旅支度の「邪魔者」
エリスとガストン、マリエスは今朝エリスに顕現した聖霊のユーキを交えて、いつもよりやや遅めの朝食を摂った。
今日の朝食はエリスにとって、ぎこちない会話と乾いた笑い、そしてその体に似つかわしくない食欲を見せたユーキによって、ある意味印象深い食事となったのだった。
エリスが祖父のガストンと裏山へ狩りに向かうのは午後からの予定だ。普通の農家を営むガストン一家には本来、一日にするべき事が山ほどあり祖父母は勿論、エリスも手伝ってこの家を切り盛りして来たのだ。
しかしユーキが顕現した事で、エリスは明日にでも王都へと出立しなければならない。それは聖霊が顕現した“勇者”の義務であり、貴重な戦力である勇者は王都で認可を受けた後、その指示に従ってそれぞれの配属先へと送られる事が決まっているからであった。
故に王都へ向かう為の準備をエリスはしなければならず、午後からはガストンと裏山へ狩りに向かう事を考えると、その準備は朝食後の午前中に行う必要があった。
決して人手が足りているとは言えないこの家で、望みもしない王都への出立準備の為に家事を後回しにしなければならない事に、エリスは少なからず苛立ちを覚えていた。
その準備も一人で全て行うという訳にはいかず、祖母のマリエスが手伝ってくれており、つまり今農作業を従事しているのは祖父のガストン唯一人と言う事になる。
ガストンは年齢の割に若々しく見え精悍であり、実際その動きは到底六十代のものではない様に思え、決して楽では無い農作業を毎日黙々とこなしているのだ。
だがそう見えないと言うだけで、ガストンは既に老人の域に達しており、無理が効く年齢では無いのだ。本来ならば彼の息子夫婦が作業の殆どを請け負い、ガストンはその手伝いに徹しても良い筈であった。
―――しかし現実は、彼の楽隠居を許してはくれなかった。
父親思いであったエリスの父も、気立ての良かった彼女の母も、今はもう居ない。
二人同時に聖霊が顕現し、数年前王都へと向かったエリスの父母は、それ以降音信不通となり生存不明となってしまった。それは事実上の戦死扱いである。
彼等の聖霊が再度顕現したと言う情報は今の所ガストンの元へ届いていないが、再顕現に数年の誤差が生じる事は過去にもあり、何よりも一切の消息が付かないのではその判断も止むを得なかったのであった。
そうして決して広大では無い畑の管理も、決して多くは無い家畜の世話も、ガストンが殆ど一人で行わなければならなくなったのだ。
勿論エリスやマリエスも手伝っているものの女手では手が回らない事も多々あり、やはりガストンが先頭に立って働かなければならなかった。
無理をしていないとはとても言えないそんな祖父を、エリスは懸命に手伝ってきたのだ。
だが今朝はそれさえもさせて貰えないのだ。それも聖霊が顕現したせいで、である。
それどころかこれからはこの家に祖父母二人だけで暮らしていかなければならず、彼女には老いていく祖父母を手伝う事も許されないのだ。
それだけでも苛立ちは募るばかりであるにも関わらず、更にユーキの行動が彼女の気持ちを逆なでし続けていた。
「なぁなぁ! これっ! これは何に使うんだ?」
朝食を終えてからずっと、ユーキはこの調子で目に留まる物に興味を抱いてはマリエスやエリスに質問を投げ掛けている。エリスは当然の如く取り合う事は無かったが、マリエスはイチイチ丁寧に答えてあげていた。それは今この時も相変わらずで、ユーキはエリスとマリエスの周囲を忙しなく飛び回りながら質問を投げかけ続けている。
本来この時間、祖母との出立準備はエリスがマリエスと過ごす最後の時間と言っても過言では無かった。言わば今生の別れを惜しむ時間である。
勿論王都へ向かい勇者に認定されたからと言って、即死んでしまう事が決まっているとは言えない。後方勤務や比較的安全な場所への配属ならば生存率は高くなり、そうなれば定期的に帰って来る事も不可能では無く、全く会えないと言う事は無いかもしれない。
また勇者にも定年がある。
勇者が四十歳を迎える頃、聖霊はその勇者から離れ新しい宿主へ移っていくのだと言う。聖霊が老若男女関わりなく顕現していたのは数百年前の記述から知られている事だが、この二百年余りは特に年若い男女に顕現している事が知られているのだ。
勇者が年を経ると、如何に聖霊の力を持ってしてもその能力に体が付いて行かず、百パーセント力を発揮する事が出来なくなるのである。
その基準が四十歳であり聖霊が離れていく年齢であるらしいのだ。
聖霊から解き放たれた勇者は当然一般人に戻るのだが、それで晴れてお役御免とはならない。それまでに培った経験や情報は貴重な物で、以降も軍に留まり情報部や指揮官、後任の指導などをしなければならない。
つまり一度勇者に選ばれれば、生き残っても自由を手にする事は殆ど不可能だと言う事だった。
それにもしエリスが四十歳まで生き残ったとしても、その時点で祖父母は八十歳近くなっている事となる。この世界の平均寿命 (約七十歳)から考えると、とても生きて再会出来ると楽観出来無かった。
