「エイビス」と「レグナス」
「なー、エリスー。なーってばー」
城門に向かう大通りを歩くエリスの後ろから、ユーキは彼女に声を掛け続けていた。だが彼女はそれを完全に無視して歩を進めていた。
ユーキは先程から、興味を惹く露天商を見物したくて仕方がない様子だったが、その要望は却下され続けていたのだ。
前を行くエリスは、彼のオウム返しを気にも留めず違う事を考えていた。
ユーキが、聖霊がこれだけ騒がしいのに、道行く人はそれを気にした様子が無いのだ。世界的に見ても聖霊を引き連れた勇者は珍しい筈であり、実際この街に来る途中で立ち寄った宿場では、すれ違う人全てに奇異の目を向けられたものだった。
だがこの街の人達は違っていた。ユーキに一瞥をくれるだけで、彼にもエリスにも好奇の目を向ける者は殆どいなかったのだ。しかしそれも良く考えれば当然の事だった。
ここには世界中の勇者が聖霊を引き連れて一度は訪れる王城があり、ここはその城下町だ。城には何人もの勇者が控えているだろうしこの城下町へ来る事もあるだろう。彼女はまだ他の勇者と出会っていないが、この街の人にしてみればそう珍しい事では無いのかもしれない。
そんな事を考えている内に、巨大な城門の前までやって来ていた事に彼女は気付いた。
この街へと入る時に潜った門も大きかったが、この城門はそれより二回りも大きく強固に見える。それだけに、とても人一人を通す為にわざわざ開閉する様な物に見えなかった。
案の定、正門のすぐ脇には人が一人通れる大きさに作られた通用門があり、その前には警備の兵が姿勢よく立っていた。
「うへー……大きな門だなー……」
城門に見入っているユーキを置き去りにして、エリスは通用門近くに立つ衛兵へと向かった。
―――ガッ!
「キャッ!」
―――ドサッ!
だがエリスは道に出来た窪みに足を取られ、衛兵の目の前で盛大に転倒してしまった。
「だ、大丈夫ですか!?」
エリスはすぐさま駆け寄って来た若い衛兵に助け起こされた。恥ずかしいやら照れ臭いやらで顔を真っ赤にしたエリスは、スカートに付いた土埃を払ってその兵士に向き直った。
「だ……大丈夫です。あ、ありがとうございました」
そして衛兵に向かい、深々と頭を下げた。
「いえ、怪我が無くて良かった。気を付けて下さい」
エリスの礼を受け、衛兵は笑顔でそう答えた。そこへ遅れて来たユーキが飛んで来る。
「おい、エリス―。大丈夫か?」
先程の失態をしっかり彼に見られていたと理解したエリスは再び顔を赤くした。醜態を晒した姿をユーキに見られ、その事に心配される様な言動を掛けられた事への屈辱で頬を紅潮させたのだ。
「だ、大丈夫よっ!」
その羞恥心を隠す様に、エリスは殊更突き放した様に答えユーキから顔を背ける様にそっぽを向いた。ユーキには取り合わず、手助けしてくれた衛兵へと向き直ったエリスは、衛兵の態度が先程とは違っている事に気付いた。表情に先程と違う堅さが現れ、やや緊張した面持ちとなっていたのだ。
「し、失礼しましたっ! 勇者様っ!」
大きな声でエリスにそう言うと、衛兵は背筋を伸ばして直立姿勢を取った。ユーキが、聖霊が彼女と共に在る事を知った彼は、彼女が勇者だと気付いたのだ。
この王国で勇者がどの様な地位にあるのかエリスは良く知らない。だが彼女に対する衛兵の態度が、聖霊の登場で一変した事を見る限りで大体の想像を付ける事が出来た。
―――この国で勇者は畏れ敬われている。
少なくともこの街で勇者は特に珍しい存在ではないと思われている事は、この街をユーキと共に歩いて分かった。しかし目の前の衛兵にとって、少なくとも勇者は親しみやすい存在では無い様だった。
そしてそれは、憧憬の念ではなく畏怖のそれに近い物だった。
この城より南方は最前線だ。ここにいれば英雄譚でも武勇伝でも無い、現実味のある生々しい勇者の活躍が真っ先に聞こえて来る場所でもあるのだ。
「いえ、気になさらないで下さい」
先程までの和やかな雰囲気は鳴りを潜め、ある種の緊張感が目の前の衛兵から感じられる。一般兵が束になっても敵わない魔属を、たった一人で倒す事が出来る力を持つ者、それが勇者だ。例えエリスの様な少女であっても、目の前の衛兵を瞬時に倒してしまう事等造作もない事だと、エリスの眼前で硬くなっている彼は考えて恐れ
まるで上官の命令を待つように、衛兵は緊張した面持ちでエリスの言葉を待っていた。
