初めての「融合」

 エリスは何故この部屋がこんなに広いのか、今になって漸く理解する事が出来た。ここは戦士同士が模擬戦をする為の部屋だったのだ。

 そして今エリスはその部屋の壁際で待機している。対戦相手であるエイビスは正反対の壁際でやはり待機している筈だ。

 大きな声で話せば反響するこの部屋も、大きく距離を取り小声で話せば内容が相手に聞こえる事は無い。薄暗いこの部屋では、反対の壁際で待機している相手の顔すらよく見えない。


「ねぇ……ユーキ。私はどうすれば良いの?」


 成り行きとノクトの決断でエイビスと模擬戦をする事になったが、エリスには何をどうすれば良いか分からなかった。模擬戦とはいえ、実戦を行う事はエリスにとって初めてと言っても良かったからだ。


「どうって、こうなったら戦うしかないね」


 両掌を上に向けて肩の高さに上げヤレヤレと言ったジェスチャーを取るユーキは、事ここに至っても面倒臭そうだった。その理由もエリスには何となく分かる気がした。

 これはつまり、能力査定にかこつけたユーキの実戦テストに他ならないのだ。ユーキ自身が語らない彼の能力を知るには、今の所戦っているエリス達を見て判断するしかない。ただあからさまとも言えるノクトの思惑が分かるだけに、それに従わざるを得ないこの状況がユーキには不満の様だった。


「それで、具体的にはどうすれば良いのよ?」


 だがエリスにとってユーキの心情はどうでも良かった。それよりももっと近い所に問題があり、彼女にしてみればこれから行われるエイビスとの模擬戦にどう対処するかと言う事の方が重要であったのだ。


「まずはエリス、君が俺を受け入れる所から始めないといけないね」


 つまり“勇者”となれる様にすると言う事だった。確かにエリスは今まで、一度もユーキを“受け入れた”事は無い。


「……それなんだけど……山で熊に襲われた時に力を貸してくれたわよね? あれは……出来ないの?」


 彼女は先日祖父のガストンと山に入った折、熊に襲われた時ユーキが力を貸してくれた時の事を言っているのだ。あれならばユーキを“受け入れる”必要もなく強い力を得る事が出来る。ここに至ってもエリスの聖霊嫌いは鳴りを潜める事は無かった。


「別に出来ない事は無いけど、あんな力じゃあの男は勿論、魔属になんてとてもじゃないけど太刀打ち出来ないよ? それでもいいの?」


 そう言われるとエリスには返す言葉も無かった。この模擬戦での勝敗はともかく、今後魔属との戦闘に際して大した抵抗も出来ずに死んでいくなど彼女の望む事では無かった。


「……わかった。それで私は何をどうすれば良いの?」


 漸く観念したエリスが溜息交じりに言った。そもそも先程ユーキと話した時点で決心はしていた筈であり、今更エリスにとって都合の良い方法などある筈もなかったのだ。


「俺がエリスの中へと入るのに、エリス自身が拒否しなければ問題ないよ。何か他の事を考えてくれれば……そうだなー……目を瞑って十数えてくれればそれでいいよ」


 ユーキを拒否しないと言う事が最も難題であり、それをどう克服するかがカギとなっていた。


「……へ? そんなんで良いの?」


 だが彼の示した方法は余りにも安直で、エリスは思わず呆けた声を上げてしまった。


「多分大丈夫だよ。とりあえずやってみて」


 しかしユーキはその方法で疑っていない。早速エリスは目を瞑り、数を数え始めた。


「……九……十……」


 数え終わったエリスがそっと目を開けると、そこにユーキの姿は無かった。


「あ、あれ? ユーキ?」


 左右を見回し彼の名を呼ぶエリスには、先程の行為で成功したのか失敗したのかさえ分からなかった。


(オッケー、エリス。成功したよ)


 そんな不安を解消する様に、何処からともなくユーキの声が聞こえた。エリスは更に激しく首を左右へと振り彼の姿を探した。


「ちょ、ちょっと、ユーキッ! 何処に居るのよっ!?」


 だが彼女の視界にユーキは映り込まない。


(落ち着いて、エリス。ユックリと目を閉じて、意識を自分自身の中に向けてみて)