そう言った理由から今は別れを惜しむ大事な時間であるにも拘らず、このユーキの存在はそれを台無しにしてくれていた。貴重な話も、大事な言葉も、優しい激励も二人の間で交わされる事無く、終始ユーキの相手をしながら作業を行う事になってしまったのだ。
もしここにマリエスが居なければ、エリスは既に手を出していたかもしれない。それ程エリスの我慢は限界に近かったのだ。
しかしユーキの無邪気な問いかけにマリエスがイチイチ丁寧に答えている様を見ると、エリスにはそれを実行する事も出来なかった。
結局午前中の作業で出立準備はほぼ終える事が出来たのだが、エリスはマリエスとろくに会話も出来なかったのだった。
ガストンが農作業を終え戻って来たのを見計らって昼食を取る事となったが、ユーキの質問に答えながら出立準備をするだけで午前中の時間が過ぎ去ってしまい、エリスとマリエスはお互いに話したかった事の半分、いや一割も話せなかった。
無邪気や好奇心旺盛と言った言葉ではとても済まされなかったが、それでもこの世界での聖霊と言う存在を考えると邪険に扱う事が出来ずにいた。
それでもマリエスは仕方がないと言った風に考え気持ちも切り替えていたのだが、エリスの方はそうもいかなかった。
元々自分に聖霊が顕現した事でさえ苦々しく思っていたにも関わらず、此方の都合や雰囲気を考えず振る舞うユーキに、エリスは更なる憎悪と嫌悪を抱いていた。
いつになく重々しい雰囲気の食卓に、事情を良く知らないガストンはやや戸惑っていたが、当のユーキはそんな事を気にする素振りも見せなかった。
「なぁなぁ! これ、うまいな!」
目の前に並んだ料理を、彼は目を輝かせながら一心不乱に食べ散らかしている。
ユーキの体長は大よそ十五センチ程度で、見た目もスリムに見える。
殆どの聖霊は皆このサイズであり太って居たり痩せ過ぎていたり、大きかったり小さかったりと言う違いはない。それぞれの違いは性別、顔、髪型とその色、肌の色、そして性格と話し方位である。
とても大きいとは言えないこのサイズのどこに入っていくのかと言う程、ユーキは留まる事無く食べ続けていた。
今朝も随分と食べていた筈なのだが、この昼食もその食欲を如何なく発揮し、すでに人間の子供が食べる位の量は平らげていた。
愛らしい妖精が美味しそうに昼食を一心不乱に食べている姿は、本来なら微笑ましい光景なのかもしれない。ガストンとマリエスも“聖霊”に思う所があっても、このユーキに責任がある訳では無いと割り切っているのか、ユーキのコミカライズな仕草で徐々に頬が緩んでいた。
だがエリスは別だった。とてもそう簡単に割り切れなかったのだ。
父母の事、近所の幼馴染達の事、そして先程の振る舞い。祖父母の手前、露骨な表情を浮かべたり、辛らつな言葉を投げ掛ける事は出来なかったが、ユーキに一切の視線を投げ掛ける事無く黙々と食事を取り続けた。
「御馳走様でした」
当然真っ先に食事を終えたエリスがそう呟いて、自身が使っていた食器を炊事場まで運び手際よく洗った。
エリスの行動を見て取ったガストンも、残っていた食事を平らげた。
「それじゃあエリス、準備が済んだら出発するかの」
そうエリスに言葉を投げ掛けて席を立ち、壁に掛けてあった猟銃に手を掛けた。それは標準的な猟銃であり、威力はそれ程でもないが散弾を二発込める事が出来連射が可能である為、動きが素早い小動物や鳥を仕留めるのには都合が良かった。
この辺りの山や森では、大型の獣や凶暴な肉食獣は滅多に現れないどころか、ここ十数年に措いても目撃情報すら無い程だった。攻撃力が高いが散弾が使えず、一発しか装填出来ない猟銃よりも此方の方が重宝されていたのだ。
「うんっ! すぐに準備するねっ!」
内心はどうであれ、エリスは祖父母と対する時には表面上明るく振る舞っていた。
彼女自身もうまく誤魔化しきれているのか自信は無かったが、ガストンもマリエスも何も言わないでいてくれた。恐らく気付いてはいるが彼女の心情を察してくれているのだろう。
「ははは。そんなに急がなくても良いぞ」
ガストンの声を背中に聞きながら、準備を開始する為にエリスは階段を駆け上った。
エリスにはマリエスと話したい事がまだまだあったのだが、
聖霊は宿主の傍らに付き従う、これは自明の理だった。
聖霊は宿主と大きく距離を開ける事は無い。最も離れて約五十メートル程だと言われており、それ以上離れようとしても聖霊が引っ張られる形で離れられないのだ。
ピッタリと寄り添う様に四六時中付き従っている訳では無いが、エリスとガストンが狩りをしている間大人しく家で留守番をしてもらうという事も考えられない。
何より聖霊の、ユーキの旺盛な好奇心が同行しないという選択肢を選ばないだろうことが想像出来たからだ。
「ふぅー……」
エリスは階段を上り切った所で大きく一つ、溜息をついた。
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