかなかった。


 ―――ガツンッ!


 十数度目の攻撃をエリスは大剣の腹で受け止めた。余りの速さに避ける事が困難となったのだ。


(一旦退くんだっ! エリスッ!)


 ユーキが指示を飛ばす。「退く」と言う言葉と行為に抵抗はあるが、このままそこに留まり続けても分が悪いと流石にエリスも理解し大きく飛んで後退した。

 すかさず防御姿勢を取るエリスだったが、そこにエイビスの追撃は無かった。彼は一合切り結んだだけで、エリスの能力を推し量り油断や慢心を取り払ったのだ。


(ユーキ……私のあの動き……)


 ただそのお蔭でエリスも冷静さを取り戻し、自分の身に起こった事を再確認する事が出来た。

 先程の一連に渡る攻防で彼女が取った動きは決して

 先制攻撃で行った二連撃、その後エイビスの攻撃を回避や防御した動きも、本来エリスが持っていた技では無く、まるで誰かが乗り移った様な動きだった。


(うん、この力こそ君達が勇者化と呼ぶ、俺達が君達に貸し与えている力だよ)


 ユーキは何の感情も無い、いたって冷静な声音で説明した。


(これが……勇者の……ユーキの力……?)


 強力な攻撃、俊敏な動き、信じられない動体視力。エリスは今更ながらにユーキから貸し与えられている力を実感した。


(でもあんた、まだ顕現して間もないんでしょ? なんでそんな力を……)


(エリス、前だっ! 迎え撃ってっ!)


 エリスがそこまで言って話は中断させられてしまった。エイビスが凄まじい速さで間合いを詰めて来たのだ。


「いやぁ―――っ!」


 裂帛の気合いと共に、エイビスの動きに合わせてエリスが大剣を振り下ろす。その恐るべき一撃も、エイビスは手にした盾で受け止めた。更に彼は受け止めた大剣を競り上げて、空いた脇腹に右手の槍を突き刺そうと繰り出した。

 エリスは先程と同じ様に、受け止められ競り上げられた勢いを利用してエイビスの上空で一回転して彼の後方に着地した。しかし今度は背後に向かって攻撃を繰り出す事は出来なかった。

 着地した所を見計らってタイミング良くエイビスが彼女の背中へ槍の一撃を繰り出して来たのだ。エイビスの動きは、先程よりも遥かに素早くなっていた。

 一瞬、ほんの僅か一瞬の差で、エリスは彼の攻撃をかわす事に成功し、大きく間合いを取る事が出来た。


 だが今度はエイビスの攻撃が止まらない。


 開いた間合いを一瞬で詰め、エイビスが止まらない連続攻撃を繰り出して来た。エリスはそれをかわす事に精一杯だった。


(俺は三百八十九年ぶりに造られた精霊体だからね。それまでの聖霊体達が蓄積してきたデータが可能な限りフィードバックされているのさ。だから一から経験を積まなくてもある程度は戦えるようになっているんだよ。その方が宿主の生存率も上がるしね……ってエリス、ちゃんと聞いてるのかい?)


 何やら難しく、結構重要な事を口にしたユーキだが、エリスはその内容を半分も理解する事は出来なかった。

 ユーキの話す言葉が初めて耳にする物だと言う事もあるが今はそれどころでは無く、彼女はエイビスの攻撃を躱し続けるだけで精一杯だった。


(い、今はそれどころじゃないのよっ! ユーキ、この攻撃、ど……どうにかならないのっ!?)


 エリスは高速で繰り出されるエイビスの連続攻撃に手も足も出なかった。防ぐのがやっとで反撃は勿論、間合いを開ける事も出来ずにいたのだ。

 本来ならばユーキに助言を仰ぐなど、エリスのプライドが許さない所だろう。それにこれは模擬戦であり、彼女は十分にその能力を披露したと言える。ここで負けても問題ないはずだった。

 しかしここに来て彼女の中にある負けず嫌いな部分が顔を出していた。

 ユーキに助言を仰いででも、この場を何とかして勝機を見出したいと思っていたのだ。


(んー……ない事はない……かな?)


 切羽詰まったエリスの物言いに対して、ユーキの返事はいつもの様にのんびりとしていた。


(それはっ!? どうすれば良いのよっ!?)


 そんな口調に苛立ちが隠しきれない彼女は早口で捲くし立てた。


(俺に君のコントロールを任せれば、今よりも状況を改善出来ると思うよ。体の動きを全て俺に任せるんだ。そうすれば……)


(そんなのは絶対、嫌っ!)


 ユーキの言葉を遮ってエリスが強く拒否した。


(だよねー)


 エリスからの返事も彼には織り込み済みで、彼はすぐさまその言葉に同意した。


(ほ、他っ! 他に何かないのっ!?)