「申し訳ありませんが、私は今日これから聖霊の報告に赴かなければなりません。案内していただけますか?」
その雰囲気を和ませるように、エリスは微笑んで優しく語りかけた。
「はい、畏まりましたっ! こちらへどうぞっ!」
エリスから受け取った雰囲気に和まされたのか、衛兵はやや緊張感を解いてエリスの問いに答え、自ら先頭に立ち彼女を通用門へと案内した。
通用門を潜ったエリス達は、その城の荘厳さに目を奪われた。
閉じられた正門から一直線に伸びる大きな通りの先には、エリス達が昼食を取った場所より一回り程大きな広場があり、そこにある噴水も街の物より美しく豪華だ。その奥に城の入り口が見て取れた。
ユーキは案の定、興奮度MAXとなりキョロキョロと忙しなく首を振っている。エリス達はその入り口まで案内され、そこで場内の案内係を紹介された。
「それでは宜しくお願い致します」
衛兵はエリス達の時と同じように、その案内係の女性に背筋を伸ばして挨拶をした。
「はい―、わかりました―」
メイド姿の女性は、やや間延びした返事をにこやかに返した。見た所エリス達より若干年上の様だが、その間延びした話し方と子供の様な笑顔で実際よりも遥かに幼く見える。
「初めまして―勇者様―。私が案内を仰せつかりました―『メイファー=ガナッシュ』と申します―。以後―お見知りおきを―。私の事は―気軽に―『メイファー』って―呼んで下さいね―」
エリスに向き直り、メイファーは深々とお辞儀をした。その仕草もどこか可愛らしく愛嬌が合った。
「は、初めまして、メイファーさん。エリス=ランパートと申します。宜しくお願いします」
エリスもメイファーにピョコンとお辞儀して答えた。
「あれれ―? あの方が―エリスさんの―聖霊様なんですか―?」
エリスの後ろで挨拶もせずキョロキョロが止まらないユーキを見てメイファーが尋ねた。
「ちょっとっ! ユーキっ! 挨拶位しなさいよっ!」
エリスは顔を真っ赤にしてユーキに言った。
言うまでも無く聖霊は宿主のペットでは無く、また被保護者でも無い。だから本来ユーキにマナーを教えたり躾を行う事はエリスの責任では無い筈だ。
しかし彼女にはユーキの落ち着きなく不躾な行動は恥ずかしい行為だと感じられた。特に王城の様な格式ある場所であれば尚更だった。
「あ、俺ユーキ。宜しくな、ねーちゃん」
ヨッと右手を上げてユーキは自己紹介らしきものをした。だがその余りに砕けた挨拶は、その姿を見たエリスの顔を更に赤く染め上げる。
「ふふふ―ユーキ様って―言うんですね―。宜しくお願いします―」
そんな礼儀もマナーすらなっていない挨拶を気にした様子も無く、メイファーは楽しそうに返答した。
元来聖霊はその姿に似つかわしく奔放な性格を有している者が多く、礼儀やマナーを気にしたり順守する方が珍しい。メイファーはそれを知っており、また多くの聖霊を見て来たからか、ユーキの態度を不快に感じる事が無かったのだ。
王城と言う場所もそれに一役買っているのかもしれない。ここ程聖霊や勇者の集まる場所等他にないのは間違いなく、聖霊の行動や言動にイチイチ驚く事も少なくて当然だった。
しかしそんな事に頭が回らないエリスにとって、ユーキの行動は目も当てられない酷い様に感じ、顔から火を噴きそうなほど恥ずかしい思いをしていた。
「それでは―エリスさん―、ユーキ様―、ご案内いたします―」
エリスが羞恥心から立ち直れず動けなくなっているのを知ってか知らずに、メイファーはマイペースで彼女に語りかけ移動を開始し、その後をエリスは慌てて追った。
「エリスさん達を―一旦―控えの間へ―ご案内いたします―。審査と―登録の―準備が出来ましたら―お呼びいたしますので―それまで―ご休憩下さい―」
前を歩きながら、メイファーは今後のスケジュールを簡単に説明した。そんな彼女の更に前をユーキが先行し、廊下に並ぶ珍しい物を次々と物色している。
本当はここで注意するべきなのだが、先程の件で精神的にダメージを受けているエリスはそんな気になれなかった。前を行くメイファーが特に何も言わないのならば、調度品を壊す様な事が無い限り問題は無いのだろうと考えたのだった。
「あの……メイファーさん。待つ時間と言うのはどれ位になるんでしょうか?」
ユーキの行動に多大な精神的ダメージを負っているエリスが、力なくやや恐縮してメイファーに尋ねた。
