エピローグ その四
二年前、世界の終わりを食い止めて後、継承戦争の戦没者慰霊碑の横に、もう一つの碑石が並べられることになった。
そこには、その後の戦い、バルハレイアとの戦争とそれに続くイグナシオとの戦いで散って逝った者達の魂が静められている。
オル・フェーズが一望できる小高い丘の上。風に吹かれて、そこに献花された花束から花弁が空へと舞い上がっていく。
そこに、同じように花束を持った少年が一人。
「よう、少年。来てたのか」
「……今日で二年目だからな。そっちも、お供もつけずにいいのかよ?」
少年、トウヤは背後から聞こえた声に振り返る。
そこに立っていたのは、オルタリアの貴族服を身に纏い、鳶色の髪に口髭を生やした中年の男性だった。
ラウレンツ・ハルデンベルク。かつてはエーリヒ・ヴィルヘルム・ホーガンの片腕として戦った猛将は、杖を突きながらゆっくりと丘を登ってくる。
そしてトウヤの隣にまで息を切らせながら到着すると、同じように手に持っていた花束を二つの石碑のちょうど真ん中辺りに放り投げた。
それを見たトウヤも習うように献花して、両手を合わせる。
「エトランゼの祈りか?」
「そうだけど、違うよ。俺の国で死者を悼む時のポーズだ。本当はもっとちゃんとした形式があるけど、よく覚えてなくて」
「そんなもんさ。俺も、エイスナハルの祈りの形式は未だにちゃんと覚えられん」
苦笑して、ラウレンツは手を祈りの形に組んで目を閉じた。
「ご子息は上手くやってますよ、エーリヒ様。貴方の後を継ぐって、意気込んでます」
顔を上げて、ラウレンツの横顔を見る。
穏やかな笑みを浮かべながら、彼はそう報告していた。
「こっちと往復するのも大変そうだけど」
「好きでやってることだからな。それに、エーリヒ様の息子はヴィルヘルムの跡取りとして、この国を支えてく大地なお方だ。その指南役なんて大役を仰せつかったんだ。面倒くさがったら罰が当たるさ」
「……そんなもんか」
あの戦いの後、ラウレンツはエーリヒの領地であるテオアンに移り住んだ。今はそこで、ヴィルヘルム旗下の兵士とエーリヒの息子への教育係を務めているらしい。
「足の具合はどうなんだ?」
「まだ杖が必要だが、これでも大分治ってきたんだぜ? 最初は誰かが一緒じゃないとロクに歩けもしなかったんだからな」
御使いにやられた傷が原因で、ラウレンツは片足が動かなくなった。今でこそ一人で歩行しているが、戦いの直後は車椅子のような物に乗って、誰かに押してもらわないと移動すらままならないような状態だった。
「もうじき杖も必要なくなる。そのころにはご子息の教育も終わるだろうから、またお前さんと一緒に働けそうだな」
「あれだけの目にあって、まだ戻ってくるつもりなのかよ?」
「そりゃ、若い奴ばっかに戦わせるわけにもいかんだろ。まぁ、かみさんと娘は嫌がるだろうが、性分だ。やっぱ大事なもんは自分の手で護らねえとな。そうだろ?」
「……そりゃ、まぁね」
トウヤはあれから、オルタリアの軍に引き続き身を置いている。
別の道に進むと言う選択肢も勿論あったし、今ではエトランゼがこの国の歴史や文化を学ぶ学校だってできている。そこでもう一度、学生をやりなおす機会だってあった。
それでも、トウヤはそれを選ばなかった。
「頑張ってるみたいじゃないか、最近」
「大したことないよ。大半が野盗とか、魔物の討伐だし」
「だが、自分の部隊の被害を最小限に抑えてる。それに、何よりも民間人のことをよく考えた戦い方だ」
「……知ってたのかよ?」
「風の噂でな。色々と、オル・フェーズの情報は聞かなくても入ってくるんだ」
元々多くの部下達に慕われていたラウレンツだ。確かに、トウヤもわざわざ休暇を使って彼に会いに行く兵士の話を聞いたことだってある。
どうやら、その辺りから噂話としてトウヤの話題も流れているんだろう。
