執着

「残念ながら、あなたの脳は、あと一週間ももちません」

 俺はこの死の宣告を、今から五日前にかかりつけの医師から受けた。あの時に、俺のまわりにいた親族の連中の顔は忘れない。あいつらときたら、俺が死ぬことを心から喜んでいやがる。あいつらは医師の『もちません』というせりふを聞いた瞬間、獲物を狙うようなハイエナの顔をしてお互いの顔を見合わせた。俺がまだベットにいるのにだ。病室では遺産争奪戦の前哨戦がすでに始まっていた。


 まったく、なんてやつらだ。


 曾孫の大介だけが、おどおどと純粋に俺の死を悲しんでくれていた。


 あと、二日。俺の命もあと二日なんて、信じられない。俺の身体中の器官はすべて青年並に健康で、気分が悪くなることもない。医師に言わせると、『今までもたせていた化学的療法が、脳内で抵抗反応を起こして機能しなくなり、脳細胞が溶ける』らしい。ようするに、突然の老衰だ。


 俺は死にたくない。死というものは科学の力で駆逐されたと思っていた。科学の力に対する金という報酬さえ払えば。


 俺は一五〇歳。産業界のトップの座に一〇〇年間君臨してきた。俺は毎年、使う量の十倍は稼いでいた。金などいくらでもある。


なのにだ。


 医師は俺の命はあと二日だと言う。さまざまな医師にも診察させたが、どの医師も同じことを言った。


『一五〇歳も生きられれば十分ではないですか』

 十分かどうか判断するのは、俺だ。


 ところで、俺の一五〇歳という長寿記録は、毎日、俺が生きているだけで世界記録を更新し続けている。それにはわけがある。


 俺は身体が悪くなる度に、悪くなった部分を切り捨て、人工皮膚に包まれた生体機械に取り替えた。人工脚、人工肝臓、人工心臓、人工耳、人工眼、人工背骨。悪くなればためらいもなく、科学の神に身を捧げた。


 今となっては、母親に授かった部分は、脳しかない。


 俺の死まであと一日。その日に曾孫の大介が医師を連れてきた。医師免許を持っていないが、今まで数々の奇跡を起こした凄腕の人間らしい。そいつは俺のことを診察して言った。


「助かる道はあります。あなたにその覚悟があればの話ですが」

「金ならいくらでもある。俺が助かる道があるのなら、なんだってやってやる」

「脳を取り替えるのです。悪くなっているのは脳です。脳さえ取り替えればあなたはさらに長生きできます」

 俺は愕然とした。


「脳を取り替えるだって?それができたら始めから苦労はないぞ。俺を診察した医師は、脳を取り替えることなどできないと言っていた」

「それはその医師たちが藪医者だからですよ。今では脳を取り替えるのだって当たり前です。金さえ払ってくれればできないことなんてないのです。あなたの脳内のデータを人工脳にそっくり移し替え、その後、身体に移し替えればいいのです。けれど、そこまでお金を払える人間が少なく、法整備がなされていません。失敗する危険性もあります。それでもいいのならやりましょう」

 俺はそばにいる大介に眼を向けた。彼はうなずいていた。なんていい曾孫なんだ。俺は感動していた。俺に生きていてもらいたいのは、この大介だけなんだ。


「大介、もしこの手術が失敗したら、おまえに俺の遺産をすべて与えよう。遺書はすでに書いてある。俺の家の机においてある」

 俺は、大介の呼んだ医師に賭けてみることにした。


 気がつくと俺は、ゴミ捨て場に身体の電力を奪われて捨てられていた。人工脳は作動していた。手術は成功したらしい。では、なぜ、俺はこんな仕打ちを受けているのだろう。


 大介が近づいてきた。大介は満面の笑みを浮かべている。


「早く、助けてくれ大介。親族の奴らめ。俺にこんなことをして、ただじゃ済まないからな」

 大介は俺を助けようとせず、俺の頭を蹴っ飛ばした。そして、俺の頭を片足で踏みつけた。


「何するんだ」

「ありがとう、おじいさん。遺産は有効に使わせてもらうね。あなたは死んだことになっているんだ。そこで朽ちててよ」

「何を言っている?」

 大介は自分の頭を指さした。


「知らないの?『脳死は人の死』なんだ」

 大介は、自分の片足に全体重をかけた。





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3/12/2001

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