 いよいよエリスにはエイビスの攻撃を捌ききれなくなっていた。直撃は無いが、躱したと思った攻撃が彼女の身を掠めだしたのだ。


(それじゃあ、武器を変えるしかないね)


 ユーキから返って来た答えは、またも突拍子のない言葉だった。


(ぶ、武器っ? 今、そんな事が出来るのっ!?)


 エリスは聖霊に付いて深く知っている訳では無いが、複数の武器を使いこなしたと言う話を聞いた事は無かった。まして今は戦闘真っただ中である。


(出来るよ? 最初に聞いたよね、武器は何が良いって。君がどんな武器を所望しても、俺には今君が使っている大剣と同じレベルで他の武器を扱えるようにする事が出来るんだよ)


 ユーキはどこか自慢げに、誇らしげにエリスへ返答した。彼女にはその態度が鼻に衝いたが、今はそれどころでは無かった。


(じゃあそれでお願いっ! どうすれば良いっ!?)


 先程にもまして余裕の無くなって来たエリスの言葉はすでに悲鳴の様だった。


(もうすぐ三連撃が君の顔を目掛けて繰り出される。躱すんじゃなくて、大剣を地面に突き刺して盾の様に防ぐんだ。その隙を衝いて一気に後退しよう)


 何故そんな攻撃が来る事を予測出来るのか疑問に思いそうなものだが、今のエリスにそんな余裕は微塵も無かった。


(分かったっ!)


 そう答えた矢先、彼の言った通りエリスの顔を目掛けて、素早い突き攻撃が三連見舞われる。彼女はユーキの言った通り、地面に大剣を突き刺してその刀身で攻撃を防ぐと同時に大きく後退して距離を取った。

 エイビスは距離を取るエリスを追う事はしなかった。彼女の行動が余りにも奇妙だったからだ。

 戦闘中、手にした得物を放り出して後退する等明らかに自殺行為だ。エイビスならば、いや他のどんな戦士でもそんな事はしないだろう。

 そんな非常識な行動が、彼の追撃に歯止めをかけたのだ。結果としてエリスに時間的猶予を与える事となった。


(これから短剣を二本出すから両手で装備して接近戦を挑むんだ。出来る?)


 こういう言い方をされれば、普段のエリスなら激昂して反論してきそうなものだった。


(う、うん。やってみる)


 しかし返って来た言葉は妙にしおらしいものだった。


 ―――今この時、エリスは驚きを隠せないでいたのだ。


 短剣を使った接近戦が出来るかどうかは問題では無かった。ユーキがそう指示するのだから、結局のところエリスがそれをするのか、しないのかと言う二択になるだけなのだ。

 エリスが驚きを隠せないのは、エイビスの攻撃をユーキが先読みして指示をしたと言う事実についてだった。


(それよりユーキ、あんた……なんでさっき彼の攻撃が読めたの?)


 エイビスが繰り出す攻撃予測もその対処法も、ユーキの指示は完璧だった。


(それはエリス、君の動きが単調だったからさ。それに併せて動いていた彼の動きも単調になっていたんだね)


 事も無げに言ってのけるユーキだが、勇者の高速戦闘を見てその穴を即座に見つける等簡単な事では無い。流石は聖霊と言った所なのだろう。


「武器を捨てて退くとは、降伏の意と受け取って良いのか!?」


 今のエリスは丸腰だ。そしてそんなエリスを追撃する程、エイビスの騎士道は落ちぶれていないのだろう。先程から距離を詰める事無くこちらを窺っている。勿論エリスの奇策に警戒している節もある。


(それじゃあ行くよ)


 彼の問いを気にする事無くユーキはエリスに合図を送った。


(うん、お願い)


 そしてエイビスに返答する事無くエリスも準備を始めた。

 その瞬間、突き刺さったままの大剣とエリスの防具が再び光に包まれ消え失せる。そして即座にエリスの纏っている魔力光が再び強く輝きだした。


「な、なんだっ!?」


 それを見たエイビスは数歩たじろいだ。恐らく戦闘中にこの様な現象が現れる等前代未聞なのだろう。

 そしてそれを注視するノクトの口元には笑みが零れる。この先こそが彼女の見たかった事なのかもしれない。

 エリスの纏う赤い魔力光は、先程と同じく彼女の両手に短剣を、頭と上半身、腰、両足に防具を顕現させた。やや長めの刃を持つ短剣の刀身は赤黒く光っている。彼女を覆う防具は先程よりもカバーする範囲が多くなったものの、金属と言うよりも磨き上げられた獣皮のそれに近い素材で更に軽くなっている様だった。明らかに高速戦闘に特化した装備だった。


「そ、装備が変わった……のか?」


 目の前の現実に付いて行けないエイビスの声は震えていた。


(エリスッ!)