「まだまだだよ、俺は。御使いを一人で倒すこともできないし、世界も救えない」
トウヤの知っている誰かは、それを成し遂げて見せた。
そうやって多くの人に背を向けながらも、その歩みで心を惹きつけていった人達がいる。
「……おいおい、あんまり気にしすぎるなよ」
「判ってるって。あいつらは、特別だ」
そう、割り切ることもできた。
これを言えば本人達は否定するかも知れないが、彼等は間違いなく特別で、トウヤは悲しいほどに凡人だ。
しかし、だからこそ違う歩み方を選ぶことができる。
悲しいことに、彼等は決してその後ろを歩む者達に目を合わせることができなかった。背を見せて、その後ろを歩ませることだけが、その道のりの全てだった。
「俺はあいつらにはなれない」
だから、トウヤは違う道を選ぶ。
後ろに続く者達に、護るべき者達と目を合わせて、彼等と共に歩む。
世界を救うことも、何かを滅ぼすこともできない少年が選んだ方法は、それだった。
「……ん。ならいいんだけどな」
それを聞いて、ラウレンツも納得したようだった。
また、二人の間を強い風が吹いていく。
空に舞い上がる花びらを見送ってから、ラウレンツはそこから背を向けて、地面に杖を突いて歩き出す。
「寒さが怪我に染みるな。そろそろ、俺は行くとするよ」
「……ああ。おっさんさ」
「なんだよ? 俺はまだ若いぞ」
「早く戻ってこいよ。人手不足で、慣れない仕事までやらされて大変なんだ。ルー・シンの奴が軍事を担当しなくなってから、上の連中の手際も悪いし」
振り返らず、手だけを挙げた。
そして、ラウレンツは一歩ずつ、確かな足取りで丘を降って行く。
その姿を見送ってから、トウヤは改めて戦没者慰霊碑に顔を向ける。
「俺は頑張ってみるよ、俺なりに」
何処かの誰かのように、階段を一段飛ばしで昇ることはできそうにない。
だからきっと、彼等がそうであったように、トウヤは決して英雄ではない。彼等ですらなれなかったそれに、凡人たる自分が至れるとは到底思えない。
でも、それはそれでいいのだろう。
もう英雄は要らない。そんなものが必要になるような時代は終わった。
彼等が築いた平和を護って行く者達、今必要とされている力はそれ以外にない。だから、トウヤは兵士としてオルタリアに残り続ける道を選んだ。
例えこの地に帰還した彼等が、英雄となるのを拒否したとしても、それを笑い飛ばしてしまえるように。
不安になる人々に対して、自分達こそが希望となりえるように。
「おかえりぐらい言ってやりたかったけどな。ま、それは別の機会にするよ」
世界樹がある方向を見る。
風が強まり、草木が騒めいているような気がした。
それはまるで、この大地が誰かの帰還を喜んでいるかのように。
▽
「それにしても、前代未聞ね。まさか王様自らが、貴重な国の血筋を外へと逃がしてしまうなんて」
オル・フェーズの城。眼下に城下が見渡せる位置に作られたバルコニーで、白い椅子に腰かけながらからかうような口調で一人の美女がそう言った。
肩辺りまで伸びた金色の髪に、黒いローブ。その裾から伸びた細い指は、中に紅茶が満たされた白磁のカップの持ち手を撫でている。
その視線が向かう先は、テーブルを挟んだその向こう側。無尽の椅子の少し先に、手すりに寄りかかるようにしてオル・フェーズの街並みを見下ろす赤みが掛かった黒髪の偉丈夫が立っている。
「あいつはもう、やるだけのことはやったさ。後はもう、自由に生きてもいい」
「それは、罪滅ぼしのつもり? この国が大変な時に、自分は何もできなかったから?」
「やれやれ、手厳しいな、魔人殿は」
頭を掻いて、その男――この国の王であるゲオルク・フォン・オルタリアは魔人アルスノヴァへと顔を向ける。
「どうとでも取ってくれよ。あんたが今編集してる歴史書にも、そう書くつもりか?」
「……そうね。それも面白いかも」