「そうですね―……今日は―エリスさん達の他に―もう1組―審査登録のある勇者様がおられるので―最低でも―1時間は―待っていただくと―思います―」
顎に指を当てて考え込む仕草を取りながらメイファーはそう答えた。
その答えを聞いたエリスは、脱力していた体に再度力を込めて弛んだ顔を引き締めた。
エリスには考えている事があった。一時間あれば、それを済ませる事が出来るとエリスは考えたのだ。
彼女が考えていた事、それは目の前を忙しなく動き回るユーキとしっかり話す事だった。
エリスは村を出てから、ずっとその事について考えていたのだ。
彼女がどう思おうと、聖霊はすでに顕現してしまっている。そして自分は勇者になるべく王城に訪れており、勇者となれば聖霊の手を借りない訳にはいかない。
嫌だと言って固辞すれば免除される様な事ならば苦労はなく、そして折れなければならないのは間違いなくエリスの方なのだ。
エリスは村を発ってからこの街へ着くまでに随分葛藤し、苦渋の決断を下していた。
彼女が向ける視線の先で、右に左に飛び回るユーキを見つめながら、改めてエリスは心を決めていた。
それにしても如何に人気が少ない廊下と言えど、ユーキの動きは余りにも忙しなく、これでは不意に人が出て来ようものなら接触してしまう。
「ちょっと、ユーキ! 少しは落ち着きなさいよ、迷惑でしょ!」
気が付けば随分と先行しているユーキにエリスは注意した。
「えーっ? なんだってーっ?」
更に先へ進もうとしていた彼は、前進しながら振り返りエリスに答えた。
その直後、通路左脇から人影が現れた。ユーキには完全に背後となりその人影に全く気付いていない。
「あっ! 危な……っ!」
エリスが叫ぶと同時に、その人影とユーキはぶつかった……様に見えた。しかし完全な不意にも拘らずその人影は頭を引いてかわし、目の前を通過しようとする彼の前進を左手で遮った。
「うわ……」
突如捕まえられた格好となったユーキは驚きの声を上げたが、その手は彼を捕獲する様な事は無かった。ユーキはまるでネットに進行を遮られた様に、その手で一度小さくバウンドして体勢を立て直す事が出来た。人影の青い瞳が、冷ややかにそんなユーキを見つめている。
「廊下を無秩序に飛び回るとは、随分と奔放な聖霊様ですね」
そしてその人物から、溜息と同時に呆れた様な言葉が吐きだされた。その冷淡な瞳はユーキを一瞥すると、そのまま横へスライドしエリスを見て取った。
エリスは一瞬硬直していたが、すぐに人影の元へと歩み寄った。どうやらその男性に怪我は無い様だった。
「も、申し訳ありませんっ! ほらっ! あんたも謝るのよっ!」
そう言ってエリスはユーキの頭を押さえつけ、自らも深く腰を折った。
「ちょっ、痛いよっ、エリスッ!」
強引に押さえつけられてユーキはジタバタともがいているが、彼女はお構いなしに彼の頭を下げさせようとしていた。
「貴女がこの聖霊様の宿主ですか……なるほどね……」
謝罪するエリスを前にして、この男性は許すでも、また怒るでもなく冷たい瞳のまま値踏みする様にエリスを見つめていた。その無機質な視線に気付いたエリスの謝罪行動がピタリと止まる。
ややウェーブの掛かった美しい金髪を短く整え、青い瞳を携えた端正な顔立ちは中性的と言う事もあり、ややもすれば女性にも見える程この男性は美少年と言えた。しかしそんな男性が無表情で見つめると途轍もなく冷たく、そして恐ろしく見える。
この男性からは、エリスに対して何の感情も感じられない。好意も悪意もなく、何か路傍の石でも見ているかの様に彼女は感じたのだ。人が人をこの様に見る事が出来るのだと、エリスは初めて気付かされた。
「あら―? エイビスさん―。お部屋で―待機して―頂いてる筈ですよね―? ここで何を―なさっているのですか―?」
言葉も出す事が出来ないエリスの後ろから、間延びしたメイファーが彼に話しかけた。
「ふん。あんな小部屋に閉じ込められてはすぐに飽いてしまう。それにレグナスが城の中を見たいと言うのでな。少しばかり見て回っていたのだよ」
ヤレヤレといった表情を作り、エイビスと言われた青年は自分達の状況を彼女に説明した。
エイビスの隣では、このやり取りに全く興味を示していない聖霊、レグナスが明後日の方向に表情の読めない顔を向けていた。
「でもエイビスさん―。勝手な事をして―良いんですか―? ここは貴方の―領地でも―お屋敷でもないのですが―」
