招かれざる「聖霊」

 朝……眠りから覚醒したエリスは、眼を開けなくても今日が良い天気だとすぐに分かった。

 瞼の上からでも眩しい光を感じる事が出来るのは、部屋の中がとても明るい証拠なのだ。

 ユックリと瞼を開けると、ベッドの上に備えついている大きめの窓からは、カーテンを透かしても明るい陽光が射し込んでいた。

 思った通りの嬉しい予測が当たって、エリスの頭は一気に覚めた。


(ほら、やっぱりね)


 ニッコリ微笑んで彼女は上半身をゆっくりと起こした。今日も素晴らしい一日になる事を彼女は全く疑っていない。

 エリスの家は農家を営んでおり、育ててくれている祖父母はすでに起きているだろう。

 季節はもう初夏に近く、徐々に日の出が早くなって来て早朝から作業を行うのに最適となりつつあった。勿論これからすぐに準備して、エリスも手伝いに加わるつもりだった。


『農作業の手伝いなどしなくても良い、もっと自分の時間を楽しみなさい』


 優しい祖父母は、いつもエリスにそう言ってくれていた。しかし育ててくれている祖父母も決して若いとは言えず、いつまでも甘えている訳にはいかない事を彼女は理解していたのだ。

 それに彼女は今年十五になったのだ、もう子供と言える年齢ではない。

 祖父母が気を使ってくれている事は彼女にも重々分かっているが、何もしなくて良い年齢でない事も理解していた。同じ村に住むエリスと同年代の友達は、皆家の手伝いを行っているのだから。それにエリス自身、農作業をすることが嫌いでは無く、寧ろ楽しんでいたのだから苦になる事でも無かった。

 エリスは大きく伸びを一つした。

 その目の先には、天井から伸びた紐につるされた鳥かごが一つ見える。

 やや大きめの鳥籠には青いセキセイインコが一羽、カーテンの隙間から射し込む光を浴びながら気持ち良さそうに毛繕いをしていた。


「おはよう、ヒナ」


 その青いセキセイインコに、エリスは朝の挨拶をした。

 ヒナと呼ばれたセキセイインコは話す事が得意なのか言葉を幾つも覚えており、エリスが話しかける都度返事をする。しかし言葉を話すのは決まってエリスが話しかけた時だけで、普段は人の言葉を発する事が全くない。

 エリスにはそれもヒナを気に入っている理由の一つだった。誰もいない処で人の言葉を話し続けるヒナを想像すると、少し不気味に感じるからだ。それにエリスにも静かに考え事をしたい時もあり、そんな時に傍らで意味もなく言葉を発せられると、いくら可愛がっている小鳥とは言え煩わしく思ってしまうかもしれないだろう。そう言った意味でヒナは非常にエリス好みのペットだと言えた。

 ヒナと目が合った……様な気がした。

 ヒナは先程掛けたエリスの言葉に、今にも返事をしそうな雰囲気だった。

 それは殆ど毎朝行われるヒナとの掛け合いであり、ヒナが返して来るであろう言葉がエリスの中では先に再生されていた。


「やあ。おはよう、エリス」


 だが返ってきた言葉は彼女の想像を大きく逸れるものであり、エリスの動きを止めてしまう威力を持っていた。


「エ……リス……?」


 まずヒナは、そこまで流暢に話せなかった筈だ。一般的な鳥が言葉を発するのと同じ様な片言の喋り口である筈だったのだ。しかし今エリスが聞いたヒナの言葉は非常に流暢であり、まるで人がそこに居てエリスに話しているかの様だった。

 そして、ヒナが口にした彼女の名前。

 今までヒナがエリスの名前を呼んだことは一度も無い。彼女自身が教えた事は無く、この部屋で祖父母と長い会話をする事も少ない。ヒナがエリスの名前を覚える機会は殆ど皆無の筈だったのだ。