形の良い唇を歪めて、カップから紅茶を一口飲む。
一杯で普通の労働者一日分の給料に値する高級茶葉から作られた紅茶は、爽やかな香りと味を口の中に広げてくれる。
「いやぁ、しかし良い風が吹いてるな。戦後二周年に相応しい陽気だ」
「ええ、そうね。特に政務をサボって飲むお茶はとても美味しいでしょう?」
「おいおい、魔人殿が尋ねてきたから俺は時間を作ったんだぜ? それに、昨日までは本当に忙しかったんだから、このぐらいは許されるだろう」
バルハレイアとの戦いが終わった終戦記念の式典は、全て昨日で終わっている。ゲオルクは友人であるベルセルラーデとの会合や、二人が手を取りあう姿を人々に見せて、永遠の平和を誓いあうセレモニーのためにひっきりなしで動き続けており、ようやく多少の時間ができたところだった。
「別に、わたしは夜でもよかったのだけど?」
「それこそ勘弁してくれ。王たる俺が、美女を夜に自室に招いていたら、それこそ余計な噂が立つ。しかも、それが魔人殿ならなおさらな。宮廷の侍女は噂好きなんだ」
「それは何処の女も変わらないわ」
「……お前さんもか?」
アルスノヴァが、首を横に振った。
「いいえ。だから友達がいないの」
「あ、そうかい。そりゃ、悪いことを聞いたな」
「別にいいわ。親友ならいるから」
相変わらずな物言いに呆れながら、ゲオルクはここにいる彼女に問う。
「……魔人殿はいいのか? その親友に会いに行かなくて」
「ええ。別にこれから幾らでも機会はあるし。今顔を合わせたら、一緒に旅立ちたくなってしまうもの」
「それも意外なんだが……。どうしてこの国に残る? いや、こっちとしては魔人殿の知識や知見が得られるのはありがたいが」
「……やり残したことが幾つもあるからね。神の奇跡が消えたこの世界を、貴方達人間が護っていけるようにするために」
「……どういうことだ? 他にも、まだ脅威があるって?」
怪訝そうな顔で、ゲオルクが問いかける。
アルスノヴァは何でもないような表情で紅茶を飲んで、カップを皿の上に静かに降ろした。
そして、その切れ長の目で、ゲオルクの向こうにある空を睨む。
「今、ではなくともね。例えば、悪性のウァラゼル。彼女を彼女足らしめたものは一体なんだったのか? 例えば、魔剣士ヴェスター。彼はどうして、神の力であるギフトによって虚界の力を引きだしたのか。そもそも、虚界とは何か。本当に、これから先のこの世界に現れる可能性はゼロなのか……」
ゲオルクは口を噤む。
彼は研究者ではない。王が見なければならないのは、臣民の生活でありその幸福だ。脅威に備えることは悪いことではないが、だからと言ってその全てに目を向けるわけにもいかない。
だからこれは、大半がアルスノヴァの杞憂である。恐らくは、ゲオルクが生きてこの国を統治している間にそれらの問題がやって来ることはないだろうと予測もしている。
「お前さんは、何か知っているのか? あの虚界ってのが何であるかとか……」
「……神と虚界はその源流を同じとするもの。何かしらの要因があって、分かたれたものよ。だから、神の中には虚界の力がほんの僅かに残っている。そしてそれが、時折表面化することがある」
神が創った、人間の器を介して。
恐らくはそれが、悪性のウァラゼルの始まり。彼女の狂気の源流。
そして同時に、零れ落ちた虚界の力をギフトとして受け継いだのが、ヴェスターだったのだろう。アルスノヴァの予想は大方そんなものだった。
ヴェスターが虚界の力を受け継いだことが偶然であるか必然であったのかまでは判らない。仮にそれが必然であった場合、アルスノヴァ達が元に暮らしていた世界にも虚界の浸蝕があると言うことになる。
この世界が神によって創造されたのなら、彼の世界もまた遥か昔に神がいたことになる。そしてそこに虚界の力が含まれていた可能性も、ゼロではない。