メイファーは顎に手を当てて考え事をする様な仕草で彼に問いかけた。
「ふん。メイド風情が私に指図するのか?」
だがエイビスにはメイファーに注意される事も、自分の言葉に反論される事も不快だったようだ。あからさまに嫌悪感を露わにした表情で、明らかに威圧感を加えて彼女に言い放った。自分の領地で、もしくは屋敷での彼は常にこのような振る舞いなのだろうが、王都で働くメイファーには通用しなかった。
「わかりました―。それでは―監査官様達には―その様に―お伝えしておきますね―。エイビスさんは―どうぞお好きな様に―なさってください―」
彼女はエイビスの圧力に表情一つ変えず言い返した。殺し文句とも言える“監査官”を出されては、動揺したのは彼の方だった。
言葉に詰まり言い返せないエイビス。その彼に助け舟を出したのは、つまらなそうに彼の横で控えていた聖霊、レグナスだった。
「おいエイビス、もうつまらないから部屋に戻ろう。それにこのまま城を回った所で、お前の心象が悪くなるだけだろう?」
初めて聞く彼の言葉には感情の抑揚と言うものが感じられず、淡々と事実だけを語っていた。進む事も引く事も出来なかったエイビスにとって、この言葉は正に救いの言葉だっただろう。
「ふん、そうだな……興も削がれた。戻るとするか。いくぞ、レグナス」
一同に挨拶するでもなく、踵を返したエイビスはツカツカと来た道を戻っていく。その後にレグナスが、やはりつまらなさそうに付いて行った。
彼の姿が廊下の奥へ消えて行き、その足音が聞こえなくなるとエリスの体からドッと力が抜けた。
「エリスさん―、だいじょうぶですか―?」
脱力しへたり込みそうなエリスの背後から、変わらず緊張感のないメイファーの言葉が投げ掛けられた。彼女の声でこの場に腰を下ろしてしまいそうだったエリスの四肢に再度力が戻る。
「だ、大丈夫ですっ!」
彼女の言葉は明らかに空元気だが、お蔭で座り込んでしまう様な事をせずに済んだ。
「ふふふ―災難でしたね―。貴族の方は―苦手ですか―?」
クスクスと笑いながらエリスに話しかけるメイファーの顔は本当に楽しそうだった。
「ええ……まあ……」
そう答えたエリスは、以前モルグ村にやって来た貴族一行の事を思い出していた。
外遊を楽しむその一行は当主の気まぐれな道草でスケジュールが大幅に狂い、寄る予定の無かったモルグ村に一泊する事としたのだったが、その横柄な態度と威圧的な物言いに村人達は大層迷惑したのを覚えていたのだ。突然の来訪に出来る限り持て成した村人達だったが、彼等の口からは不平不満しか出て来る事は無く、村を去るまで遂に謝礼の言葉は出てこなかった。そう言った体験から、エリスには貴族に対する嫌悪感が芽生えており、それが苦手意識となっていたのだった。
「まぁ―エイビスさんは―貴族の中でもまだ―物わかりの良い方ですよ―。先程の捨て台詞も―所謂―負け惜しみみたいなものですしね―」
そう言うメイファーは、先ほど彼に物怖じする事無く上手く渡り合っていたのをエリスは思い出した。
「メイファーさんは貴族様や王族様は苦手じゃないんですか?」
口に出してから、この質問は些か間の抜けたものだとエリスは気付いた。貴族はともかく、王族が苦手なら王城で働いている訳がない。それに彼女の格好はこの城での小間使い的な物だ。エイビスは“メイド”と言っていたが恐らくそう言った職業の人なのだろう。そして「使用人」と言う立場の者は、必ずしも好んでその職業に就いているとは限らないのだ。
「そうですね―。一言で言うと―慣れちゃいました―。この王城には―王族は勿論―貴族や豪商の方が―引っ切り無しに―訪ねて来ますからね―」
メイファーはやはり楽しそうに、エリスの言葉にそう答えた。そんな彼女の顔には影が無く、心底楽しんで仕事をしている事が察せられた。
「苦手な人や―嫌いな人種は―確かに私にもいますけど―そこは―割り切らないと―お仕事ですからね―」
エリスを促し再び歩き出しながら彼女は呟く様に話した。その言葉にエリスは感じ入る処があった。
―――仕事だから割り切る。
メイファーはどの様にしてその境地に至ったのだろう。
そして自分はどれ程の努力をすればその境地を得る事が出来るのだろう。
彼女の背中を見つめて歩きながら、エリスは取り留めも無く考え続けていた。
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