 そんな彼女に、ユーキは宥める様な言葉を投げ掛けた。エリスは彼の言う通り眼を閉じて呼吸を整え、ユックリと自分自身の中へ神経を集中させた。




 暗闇の中を、奥へ奥へと進んでいく感覚。エリスにはそこがトンネルの中なのか広い部屋の中なのか、そもそもちゃんと進んでいるのかどうかも分からない。

 彼女の感覚では足を交互に前へと進めている。ただその行為で前進しているのかどうかまでは分からなかったが、暫くしてその行為が正解であったと認識出来た。

 前方に淡い光が見えたのだ。

 エリスが歩く速度を上げ前へ進むと淡い光がドンドンと大きくなり、それにつれてその光の正体がハッキリと視認出来る距離まで来て……エリスは足を止めた。


(やあ、エリス)


 そこに居たのはユーキだった。淡い光の正体はユーキの体が発光して出来た物だったのだ。

 この暗闇にあって、その光は唯一の光源だった。闇は人の心を不安にするものであり、それはエリスも当然同じであった。だからこそその光は有難かったのだが……発光している者の正体がユーキだと知って、エリスは落胆と同時に強い違和感を覚えた。

 しかし彼女にはその“違和感”の正体がすぐに分かった。と言うよりも、分からない訳がなかったのだ。それは……、


 ―――ユーキの体が……大きくなっていたのだ。


 普段は、いや先程まで掌で掴める程の大きさだった彼だが、今はエリスの腰位までに身長がある。言うなれば幼い子供の程の背丈となっていた。


(あんた……ユーキ……よね?)


 エリスは恐る恐るそのに声を掛けた。


(ああ、俺はユーキさ)


 それを受けてユーキは、親指で自分を指し満面の笑顔で答えた。

 今のユーキは、一目見ただけでは普通の少年と大差ない。もし現実の世界ですれ違えば、きっと違和感なく通り過ぎていたであろう。


(ここは君の精神世界。ここでは俺達の姿や大きさも自由に変える事が出来るのさ)


 驚きと恐怖と嫌悪で未だ冷静さを取り戻せていないエリスは、口をパクパクして言葉を発せられないでいた。そんな彼女に気遣う事も無く、彼は説明を続けていく。


(そして俺達聖霊を受け入れた宿主との会合の場でもある。更に俺達はここから君達宿主に力を貸し与えるんだよ)


 つまりここでこの様にエリスとユーキが顔を合わせる事が、勇者化の第一歩と言う事だった。エリスは彼の言葉で幾分冷静さを取り戻す事が出来た。


(……そう。でもユーキ、あんたのその姿、どうにかならないの?)


 彼女にしてみれば見るのも出来れば避けたい聖霊の姿が、これほど大きくなっては気持ち悪くて仕方がないのだ。普段見る妖精の姿ならば、飛び回ってはいるがその大きさから気にする程ではないし、何よりも人間の姿には程遠い。しかし今はまるで人間と見紛う様な姿をしており、エリスにはそれが聖霊であると考えれば更に嫌悪感が増してしまうのだ。下手をすれば人間の子供でさえ嫌悪の対象となってしまうかもしれない。


(うーん……この姿が無難だと思ったんだけど。もうちょっと大きな方が良いかい? それとも大人の様な姿の方がましかな?)


 ユーキは自分の姿を見ながらエリスにそう提案した。


(なんでそっち方向に話が行くのよっ! もう、それでいいわよっ!)


 これ以上大きくなったり人間臭くなられては、エリスの方が堪ったものでは無かったのだ。


(……兎に角、この次はどうすれば良いの?)


 エリスは半ば捨て鉢気味な台詞をユーキへと投げ掛けた。彼女としても、ここまで来れば開き直るしかなかったのだ。


(じゃあ説明するね。エリスは基本的に意識を外へと向けながら、君の精神世界に居る俺を意識する様にするんだ。ちょっとややこしいかもしれないけれど、慣れればすぐに自然と出来る様になるよ)


