王都「ボルタリオン」

 エリスが王都の門を潜ったのは、予定通りモルグ村を発った翌日の昼時だった。

 村からこの王都まで、距離としては大したものでは無い。彼女が健脚と言う程でも無かったが、このくらいの道程でクタクタになるほど疲れると言う事は無かった。

 この王国の何処に居ても見る事が出来る巨大な……と言うには人知を超え過ぎている強大な門……“ゲート”を目指す方向に王都は存在していた。街道も続いているが、その目印がある限り迷うと言う事は有り得なかった。エリスは今まで見ていたものと違う視線で人界と魔界を繋ぐ“ゲート”を見ながら旅路を行き、更に余裕を見て途中の町で一泊して王都へと到着したのだ。体力的に言えばまだまだ余裕がある程だった。

 それにも拘らず、エリスは疲れ果てた表情で城下町に到着したのだった。

 彼女がゴッソリと削り取られたのは、体力では無く精神力の方であった。

 何故なら村から王都への移動中、何が楽しいのかユーキはずっと喋りっぱなしだったのだ。

 エリスは当然の事ながら返事も相槌も、頷く事もしなかったにも拘らず、彼はそんな事もお構いなしに喋り続けたのだ。エリスには特に珍しいと思う風景では無くても、ユーキにしてみればそうではないらしく、道中目に映る物全てに付いて、エリスに質問をしては自答して感心していた。

 見たくなくとも聞きたくなくてもユーキの姿が見え、声が聞こえているエリスにとって、それを意図的に無視すると言うのはそれなりに精神を消耗する行為だった。その結果、彼女は精神疲労と言う大ダメージを負ったのだった。


「おお! ここがボルタリオンの城下町だなっ!? でかい街だなーっ!」


 門を潜りきると殆ど同時に、ユーキは大声で叫びはしゃぎだした。どうやら彼には道中の疲れなど全く無いようだった。


 ―――ただその発言には、エリスも同意せざるを得なかった。


 彼女もまた、門を潜った直後目にした風景に圧倒されていたのだ。

 エリスの視界に映る街は、建物から街路に至るまで全て石造りで綺麗に区画され、その街並みは絵画の様に美しかった。

 溢れる人混みは活気に満ち、右に左に奥に手前に忙しなく行き交っている。

 商店から聞こえる声は怒声の様ににも拘らず、言葉を交わしている人達は満面の笑顔であり、活き活きとした生活感が伝わって来る様だった。

 何処からともなく、とても良い匂いが流れて来た。いくつもある露店で販売している料理の物だろう。

 ここには彼女が持っていた大都市像の全てが揃っていたのだ。

 勇者となるべく意を決して村を発ったエリスだが、彼女も思春期真っただ中の十五歳であり綺麗な物、珍しい物、美味しそうな物に興味を抱かない訳が無かった。


「おおっ!? あれは何だっ!? エリス、あれっ! あれっ!」


 ユーキが興奮も露わに、何かを指さしてエリスに呼び掛けた。

 周囲の状況に呑まれエリスもやや興奮気味になっており、危うくその声で反応しそうになった彼女はなんとか踏み止まる事に成功した。例え雰囲気に圧倒されて陽気な気分になっていようと、彼女はユーキに気を許すつもりは無かったのだ。

 エリスは表情を取り繕い、ユーキに一瞥をくれて街の中央へと歩き出した。


「おいーっ! エリスったらーっ! ちょっとくらい見て回っても良いだろー?」


 不平を口にしながらも、ユーキは先を行くエリスに付いて行った。彼女の隣まで飛んで来たユーキだったが、それでもキョロキョロと落ち着きなく周囲を見回しており、何か珍しい物を目にする度に「おおーっ!」と上がる彼の奇声に釣られ、そちらへ目が行かない様にする事でエリスは必死だった。

 本当はエリスだって初めて来た王都を満喫したいと思っていたのだ。

 ただユーキと一緒にこの場を楽しむなど、彼女にはありえない事だった。それにテンション高くはしゃいでいる姿をユーキに見られるのはこの上ない屈辱だと考えていた。

 暴れ出そうとする好奇心を強引に捻じ伏せてエリスは歩を進めた。


 ―――しかし勝てない誘惑……と言う物もある。


 ツカツカと進んできた先はこの街の中心に位置する広場であり、大きく美しい噴水が中央でキラキラと水を噴き上げていた。周囲には休憩を取る若者や食事を取る家族連れ、その雑多な様子を楽しそうに見つめている老人等、様々な人達が思い思いに過ごしている。

 人が集まる所には商店、特に食事や飲み物を提供するテントが多数出展しているものだ。それぞれのテントからは自慢の料理だろう香りが流れており、ここを訪れる者の食欲をそそっていた。

 時間は昼時、露天商も書き入れ時だ。焼きたての、揚げたての、作り立ての美味しそうな香りが辺り一面に溢れていたのだった。そしてエリスとユーキも、朝宿場を発ってから水以外口にしておらず、空腹もピークに達していた。


「なぁ……エリス……」


 珍しい物を見ていた時とは明らかに違う目の色を湛えてユーキが呟いた。残念で悔しい思いが圧し掛かって来ていたが、ユーキが何を言おうとしているのかエリスには理解出来たし、それには概ね同意だった。

 やや遠目ではあったが、エリスはざっと露天商を見渡した。

 棒に肉の腸詰らしきものを刺しこんがりと焼いている物、大麦の実と肉や野菜を油で炒めた様な料理、ホットケーキの様な生地の上に肉や魚介類を乗せて焼いている物、どれも初めて見る料理な上に、香ばしく胃を刺激する様な香りを放っている。その他にも良く知っているサンドイッチやクレープ、骨付き肉やパン等もあった。その種類の多様さは、この広場だけでこの世界の料理が堪能出来るのではないか、と思わせるほどであった。

