「御山」での狩猟
「マリエス、それじゃあ行って来るからの」
「お祖母ちゃん、行ってきます」
ガストンとエリスはそれぞれに留守番役となるマリエスに声を掛けた。
「はいはい。気を付けて下さいね」
優しい微笑を浮かべてマリエスは彼等を送り出す言葉を投げ掛けた。
「まぁ、そんなに奥まで行く事は無いから心配はないじゃろう。二、三匹獲ったら戻って来るからの」
ガストンは獲物を捕らえる事に疑いを持っていない。彼は格別に狩りの腕前が良いとは言えないが、それでもそこまでの自信を持てるのはこの山に生息する小動物の豊富さ故だろうか。
狩りの経験がない者ならば兎も角、少しでも経験のある者ならばこの山に狩りへ向かって一匹も獲物を捕らえられなかったという事はまずないであろう。ましてガストン程山で狩りをした経験を持つ者ならば、二、三匹捉える事等造作もない事だった。
「ばあちゃんっ! 期待しててよっ! 大物を捕まえて来るからさっ!」
そして先程からテンションを上げまくっているユーキが、やや興奮気味にマリエスへ声を掛けた。当然彼も同行するつもりだった。
「あらあら、それでは期待して待っております」
心から楽しみで仕方がないと言う雰囲気を振りまいて落ち着きのないユーキに、ついつい頬を緩めてマリエスが答え、ガストンもそんなやり取りを見て微笑んでいた。
しかしエリスは心に重たい何かが圧し掛かっているのを感じていた。
案の定と言うか仕方が無いと言うか、ユーキは当然の様に付いて来る様だ。聖霊の特性上付いて来ないと言う事は考えられないと分かってはいたが、それでもここは自重して出しゃばらず大人しくヒッソリと付いて来てくれないかと期待していたのだ。
山での狩りはエリスが非常に楽しみとしていたものだ。
彼女自身は好戦的とも狩猟向きとも言えない性格である。むしろ争い事には向かない優しい村娘と言うのが本当だった。
ただ好奇心は人一倍ある。
入山を禁じられている山に入ってみたい。そしてそこで行われる、猟銃を使用した狩りを見てみたい。禁じられているが故の好奇心が以前から彼女の心を満たしていたのだ。
それを今から間近で見る事が出来る。もしかしたら自分にも銃を撃たせてもらえるかもしれない等と考えたら、彼女の興奮もヒートアップして留まらなかった。
それ程に楽しみだった山での狩猟だが、ユーキの同行を考えると興ざめも甚だしかった。
きっと台無しにされる、邪魔される、ガッカリした結果になるに違いない。
そうと決まった訳でも無いのにエリスはそう確信して疑わず、そしてそれが彼女のテンションを下げ続けている理由だった。
複雑な心境ながら、まさかあからさまに同行を拒絶する訳にもいかない。それどころか、離れたくても離れられないのだ。ならば二人の邪魔をして欲しくないと思うのだがそれも期待出来そうになかった。
ガストンとエリスはユーキを伴い、良く晴れた青空の元、少し離れた山への入り口を目指して家を出たのだった。
村の外れに山へと続く小道があった。
そこから山の麓へはまだ若干距離があり、山に入るだけならばわざわざ村の外れにある小道を使う必要は無い。村の面積よりも遥かに大きい山に入るだけならば、エリスの家から真っ直ぐ山に向かう方が遥かに早いのだ。
しかしこの小道を使う理由はいくつかある。
まずそれがこの村の決まり事であり、この小道を使ってのみ山に入る事が許されていると言う事。それは禁止事項でも罰則が伴う事でも無く昔から、恐らくこの村が出来てから行われている慣例だったのだが、だからこそ皆がそれを守っている。昔から守り続けられている事を蔑ろにするような輩は、この村に居なかったのだ。
そしてこの小道の脇には杭とも看板とも取れる物が立てられている。何かを引っ掛けておけるようにフックが複数取り付けられており、そのフックにガストンは札の様な物を引っ掛けた。
