聞きたかった「言葉」

 山で熊を撃退したエリスは、ガストンにおぶさり家に辿り着いた。

 家に着いてもエリスはまだ立てる状態では無く、ガストンはエリスを部屋で寝かせた後熊の出現を村の人々へ知らせに行った。その間マリエスは夕食の用意をする。そもそも今夜はエリスの送別会を家族で行う予定だったのだ。

 暫くしてガストンが家に戻って来た頃には、エリスも起き上がりマリエスの手伝いをしていた。元々病気で倒れていた訳では無いので、立てる様になれば調理の手伝いをするのも問題なかったのだ。

 今夜の主役であるエリスは持て成される立場なのだが、彼女たっての願いでマリエスの手伝いをしているのだ。炊事と言えどもエリスにしてみれば、その一つ一つが思い出となるからだ。残念ながら相変わらずユーキがマリエスに質問攻めを行っており、しんみりとした空気とはならなかったのだが。

 エリスとマリエスは今日山で獲れた鳥や兎や山菜を調理し、テーブルの上にはいつもより遥かに豪華な料理が並べられていった。全ての準備が整った所で夕食兼送別の宴がしめやかに行われる事となった。

 新鮮な料理に舌鼓を打つガストンはお酒のペースも進み饒舌となり、今日山で起こった事をやや興奮気味にマリエスへ話して聞かせた。

 経験豊富なガストンであっても、初めて目の当たりにした勇者の力に興奮を隠しきれない様子であった。それに彼はユーキの力を見て何かを感じ取ったのだろう。

 それはユーキがエリスを守ると言う約束を、必ず果たしてくれるのではないかと言う希望にも似た想いだったのかもしれない。

 冷静に考えれば、生まれたばかりのユーキよりも遥かに経験豊富な聖霊が力を貸した勇者でさえ、魔属との戦いで命を落としているのだ。昼間エリスが巨熊を撃退した程度でなんら安心できる要素など無い。

 ただ実際目にした奇跡とユーキの言葉、そしてガストンの願望によりその事実は彼の脳裏から排除されているのだ。そしてそれは希望を見出せない状況で悲嘆にくれるよりかは遥かにましなのだろう、ガストンは今だけその期待感に酔っているのだった。

 マリエスはそんなガストンの話を微笑んで聞いていた。

 エリスが旅立つ時には重苦しい空気の中で送り出すよりも、僅かばかりでも笑顔で出発を見送りたいと彼女も考えていたからだ。

 そんな二人の話を横目に、ユーキはひたすら料理を貪り食っている。

 旨い旨いを連呼して、彼は手を止める事無く口に頬張り、口の中と両手には料理の無くなる事が無かった。小さな体が幸いして食卓の料理が無くなる事は無かったが、もし人間と同サイズだったならすでにテーブルの上は片付いていた事だろう。

 彼が顕現してまだ一日にも満たないが、ガストン達はその光景を見て驚く事は無くなっていた。マリエスはユーキの前にある皿が空いたタイミングで新しい料理をスッと出した。その光景に違和感は無く、ずっと前からそうであるかの様な滑らかさだ。

 まるで一家団欒の様な光景を、エリスは努めて笑顔を装いながら複雑な心境で見つめていた。

 ユーキへのわだかまりは未だにあり、これはそれ程簡単に消える様な事ではない。

 例え彼の性格がどうあろうが、ガストンが彼をどう認め様と、彼の出現がエリスを戦場へ、魔属との戦いへと駆り出す事になんら変わりなく、そして戦いに赴いた先には死あるのみだ。

 それは彼女の父母や幼馴染達の結末を見れば疑う余地も無い。ましてユーキはこの世に初めて顕現した、全く経験を持たない生まれたばかりの聖霊だ。

 聖霊は宿主が力尽きる時、それまで得た全ての経験を持ってその場から離れ次の宿主に顕現する。新たな宿主はその聖霊が持った経験を力に変える事で、それまで全く鍛えていなくても前任者と同じ力や技を使う事が出来る様になるのだ。

 つまり転生を繰り返した聖霊であればある程、強い勇者となれる理屈である。

 その法則から考えれば、経験が皆無なユーキは最弱の部類に入るだろう。

 ユーキがこれからエリスと積み上げていく経験は、彼女より後に勇者となる者の糧とはなっても、エリス自身に付与される物では無い。

 父母の、幼馴染達の聖霊がどれほど経験を持っていたのかエリスには分からないが、少なくともユーキよりは多くの経験を持っていたと思われる。それでも彼等は魔属との戦闘で倒れたのだ。

 エリスの未来など、考えるまでも無く明確だ。それを考えると、彼女の心が翳ってしまっても仕方のない事だった。

 それでもエリスは気丈に振る舞い、最後の晩餐を楽しく過ごす事に成功したのだった。




 その夜、エリスは祖父母とベッドを共にして寝る事にした。唯一不安要素であったユーキも、信じられない程料理を平らげ今はエリスの部屋で満足気に眠っている。

 精霊体である聖霊が、ここまで人間臭い行動を取ると言う事をエリスは初めて知ったが、近くに居れば何かと騒がしいユーキが今は居ない事に彼女のみならずガストンも、そしてマリエスも内心は安堵していたのだった。