 その中で一つの露天商に決めたエリスは、迷いのない足取りへそちらへと向かって行った。彼女が選んだのはジューシーなタレの付いた、鶏肉を挟んだサンドイッチだった。

 彼女がこの料理を選んだ理由は、これが非常に美味しそうだったのは言うまでもないが、これなら店の外でも食べられるからだった。少なくとも彼女は、ユーキと一緒に何かをするのは極力避けたかったのだ。無論食事も例外では無く、店内で食事を取れば僅かな間でも彼が近くに居る事を我慢しなければならなくなり、彼女にとっても折角の楽しい時間を台無しにされてしまうのだ。

 同じ近くに居るのであっても、室内と屋外では受ける印象が違う。屋外ならば開放感があり、例えユーキが付近に居ても気を紛らわせる物がいくつもある。最悪、空を見上げればそれがどんな天気だろうと、ユーキを見るより遥かにましだった。


「これよりも俺、骨の付いた肉が良かったなー……」


 無言でエリスから差し出されたサンドイッチを受け取りながら、ユーキが本音を漏らした。残念で悔しかったが、それにもエリスは同意見だった。

 ユーキの言う骨付き肉は、見た目のインパクトも香りもサンドイッチを遥かに凌いでいたのだ。しかしそれをチョイスし、白昼の往来で大口を開けて食べ散らかす等エリスには到底出来そうになかった。ただ救いだったのが、エリスの選んだサンドイッチもかなりの美味で彼女を十分満足させた事だった。


「おおっ! これも美味いなっ!」


 そしてユーキもご満悦の様だったようで、小さい口を大きく開けて入るだけ頬張っている。

 すでに見慣れてしまったその姿を、エリスは呆れた様子で一瞥して視線を空へと向けた。

 青く澄み切った空が、石材で造られた街並みの上方に広がっていてとても美しい。雲が緩やかに流れ、優しい日差しを時折遮り適度な気温に調節してくれているかのようだった。

 こうしているとまるで、魔属との戦争が遠い所で行われている他人事の様に感じてしまう。それ程にこの街は平和を謳歌している様だった。

 だがこの街は、この王国は戦場の最前線だ。少し開けた所へ行けば、ポッカリと口を開けた“ゲート”を見る事が出来る筈だった。

 直径およそ百キロの半円形をしたそのゲートからは、人間も魔属も簡単に往来出来る様になっている。戦闘はそのゲートを挟んで人界側と魔界側で常に行われていると言う話をエリスも聞いた事があった。僅か数十キロ離れた場所では、人類の存亡をかけて勇者達と魔属の戦いが今も繰り広げられているのだ。この場所も決して安全とは言い難い筈だ。

 しかしこの街に住む人達の表情には、まるでそんな不安を感じさせない明るさがあった。それはある種の覚悟、もしくは諦めかもしれない。または勇者達に対する絶対の信頼から来るものなのか。何にせよこの場でこうしているエリスには、この街から戦争の匂いが感じられない事に心地よさを感じていた。王都の城下町なのだからもっとギスギスしていると考えていたのだ。


(このまま今日は一日、ここでボーっとしてるのも悪くないわね……)


 お腹が膨れ一息ついた事で気が抜けたのか、エリスはそんな事を考えながら軽い睡魔に襲われそうになっていた。もし一人っきりならここで昼寝をしても良いかと考えていただろう。しかしそうさせてくれない同行者が、お腹が膨れたのを機に再びあちこちに飛び回り始めた。

 聖霊は宿主から大きく離れる事が出来ない。まるで見えない鎖で繋がれている様に、何故か一定距離以上を離れる事が出来ないのだ。そのお蔭で聖霊と宿主が離れ離れになるとか、見失って迷子になると言う事は無い。


「ふぅー……」


 溜息を一つ吐いてエリスは立ち上がった。ユーキが取る次の行動が分かっているだけに、騒がれる前に行動を開始したのだ。


「なぁーエリス。他の場所に……」


 話しかけながらユーキは彼女の方に振り向いた。だがエリスの姿はそこになく、すでに移動を開始していた。


「ちょ、エリス! ちょっとまってよー!」


 慌ててユーキが彼女の後を追い、エリスはそれを意に介さずシッカリとした足取りで進んで行った。彼女の向かうその先には、一際大きな建物が見えていた。

 それこそがこの国の王城、ボルタリオン城だ。

 エリス達がここに来たのはあの城へ赴くのが目的なのだ。彼女の隣に並んだユーキが、そこから見える威容に感嘆の声を上げた。


「エリスっ! あそこに行くのかっ!?」


 ユーキは再び興奮気味な声でエリスに問いかけた。それだけその王城は、大きさだけでは無く周囲の建物と明らかに違う佇まいだったのだ。


「……そうよ」


 エリスは吐息と共にその言葉を吐きだした。ユーキは彼女から言葉が返って来た事に驚き、一瞬動きを止めてしまった。そんな事はこの街へ向かう道中にも、いや、彼がこの世界に顕現してから日常会話としては初めての事だった。


「……エリス……今……」


 その事に触れようとするユーキを尻目に、彼女は歩む速度を速めた。イチイチ説明を求められると、また彼に色々な物をぶちまけてしまいそうだったからだ。

 何度もエリスを呼ぶ彼の声を完全に無視して、彼女は城門がある方角へ黙々と向かっていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る