それは真っ赤に塗られた小札に数字が書かれた簡素な物だったが、それがどれ程重要な物かエリスも良く知っていた。札の色と数字でこの村に住む何処の誰かを表しており、この山に狩猟を目的として村の誰かが入山している事を意味していた。
猟銃や弓を持って村人が入山している事を予め知っていれば、不意の物音に慌てて発砲や射る事は少なくなり、また罠の存在に注意する事も出来る。そして何より入山した者が帰って来たかどうかの目安にもなる。如何に危険の少ないと言われている山であっても何があるか分からない。人間にとって自然と言う物は、常に危険を孕んだ恐るべきものなのだ。
エリスも幼い頃から、この札が掛かっている時は何があっても山に入ってはいけないと言われ続けて来た。その札を掛けた状態で山に入ると言う事に、エリスの緊張は弥(いや)が上にも高まって行った。
「なぁなぁ、この札にはどんな意味があるんだ?」
だが事情を知らないユーキがガストンに問いかけた。その緊張感のない物言いに、エリスの中で張り詰めている糸も緩んでしまった。
「ああ、これはですな……」
問いかけられたガストンは丁寧に説明する。恐らくこの狩猟中もずっとこの調子なのだろう事が想像できるエリスは、また一つ大きな溜息をついた。
村の出口から山の麓を経て中腹に差し掛かった。山と言ってもそれ程高いと言う訳では無く、中腹まで来たと言うのに急な山道では無かった為エリス達に疲れは殆ど無かった。
そのまま小道沿いに進むのではなく、ガストンはスッと草むらを掻き分けて道を逸れた。突然道なき道に入り込んだ彼の後を慌てて追いかけたエリスは、無造作に道を逸れたと思ったガストンの進んでいる所を見て驚いた。
そこには細い、注意しなければとても気付かないほど細い道が真っ直ぐに続いている。その、道と言うには余りにもか細い道にエリスには心当たりがあり、それは所謂“獣道”と言われる動物が通った跡だった。こんな隠される様に延びている道等、普通に小道を歩いていたらとても気付かないだろう、まさしくガストンの経験が成せる技であった。
その技を目の当たりにして、エリスの心に感動が溢れ思わず身震いしてしまう。
「お祖父ちゃん……」
何かを言いたかったが、何を言葉にしていいか分からないエリスが声を掛けようとしたところをガストンは優しく制した。
「静かにな。近くにいそうじゃ」
それは正しく得物が近くに居ると言う事だった。それがこの獣道を作った動物なのか、それとも気配を消して木の上でじっと静止している鳥なのかは分からないが、ガストンの長年培った勘はこの付近に獲物が居る事を教えているのだ。
一気に緊張が高まり、エリスも気配を殺そうと自分なりに息を潜めた。それが果たして、どれ程効果を発揮していたかは分からない。緊張で高鳴る鼓動でさえ、ガストンが感じている獲物に聞かれている様であり、ともすれば彼女のせいで此方の居場所が筒抜けかもしれないと思う程だった。
しかしガストンにそれを気にした様子は無かった。彼は至って自然体であり、ガストンから緊張感も集中した様子も感じられなかったのだが、逆にそれが周囲との違和感を無くしている。
こんな事はエリスには出来そうになく、これこそが熟練の技なのだと彼女は痛感した。
何か言葉を発する訳でも無く、スッとガストンは視線を上げた。その後を追いかける様にエリスも彼が視線を向ける先に目を遣ると、その先にはやや背の高い木があり、その枝に止まっている中型の山鳥が一羽いた。この山で獲れる比較的ポピュラーな山鳥だが警戒心が強く、やや離れた場所の物音にも敏感に反応する特徴がある。
ここから先は、移動の際に出る物音にも注意が必要だった。せめてガストンが持つ猟銃の射程距離までは、山鳥に気付かれてはいけない。