 確かに彼の説明はちょっとした謎掛けに似ている。だが宿主となったエリスには彼の言っている事が何となく理解出来、すぐにその効果が現れる事となる。

 確かに意識は外の世界を認識しているにも拘らず、自分の内側に存在するユーキもハッキリと確認する事が出来た。


「……不思議な……感じ……」


 エリスはこの初めての感覚に不安や嫌悪、忌避以外の物を感じていた。


 ―――それは今までに無い、自分への可能性。


 ―――新しい自分の力に対する期待感、高揚感。


 エリス自身はそうと気付いていないが、彼女はユーキと“融合”する事によって、間違いなくワクワクしていたのだった。


「両名、準備が出来次第、中央へと参れ」


 その時、石壁の部屋にノクトの声が反響した。

 エリスには随分と長くユーキとのやり取りを行っていた様に感じていたが、実際には数分しか過ぎていなかったのだ。

 ユーキを自分の中に有したままエリスが中央へと歩み出すと、対面の暗闇からも人影が近づいて来た。そして双方、およそ十メートルの距離を取って立ち止まり対峙した。


「それでは勇者化せよっ!」


 その様子を確認し、ノクト高らかに宣言した。同時に目の前に居るエイビスから青白い光が湧きたった。


(ちょっと、ユーキッ! あれは何っ!?)


 人が体から光を発すると言う現象を目の当たりにしたエリスは、慌てふためいて自身の内側に居るユーキへ問い合わせた。実際にはそれを目撃するのはこれで二度目であるのだが、今のエリスには熊を倒した時に起こった自身の変化など完全に失念していたのだ。


(あれは魔力光だよ。俺達は宿主が持っている魔力を加工して武器防具や疑似筋力を付与するんだ)


 ユーキの話が終わると同時に、エイビスの体に変化が見て取れた。それまで武器や防具の類は何も身に付けていなかったにも拘らず、その魔力光が具現化したであろう武器防具を身に纏いだしたのだ。

 全身を強固な鎧が覆い、左手には大きく頑丈そうな盾が、右手には長く鋭い槍が顕現し、一見して騎士だと分かる出立へと変貌を遂げたのだった。


(さあ、エリス。俺達も勇者化しよう。どんな武器が良い?)


 唖然とその光景を見ていたエリスにユーキが語りかけた。ハッとして我に返ったエリスは僅かな逡巡の後、迷いのない言葉で答えた。


(剣……大きな剣が良いわ。どんな敵も打ち壊し叩き伏せる、切れ味の鋭い大剣よ)


 だが彼女の返答に、ユーキは歯切れの悪い言葉を返した。


(大剣かー……不慣れなうちは片手剣やナイフの様な武器の方が良いと思うんだけど)


 ユーキが彼女に異を唱える事等初めてかもしれない。もっともこの場合は反論と言うよりはアドバイスに近かったのだが、その事にエリスの神経は逆立った。


(ゴチャゴチャ言わないで言う通りになさいっ!)


 初めての戦闘を前に昂ぶっているのか、それともどこかで変なスイッチが入ってしまったのか、エリスはユーキの言葉に聞く耳を持たなかった。これにはユーキも溜息をついて言う通りにするしかなかった。


 ―――次の瞬間、エリスの体もまた魔力光に包まれる。


 しかしエイビスの青白いそれとは違い、仄かに赤い魔力光だった。

 エリスは自分のイメージした色にも合っているその魔力光を綺麗だと感じていた。そしてその魔力光は、徐々に武器防具へと形作っていった。

 エリスの右手には彼女の背丈よりも長く胴回りよりも太い刀身を持つ大剣が、上半身には胸当て、左手には籠手、両膝には膝当てが、そして額にはヘッドガードが具現化された。それは防御を犠牲にした、完全攻撃型とも呼べる出立いでたちだった。


(ユーキ、武器はこれで良いんだけど……防具が殆ど無いのはどうして?)


 流石にこれでは心許ないと感じたのか、エリスはユーキに説明を求めた。


(こんな大きな剣を振り回すんだ。防具が邪魔になったり、その重さで動きが鈍る様じゃ意味ないだろ? 筋力に特化した経験でもあれば話は別だけどね)


 ユーキの言葉に、エリスはなる程と納得する事が出来た。確かに巨大な剣を振るう上に重装備では動きに精彩を欠き、まともに攻撃を当てる事は出来ないと想像出来る。この装備は最低限の装備であると同時に、大剣を振るう上で最大限の防具でもあるのだ。