 だが確かにヒナは「エリス」と言い、それは彼女にとって到底すぐに信じられない事だった。

 少なくとも昨晩、エリスが眠りに就くまでは普段のヒナだった筈だ。だとすれば彼女が眠っている間に練習でもしたとしか考えつかなかった。

 もしそうならばエリスにとってそれは怖い……とても怖い事だった。

 その光景を想像しても不気味であったし、今後人と変わらない程流暢に話されるのも恐ろしい。身勝手な話ながら、エリスは途端にヒナが怖い存在となっていた。


「もうすっかり日が昇ってるよ。お寝坊さんだなー」


 考えが纏まりきらない内に、ヒナから二の句が告げられる。

 これがお祖父さんやお祖母さん、近所の友人から掛けられた言葉なら素直に受け入れる事も出来るだろうが、目の前に居るのは……セキセイインコのヒナだ。


「え……と……き、昨日は少し遅くまで起きてたから……だから……」


 相手はセキセイインコのヒナである。何も頬を染めてまで言い訳する必要等無い筈だった。しかし動揺が収まらないエリスにその事を気付く事が出来ず、掛けられた言葉にアタフタと言い訳をしてしまう始末であった。


「さぁさぁ、もうお祖父さんもお祖母さんも起きてるよ。着替えて顔を洗って、朝食を取らないとね」


 ヒナが優しい物言いながら急かして来た。今朝もいつも通り、お祖父さんと牛や豚達の世話をし、畑の様子を確認して、その後はお祖母さんの手伝いで朝食の準備をする予定だ。


「う……うん……」


 とてもヒナとは思えない、まるでが妹に声を掛ける様な優しい話し方に、エリスも早速着替えの準備をしようとベッドを降りようとした。だがそこに至り、エリスはある事に気付き動きを止めた。


(あれ? お兄さん……? でもヒナは……)


 ヒナはセキセイインコであり、喋れるようになったとしても“お兄さんの様な口調”には違和感がある。

 今まさにベッドから降りようとしていたエリスは、ユックリと首を回して背後にある鳥籠を、ヒナを見た。ヒナはエリスへ不思議そうに首を傾げながら見つめていた。


「あなた……本当に……ヒナ……なの?」


 意を決してエリスは恐る恐るヒナに問いかけた。


「えっ!? ヒナ!?」


 エリスの問いかけに、素っ頓狂な声がから返って来た。


「ヒナってなんだよ……って、ああ、この鳥の事か」


 ヒナが居る鳥籠とは僅かに別の所から声が聞こえ、明らかにヒナが発した言葉では無いと言う事がエリスにも理解出来た。


「だ、誰よっ!? どこに居るのっ!?」


 声はすれども姿が見えない。エリスは途端に怖くなり、毛布を被って防御態勢を取った。もっともその行動にどれだけ効果があるかは定かでなかったが。


「どこ……って。ずっと目の前にいるよ?」


 その声にエリスは鳥籠の方から目線をずらし、声の出所をユックリと探る様に見回した。

 そして漸く声の発信源を見つける事が出来た。先程まで、てっきりヒナが話していると思い込んでいたエリスは、その周辺以外にしか注意が向かなかったのだった。

 声の発信源は……エリスがいるベッドの上、その足元に当たる位置だった。丁度ヒナの鳥籠がある真下辺りに小さな生き物が立っていた。

 その姿形は人と大差ない様に思えた。ただし大きさは掌程しかなく、まるで子供の様な姿をしており、所謂妖精を思わせる姿をしていたのだ。

 その妖精は両腕を体の前で組み、満面の笑みでこちらを見つめていた。


「ヒッ!」


 その姿を確認して、思わずエリスは小さな悲鳴を上げてしまった。


「ヨッ!」


 エリスのそんな対応を気にも留めず、腕組みを解いた妖精は右手を上げて気さくに声を掛けて来た。その仕草はまるで古くからの友達でもあるかの様である。

 そんな妖精の気安さとは裏腹に、当のエリスは驚愕し動きが取れずにいた。

 何故ならその妖精はエリスが最も見たくなかった者であり、最も見えてはいけない者に他ならなかったからだ。さっきまであれほど朗らかだった彼女の表情が、みるみる影を潜めて棘のある表情となって行き、醸し出す雰囲気もあっという間に慳貪けんどんなものとなった。

 その変貌に目の前の妖精も気付いたのか怪訝な表情をエリスに向けているが、そうしている間にも彼女の雰囲気はどんどん悪くなっていった。それは強い憎悪、そして間違いなく嫌悪の表情だった。それらの感情が籠った瞳で、エリスは妖精を睨みつけていた。