慎重に歩を進めるガストンとエリスはユックリと、ユックリと山鳥との間合いを詰めていった。その緊迫した彼の動きは、傍でただ見ているエリスにとって実際よりも随分と長い時間が流れている気がしていた。
そして漸く、ガストンは猟銃の射程距離に山鳥を捉えた。本当は近ければ近い程良いのだが、これ以上は気付かれる可能性が高くなるのだろう。ユックリとガストンは猟銃を肩から降ろして構え、更にジリジリと距離を詰めている。物音一つ立てずに山鳥を狙いながら距離を詰める等誰にでも出来る事では無く、これはガストンの名人芸に他ならなかった。
エリスはもう、動く事を止めていた。これ以上はガストンの邪魔になると自ら判断したのだ。
ガストンの集中力が高まっていた。だが気負った様子や、所謂殺気と言った雰囲気は感じられず、それどころか先程と同じ自然体に近かった。
山鳥はまだ気付いた様子を見せていない。エリスが動きを止め近づくのを諦めたのが功を奏したのだろう。彼女が居る場所ならば、大きな物音さえ出さなければ山鳥に気付かれる事は無いようだった。ゴクリッと彼女の喉が鳴り、ガストンの指がユックリと引き金に掛かる。
「あーっ! あそこにでっかい鳥がいるぞっ!」
辺りを覆っていた静寂を、不意に発せられた大声が破った。
―――バサバサッ! ガサガサッ!
静寂が一斉に騒めきだし、至る所に潜んでいたであろう小動物や小鳥が、ユーキの発した声で弾かれる様に動き出したのだ。当然ガストンが狙いを定めていた山鳥も飛び立とうとしていた。
「くっ!」
―――ダーッン!
今まさに枝から飛び立とうとしていた山鳥に向かい発砲するガストン。使用されている弾が散弾であり、可能な限り距離を詰めていた事もあって、何より彼の熟達した腕前があったからだろう、ガストンが放った散弾の一部は見事羽根を撃ち抜き、山鳥は錐揉みしながら急降下していく。
「ふぅー……何とか逃さずに済んだわい」
山鳥が落ちて行く事を確認したガストンは苦笑いを浮かべて大きな安堵の溜息をついた。
「おおっ! じいさん、やるなっ! あの鳥を仕留めたのか!?」
ガストンの腕前ならばもっと余裕を持って確実に仕留める事が出来ただろう。しかしタイミングが間一髪となったのは、ユーキが大声を上げたからに他ならなかった。その事に全く気付いていない彼は、ガストンが山鳥を仕留めたと言う結果にのみ驚き嬉々とした声を上げていた。
「それにあの大きな音はその筒みたいな物から出たのか? それがあの鳥を仕留めた物なんだろう?」
ユーキは猟銃が使用される所を初めて見たのだろう、目を輝かせてガストンの持つ猟銃を見ている。そんな彼の行動をガストンは苦笑いを浮かべて見るだけだった。
「あ、あんたねぇっ!」
だがユーキの取ったその余りに常識外れな行動は、エリスの頭にみるみる血を集めて彼女の顔を紅潮させていた。
常識で考えたならば、その時あの場で大きな動きを取ると言う事は考えられない。ましてや不意に大声を出すなど以ての外だった。
ガストンはあの時、誰が見ても猟銃を構えて獲物に対していた。猟銃を使用すると言う事は彼やその周囲に危険が及ぶと言う事であり、誤射や暴発と言う可能性もあると言う事だ。
危険物を使用する者の邪魔はしない様にする事等、周囲の者が取り得るごく常識的な行動だ。しかしユーキは不意に大声を出す、と言う最も取ってはいけない行動を取ったのであり、エリスが頭に血を昇らせて憤慨するのも当然だった。
「……エリス」
だがガストンは首を振って優しく彼女を制した。
「ユーキ様は狩りのルールやマナーをまだご存じない様じゃ」
ユーキはこの世に顕現して間もなく、殆ど全ての物を見るのは初めての事であり、当然狩猟の現場に同行する事も初体験だろう。
人間の世界で暮らす者ならば長い年月の中で教えられたり注意されたりして、その場に立ち会った事が無くても“何となく”どうすべきか分かるものだ。しかしユーキにその知識は殆ど無い為、エリス達が当然と知っている事もいちいち教えなければならないのだ。