「ほう……ユーキ様の得意武器は大剣か。それともエリスが望んだ物なのか?」


 変貌したエリスをみてノクトが感想を漏らした。




 この世界に現存する勇者は約二百名。その内の九割は戦士タイプの勇者となっている。

 だが宿主全てが前衛で戦う戦士タイプを好んでいる訳では無く、性格的に魔導タイプを希望する者も少なくは無かった。

 ただ勇者のタイプは聖霊の得意武器にも左右される。

 最も初めに聖霊の宿主となった者は、その時自分が一番得意と思う武器を聖霊に所望する。そして聖霊はその通りに武器を具現化し、力を貸し与える。

 そうして何人かの宿主を渡り歩いた聖霊は、最も経験の上がっている武器を宿主に勧めて顕現する様になる。一つの武器を突き詰めていく方が、多種類の武器を使うよりも効率よく経験を積み重ねる事が出来るからだ。宿主にしても、より聖霊が力を発揮出来る武器を選んだ方が生存率も上がる事から、多少不慣れであってもそちらをチョイスする。それを繰り返していくうちに、聖霊の「得意武器」が固定されるのだ。

 しかし全く経験を持たないユーキを有するエリスは、今までの聖霊とは違う選択が可能だった。つまり、自身の望む戦闘スタイルを要望する事が可能なのだ。

 この時エリスは魔導タイプをチョイスする事も出来た。得手不得手があり必ずしも彼女に合っているとは言えないが、戦闘経験に乏しい彼女は後衛で戦う方が安全だと言える。

 ただエリスはこの時やや冷静な判断が出来ない状態だった。所謂興奮状態に近いのだろう、殆ど初めて戦いの場に立つエリスにとって、戦いとは剣を交える事だと先入観で判断してしまったのだ。

 そして、あえて大剣を選んだのは、彼女の感情に起因していたのだった。

 効率や使い易さ等は関係無く、とにかく魔属を叩き伏せる武器を選んだに過ぎなかった。




 武器防具が具現化され魔力光の輝きは弱まったがそれは消え失せる事無く、薄っすらと被膜の様な状態で彼女の周囲に留まり安定した。


(あれ、これで終わりなの? この間とちょっと違うんだけど……)


 装備の具現化は種類が違えど先日と同じ様に完了した。だが前回、山で熊と対峙した時の様な肉体的変貌は一切ない。目の前に居るエイビスを見ても、鎧に覆われて姿は確認できないが肉体的に変化した様子は見られなかった。


(うん、今回はこの間と違うよ。あの方法を取るにはまだまだクリアしなければならない問題が多いからね。今回は彼等と同じ方法で勇者化して戦うしかないね)


 ユーキの返答に、エリスは先程までの話を思い出していた。こうしてユーキと融合しても、未だ彼の言う“クリアしなければならない問題”が多く残っているのだろう。それ故にユーキから新たな説明は無いままであり、彼の秘めた力を発揮出来ない状態なのだとエリスは理解した。だがその場合、全く経験のない状態で戦わなければならない事も示唆している。エリスは勿論の事、ユーキも数日前に顕現したばかりの聖霊であり、戦闘経験は皆無なのだ。しかしそうなれば最初からエイビスに対して勝ち目など無く、それどころか無事では済まないかもしれなかった。


(……それで本当に大丈夫なの?)


 そう考えると流石に不安が湧いて来たエリスは弱音を吐いた。


(んー……大丈夫じゃないかな? そもそもこれは模擬戦だろ? 殺し合いじゃないんだから)


 そんな彼女の心情とは裏腹に、ユーキからの返答はどこかお気楽に感じられるものだった。


「ふん、小娘が大層な武器を使う事だ。しかし如何に巨大な剣であっても、この盾を砕く事等敵わぬと知る事になる。身の程を思い知らせてやるわ」


 エリスの纏った装備を見てエイビスがせせら笑いながら言い放った。だがエリスにしてみれば、元よりそんな気など更々無かった。

 しかしこの言葉がエリスの心に火を点けたのは間違いなかった。何かにつけて彼女を見下す発言の多かったエイビスに、彼女の方も少なくない憤慨感を持っていたのだ。


「いいわ、やってやるんだからっ!」


 その言葉はエイビスに向けられたのか、ユーキに向けられたのか。ともかくエリスの腹は据わった様であり、その雰囲気を読み取ったノクトは開始の合図を出す。


「双方、これはあくまで模擬戦だと言う事を忘れぬようにな。始めっ!」


 ノクトはそう告げると同時に大きく後方へ跳躍して距離を取ったのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る