ひょっとしたら時折ニュースを賑わせる凶悪犯罪者や、生まれつき歪んだ心を持ってしまった人は、ウァラゼルと同じようにその影響を受け過ぎた人なのかも知れない。
今はもう残っているかも判らない世界のことを考えても、栓無きことでもあるが。
「……この世界は、もっと色々なことを知る必要がある。神が去り、そして神の力を持った者達が去って、魔人である私が去った後のために」
「……俺達の後の世代か……」
「ええ、そうよ。魔物は今でもこの世界を闊歩しているし、未だに人々はその全容を知りえない。私達は身近な脅威一つとっても、何も知らなさ過ぎるのよ」
「だから、それを解き明かすと?」
「可能な限りね。いずれはエトランゼのギフトもこの世界から消える。次の世代には純魔力は強力な力として引き継がれるけれど、その先では恐らく小さくなって消失してしまう。曾孫にでもなれば、何かしらの力を発現できる人の方が稀になるでしょうね」
「その時に、また今回みたいな事態が起こるかも知れないってことか」
「あくまでも可能性の話ではあるけれどね。だから、私は貴方にこの話をした」
「……そりゃ、確かに考えなきゃならんな」
この王は、国のことを第一に考えている。
そしてそれは自分が生きる今だけではなく、これから後の世界を生きる者達のことも。
二年間、彼の政治を見てきてこの言葉を託せると、アルスノヴァは確信していた。
「人間達は強くならなくてはいけない。そしてそれを主導するのは、人々に選ばれた王である貴方や彼の国の王よ」
そう指摘されて、ゲオルクは息を呑む。
例え王と持て囃されていても、その生き方が人を惹きつけるものだっとしても、目の前にいる千年を生きた魔女相手には小僧のようなものだ。
「判るでしょう? 王が見据えるのは今だけではいけない。今を生きる人々が、安心して後の代に全てを託せるように、その舵取りをするのも王の役割なのだから」
「……覚悟はしてたが、責任重大だな。本当に父上の代はこんな苦労してたのかよ……」
「してないでしょうね」
「だよなぁ」
溜息を吐くが、すぐに顔を上げた。
彼は王だ。例え魔人であろうともこの国に暮らす者に、弱い姿を見せることは許されない。
いつでも胸を張り、人々の先頭を歩まなければならないのだから。
「だが、逆に気合いは入ったか。これからよろしく頼む、魔人殿」
「私がするのはあくまでも手伝いね。だから、あまり期待しすぎないように」
差し出された手を、アルスノヴァが握る。
彼女がそうすることには一つの理由があった。
これは、決してカナタのためではない。だから本来のアルスノヴァの行動原理からは外れるものだ。
それは、千年前の約束だ。
遥か時の彼方を共に生きた者達は、穏やかな未来を望んでいた。
二人の手が離れ、アルスノヴァが席を立つ。
先程のゲオルクがそうしていたように、手すりに手を掛けて、人々の暮らしを上から見下ろした。
戦いの中にある、僅かな他者の幸せを喜べる人だった。
強い力を持ちながら、それでも救えなかったことを嘆く優しさを持っていた。
彼がもし、生きて全てを成し遂げることができたのならば、どんな世界を築いたのだろうか。
『今』のように、自分の力は不要であると断定して、人の世を去っていたのかも知れない。
もしも、のことなど考えても意味はない。
しかし、アルスノヴァはそれを切り捨てることができない程度には、人間だった。
別段、罪滅ぼしと言う訳ではないが。
それでも、時の彼方に消えてしまった『誰か』が見たかった平和を、少しでも長く維持する手伝いぐらいはしてやってもいい。
そのぐらいの縁はあるだろうと、勝手に思うことにしている。
「だから貴方達は、自由に駆けなさい。こっちも一段落したら、勝手に追いつくから」
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