「う……うん……分かった……」
そんな理由でエリスの気持ちが収まる事は無いのだが事情にも理解する所はあり、何よりもガストンがユーキを責めるのは止す様に言っているのだから、彼女にこれ以上口を挟む事は出来なかった。そんなガストンとエリスのやり取りを、ユーキはキョトンとした顔で眺めていた。
「誰にでも初めての事はある。それに知らない事もあるだろうし、出来ないと言う事もあるものじゃ」
ガストンは噛みしめる様に呟いた。それはエリスに話している様でもあり、ユーキに教えている様でもあり、自分自身に言い聞かせている様でもあった。
だが次の瞬間、好々爺としていた彼は鋭い視線をユーキに向け、手に持っていた猟銃を突きつけた。
その突然な変貌に、エリスは息を飲んで動きを硬直させられた。目の前に居るガストンはエリスの知っているどんな彼でも無く、殺気を放ちユーキを殺さんとする勢いだ。
「じゃが、大事な孫娘の命を知らなかった、失敗したで無下に散らされては適わないのじゃ。ユーキ様、無礼を承知でお聞きするが、あなた様は間違いなくエリスを守ってくれるのか!?」
冗談でも何でもなく、返答次第では本気でユーキを撃つつもりであるとエリスは感じた。それは銃を向けられている彼も同様らしく、ガストンの気迫に気圧されて後退っている。
ユーキは妖精体であり、人間の様な物質でその形を形成されている訳では無い。例えガストンが銃を撃ったとしても、恐らく本当の意味で殺す事は出来ないだろう。そしてそれが分からないユーキでは無い。
今ユーキが気圧されているのは、ガストンの気持ちが籠った想いを突きつけられているからだった。それは気迫とも言い換えられ、例え常時は飄々としているユーキと言えど、本気の感情をぶつけられ怯んでしまったのだった。
「どうなんじゃ? 約束出来るのか?」
更に強くなった気迫をぶつけながら、ガストンはユーキに詰め寄った。その雰囲気に怯み、ユーキは更に後退った。
「あ、ああ。任せてくれよ。俺はその為に生まれたんだからな」
銃口を突きつけられ気圧されながらも、ユーキは胸を張ってそう答えた。
数秒、ユーキの様子を見据えたガストンは、次の瞬間スッと気を緩めて銃口を下した。その顔には先程までの鬼気迫る物は感じられず、いつもの好々爺とした彼の表情が浮かんでいた
「そうですか。それならばユーキ様を信じてみます。失礼の段、平にご容赦ください」
ニッコリと微笑んで僅かに頭を下げたガストンがユーキに謝罪した。
彼の行動から、この話はこれで終わりとなるのだろうが、エリスには釈然としない物が心の中に引っ掛かっていた。
(守る? 誰が? どうやって? 戦いに引き込む張本人が、どの口でそう答えてるの?)
聖霊が顕現した者は勇者となり魔属との戦いに向かわなければならない。これは決められた運命であり逃れる事は出来ない。そんな彼の口から、エリスを“守る”と言う言葉が再三出る事に、彼女は納得がいかなかった。
しかしもし単なる逃げ口上ならば、先程のやり取りでガストンが気付かない筈はない。彼の眼力には嘘や出任せならば瞬時に見抜いてしまう迫力があり、年の功でそう言った事を感じる術にも長けているのだ。
だがガストンはユーキの言葉を信じた。彼が信じたのだから、あの場でユーキが発した言葉に嘘偽りは無かったのだと、エリスも信じたのだった。
それならばユーキは一体どうやってエリスを守るつもりなのか、エリスには想像もつかなかった。戦う力しか与えない聖霊に、その宿主をどう守ると言うのだろうか。
俄かに信じる事が出来ないエリスだったが、ガストンが信じたのならば彼女もそれに倣う以外なかった。
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