 そんな彼を尻目に、ユーキがエリスの背中を押す。


「はぁ―――っ!」


 気合いと共に短剣を両手に構え、再度エイビスとの間合いを詰めるエリス。そしてその動きは、明らかに先程を上回っていたのだ。

 加速したエリスの動きに虚を突かれたエイビスは迎撃するタイミングを削がれ、盾での防御姿勢を余儀なくされた。


(エリス、動きの速さを活かして四方八方から攻撃するんだっ! なるべく同じ動きを続けない様に気を付けてっ!)


「わかったっ!」


 口に出し大きな声でそう答えたエリスは、彼の言った通りエイビスをその場で釘付けにする動きで連続攻撃を仕掛けた。

 最初の一手で先手を取られたエイビスはその場から動く事も出来ず、ただエリスの繰り出す四方からの攻撃を受け止める事に従事する以外無かった。

 時折槍を繰り出すも、エリスが肉薄している事で連続攻撃する事も出来ず、散発的な攻撃にならざるを得なかった。


「グッ!」


 思わずエイビスからうめき声が漏れる。驚くべき事にエイビスが捕捉し続ける事が困難となる程、どんどんとエリスの動きは速度を上げているのだ。

 武器にはそれぞれ相性がある。今回の場合、エイビスの重装備と長い槍に対するのは、魔法攻撃か、速度で掻き回すのが効果的と言える。そしてそれはそのまま実証されていた。


 ―――ガキンッ!


「グゥッ!」


 エリスの上がった速度に、一瞬視界から彼女を見失ったエイビスは、次の瞬間背中に衝撃を受けた。背後に回り込んだエリスの一撃を食らったのだ。

 しかし彼女の短剣は、彼の纏う強固な鎧に弾かれダメージを与える事は出来なかった。


 ―――肉体的には、だが。


 ここでもエリスの経験不足が露呈し、大きなチャンスを活かす事が出来なかった。

 短剣は小回りが利き軽く、高速での運動と連続攻撃に長ける反面、一撃の威力に大きく劣る。それゆえ重装備の相手を狙う際には、鎧の隙間を狙う様な攻撃を行う以外にダメージを与える事は至難だ。まして馬鹿正直に相手の体を狙ったとしても、今回の様に弾かれるのがオチだった。

 だがこの攻撃でエイビスは大きな焦りを感じていた。

 ただでさえ戦闘途中に武器を変えると言うアクロバティックな事をやってのけたエリスに、今は速度で翻弄され、あまつさえ攻撃を当てられたのだ。その動揺は計り知れなかった。


 ここで彼は大きな決断をする。


 盾を前面に押し出し、槍を前方に固定して、高速で前へと突き進んだのだ。これはエリスに狙いを絞った攻撃では無く、ただ前方へ突進を敢行しただけだった。

 このまま立ち止まり、竜巻の如く周囲を飛び回られるのは得策ではないと判断して、その場からの離脱を図ったのだ。

 そして彼の選んだ移動先は部屋の隅。

 これならば前方九十度の角度からしか攻撃が来ない。例え俊敏性で劣ったとしても十分に対処できるポジションだと言えた。

 狙い通りの位置に到達し、振り返り迎撃の構えを取ったエイビスが見たのは、追撃して来るエリスでは無かった。

 彼女は再び、部屋の中央で赤い魔力光に包まれていた。


「チェックメイト……だな」


 ノクトはポツリと呟いた。

 エイビスは先程よりも更に緊張の度合いを高める。何が現れても対応出来る様に、強固な盾を前に強く固定し防御姿勢を取った。

 しかし現れたのは、彼の想像する様なエリスでは無かった。


「ま、魔導タイプだとっ!」


 エリスはゆったりとしたローブを具現化してそれを身に纏い、手には魔術杖を装備した魔法使いの姿となっていた。

 これがユーキの考えたプランだった。

 エリスの素早い攻撃に翻弄されれば、エイビスはきっと体勢を立て直す為に大きく後退する。冷静さを保てていれば違った行動もあっただろうが、少なからず動揺していた彼は、その向かう先までユーキの読み通りに動いてしまったのだ。

 物理耐性が異常に高い騎士タイプでも、魔法に対する耐性は総じて低い。

 だが魔導タイプは俊敏性に欠き、魔法を発動するにも若干の時間を要する。

 こちらが引けば追撃して来る可能性があり、エイビスの方から距離を取ってもらう方が都合は良かったのだ。

 そして今、魔導タイプへと変貌したエリスは魔法発動の準備を終えたのだ。


「しまったーっ!」


 そう叫んだエイビスは、先程よりも遥かに早いスピードでエリスに突進を掛けた。


「……閃きなさい、ライトニング」


 しかしすべて手遅れだった。なまじ突進していたエイビスは、前方から超高速で襲い来る電撃を避ける事等出来ず直撃を受けた。


「がああぁーっ!」


 全身から黒い煙を上げ、動きの止まったエイビスはその場にユックリと膝をついた。


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