 エリスは明日の朝早々この家を立ち、王都にある城へと向かう。王城にて聖霊の確認と勇者としての登録を済ませ、その後任務を拝命し任地に赴く事となる。これが勇者となった者の基本的な流れである。

 任せられる任務や赴く任地は顕現した聖霊の持つ経験に基づくのだが、これまでの数百年全く新しい聖霊が顕現した事は無く、再顕現リポップした聖霊は全てそれまでに登録した事のある者ばかりだった。聖霊の顕現歴を記録しておくことで、その聖霊がどれだけ経験を積んでいるかだいたい分かる様になっており、その記録を加味して任務や任地が決定するのだ。

 単純に経験を多く有している聖霊が強力であると言え、危険な任務や最前線に任地を決定される事が多い。しかし最も新しく顕現した聖霊を宿していたとしても、割り当てられる任務や配属先が安全だとは到底言い難かった。

 経験が浅いと言っても聖霊を宿しているならば、その力の如何いかんもさる事ながら勇者と呼ばれる事に違いは無い。聖霊に経験が無いのであれば勇者の安全は兎も角として、まずは経験を積ませる事が今後の戦力となる事に間違いはない。そこには勇者本人が戦いに精通しているであるとか、子供であるなどと言う事は関係ないのだ。

 年齢に依る優遇など考えられよう筈もなく、何処に配属されどの様な任務が与えられても、今のエリスに安全な任務など無いと考えて良かった。

 そう考えるとエリスには“それ”が限りなく近くに存在していると感じられてしまう。


 ―――死……である。


 つまり今夜はエリスが祖父母と過ごす最期の時間であり、最期の夜だと言う事だ。

 ガストンとマリエスに挟まれ、彼女は目一杯その温もりを感じていた……決して忘れない様に。

 ただそうしていても彼女の不安が消える事は無く、エリスが寝付けない気配をガストンはつぶさに感じ取っていた。


「……どうしたんじゃ? 眠れないのか?」


 ガストンはエリスに小声で話しかけた。その声にピクリと肩を反応させたエリス。


「……うん」


 彼女もやはり小声で返答した。考えまいとしても、すぐ近くまですり寄って来る恐怖や不安をどうにか出来る物では無かったのだ。

 彼女はガストンの方へ寝返ると、モゾモゾと彼の胸に顔を埋めた。


「……不安なのは仕方のない事じゃ。だが今日のユーキ様を見れば、決してお前を見捨てる様な事は無いと儂には感じる事が出来た。彼は信じる事が出来る。お前もユーキ様を信じて見ればどうかの?」


 エリスの頭を優しくなでながら、言い聞かせる様にガストンは語りかけた。


「……うん」


 ユーキが昼間彼女に使用した力については確かに信用出来ると、エリスもそれは体感して理解出来ていた。だがその事がユーキを信頼すると言う事には到底結びつかない。ガストンの手前頷いてはみせたが、今の段階でエリスの中にある蟠りは殆ど解消されていなかった。

 ただ彼女が抱える不安はその事だけでなかったのだ。

 熊と対峙したエリスがユーキの力を借りて勇者の力を使用した時、彼女が変身したのはラウンドウォーリアだった。余りにも守りたいと言う想いが強すぎて、攻撃手段を持たない防御特化の戦士に変身してしまったのだが問題はそこでは無かった。

 変身したのが「戦士タイプ」だった事にエリスの不安は高まっていたのだった。




 聖霊が宿主に力を貸し与えた時、勇者が変身するタイプには大きく分けて二通りある。

「戦士タイプ」と「魔導タイプ」である。

 それは単純に前衛と後衛であると言い換える事が出来、戦士タイプは剣や槍、弓矢での直接攻撃を、魔導タイプは魔法による遠隔間接攻撃を主体としている。

 そして昼間エリスが変身したのは直接攻撃を行う戦士タイプだった。

 だがエリスに直接戦闘を行う自信など全く無かった。戦闘どころか友達と喧嘩をした事も殆ど無い彼女である。魔属を相手に肉薄戦等、出来る出来ない以前に想像すらつかなかった。その事が彼女の中で不安を更に大きくしている原因だったのだ。




「……これから勇者として戦わなければならない者の苦悩を、勇者となった事の無い儂らに拭ってやる事は出来ぬ……」


 エリスの頭を撫で続けながらガストンが語り続けた。彼の胸に顔を埋めているエリスの体にグッと力が籠る。それを感じながら、ガストンは更に続けた。


「しかし……じゃ。これだけは言える。負ける事も逃げる事も、決して恥では無い。それだけは覚えておくんじゃ」


 エリスの心にガストンの言った言葉が染み渡るまで数秒の時を要した。彼女には彼の言った意味が即座に理解出来ず、何度も心の中で反芻しなければならなかったのだ。僅か数秒のタイムラグだったが、エリスには何分間にも感じられたのだった。