「あ、あら?」


 向けられた視線の意味が理解出来ず、妖精は間抜けな声を発した。


「……んであんたが……にい……のよ……」


 妖精から視線を外す事無く、エリスは呪いの言葉を発した。しかし余りにも声が低すぎた為、目の前に居る妖精にすらハッキリと聞き取る事が出来なかった。


「……え? 何?」


 自分に対して向けられている言葉が、お世辞にも良くないと言う事を知ってか知らずか、妖精は彼女に聞き返した。その妖精の問いを受けて、エリスは再度先程の言葉を繰り返した。今度はハッキリとした声音でユックリと。


「何で……あんたが……ここに……いるのよ?」


 より聞き取り易い様に、エリスは言葉の節目を区切るような形で呪詛の言葉を発した。


「何でって……エリス、君が祝福を受けたからだろう?」


 無神経なのか図太いのか、常人ならばたじろいでしまうであろう彼女の怨念籠る言葉を受けても妖精は怯んだ様子を見せず、それどころか彼女の地雷をズカズカと踏み荒らしていく。


「祝……福……? ……祝福ですって?」


 エリスの雰囲気は留まる事なく悪くなり、それは妖精の返答を受けて加速度を増していった。


「その祝福で……私から全てを奪ったあなたが……今度は私自身も奪うと言うの!?」


 憎しみを湛えた瞳は瞬きする事も無く妖精を睨みつけおり、そしてその仄暗い炎は無制限に激しさを増していく。


「え……? 全てって……君と会うのは今日が初めて……だよね?」


 エリスの醸し出す雰囲気は既にこの部屋全体を覆っており、先程まで朝日に包まれて暖かな陽気に包まれていた部屋も今はどこか薄ら寒い。セキセイインコのヒナも異変を感じているのか、先程から頻りに鳥かご内を飛び回り鳴き声を発している。

 だがそんなエリスの部屋に一ヶ所だけ、その影響が及んでいないと思える場所があった。

 妖精の周りは、いや妖精自身にはその雰囲気に影響を受けている様子は伺えない。人差指を顎に当て、小首を傾げて考える仕草をしながら答える妖精の様子は、エリスが纏う恨みの炎に薪をくべていった。


「あんた……『聖霊』……でしょ?」


 エリスは絞り出す様に呟いた声は、疑問を呈しながらもどこか確信に満ちていた。

 妖精……聖霊と呼ばれた者の話では、エリスと彼が出会ったのは今朝が初めてだ。それでも彼女が妖精を聖霊とすぐに分かったのには……訳があった。





 この世界には老若男女合せて数億人の人属が暮らしている。五百年に亘る魔族との戦乱で人口の減少が著しいとは言え、この数百年は戦いも小康状態となっており人口も増加傾向にあった。それでも漸く数億人にまでこぎつけたのだから、人属が如何に滅亡の危機だったかが良く分かる話である。

 最前線に当たるここボルタリオン王国だけでも人口は数百万人に上る。

 そして世界には聖霊の加護を受けた「勇者」と呼ばれる者達が僅かに二百人存在していた。この王国には全世界でその存在が把握されている二百人全ての勇者が集まっているのだが、その全てが対魔属の任務に就いているのが現状であり、そんな中でわずか二百人の勇者に王都以外で出会うのは奇跡に近い事だった。ましてや魔属の脅威が殆ど無いこの村に勇者が事等今までに無かったのだった。


 ―――しかしエリスはその聖霊と勇者を目撃していた。


 勇者が亡くなった場合、聖霊は他の人物に顕現するのだが、世界に数億人いる状態でその人物に出会う事も確率的に言って稀な筈である。聖霊や勇者と出会う事なく生涯を終える者もこの世界では少なくないのだ。

 だが兄のように慕っていた隣人のベインにも、まるで姉妹の様だと村でも有名になる程仲良くしていたチェニーにも、そしてエリスの両親にも聖霊が顕現したのだった。


「良く分かったね! 俺は今日、君に顕現した聖霊さ! おめでとう!」


 彼女の前に立つ聖霊はウインクをして親指を立て、満面の笑みを浮かべてエリスを見た。しかしそのグッドポーズに、エリスから相応の返答が返って来る事は無く、むしろ彼女の雰囲気に“怒気”と言う新たな感情が加味される結果となった。


