おわかれ
「もう限界だよ」と彼は言った。
曇り空の下、私たち二人は丘の上から海に面した町を眺めていた。町には活気が無く、今にも崩れ落ちそうなぼろぼろの屋根を持つ家が連なっている。道路には動くものはいない。
潮の香りを含んだ冷たい風が私の頬を吹き付けている。海は黒に近い青一色だった。白波はどこにもない。それは凍り付いているかのようだった。
「もう限界だ。君といることはできない。君といると自分の不完全さに打ちのめされるんだ」
彼は景色と私の間に入って、両手を広げた。彼は悲しそうな顔をしている。
「もう、この星には資源がないんだ。もう、電気もガスもないんだ。海辺のこの町が活気を取り戻す事なんて、永遠にない」
私は手を伸ばして、彼に触れようとした。けれど、彼は首を横にゆっくりと振りながら一歩下がる。
「触らないでくれ。俺はもう限界なんだ。俺は君のようなアンドロイドとは違うんだ。俺は君のように身体に原子炉を持っているわけではないんだ」
私の手は何も掴まずに、宙を漂って、下がる。
彼の顔をぼんやりと見つめた。視界が水で滲んでいた。
「許されない恋だって、わかっているわ。わかっていたわ。けれど、あなたが愛おしくてたまらない。あなたの側にずっといたいの」
私は目にたまった水を拭って、一歩前へ歩いた。彼はおびえるように後ろへ下がる。
「来ないでくれ。君とはやっていけないんだ。初めから無理だったんだ。滅びの運命にある俺と、永遠の中にいる君とでは、立場が違いすぎる」
私は胸が張り裂けそうだった。涙が頬を伝い続けた。それが偽りの感情だと言うことは私もわかっている。私の中の計算機がはじき出したまがい物だと知っている。私はアンドロイドなのだから。人間ではないのだから。
本当の感情なんて私は知らない。それでも私の胸の痛みは現実だ。
私は空を見上げた。夕立でも降りそうな、どんよりとした黒い雲。
顔を下げて、彼を見る。両目を擦って、私は両手を彼に向かって差し出した。
「ねえ、もう終わっているのだとしても、今日のハイキングは、最後までしよ?」
私は彼の返事を待った。精一杯の笑顔を向けながら。涙で視界を滲ませながら。
彼は答えない。悲しそうに私を見ている。
「雨が降ったら終わりでいいから。お願い……」
私は彼と目を合わせ続けた。やがて彼はふっと息を吐き、微笑む。
「もう限界だけど、何とか頑張ってみるよ。俺だって、本当は君とずっと一緒にいたいんだ。立場の違いさえなければ、俺は君とずっと生き続けたかった」
彼がゆっくりと歩きはじめた。私は彼に飛びついた。彼の匂いが私を包む。懐かしさで胸がいっぱいになる。「重たいよ」と彼は言う。私たちは草むらに倒れ込んだ。
二人で大の字に寝転がる。お互いに暖かさを感じない手を繋ぎながら。空は相変わらずどんよりとしていて今にも雨が降りそうだった。私は降らないように祈った。
どのくらいそうしていたかはわからない。時間なんて気にしたくなかった。私は彼と一緒にいられるだけで満足だった。
「なあ、俺たちのような関係って、世界でどのくらいいるんだろうな」
ふっと、呟くように彼は言った。私は彼の手を強く握る。
「きっと、私たちだけなんだろうね……」
この星には、電気もガスもない。滅びを受け入れられない人たちが私のようなアンドロイドを作った。最後に残った資源、原子力で動くアンドロイドを。人と同じように笑い、泣き、愛する人形を。
私を作った人たちはすでにいない。
彼は私の手を離す。そして身体を起こした。あわてて私も身体を起こす。彼の手を掴もうと手を伸ばしたが、彼に拒まれた。
彼は私を見ながら、首をゆっくりと横に振る。
「やっぱり、限界だ」そう言って、彼は立ち上がった。
「なんで? まだ今日は終わっていないよ? 雨も降っていないよ?」
「君には無限の時間がある。けど、俺の時間はこうしている間にも減っていく。俺はもう消耗しきってしまった」
彼は私に背を向けて歩く。私は立ち上がったが、追いかけることができなかった。足がすくんで、動かなかった。
彼は立ち止まり、振り返る。
「あと、10秒もないんだ。俺の寿命。本当のお別れなんだ」
彼の銀色の顔には、涙が伝っていた。彼のタイプは涙を流せないはずなのに。
「人間も電気仕掛けのロボットもいなくなって、君は誰と笑うんだろうな……」
彼の瞳の光が消える。
ただの人形のように、糸の切れたマリオネットのように、彼は崩れ落ちた。
首が変な方向へと曲がっている。
私はその場にへたり込んだ。膝に当たる草が痛かった。涙がとめどなく溢れて、もう何も見えなかった。
「バッテリが限界だったのなら、そう言ってよ、馬鹿……」
この星には、もう、電気もガスもない。
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5/22/2003
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