「……え!?」


 それでも彼女の口から零れたのは、未だ理解出来ないと言う意志表示を表す声だった。

 エリスが驚きを隠せない顔を上げガストンを見ると、優しい眼で彼はエリスを見つめていた。


「だって……お祖父ちゃん……勇者なんだよ?」


 ―――勇者は逃げてはいけない。何故なら常人を遥かに凌ぐ力を与えられたのだから。


 ―――勇者は敗けてはいけない。敗ければ戦いを知らぬ無辜むこの民が犠牲になるのだから。


 ―――勇者は倒れてはいけない。倒れる時はその地の魔属を全て屠り、任務を遂行した時だけである。


 これがこの世界で一般的に広く知れ渡っている“勇者の心得”と言われるものだ。

 勇者には望んで誰でもなれる訳では無い。強く望んでいても生涯聖霊が顕現しない者もいれば、エリスの様に望んでもいない者の所へ顕現する事もある。

 つまりそれは、彼女が選ばれた者であると言っても過言では無い。

 同時に常人が持つよりも遥かに強い力を有する事となり、それは無数に迫る強力な魔属とたった一人ででも戦える力なのだ。それが一般的なこの世界の民が持つ認識であり、例えユーキの様に生まれたばかりで殆ど力を持たない聖霊であっても、実情を知らない者からすれば聖霊は聖霊なのである。

 それが故に聖霊を顕現させたものは敬意と羨望を持って“勇者”と言われるのである。

 そんな勇者が負けて良い筈がない、逃げて良い訳が無かった。それは幼い頃から教えられてきた事に反する事でもある。

 だが今、ガストンの口からは勇者の心得に反する言葉が飛び出したのだ。エリスがすぐに理解出来ないのも仕方のない事だった。


「良いんじゃ……良いんじゃよ。勇者だって人の子なんじゃからの」


 その言葉に彼女はハッとさせられた。余りにも超常の力を有する勇者と言う存在に思考を奪われて、その勇者が“人の子”であると言う認識を失っていた事に気付いたからだ。

 聖霊が顕現するまでは誰もが一介の民であり、殆どの人が人の力以上の物を有してはいない筈だった。聖霊が顕現する事で、初めて人を凌駕する力を得る事が出来るのだ。


「たとえ敗けても逃げても、最後に生き残っていれば勝者なんじゃよ」


 ガストンの言葉に、エリスは涙を抑える事が出来なかった。それは怖いからでは無く、悲しいからでも無かった。漸く彼女は欲しかった、求めていた言葉を聞く事が出来た思いだった。今彼女が流している涙は、安心から来る涙に他ならない。

 エリスに戦いの心得は無く、上手く戦える自信も無かった。

 しかし勇者となったからには決して逃げる事無く勇敢に、上手に、そして最期まで戦わなければならないと強く思っていた。それはこの世界に生きる者ならば誰もが思う事かもしれない。教育されてきた訳では無いが、世界で一般的に語られる当たり前としての言葉は、時に強く教育されるよりも心に焼き付く。そしてそれは彼女に選択肢を与えず逃げ場を奪っていったのだ。


 ―――逃げられないのではなく、逃げてはいけない。


 ―――敗けられないのではなく、敗けてはいけない。


 その断たれた選択肢の中で葛藤するから辛かったのだが、それもガストンの言葉で氷解した。

 逃げても良いと言ってくれた、敗けても大丈夫だと言ってくれた、そして生き残る事が重要だと教えてくれたのだ。彼女にとってこれほど嬉しい言葉は無かったのだ。


「それから……ちゃんとここに戻って来る事が孝行孫娘なんですからね」


 エリスの背後からマリエスの言葉が投げ掛けられた。マリエスはそっとエリスの背後から彼女の頭を包み込むように抱きしめた。


「……うん……うん……」


 クルリとマリエスの方に寝返ったエリスは、今度は彼女にギュッと抱き付いた。

 もう震えは止まっている。不安が無いと言えば嘘になるが、それでも先ほどよりは随分と楽になった様だった。余計な気負いが抜け、スッと力が抜けていたのだ。

 両祖父母に抱きしめられ、程なくエリスは眠りの中に落ちて行った。





 翌早朝、エリスとユーキは朝靄の中に立っていた。

 王都までは何事も無ければ二日の行程である。途中野宿か宿場で一泊すれば、明日の昼頃には到着する道程だった。

 隣で浮いているユーキはまだ眠そうにしているが、エリスの目はしっかりと冴えていた。玄関先ではガストンとマリエスが見送っていた。村外れまで送るという申し出はエリスが断ったのだ。今生の別れにするつもりが無くなったエリスには、いつもの様に見送ってもらう方が良かったのだった。


「お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、行って来るね!」


 その言葉に迷いや不安は感じられない。全くない訳では無いだろうが、真っ直ぐに瞳を上げている彼女から、今はその感情を感じる事は無かった。


「ああ、行っておいで」


「気を付けて行って来るんだよ」


 両祖父母の返事も、普段エリスを送り出す時と何ら変わらない声音だった。

 クルリと踵を返したエリスは、しっかりとした足取りで歩み出した。

 そしてユーキ一人を供としたエリスの旅が、今始まったのだった。

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