「おめで……とう……?」


 彼女の纏う雰囲気はその怒気を加える事により、この部屋の空気を震わす程へと変貌している。鳥籠の中に居て自由に飛び立つ事の出来ないヒナはすでにパニック状態となっており、頻りに飛び回り羽根を羽ばたかせていた。もしヒナの表情が分かるなら、きっと涙目となっている事は疑い様が無かった。そしてその原因であるエリスの前に居る“聖霊”も、流石に顔を引き攣らせ始めた。


「何が……何がおめでとう……よ……あなたの……あなたのせいで……あなたのせいでベイン兄さんも、お向かいのチェニーも……死んで……死んじゃったんだからっ! それに私のお父さんとお母さんも……消息不明で帰ってきてないんだからねっ! みんな……みんなあんたのせいなんだからっ! あんた達“聖霊”が現れたせいで……みんな行きたくも無い戦いに駆り出されて……死んじゃったんだからねっ!」


 そう叫んだエリスの目には、涙が今にも零れそうなほど湛えられている。

 彼女の両親も、隣のベインも、お向かいのチェニーも、ある日聖霊が顕現して勇者となるべく王都へ向かい……帰ってこなかったのだった。


 ―――ベインの亡骸は魔属との戦いで損傷が酷く、エリスは彼と最後の別れさえすることが出来なかった。


 ―――チェニーに至っては、彼女の身に付けていた髪飾りしか戻って来なかった。


 ―――そして彼女の両親は、魔界へと向かったきり消息不明となったのだ。


 それらは一つとして目の前に居る聖霊の責任ではない。彼女の両親やベイン、チェニーに顕現した聖霊は目の前の彼ではなく、エリスの両親や幼馴染の元へと聖霊を送り込んだのは天界の住人である。聖霊が自分の意志でやってきた訳では無いのだ。




 聖霊は何も、突然そこに湧いて来る存在では無い。

 遥か遠い昔、人属の危機に天界から齎された奇跡なのだ。

 どういった理由で聖霊が顕現するのかは知られていないが、もし何かしらの意図が含まれているのだとすれば、エリスの大事な人達へ聖霊を送り込んだのは天界の責任と言えなくもない。ただ送られただけの聖霊にはなんの責任も無いと言える。

 そして勇者となった彼らの配属先を決めたのはこの国の王族と、その配下にある“対魔属部隊バレンティア”の幹部達だ。冷静に考えれば、エリスの目の前で気圧されている聖霊に詰め寄る事は理不尽以外の何物でもなかった。

 だが彼女にとって「聖霊」は全て同罪であり、両親や幼馴染達を殺した死神以外にありえなかった。


「フーッ……」


 その時エリスは大きく息を吐いた。一気に捲くし立てた為に大きく深呼吸した為であるが、何よりも明らかに自分がヒートアップし過ぎていると気付いたからだった。


「あんたにこんな事言っても……しょうがないんだよね……」


 そして彼女は諦めた様に呟いた。今まで溜め込んでいて何処にもぶつける事の出来なかった想いを一気に吐き出し少し胸のわだかまりが軽くなったのか、エリスの言葉には先程までの怒気や呪詛は含まれていない。

 しかし今度は信じられない位に冷ややかな光が彼女の瞳に宿り、目の前の聖霊を見下ろしていた。


「とりあえず……この事をお祖父ちゃんとお祖母ちゃんに伝えなきゃ……」


 そう独り言を漏らし、鈍い動きでエリスはベッドから降り立った。すでに彼女の瞳は、視界に入っている筈のすぐ目の前に居る聖霊を映してはいなかった。

 彼女は緩慢な動きでドアの方へと歩み寄り、聖霊に声を掛ける事も無くドアを開け出て行こうとした。呆然と彼女の動きを目で追っていた聖霊だったが、彼女が階下に向かう事を漸く理解して我に戻った。


「ちょ、ちょっと待ってよ!」


 聖霊は慌てて声を掛け、光を纏って飛び上がりエリスの後に付き従った。

 そんな彼に一切の意識も向けず、エリスは階下へ向かう階段を重い足取りで下りて行った。




 家の外はエリスが思った通りここ数日で一番の快晴だったが、その事にもう彼女が思いを馳せる事はなかった。

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